2022年

’22 4月21日() 

  2022年度 第1回 西南女学院聖書学課 講演メモ

    「新しい命で生かしてください」  エレミヤ書31章31-34節 

 

★ウクライナのことを覚えます。

 このコロナに加えて、今私たちの心を暗くしているものがあります。

それは、ロシアによるウクライナへの侵攻、そして侵略戦争です。そのことで、国がめちゃくちゃにされ、多くの人の命が奪われ、命が脅かされていることです。 しかも、核兵器使用が起きるのではないか、それがウクライナだけでなく、この世界においても使用されるのではないかという心配です。

 21世紀になって、こんなひどいことが起きる。

 主権国家であるウクライナに対しての侵略戦争、ジェノサイド、強制連行、捕囚、・・  このような蛮行、大変なことが一日も早く終わるようにと願います。祈りを合わせたいと思います。

 

 さて、本日、私に与えられている時間は15分です。この時間の中で、語らせていただくことを通して、皆さんが何か一つ光を見出すことができるなら幸いです。

 

今日選んだ聖書の箇所はエレミヤ書という書の中に31章31-34節です。

エレミヤ書31:31-34

31:31 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。

31:32 この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。

31:33 しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

31:34 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。

  ここに、一つ大切な言葉があります。それは新しい契約という言葉です。

 契約という言葉は、聖書の中のとても大事な用語です。

 簡単に言えば約束です。 でも、単なる約束ではありません。

 約束は、大切なものですが、時に人の都合で反故にされる。

  そう約束していたけど、もうそれは関係ないと、それは無効だと

 聖書で用いられる契約は、神が私たち人間と交わしてくださった約束を意味します。 それは、大切なものです。

 

 さて、新しい契約に対する言葉があります。 それは古い契約です。

古い契約の意味が分かると、新しい契約の意味が少しわかってきます。

古い契約とは何を意味するか、それは、モーセの十戒と呼ばれるものです。

遠い昔、出エジプトの後に、モーセという人がシナイ山で、神から与えられたという10の大切な戒めです。

 

○主エジプト記20:2-17

20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。

20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。

20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、

20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。

20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。

20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。

20:9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、

20:10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。

20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。

20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

20:13 殺してはならない。

20:14 姦淫してはならない。

20:15 盗んではならない。

20:16 隣人に関して偽証してはならない。

20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

 聞いたことがあるかもしれません。

 最初の4つは、神との関係における戒め 後半の6つは、人との関係における戒め このモーセの十戒は、今もとても大事なものです。捨て去るべき戒めではありません。

 

★それなのになぜ、古い契約と呼ばれるのか?

 それは、その後に続く神の言葉によってそうなったのです。

  その神の言葉は、申命記と呼ばれる書の11章、28章に記されています。

  両面のことが記されている。

 ・それらを守れば祝福を受ける。 それらを守る者は祝福される。

   幸いなことが次々と与えられる。 その通りだと思います。

   相手を大事にして歩めば、自分も大事にされる。 幸せが広がる。

 ・ところが、もう片方の面には、何と言われているか?

  それを守らなければ、祝福はすべて取り去られる、呪われる。

  悪いことばかりが起きる。と

 

 モーセの十戒 大切な戒め、教え それを守れるうちは良い。

 しかし、自分の都合で、神々を据えてしまう。自分の願いや計画を一番大切なものとしてしまいます。 自分の欲に負けて、他の人のものを盗んだりしてしまう。

 第6戒 「殺してはならない。」について考えてみましょう。

 私たちの持ち物の中で、最も大切なものの、しかもそれぞれに1つしかないもの それは命です。 人の命を奪ってはならない。 殺してはならない。

 他の人の命だけでなく、自分の命もです

でも、実際はどうでしょうか?

