2024年5月

5月5日() 聖日礼拝 説教メモ

    「明けの明星が昇る時まで」  ペトロの手紙二1章16-21節

  

☆目の前のこと

 目の前にあること 私は、私たちは、その目の前にあることに取り組みます。

 目標があれば、それに向かって進みます。 

山頂を目指して、これから上り始める時があります。 

 大丈夫だろうかと少し心配 大丈夫だと鼓舞しつつ山頂を目指して進み出します。

 山登りの途中 きつさも覚えますが、一歩一歩歩を進めます。 一人で黙々という場合もあるでしょう。友達と声を掛け合いながらということもあるでしょう。

 目の前にある事柄、課題があればそれに取り組みます。

 慣れた事柄もあるでしょう。取り組むのに通常の事柄もあるでしょう。

 かなり大変な事柄もあるでしょう。 取り組みにエネルギーを要する事柄

 その時々の事柄、課題に取り組みます。 それらをこなしつつ、日々を過ごすのです。

  

☆私たちの教会で今取り組んでいる事柄   

 メモリアルチャペル(納骨堂)の建設 長年の願い、祈り

 具体的に取り組み始めて、13年ほど 山登りで言えば、9分目ほどでしょうか。

 最後の1分、山頂が見えてきている。 でもこの後1部が大変 気を抜けないところ

 本日は物品バザー 物井姉から送られてきた良いものもたくさんあります。

 今日のために、大事なものを持ち寄ってくださった方々もいます。

 教育館の布団類もあります。 幸いなバザーの時となりますように。

 このために準備してくださった女性会の方々に感謝します。

 

☆納骨堂建設のために

 この納骨堂建設のために、お隣の鶴味噌さんとの土地交渉、等価交換、購入

 このことも守られました。

 これから、教育館の取り壊しも進めて行きます。

  37年目に建てられた大事な建物、大事に用いられてきた建物 壊すのには忍びない気持ちも大いにあります。寂しさも覚えます。 しかし、納骨堂建設のために決断しました。 

  主が守り支えてくださることを信じ、歩を進めます。

  最終的に納骨堂の完成を目指しています。

  その費用が満たされますように。 今回の物品バザーの収益はそのために用いられます。

 2つの課題があります。

  1)良きメモリアルチャペルが完成するように。

    今は平面部に取り組んでいます。どのような形にするのか、どれだけの規模にするのか。ぜひ祈りを、また良い知恵を

  2)もう一つは、土地購入、教育館の取り壊し、メモリアルチャペルの建築

    そのために2千万円ほどの費用が必要です。

    今まで捧げられ蓄えられた尊い献金 納骨堂建設指定献金、納骨室管理費で8,9割は目処がついています。残りの費用を、この秋に向けて献金、募金の呼びかけをします。これも満たされることを信じつつ、祈っていく必要があります。

 

☆本日の聖書箇所

 ペトロの手紙二1章16-21節です。

 励ましの御言葉が記されています。 メッセージの題は「明けの明星が昇る時まで」としました。

 

☆明けの明星とは

 朝日の太陽のことです。早朝に太陽が昇ります。

 暗い夜が明ける時、暗かった夜がいよいよ明ける。 一番冷え込む時でもあります。

 山の中にいたなら、暗さと寒さに耐え、それが破られていく時です。 

 夜の時を過ごす それは暗さに包まれ、寒さもあり、不安な時でもあります。

 大丈夫だろうか 困難を抱え不安な時があります。

 これを乗り越えることができるだろうか? 不安と心配 心も重くなります。

 それを打ち破る明けの明星、太陽が昇る時がやって来るのです。

 あと少しで朝がやって来る 日の出の時がやって来る。

 暗闇が打ち破られます。 日の出と共に暗闇は去っていきます。 朝がやってくる。 

 

☆暗い時を過ごさねばならないときがある。

 私たちも時に暗い時を過ごさねばならないときがあります。 大きな困難を抱える時、先が見えない時、見通しがつかない時 自分一人では、とても大きな課題を抱える時があります。

