2023年

’23 5月22日()   折尾愛真短大チャペル 

      「とても幸いなこと」         詩編32編1-5節 

 

★おはようございます。

 コロナ4年目となり、マスク生活も少し緩和され、感謝です。

 少しずつ、活動も自由になり嬉しいですね。

 先週、昼間に久しぶりに食事に妻と生きました。以前のようにたくさんの人が来ていて、わいわい話をしていて、ああ、元に戻って来ているなあと思いました。

 

★幸いなこと

 いろいろあるかと思います。

 ・おいしい食事ができた時。

 ・友達と楽しく過ごせたとき。

 ・夜ぐっすり眠れた時。

   最近、夜寝ても現実的な夢を多く見て、起きても何か疲れが取れずすっき  

   りしないことがある。 せっかく寝たのに損をしたなあと思う。

 ・自分の好きなことができた時。

   山登り、 映画鑑賞、 旅行、 魚釣り、 サッカー、 野球

 ・ガールフレンドができた、ボーイフレンドができた。

 ・デートに行けた。

   若い頃をたまに思い出す。心がときめく時があったなあと

 ・お金を稼げた時、貯金が少し増えた時。

 

★今日は、ダビデという人のこと

 聖書の中に出て来る王様の中で、もっとも有名な王様の代表的な人

 彼はイスラエルの国の王様となった。

 彼は8人の男の兄弟の末っ子だった。

 彼は、子ども時代、どんな仕事をしていたか? 父エッサイから命じられて、羊を飼う仕事をしていた。

 託された羊の世話をする。 毎日、草場に連れて行き、草を食べさせ、水場に連れて行き水を飲ませる。 親羊、子羊がいたことでしょう。その世話をする。

 夜になれば、ひとところに集め、羊が、野獣に食べられないように守る。

 ライオンや熊が襲ってきたとき、命がけで羊を守った。

 一匹一匹の羊を大事にした。

 彼は、大きくなって、神さまに見いだされ、預言者サムエルという人を通して、頭に油を注がれ王となる。 油を注ぐという儀式

 イスラエルの王になる前には、その前のサウルという王に命を狙われたりと大変なところも通った。

 とにかく、ダビデは、ついにイスラエルの王となった。

 

★王となった後のダビデ

 王となった直後、ダビデは、神さまに感謝した。

  自分のようなものがイスラエルの国の王となった。 信じがたいこと。

  神さまから信任された働きを心を込めて行います。

 王として、このイスラエルの国を治めます。 そこまでは良かった。

 

★しかし、事件は起きた。

 戦いに行かずに王として、のんべんだらりと過ごしていたある日

  自分のために戦いに行っているウリヤという家来の妻と姦淫の罪を犯した。

  ウリアの大切な妻バト・シェバを宮廷に呼び寄せ、床を共にした。

  そんなことはすべきでなかったのに、してしまった。

  バト・シェバは、妊娠してしまった。

 ダビデは、ひと時の自分の欲望に動かされて、すべきでないことをしてしまった。 そして、それだけでは済まなかった。

 ウリヤを戦場から呼び返し、ご苦労であった。

 久しぶりに帰って来たのだから、妻のバト・シェバとゆっくり過ごしなさい。

 あわよくば、バト・シェバの妊娠は、自分のせいではないとごまかせるかもしれない。

  ウリヤは、今は戦いの時、妻と床を共にするなどできませんと家に戻らなかった。

 ダビデは、作戦を変更した。

  バト・シェバを自分の妻にしたいと思い、戦場の戻った時に、一番激しい戦地に行くよう仕向けた。そしてウリヤは戦死した。ダビデは、やったと思った。

◎サムエル記下11:1-27

11:1 年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ダビデは、ヨアブとその指揮下においた自分の家臣、そしてイスラエルの全軍を送り出した。彼らはアンモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。

11:2 ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。女は大層美しかった。

11:3 ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった。

11:4 ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。彼女は汚れから身を清めたところであった。女は家に帰ったが、

11:5 子を宿したので、ダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせた。

11:6 ダビデはヨアブに、ヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。

11:7 ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。

11:8 それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って足を洗うがよい。」ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。

11:9 しかしウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰らなかった。

11:10 ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。「遠征から帰って来たのではないか。なぜ家に帰らないのか。」

11:11 ウリヤはダビデに答えた。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。あなたは確かに生きておられます。わたしには、そのようなことはできません。」

11:12 ダビデはウリヤに言った。「今日もここにとどまるがよい。明日、お前を送り出すとしよう。」ウリヤはその日と次の日、エルサレムにとどまった。

11:13 ダビデはウリヤを招き、食事を共にして酔わせたが、夕暮れになるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り、家には帰らなかった。

11:14 翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した。

11:15 書状には、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれていた。

11:16 町の様子を見張っていたヨアブは、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した。

11:17 町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、ダビデの家臣と兵士から戦死者が出た。ヘト人ウリヤも死んだ。

11:18 ヨアブはダビデにこの戦いの一部始終について報告を送り、

11:19 使者に命じた。「戦いの一部始終を王に報告し終えたとき、

11:20 もし王が怒って、『なぜそんなに町に接近して戦ったのか。城壁の上から射かけてくると分かっていたはずだ。

11:21 昔、エルベシェトの子アビメレクを討ち取ったのは誰だったか。あの男がテベツで死んだのは、女が城壁の上から石臼を投げつけたからではないか。なぜそんなに城壁に接近したのだ』と言われたなら、『王の僕ヘト人ウリヤも死にました』と言うがよい。」