 人が他の人の命を奪う。 自分の命を奪うことが起きますね。

 今まさに、ロシアによって引き起こされた戦争によって、殺し合いが起きています。 多くの人の命が奪われています。

戦争が起きると、これを止めることは難しい。 平和な時には、心にとめているのに、その戒め「殺してはならない」を忘れてしまう。 忘れてしまうというより、それを封印してしまう。

 

 反対のことを心に刻んでしまう。恐ろしいことです。

  か―として、相手をののしったり、殴ったりしてします。

  恨みを募らせて、相手にひどい言葉をかけたり、ひどいことをしてしまう。

 そして、相手を消し去ってしまおうと考えたりしてしまう。 そして、その方向に進んでしまう。 神の大切な戒めを引き裂いてしまう。

 祝福を失い、呪われる。 どん底に落ちてしまう。

 喜びはなく、悲しみ。 もう、自分は失格者だ、呪われた者だ

 悪魔は、ささやく。 お前は失格者だ、お前は呪われた者だ。

  もう二度と回復できない。祝福にはあずかれないと

 「殺してはならない」という戒めは、素晴らしい、最高の戒めなのに、素晴らしい教えなのに、行き詰まり、袋小路。

 

 その行き詰まり、袋小路に対して、預言者エレミヤが告げた預言が、今日取り上げた御言葉です。 

 神が、新しい契約を結ぶと 石の板ではなく、心に刻むと。

 

★では、その新しい契約どのような方法で結ぶのか?

 その時が来ると いつ? それは何を通して、だれを通して

  それは、イエス・キリストの最後の晩餐での言葉にカギがあります。

 

 *最後の晩餐での主イエスの言葉にヒントがある。

 この新しい契約ということを語られた。

 パンとぶどう酒

  パン これは、あなた方のためのわたしの体

  ぶどう酒 これは、わたしの血による新しい契約

○ルカ福音書22:19-20 

22:19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

〇コリント一11:23-25

11:23 わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、

11:24 感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

11:25 また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

 

★新しい契約が意味しているものは、イエス・キリスト

 神が、新しい契約と言われたのは、イエス・キリストを与えるということを意味していました。

 クリスマスの出来事であり、十字架の出来事であり、イースターすなわち復活の出来事を通して。 神ご自身が、私たちのもとにおいでくださり、犠牲を払ってくださった。

 そんなことをしたらダメでしょう、失格です、あなたを裁くと言っても、解決しない。 解決には、大きな犠牲が必要。

 その犠牲は、その本人が支払うべきもの でも、あまりにその代価は大きくて支払えない。

 神ご自身が、ご自身の独り子であるイエス・キリストの命の犠牲を払ってくださった。 神は、その道を選んでくださった。 それがイエス・キリストの十字架でした。

  

★キリスト教、聖書が教える神はどのような方か

 キリスト教が教える神は、愛の神であり、赦しの神であり、祝福を回復してくださるお方。 神の願いは、私たちに呪いから祝福を回復すること

 呪いではなく、祝福を与えること

 私たちは、自分では祝福を回復できない。呪いから祝福に回復させる力は持っていない。

愛されて、赦されて、祝福の回復をいただいて、悲しみから喜びに移される。

 希望に生きることができる。

 

★神の語りかけ

 聖霊なる神は、語りかける。

  呪いからの回復の道は用意された。祝福に戻ることができる。

  イエス・キリストを通して、赦しはある。 

   その命の犠牲のゆえに。 呪いから祝福に戻ることができる。

  悪魔のささやき お前は、もうダメだ。お前はもう引き返せない。 お前に残された道は呪いだ。祝福には戻れない。祝福を受けることはできないと

 しかし、聖霊なる神は、ダメではない。祝福に戻ることはできる。 祝福を受けることができる。

 そのために一つのことが必要でした。

  それは、神の独り子である命の犠牲です。 それが十字架の意味です。

  そして、その祝福の命に生きるために、主イエスの復活が必要でした。

 

★「新しい命で生かしてください。」

  新しい契約は、イエス・キリストを通して打ち立てられました。

  しかし、なお世界は苦悩し、私たちも苦悩しています。

  私たちは、新しい契約を打ち立ててくださった神に祈り求めることが許されていますし、そうするよう招かれています。

「新しい契約を打ち立ててくださった主よ、復活の主イエス・キリストによって、生ける聖霊によって、この私に、この世界に、なお、その息吹を、その力を与えてください。新しい命で生かしてください」と

 新しい命で生かしてくださいと求めたいと思います。

 

11月27日() 聖日礼拝 説教メモ

   「一人のみどりご誕生予告」     イザヤ書916

 