 心が悶々となる時があります。 不安で震える時もあります。

 その中で、過ごす。 大丈夫だろうか、乗り切れるだろうか

 過去に受けた励ましを思い出すこともあります。

  あの時、あの人から良くしていただいたなあ、励ましの言葉をかけていただいたなあ 思い出すと励まされます。

 今、共に歩んでくれている家族、友を思います。 

共に歩んでくれている。ありがたいと思います。

 つらい思いを主に訴え祈る時があります。

 主よ、今このことで悩んでいます。不安になって言います。力が足りません。

  どうしたら良いでしょうか? 助けてくださいと。

  主が共にいてくださることを覚え心が励まされる時があります。

 

☆子ども時代

 幼児の時、高熱を出し寝込む、暗い夜を過ごす。 

 たいてい、母親が寄り添い看病してくれた。時に父親が寄り添ってくれた。

 ほとんど覚えていない、しかし、かすかに覚えている。

 寄り添い看病してもらい、安心感に包まれたことを

 自分ではどうすることもできないけども、大丈夫だという安易感

 やがて暗い夜が明け、鶏の鳴く声 朝がやって来た。 もう大丈夫だと

 そして熱も下がり、おかゆを食べ、元気になって行ったこと 度々に経験した。

 

☆暗い所

 暗い所を通ります。 暗い時を過ごします。

 困難を抱える時、希望がなかなか見えない時を過ごします。

 それは早く通り抜けたいと思います。でもなかなか通り抜けられない。

 長く、その所に身を置くことがあります。長く都の時を過ごすことがありま 

 す。 その時、励ましがあれば、その所を過ごすことができます。

 森に迷った子ども

  そこに寄り添うペットの犬 その犬が体を温めてくれる。 大きな励まし

 道に迷って遭難した、怪我をして動けない

  救助隊が向かって来ているに違いない その捜索隊の声が聞こえてくれば大 

  きな励まし

 

☆預言の言葉

 預言の言葉、それは聖書の御言葉です。 神からの言葉です。 

 神からの語りかけの言葉、神が告げてくださった言葉です。

 人の言葉も時に大きな励ましになる。 神の言葉は、もっと大きな励ましになる。 神の語りかけ、神の約束 神が全世界の方に、そしてこの私に語りかけてくださった御言葉

 それを心にとめて歩む

◎19節

1:19 こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。

 その御言葉は。輝くともし火となる 心を励まし支えてくれる。

 御言葉を心にとめて、その御言葉を心の中で繰り返す。 心に深く刻みつつ歩む。

 希望の光となり、出口へと導いてくれる。

 

☆キリストの威光を目撃した。

 ペトロ自身が経験したこと

 キリストの威光を目撃した。キリストの光輝く姿を目撃した。

◎16-18節 

1:16 わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。

1:17 荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。

1:18 わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。

 具体的にはどのような経験をしたのか

○マタイ福音書17:1-8

 主イエスと共に、ぺトロ、ヤコブ、ヨハネは高い山に登った。 そこでの経験

  主イエスの姿が変わり光輝いた 顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。

 そこにモーセとエリヤが現れた。 ペトロたちはとても驚いた。

 出エジプトの時のリーダーとなったモーセ

 十戒を神から受け取ったモーセ 神の語りかけ 最も大切な戒めを受け取り、持ち帰ったモーセ イスラエルの民を存亡の危機から救ってくださった神に受け入れられたモーセ

 エリヤ  北イスラエルの最も暗い時代 アハブ王の時代 

その時に神から選ばれ従って進んだエリヤ

  その偉大なモーセとエリヤが光輝く主イエスを目撃したペトロたち

  その時に天からの御声を聞いた。

   「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」

  偉大なモーセ、エリヤを越えるお方

   神からの信任を受けておられるお方 神の愛する子 神の御子

   神の心に敵う者 神の御心を受けて、遣わされたお方、救い主 

  ペトロにとっては忘れがたい経験 その経験は一生心にとどまっていた。

 そのことを心に覚えつつ、主イエスの語られた言葉を心にとめて歩み続けた。

 

