本日の集会
6月19日(日) 女性会 奨励メモ
「モーセと共にいたように」 ヨシュア記1章1-9節
★大丈夫だという思い
大丈夫だという思い、これは幸いな思い
「これがあるから大丈夫だ」 お金があるから、貯金があるから
「この人がいるから大丈夫だ」 頼れる人がいる、どんな時にも共にあって励まし助けてくれる人
その思いが不確かになることがある。 大丈夫ではない。
★ヨシュアという人物
彼はモーセの後を継いだ人物
モーセは、出エジプトを導いた指導者 エジプトからカナンまでの歩みにおけるリーダーでした。モーセは、約束の地カナンの手前で、その生涯を終えた。
120歳であった。
カナンの地に入ることを願っていたが、それは許されなかった。
40年間、自分たちのリーダーとして歩んでくれたヨシュアが死んでしまった。
民は、どれだけの悲しみをいだいたことでしょう。
その悲しみと共にいだいた思いは何だったでしょう?
これから大丈夫だろうか?という思い 大きな不安をいだいた。
★父の日
イスラエルの民にとって父のような存在であったモーセ
そのモーセがいなくなる どのような状況、思いだったのだろうか?
それで、この箇所を選びました。
皆さんはお父さんの思い出はいかがでしょうか?
お父さんを思い出すとどのようなことを思い出すでしょうか?
私の父は中学の数学の教師でした。いろいろな思い出がある。
春になるとよくセリを摘んできてくれた。 そのセリを母がゆで、刻み塩をまぶした。ご飯にまぶし食べたセリご飯を思い出す。
小さい時に、大きなソリを作り、載せて引っ張ってくれた。
私が予備校に1年行き、医学部合格を知り、とても喜んでくれた父
私が、大学の卒業を前にして、卒業しても医者の道に進まず、牧師になるために神学校に行くことを伝えた時、とても動揺した父。
都農の時代、3人の子どもの誕生。 孫の誕生を喜び、都農に来ると、ベビーカーに孫を乗せて良く近くの公園に連れて行っていた。
さまざまな思い出がある。
その父が亡くなったのは、父が72歳の時 私は42歳の時だった。
★民とヨシュア
自分たちのリーダーであり、父のような存在であったモーセがなくなった。
いなくなった。 悲しみと喪失感
ヨシュアにとっては、さらに深い思い
モーセと共に、モーセのそばに歩んだ人。モーセの息子のような者であった。
そのモーセが天に帰って行った。
モーセの後を継ぐリーダーとして歩まねばならない。
大丈夫だろうか? とてもモーセのようには歩めないのだはないか。
喪失感と共に大きな不安、恐れをいだいたことでしょう。
そのヨシュアに主が語られた言葉が記されています。
◎ヨシュア記1章1-9節
1:1 主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた。
1:2 「わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。
1:3 モーセに告げたとおり、わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。
1:4 荒れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全地を含み、太陽の沈む大海に至るまでが、あなたたちの領土となる。
1:5 一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。
1:6 強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。
1:7 ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。
1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。
1:9 わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」
前もって、モーセからの言葉
そして主のご予定 モーセの後にはヨシュア
○申命記3:21-28
3:21 わたしはそのとき、ヨシュアに命じた。「あなたたちの神、主が二人の王に対してなさったことをすべて、あなたは自分の目で見た。主は、あなたがこれから渡って行くすべての王国にも同じようにされるであろう。
3:22 彼らを恐れてはならない。あなたたちの神、主が自らあなたたちのために戦ってくださる。」
3:23 わたしは、そのとき主に祈り求めた。
3:24 「わが主なる神よ、あなたは僕であるわたしにあなたの大いなること、力強い働きを示し始められました。あなたのように力ある業をなしうる神が、この天と地のどこにありましょうか。
3:25 どうか、わたしにも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください。」
3:26 しかし主は、あなたたちのゆえにわたしに向かって憤り、祈りを聞こうとされなかった。主はわたしに言われた。「もうよい。この事を二度と口にしてはならない。
3:27 ピスガの頂上に登り、東西南北を見渡すのだ。お前はこのヨルダン川を渡って行けないのだから、自分の目でよく見ておくがよい。
3:28 ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう。」
★まさに恐れと不安の時
モーセはもういない。
主はどう助けて導いてくださるのだろうか?