★クリスマスアドベント

 本日よりクリスマスアドベントです。

 クリスマスの向けての4週間 喜びのクリスマスを待ち望みつつ

 本日礼拝後、クリスマスの飾りつけを共にいたしましょう。

  飾りをここと思うところにおいてください。

  この数年、皆で考えて飾りつけをしています。

 

★クリスマスのテーマの一つは光です。

 街中では、既にクリスマスを意識して、イルミネーションが飾られています。

  きらびやかな光 少し心をワクワクさせてくれます。

  でも、大切なのは、心の中に、本当の光をいただくことですね。 そうでなければ、外のきらびやかさが、逆に心を暗くしてしまう。 

 光の主が来てくださった。

  その方こそ、救い主であるイエス・キリストです。

  クリスマスは、救い主イエス・キリストのお誕生をお祝いするものです。

 

★太陽の光は嬉しいものです。

 世界を明るくし、温めてくれます。

 この時期、一番実感することは、日がどんどん短くなるということです。

  日中の時間が短くなる、夕方が早くやって来る。暗くなる。

  この時期に、ああ日が短くなったなあと思う。

  でも、冬至を境に、また日は伸びてくる。 楽しみの一つ。

  暗さが早く迫って来る。でも、もう少ししたら日がまた伸びてくる。

 

★主は、太陽の光を与えてくださっている

 主なる神は、太陽の光を与えてくださっている。 この世界を照らすために。私たちのこの住む世界のために。 私たちのために

 暗い夜の後には、必ず、明るい朝を用意していてくださっています。

 

★主は、クリスマスの光を与えてくださっている。 

 その主は、私たちにクリスマスの恵みを用意してくださいました。

  クリスマスの主イエス・キリストです。

 クリスマスの光は、私たちに与えられている。

 その主は、私たちの心に希望と喜びを与えてくださるお方です。

 

★希望と喜び

 私たちにとって何が大事か

  あれも欲しい、これも欲しい。 皆大事なもの。手に入れたいもの。 

  でも一番大切なものは、希望であり、喜びではないでしょうか?

  希望と喜びがなければ、むなしい。 希望と喜びがあれば、生きて行ける。

 希望と喜びを握って生きる。

  主なる神は。変わることのない希望と喜びを与えてくださるお方です。

 変わることのない希望と喜び

  目に見えるものによる希望、喜びは実は危ういものです。

  それは確かそうで確かではないのです。

  目に見えるものは、変わっていきます。過ぎ去っていきます。失われることもあります。 持ち物、若さ、自分のうちの確かさ、自分自身、やりがい、生きがい、それらはある時までは自分を励ましていたとしても、そうでなくなる時がやってきます。

 持ち物は失われ、若さも失われていく時がやってきます。

 確かだと思っていたものが。そうではなかったと気が付くときがあります。 

  

★確かな希望、喜び

 確かな希望、喜びを握りたいもの。 それは、主なる神より与えられるものです。 生ける主なる神によって与えられるものです。

 主が生きておられる上に、希望を喜びは失われることがない。

 状況がたとえ変わったとしても、自分自身が年を取ったとしても。自分自身の確かさが乏しくなったとしても、生ける主、愛の主、力ある主、祝福の主が、日々に希望と喜びを注ぎ与えてくださる。

 主からの希望と喜びを日々受けつつ、歩んでいきましょう。

 

★本日の聖書箇所

 クリスマスアドベントで必ず開かれる個所です。

 ここには、深い闇と輝く光のことが記されています。

 深い闇とは、苦しい状況であり、悲しみ、苦しみのことです。

 そのようなところを私たちも経験します。 それはつらく苦しいものです。

 そこから早く抜け出したいと願います。しかし、簡単ではない。

 ますます、その苦しみの沼に沈み込むような思いにさせられる。

 そのような私たちに、クリスマスの主は、希望を指し示してくださっています。

 

◎1-4節  

9:1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

9:2 あなたは深い喜びと 大きな楽しみをお与えになり 人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように 戦利品を分け合って楽しむように。

9:3 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を あなたはミディアンの日のように折ってくださった。

9:4 地を踏み鳴らした兵士の靴 血にまみれた軍服はことごとく 火に投げ込まれ、焼き尽くされた。

 