☆神の語りかけ

 神の語りかけ この高い山での出来事の前

 もう一つの神の語りかけの時 それは、主イエスの洗礼を受けられる時のこと

○マタイ福音書3:1-17

 バプテスマのヨハネから洗礼を受けられた。

  そのまさに洗礼を受けられた時に天からの御声

   これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」

 

☆神から遣わされたお方

 主イエスは神から遣わされたお方 この世界に生きる私たちを救うためにおいでくださったお方 その命を捧げてくださったお方

 神は、私たちを救うのにすべてを投げ打ってくださった。

 主イエスも、私たちを救うのにすべてを投げ打ってくださった。

  その命をも 神の本気の愛、主イエスの本気の愛 そのことをペトロは心にとめた。

 

☆御言葉

 神の御言葉

◎20-21節 

1:20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。

1:21 なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。

 聖書の預言 自分勝手に解釈してはいけない

 人の言葉ではなく、神の言葉

 聖霊なる神が、一人一人を選び、導いて神の言葉を授けた。それを受け取り記 

 した言葉 聖書の御言葉として今ある。

 

☆明けの明星が昇る時まで

 明けの明星が昇るまで

 主イエスが再びおいでになる時 再臨の時

 主なる神が完全にすべてをご支配される時まで、時に暗闇の時を過ごす

 困難な時、試練の時 不安に包まれる時

 主の御言葉を心にとめ、刻みつつ、その御言葉の約束を心にとめて歩んで行きましょう。

 語りかけられる主は、共にあって守り助けてくださいます。

 

5月12日() 母の日歓迎礼拝 説教メモ

     「嫁ルツとナオミ」         ルツ記1章15-21節

 

☆本日は母の日です。

 母親を思い感謝する日です。 命がけで自分を産み出してくれた母、赤子の時、母乳を飲ませてくれた母  乳幼児期にやさしくはぐくんでくれた母親

 子どもの時に一番身近にあって、見守ってくれた母 毎日の食事の準備、・・様々なことのために労してくれた母 思春期に親に反抗しても、口も利かないような時も。忍耐をもって見守ってくれた母 大きくなって親元を離れても心配してくれた母

 今、母親が生きている方は、その母親に感謝する日です。

 すでに母は天に帰った方は、母親を思い出し、感謝する日です。

 またその母を与えてくださった神に感謝する日です。

 カーネーションの花をプレゼントして感謝を表す。

 カーネーションを飾り、母親を思い出し感謝する日、それが今日母の日です。

 

☆桐原静子姉のこと

 2021年 12月28日 召天 88歳               

 穏やかな中にも、辛抱強く、相手を思いやる方でした。

 家族のために一所懸命歩まれ、教会においても多くの奉仕を担ってくださいました。

 

☆私自身は、小さいときの病弱でした。

 私自身は、特に小学校に上がる前、小学校の1,2年生その体が弱く、すぐにおなかを壊していた。その自分を心配してくれました。

 扁桃腺を腫らし、よく高熱を出し、寝込む私を看病してくれ頭を冷やしてくれました。 病気上がりの時には、おかゆを焚いてくれました。酸っぱい梅干しの入ったおかゆの味を忘れることはできません。 病み上がりの時には、よくリンゴを擦り、それを食べさせてくれました。

 

☆皆さんはいかがでしょうか?

 それぞれ、母親への感謝な思いがあることでしょう。 あの時に、自分の母親は自分を思い、声をかけてくれた、 あの時、あのようにしてくれた。

 それぞれに忘れることのできない思い出があることでしょう。

 

☆後悔先に立たず

 母親を思い出すときに、あの時、もう少しこうしてやっていれば良かった、でもしてあげられなかった。 あの時、ひどい言葉を吐いてしまった。 そのような苦い思い出、後悔もあるかもしれません。 亡くなった今は、もう何もしてあげられない。あの時はごめんなさいという思いもあるかもしれません。

 私自身は、そのような思いがあります。「母さん、あの時はごめんね」と謝りたいです。

 母親は「許さないよ」と言いません。 「そんなことあったけねえ、忘れたよ、許すよ」と言ってくれているのではと思います。 そのような母親を思います。 「母さん、ありがとう」