モーセは、主の語り掛けを聞き歩んでいた。自分はどうしたら良いのだろうか?
主のヨシュアへの語り掛け
共にいる 見放さない、見捨てない。 共にいる。モーセと共にいたように。
○5節
1:5 一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。
ヨシュアは、主を見上げることになる。 新たな歩み出しへと。
12月24日(土) クリスマスイブ礼拝 メッセージメモ
「飼い葉おけの中の救い主」 ルカによる福音書2章1-7節
★ようこそ、おいでくださいました。
こんばんは。 今日は、寒い日となりました。
寒い中、皆さん、ようこそおいでくださいました。心より歓迎いたします。
今日は、クリスマスイブの日です。 いろいろなところでクリスマスイブの集いがもたれていることでしょう。
教会でのクリスマスイブの集いでは、キャンドルサービス(燭火礼拝)を捧げ、聖書からのメッセージを聴きます。
★本日は、皆さんに特別なプレゼントがいくつかあります。
すでに二つは披露されました。
①一つ目は、ハンドベルの会によるハンドベル演奏
この1、2カ月ほど、練習を積み今日の日を迎えました。 感謝します。
②二つ目は、森田 望兄によるバイオリン演奏とパラグアイの紹介のお話
森田 望さんは、パラグアイでご家族4人で過ごしています。
パラグアイの方々の歩みの応援のために働いておられます。
③三つ目は、お帰りの時に、小さなクリスマスプレゼントの袋を受け取って帰ってください。 小さなプレゼントです。
★クリスマスの時
クリスマスには、ツリーに飾りを付けます。イルミネーションを付けます。
そして、プレゼントの交換をします。
プレゼントをもらうと嬉しくなります。
プレゼントをあげて、相手の人が喜ぶと嬉しくなります。
華やかなクリスマス。
★今年のクリスマス
今年のクリスマスは、少し悲しいですね。
遠いウクライナの国では、仕掛けられた戦争によって、大きな悲しみを経験しています。町が破壊され、住むところも壊されました。 爆撃によって恐怖の連続でした。
戦争を仕掛けたロシアの国でも、指導者によって引き起こされた意味のない戦争によって多くの兵士が亡くなりました。
家族にとっては、これほど悲しいことはありません。
爆撃のない、逃げ回る必要のない、元の平和の生活が戻ってくることを多くの人が願っています。
今年のクリスマス、子どもたちに良いプレゼントが届きますように!と願わずにはおられません。
クリスマスの主に、願います.一日も早く、この戦争が終わり、前のような平和な日々が戻ってきますようにと。
★あいつはひどい奴?