★闇について

 この預言者イザヤの生きた時代

  北イスラエルの国が亡び、南ユダの国が風前の灯火の時代

  北イスラエルは、大国アッスリヤに滅ぼされた。 南ユダの国はアッスリヤの脅威にさらされ、やがて次に立ち上がった大国バビロニアに攻められる。

 闇の中に歩む民とは、北イスラエルの国の人たちであり、南ユダの人たちのこと。 闇の中に置かれた。 希望も喜びもない。

 国が滅ぼされた。 国は破壊され、多くの人が亡くなった。 また多くの人が、アッスリヤに捕囚の民として連れて行かれる。

 現在のウクライナの国の人たちのよう。

  大きな苦しみを経験し、悲しみの中に置かれている。 

  まだ出口が見えない。 厳しい冬がやって来るのに、家々は破壊され、冷たい風、雨が吹き付ける。 電気も来ない。暖房もつけようがない。

 寒さに凍えつつ、この冬を迎えなければならない。

 

○イザヤ8章21-23節

8:21 この地で、彼らは苦しみ、飢えてさまよう。民は飢えて憤り、顔を天に向けて王と神を呪う。

8:22 地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放。

8:23 今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。

8:23 先に ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが 後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた 異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。

 ゼブルン、ナフタリの地

  北のガリラヤ湖の西の地、北西の地 真っ先にアッスリヤの攻撃を受けた。

  町々は破壊され、多くの人の命が奪われた。地は踏みにじられた。

  アッスリヤの人たちが移住してきた。 大きな苦しみを経験した。

 

★その闇の地に光が

  イザヤの預言 その地に光が輝く。 人々はその大いなる光を見る。

  そのままにはされない。 希望と喜びの日が来る。

  主なる神がそのようにしてくださる。 なんという恵みの約束でしょうか。

 ミディヤンの日のように。

  士師記6章から8章も見ると

   ミディアンの国に苦しめられるイスラエルの国

毎年、収穫の時期になると略奪隊がやってきて、良いものをすべて奪っていく。

  そのイスラエルの国を救う、助けると

  ギデオンを通して戦いに勝利を与えられた。 敵は13万5人 こちらは

300人 400倍以上の軍事力を誇るミディアン

  その相手をギデオンと勇士300人で、勝利を得ることができた。

  もはや略奪されない。もはや、苦しめられることはない。

  喜びの時がやって来た。

 ゼブルン、ナフタリの地

  異邦人のガリラヤと呼ばれ、蔑まれた。

 

★その地に起きたこと

  起こされたこと。 それは、救い主イエス・キリストの宣教のスタートの地になった。

 その地のカファルナウムの地で、主イエスは宣教の第1声を上げられた。

○マタイ福音書4:12-17

4:12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。

4:13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。

4:14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、

4:16 暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」

4:17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

 一番馬鹿にされた地、さげすまれた地、そこに住む民に主は、大きな祝福を注がれた。 大きな喜びを与えられた。

 

★神の愛

 神の愛は、すべての人に注がれています。

 隅に追いやられた者、悲しみを抱えている者、不安を覚えている者に、道を見失い行き詰った者に特別に憐み深い。 神の愛は注がれています。

 

★迷い出た羊のたとえ

 迷い出た羊のたとえ

○ルカ15:1-7

15:1 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。

15:2 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。

15:3 そこで、イエスは次のたとえを話された。

15:4 あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。

15:5 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、

15:6 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。

15:7 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。

 羊飼いは、迷い出た一匹の羊を探し求めてくださった。

 主なる神は、私を、そしてあなたを探し求めてくださった。

 そして、見つけたなら喜んで連れ帰ってくださるお方。

  そして、養い育ててくださるお方です。

 

★一人のみどりご

 一人のみどりごを生まれる。一人の男の子が与えられる。

  それは、あなたたちのため。 すなわち私たちのためです。

 神の独り子である救い主イエス クリスマスの出来事

 

◎5-6節

9:5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と唱えられる。

9:6 ダビデの王座とその王国に権威は増し 平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

  その名は、4つの称号

   ①驚くべき指導者、 ②力ある神、  永遠の父、 平和の君

  

【新共同訳】

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられる。」

 【口語訳】

「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられ た。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。」

【新改訳改訂3】

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」

 【聖書協会共同訳】

「一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられ 

た。主権がその肩にあり、その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平 

和の君」と呼ばれる。」

 