11:22 使者は出発し、ダビデのもとに到着してヨアブの伝言をすべて伝えた。

11:23 使者はダビデに言った。「敵は我々より優勢で、野戦を挑んで来ました。我々が城門の入り口まで押し返すと、

11:24 射手が城壁の上から僕らに矢を射かけ、王の家臣からも死んだ者が出、王の僕ヘト人ウリヤも死にました。」

11:25 ダビデは使者に言った。「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない。剣があればだれかが餌食になる。奮戦して町を滅ぼせ。』そう言って彼を励ませ。」

11:26 ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた。

11:27 喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。

 すべてがうまくいった。 ウリヤは死んだ。その妻バト・シェバは、晴れて自分の妻とすることができると。

 

★そこで終わらないのが聖書

 そのことを見ておられる方がおられた。 それは天の神さまであった。

 神さまが動き出された。

 預言者ナタンという人物を呼んで、ダビデの間違いを指摘された。

◎サムエル記下12:1-14

12:1 主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。「二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。

12:2 豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。

12:3 貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに/何一つ持っていなかった。彼はその小羊を養い/小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて/彼の皿から食べ、彼の椀から飲み/彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。

12:4 ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに/自分の羊や牛を惜しみ/貧しい男の小羊を取り上げて/自分の客に振る舞った。」

12:5 ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。

12:6 小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」

12:7 ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し、

12:8 あなたの主君であった者の家をあなたに与え、その妻たちをあなたのふところに置き、イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。不足なら、何であれ加えたであろう。

12:9 なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。

12:10 それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』

12:11 主はこう言われる。『見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう。

12:12 あなたは隠れて行ったが、わたしはこれを全イスラエルの前で、太陽の下で行う。』」

12:13 ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。

12:14 しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」

 ダビデは、大変な間違い、してはいけないことをしたのは、自分自身であることを告白した。 自分が大きな間違い、罪を犯したことを神の前に認めた。

 自分の行ったことで、ウリヤが死んでしまった。もう生き返らない。

 ウリヤとバト・シェバとの幸せな喜びの日々は終わった。 

 羊飼いであった自分が、神さまの選びで、イスラエルの国の王となったのに、

 自分勝手なことを行ってしまった。

 神さまは良いものをたくさんくださったのに、そのことの感謝を忘れ、自分勝手なことをして、大事な命を奪い、大事な家庭を破壊してしまった。

 

★そのことで、何が起きたか?

 ダビデが、心から自分の愚かさを悔い、自分の罪を認めたことを通して、神はダビデを赦してくださった。

 取り返しのつかないことをしてしまった。そのことは変わらない。

 しかし、そのことを正直に認め、罪を悔い改めたダビデの心に平安が戻って来た。 そのことを歌った歌が今日の聖書の箇所です。

 

★詩編32編

◎詩編32:1-5 

32:1 【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。

32:2 いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。

32:3 わたしは黙し続けて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。

32:4 御手は昼も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ

32:5 わたしは罪をあなたに示し/咎を隠しませんでした。わたしは言いました/「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。〔セラ

 

★今一番戦々恐々としている人

 戦々恐々という意味は、恐れで心がいっぱいという意味です。

 それは、ロシアの大統領プーチンと人です。 彼は今恐れている。 自分の命が危ないと それまでは、自分の思うまま何でも行って来た。

 敵と決めつけた相手の命を数多く平気で奪い取ってきた。 自分は何をしても許されると考えるようになった。 それは大きな間違い。 そのことに気づかず、ウクライナへの軍事侵攻

 ウクライナの国の多くの人の命が奪われた。

 この戦争で、自国ロシアの軍人の命も奪われた。

 今、自分の大統領としての地位が危ない、命も危ない。 逃げ隠れつつ、過ごしている。

 その原因は、自分にある。 そのことを認め、戦争をやめればいのに、そうしない。 世界で最も愚かな者になってしまった。

 

★悪いことをして得をする? 損をする?

 万引きをする。

  お金を払わずに、商品を持ち帰る。

 闇サイトで、短時間でたくさんのお金を稼ぐ

  盗み、強盗に手を染めてしまう。

 一時的には、もうけたと思うかもしれない。

 でも、それと引き換えに恐れなければならない。

 誰かが見ていたのでないか。いつか、自分のしたことがばれるのではないか。

  人目を恐れなければならない。

  声を掛けられ、びくっとしなければならない。

   お店の警備員、お店の人、刑事さん、警察の人

  夢の中で、うなされる。

   追いかけられ、逃げなければならない。 つかまってしまうと

 

★最も幸いなこと

 それは、悪いことをしないことではない。

 人は悪いことを時にしてしまう。取り返しのつかないことをしてしまうことがある。 そのことを認める。 そのことを悔いる。 そして、同じことをし続けない。 でも、必ずしも簡単ではありません。

 お前は、一回したのだから、二回も、三回も変わらない。 お前はもう元には戻れない。 そのような声が聞こえてくる。 そしてずるずるとその不安と恐れを抱えつつ、歩み続ける。

 その恐れの原因である自分自身の罪を認める。 人の前に認める。

 そして何より、大切なことは、天の神さまの前に、そのことを認める。

 神は、赦しを与えてくださる。

  償いをする必要も出てくるかもしれない。

 しかし、心の平安、喜びが回復する。 神の赦しを心にとめて歩むことができる。 そのことこそ、幸いであると今日の箇所は私たちに教える。