 

☆星野富弘さんとお母さん

 先日4月28日、星野富弘さんが78歳の生涯を閉じられました。

 1946年、群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に生まれる。

群馬大学教育学部卒業後、中学校の体育教諭になるが、クラブ活動(器械体操)の指導中、模範演技で空中回転した時に誤って頭部から転落。頸髄を損傷。首から下の自由を失う。

入院中、口に筆をくわえて文や絵をかきはじめる。入院していた期間、富弘さんのために9年間看護を行った。

 詩画作家星野富弘さんを支えた母親の知野さん(97歳)が今から4年前の4月26日、病床で洗礼を受けた。洗礼式の司式は内田和彦牧師(JECA・前橋キリスト教会)。

 このようなエピソードがある。星野さんが入院して、人工呼吸器につながれ、熱にうなされていたとき、母は「わが身を切り刻んででも生きる力を富弘の体の中に送り込みたい」と思ったという。星野さんは後に「私は、それほどの愛に応える術をもっておらず、何も言うことができませんでした」(『いのちより大切なもの』)と振り返った。そのような知野さんへの思いが、『ぺんぺん草のうた』と言われる詩に結実し、後にゴスペルシンガーの岩渕まことさんによって作曲され歌われるようになった。

 『 神様が たった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩を たたかせてもらおう。風に揺れる ぺんぺん草の実を 見ていたら そんな日が 本当に 来るような気がした。』( 星野 富弘 作 ・ぺんぺん草 )  知野さんの洗礼式当日、星野さんは「うれしくて地に足がつかない」と喜びを語った。

「お母さんの手は大きくて、温かくて、しっかりした手だね。この手で、富弘さんを育て、絵の具を作ったんだね。すばらしい働きをされましたよ、ありがとう。富弘さんが一番願っていることは、お母さんと天国でも会えることですよ」と語ると、知野さんはうなづいた。「イエス様を信じますか」という問いかけにも大きくうなづき、信仰告白の祈りを共に祈ったという。

 

☆本日の聖書箇所

 ルツ記1章15-22節です。

 

☆試練の時

 ナオミという人物 かつてイスラエルの国のベツレヘムに住んでした。死海の  

 西側  夫の名はエリメレク、二人の息子がいた。

 ひどい飢饉が襲ってきた。たまらず、死海の東側の外国であったモアブの野に移り済んだ。

 その様子は1章1節以降に記されています。

○ルツ記1章1-14節

 夫と共に二人の子どもを育てるために奮闘するナオミ

 二人の子どもが成人する前に、夫エリメレクは死んでしまった。

 ナオミはどれほど悲しかったことでしょう。

 やがて、二人の息子たちは、成人となりモアブの女性と出会い、結婚した。

 親としての務めを一つ果たしたナオミ ほっとするナオミ

 ナオミは、これから孫も誕生することだろう。楽しみだと考えたことでしょう。 ところが、二人の息子は。若くして亡くなる。

 希望の息子たちが二人とも亡くなる。ナオミにとっては、夫が亡くなった時以上の悲しみがあったことでしょう。

 なぜ、自分よりずっと若いこれからと思っていた息子たちが死ななければならなかったのか。 ナオミは悲しみに打ちひしがれたことでしょう。

 残ったのは、二人の嫁の名前は、オルパとルツ

 

☆神さまなぜですか?

 神さま、なぜですか? どうしてですか?