①驚くべき指導者 

  不思議な助言者(新改訳)

  私たちのことをよくわかってくださるお方 頼ることのできるお方

  相談できるお方

②力ある神  

  大能の神(口語訳)

  すべてを支配しておられるお方

 ③永遠の父 

  とこしえの父(口語訳)

  永遠を支配しておられる。 私たちの人生は長くない。

  天の御国を備えてくださっている。

 ④平和の君

  神との平和を与えてくださる。

  罪の赦しを与え、神との断絶を取り除いてくださった。

  主とつながり、生きる。 平安をいただきつつ歩むことができる。

 

★神の熱意

 神の熱意、熱情 

○聖書協会共同訳

9:6 その主権は増し、平和には終わりがない。ダビデの王座とその王国は公正と正義によって立てられ、支えられる 今より、とこしえに。万軍の主の熱情がこれを 成し遂げる。

○新改訳改訂3

9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。

 神が、私たちを熱意をもって 熱情をもって、熱心さをもって、ご支配くださる。 探し出し、導いてくださる。

 養い育ててくださる。 なんという感謝なことでしょう。

 

3月30日() 祈祷会 奨励メモ

        「主の御名は栄え輝く」         詩篇115編1-18節

 

世界の苦しみ

  世界が立ち向かうべきことはたくさんある。

  気候温暖化の問題、 食糧危機の問題、 新型コロナ感染、・・

  そして、今ウクライナの問題

  気が滅入る。 なぜ、次々とこんなにたくさんの問題がと。

  時に、自分の身近なことで、悩む、心が落ち着かなくなる。

 その時、自分に言い聞かせることがある。今ウクライナの人たちが、経験していることは、その悩み、苦しみは、自分の今の悩み、苦しみの何千倍、何万倍だと それでも、やはり、自分に関わることが気になる。 

 神さまがおられるなら、なぜこのような悲しいことが起きるのか? 神はご介入されないのか?と

 私たち人間の罪のため、自分さえ、自分たちさえ良ければというありかたが、さまざまな問題を引き起こしていることを思う。

 

★どうしたら良いのか

  さまざまな問題が起きる、世界に、そして自分の周りに。

  主に祈りつつ、歩むしかない。

  主の憐れみと助けと、最善の道が開かれるようにと。

 

★偶像により頼まないように

  どの神でも良い、 拝めば良いのではない。

◎4-8節

115:4 国々の偶像は金銀にすぎず 人間の手が造ったもの。

115:5 口があっても話せず 目があっても見えない。

115:6 耳があっても聞こえず 鼻があってもかぐことができない。

115:7 手があってもつかめず 足があっても歩けず 喉があっても声を出せない。

115:8 偶像を造り、それに依り頼む者は 皆、偶像と同じようになる。

  偶像とは、人の造った神、祭り上げた神

  むなしいもの 寄り頼むに値しないもの 

  それらにより頼む者は、偶像と同じようになる。

  目に見えるものだけでなく、お金や名誉や権力、だれか人、自分自身が偶像にさえなる。 それらにより頼んではならない。

 

★主に依り頼む

  主なる神により頼みましょう。

◎9-11節 

115:9 イスラエルよ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。

115:10 アロンの家よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾

115:11 主を畏れる人よ、主に依り頼め。主は助け、主は盾。

  主は助け、主は盾

   攻撃してくる者の放つ矢、向かってくる剣 それを防ぐものは盾

  人を攻撃する 理由をつけて攻撃してくる。 難癖をつけて攻撃してくる。

 他の人、他の国を攻撃する時、その攻撃する人、国は、もっともらしい理由をあげる、自分御都合の良い題目をあげて、攻撃してくる。

 こうこうこうだから、自分が攻撃すること、自分の国が攻撃するのは正しいのだと。 でも、たいていは、うそ、偽り。勝手に作り出された都合の良い論理。 

 そのような攻撃で、苦しむのは、罪のない人たち。何の罪もない人たち。

 私たち人間の世界の苦しみ、そして、今起きているロシアが引き起こした事柄

  ウクライナへの侵攻、攻撃、戦争

 主は助け、盾なるお方

攻撃してくる相手が時に起きる。 悩み、苦しむ。

 主に依り頼めと聖書は、私たちに告げる。

 主よ、あなたにより頼みますと申し上げ、依り頼んでいきましょう。

 