戦争だけでなく、ひどい事件が起きると、私たちは思います。
それを引き起こした者は、とんでもない者だ。ひどい奴だ。 なんてひどい
厳しい罰を与えたら良いのだと考えるかもしれません。
でも、それだけでは、何も変わりません。
自分も一歩間違えれば、同じようなことをしてしまう者だ、自分の心の中にも、ひどい心、恐ろしい心があることを認める必要があります。
クリスマスは、実は、このような私たちのために起きた出来事なのです。
★クリスマスの出来事
神の御子イエスのお誕生 それこそがクリスマスの出来事です。
この世界をお創りくださり、私たちにこの地上で歩むことを許してくださっている神様からの最高のプレゼント それが、神の御子イエスのお誕生
神であられた方が人間となってお生まれくださった。
考えられない出来事、それがクリスマスの出来事です。
★紙芝居、絵本の絵で
クリスマスの場面を、紙芝居、そして絵本を通してみてみましょう。
・おとめマリア ・み使いガブリエル ・神の働きとしての懐妊
・婚約者のヨセフ ・人口調査のための登録の命令
・マリアとヨセフは、ベツレヘムに
・人でごったがえす ・泊まる宿屋はない
・家畜小屋 ・そこでの出産 ・御子イエスの誕生
★家畜小屋
家畜小屋 牛や羊、やぎ、ロバ、馬が飼われている小屋
小さい時に、農家の親戚の家に良く泊まりに行きました。
牛、馬、羊が飼われていました。 羊を引っ張って散歩もしました。
前に住んでいた町には、牛を飼っている方がいました。子牛を育てて大きくし、セリに出すのです。 牛小屋もよく行きました。 独特なにおいがします。
家畜の糞尿の臭いもします。藁の臭いもします。
また、餌箱の中のえさの臭いもします。
慣れていない人にとっては、何時間もいるところではない。
その家畜小屋で寝泊まりするようにと言われたら、戸惑います。
いや、それは結構です。 できませんと断ることでしょう。
◎ルカ福音書2:1-7
2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
★家畜小屋でお生まれになった御子イエス
家畜小屋に通された。 そこで、マリアは出産をした。
藁はあったことでしょう。 家畜小屋、ちょっと無理ですと言いたい場所
でも、そこしか空いていなかった。
立派な宿屋ではない、宮殿でもない。 家畜小屋でお生まれになった。 ええ、と驚く。神の御子が、そんなところで生まれたのですか? 信じられない。
そう、信じられないところでお生まれくださったのです。
そして、寝かされた場所は飼い葉おけの中です。
飼い葉おけ すなわち家畜のえさ箱
餌箱には、食べ残しのえさが残っているかもしれない。
牛や馬のよだれもくっついていたことでしょう。
立派なゆりかご、ベッドでもない、飼い葉おけの中に寝かされた。
一番最初のクリススマス 御子イエスの誕生。
★そこには大きな意味が込められていた。
天の神さまは、私たちのありのままをご存じです。
私の心はきれいで、何も問題もありませんと考える人はいないわけではありません。 でも実際には、いろいろな問題を抱えています。
心が、本来の元気を失っていることもあります。
怒りや妬みでいっぱいかもしれません。
自分さえよければ良いと考えることは多いです。
人を許せない。 自分を許せない。
将来に対する不安でいっぱい。
混乱している。 希望の光が消えそうになっている。
神は、すべてをご存じです。
神さま、私の心は汚いですと認められる人は幸いです。
なぜなら、そのような私たちの心、それは、家畜小屋のようなもの、飼い葉おけのようなものです。
救い主は、家畜小屋でお生まれ、飼い葉おけの中に寝かされたお方です。
★神さまへの祈り
神さまは、どのような祈りを喜ばれるでしょうか?
「私の心は、僕の心をきれいで立派です。 私は、僕は自分の力で何でもできます。神さまは遠くで見ていてください」でしょうか? そうではありません。
「私の心は汚れています。 混乱しています。 外側は立派そうにしていますが、心はボロボロです。 泣きたいことでいっぱいです。 不安があります。 汚いものでいっぱいです。 こんな自分でずっといたいとは思いません。でもずっとこのような心のままです。 神さま、この私を、この僕を憐れんでください。」
「自分では、持ちたいと願っても希望の光を持つことはできません。 私の心の中にお住いください。そして、希望の光となってください。」 という祈りです。
「この私はどうしようもありません。 でも、このどうしようもないこの私をご存じの神さま、私の内にお住まい下さい。 この私の人生を導いてください。
この自分勝手な私をも見捨てないことを感謝します。」 と祈って良いのです。
★クリスマスの主に感謝しましょう。
クリスマスの主は、この私のためにこの世にお生まれくださいました。
飼い葉おけに寝かされた救い主は全世界の人の救い主です。そして、私の救い主です。 そう、信じて、お祈りして良いのです。 ハレルヤ!