 自分の息子たちであったマフロンとキルヨンが若死にしました。 どうしてですか? なぜ、二人の息子たちを取られたのですかと訴えたことでしょう。

 オルパとルツもまた、それぞれの自分の夫が亡くなり、悲しんだことでしょう。 これからどうしたら良いのでしょうと嘆き悲しんだことでしょう。

 

☆ナオミの嫁たちへの勧め

 私は、自分の故郷であるベツレヘムに戻る。

 あなたたちは、このモアブに残りなさい。

 まだ、若いあなたたちは、また良き出会いがあることでしょうと

◎ルツ記1章15-22節 

☆二人の嫁

 オルパはようやく、姑ナオミの言うことを受け入れた。モアブに残ることにした。

 もう一人の嫁ルツは違った。 姑のナオミと共に、ナオミの故郷であるベツレヘムに一緒に行きます。 お母さんと共に生きたいのです。

 ナオミは、ルツの覚悟を受け取り一緒に自分の故郷に戻った。

 

☆故郷の人々からの言葉

 ナオミさんではないか

 ナオミ(快い)と呼ばないでください。マラ(苦い)と呼んでください。

 ここにいるのは、息子の嫁のルツです。 私と一緒についてきてくれました。

 

☆ルツはなぜナオミについてきたのだろう?

 まだ若いルツ まだ人生をやり直すことができる。

 モアブの地で、再婚する可能性もないわけではない。

 しかし、ルツは、自分の故郷のモアブを離れて、隣の国のイスラエルのベツレヘムに姑のナオミと共に出かけた。

 

☆ルツの思い

 ルツは、ナオミが大好きだった。

 ナオミに良くしてもらった。 嫁の自分に対して愛情を注いでくれた。

 愛情を注いでくれた姑のナオミを一人にしたくない。 ナオミと共に歩んで行こう。

 ナオミが信じ仰ぐ天の神さま

  その神さまを自分も信じて歩んで行きたい。

 

◎16-17節

1:16 ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。

1:17 あなたの亡くなる所でわたしも死に そこに葬られたいのです。死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。

 は、ナオミが信じる神さまを信じ、仰ぐようになっていた。

 

☆ルツが選んだ道

 外国であるイスラエルのベツレヘムで人生を費やす。

 モアブで過ごすよりも過ごしにくいであろう。

 外国から来たということで受け入れてもらえるだろうかという心配もあった。

 ナオミが信じる天の神さまを信じて行こう。 神に自分の運命を託そう。

 

ルツが経験したこと

 異国の地イスラエルのベツレヘムで、不思議な出会い。

 そのベツレヘムの有力者であり、ナオミと遠い親戚であったボアズと出会う。

 ボアズと再婚する。

○4:13-17 

4:13 ボアズはこうしてルツをめとったので、ルツはボアズの妻となり、ボアズは彼女のところに入った。主が身ごもらせたので、ルツは男の子を産んだ。

4:14 女たちはナオミに言った。「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。

4:15 その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。」

4:16 ナオミはその乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育てた。

4:17 近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。

 オベドを生む。

 オベドは大きくなってエッサイの父となる。エッサイは大きくなってダビデの父となる。・

 ルツは、イスラエルの王となったダビデの曾祖母となった

 

☆嫁のルツとナオミ

 姑のナオミと嫁のルツ

 ナオミの人生も波乱万丈でした。

 ルツの人生もまた波乱万丈でした。 しかし、姑のナオミの信じる神を信じ、運命を託して歩み出したルツ

 そのルツに大きな幸いが与えられた。

 そして、ルツは、ダビデの曾祖母になった。神の御計らい。不思議。 感謝。

  

 

5月19日() ペンテコステ聖日礼拝 説教メモ

    「聖霊による力を受ける」  使徒言行録1章3-14節 

 

☆約束のものを待つ楽しみ 

 遠足、修学旅行の日を待つ。

 遠足で、みんなでどこどこ山に行く。

  おいしいお弁当を作ってもらい、出かける。 大きな楽しみ。

 今度の夏、家族で旅行に行く。

  ディズニーランドに出かける。 北海道旅行に行く。 大きな楽しみ。

  1学期の半ばから、後半、もう待ちきれない。

 

☆希望を持つ

 大変な中にも、先に希望がある。 励みとなる。

 きつい仕事が続く。その仕事を終えた後に、休暇が待っている。 おいしいものを食べに行く。 もう少し頑張ろうかなと思う。 先にある希望。

 