★主よ、祝福してください

  主よ、祝福してくださいと願い求めたい。

◎12-15節

115:12 主よ、わたしたちを御心に留め 祝福してください。イスラエルの家を祝福し アロンの家を祝福してください。

115:13 主を畏れる人を祝福し 大きな人も小さな人も祝福してください。

115:14 主があなたたちの数を増してくださるように あなたたちの数を、そして子らの数を。

115:15 天地の造り主、主が あなたたちを祝福してくださるように。

  主に対して、願い求めましょう。

  どうぞ、この世界を憐れんでください。 この世界を守ってください。

  この苦しみから救ってくださいと願い求めましょう。

  

◎創世記32:23-32

32:23 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。

32:24 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、

32:25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。

32:26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。

32:27 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」

32:28 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、

32:29 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」

32:30 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。

32:31 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。

32:32 ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。

 ヤコブは,絶体絶命の状況の中で、神に降参した。 ヤボクの渡しで一晩中、祈った。 私がでは、限界です。 主よ、主がと願った。

 主の祝福 それは、何か付け足しをではない。 少しだけ、一部だけリニューアルをではない。 主の御手の中で、造り変えてください。

 主のみが与えることのできる大いなる恵みを注ぎ与えてくださいと

 

★天と地

天も地も主のもの

 天におられるお方が、この世界を、この宇宙をお造りくださった。

◎2-3、6節

115:2 なぜ国々は言うのか 「彼らの神はどこにいる」と。

115:3 わたしたちの神は天にいまし 御旨のままにすべてを行われる。

115:16 天は主のもの、地は人への賜物。

今、私たちは、この地球に生きている。

  この地に生きることを大きなプレゼントとして与えられている。

  このことは、主よりの賜物。

  それなのに、この地球を勝手に扱い、地球は限界に近付いている。

  互いにいがみ合い、互いに傷つけ、争っている。

  自分たちの世代だけのものではない。これから続く、何千世代のためのもの

自分たちの世代だけで、食い尽くす、住めない世界にすることは間違ったこと。

 主より与えられたこの地球、この世界を感謝して、過ごし、次の世代、後の世代に引き渡さねばならない。

 

★主をたたえよう。

 主への讃美。 主をほめたたえましょう。

 かつて生きていた人がそうしていた。 それは、尊いこと。

 でも、それは過去のこと。 今生きている私たちが、主をたたえることこそ、大切なこと。

◎17-18節 

115:17 主を賛美するのは死者ではない 沈黙の国へ去った人々ではない。

115:18 わたしたちこそ、主をたたえよう 今も、そしてとこしえに。ハレルヤ。

   人間の知恵は限界。 人間の分析も限界。 

  論争も、議論も限界

    なぜなら、私たちは、自分たちの論理で、自分の物差しでしか、ことを測らないから。 主に目を向けましょう。

 主こそ、すべてを支配しておられる。 主こそ、王の王、主の主

 主に目を注ぎ、主をほめたたえましょう。 

 

★主の御名は栄え輝く

◎詩篇115:1-18

115:1 わたしたちではなく、主よ わたしたちではなく あなたの御名こそ、栄え輝きますように あなたの慈しみとまことによって。

   慈しみ ヘセド 良いこと誠実いつくしみ

 まこと エメツ 真理真実確かさ安定信頼性信頼できること

主の御名こそ 主ご自身こそ  栄え輝きますますように。

 どこの国、どこの陣営こそ正しいということはない。

  アメリカでも、EUでも、NATOでも、 当然、ロシアでも、中国でも、

  日本でもない。

 ロシアが、今回ウクライナの国、人々に対して犯している間違い。

   ジョージアの国、その国への攻撃占領

 アメリカでも、かつて、イラク、アフガニスタンへの攻撃

  かつての、日本の広島、長崎への原爆投下においても

  一方的にこうこうこうだから、自分たちの攻撃は正しいのだと。

  決してそうでなかった部分は大きい。     

 ある特別の人が、特別な国が、特別な陣営が正しいということはない。

 間違いを犯すことがある。 そのことは互いに受けとめ合わねばならない。

 

*主の慈しみ、主のまこと

 その主を崇めて歩みましょう。 主の御名こそ、栄え輝きますように!