☆弟子たちに与えられた約束

 弟子たちは、復活の主より、約束が与えられた。

○ルカ24章36-53節

 主イエスは、十字架の死の後3日目に復活された。そして、弟子たちのもとにおいでくださった。 「あなたがたに平和があるように」

 罪の赦しが与えられる。

  悔い改める者、主に立ち返る者にはすべて「罪の赦し」が与えられる。

  そのことの証人となる。 そのために良いものをあなたたちに送ります。

  幸いなプレゼントです。 それは高い所からの力です。

 弟子たちは、幸いな約束を与えられ、祈り待った。

 

☆良いものが届く

 下宿先に親からの宅急便が届く。

 それらは、具体的に大いに助かる。 そして何より、自分を覚えて、自分のために良いものを送ってくれた親の愛を覚え、励まされる。

 

☆弟子たちへの約束

 再び、ここで繰り返されている。

 ルカによる福音書、使徒言行録は、同じ著者ルカによって記されている。

◎使徒言行録1:3-14

 主イエスは、復活されて40日間、弟子たちに現れた。共に歩んでくださった。 そして、繰り返し言われた。

◎4節

1:4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。

    約束のものを待ちなさい。 それは父なる神さまの約束でもある。

  必ず送ります。 詐欺が横行する現在 詐欺、偽り 

 主の約束は、偽りなし、真実。

  弟子たちは、その約束を与えられた。 父なる神はあなたたちに必ず送ってくださる。

  

☆その約束は、どうして実現したのか?

 父なる神が愛の方であり、真実な方であるから その通りです。

 でもそれだからと言って、そうはならなかった。

 親が子どものために、仕送りを送るとしても、愛情、真実だけではどうにもならない。 その仕送りのために、一生懸命働き、お金を稼ぐことなければ、送ることはできない。 そのように、良いものを愛する者にもたらすためには、そのための働きが背後にある。

 父なる神は、その良きもの、それは聖霊なる神ご自身でした。

 それを送りには、欠かせないものがありました。 それこそが、十字架で捧げられた主イエスの命でした。 贖いのための犠牲の死でした。

 そして、その死を打ち破っての復活でした。 そして復活より40日目の昇天でした。 それがあって、初めて約束の聖霊を送ることができたのでした。

 

☆昇天の出来事

 天に昇って行かれる主イエス それを見上げる弟子たち

 再びまたおいでになるとの約束。 見送った弟子たち 寂しさはあったけども、また会うことができる。 再びおいでになる時がある。 大きな励まし。

◎6-11節

1:6 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。

1:7 イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。

1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

1:9 こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。

1:10 イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、

1:11 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

 

☆祈り待った弟子たち

 さて、主の弟子たちはどうしたか?

 弟子たちは、命じられたとおりに祈り待った。心を合わせて祈った。

 上の部屋で 2階座敷 アパルームにて

◎12-14節

1:12 使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。

1:13 彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。

1:14 彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

 彼らは、熱心に祈った。 祈り待った。

 約束のものを待ち望みます。と

 

☆ペンテコステの日

 待ちに待っていた日、喜びの日、感謝の日

  ずっと仕事ずくめの日々、やっと休みの日が取れた。

  特別に計画していた旅行の日。

  願っていた学校の入学式の日、 願っていた会社の入社式

   緊張の中にも、喜びと感謝

  婚約式の日、結婚式の日 人生の大きな喜びの日

  ずっと雨が降らず、大地が干からびている、作物が弱って枯れそうな時

   待望の雨が降り出した。 農家の人にとっては大きな喜びと感謝

   大地が潤い、作物が再び、元気になる

 

☆主イエスの弟子たちが経験したこと

 この聖霊降臨の恵み。 聖霊なる神が自分たちの上に降り、注ぎ与えられた。

 まさに、渇いた大地に沁み込む天からの雨のような幸い。

 天より、聖霊が注ぎ与えられた。 その出来事は、一方的な神からの恵みでした。 その日は、約束された日でもあった。

 弟子たちは、主イエスより天の父なる神が、必ず約束のものを与えてくださる。その日を祈り待ちなさいと言われていた。 弟子たちは信て待ち続けた。

 その日は、主イエスの十字架の死よりの復活の日から数えて50日目でした。

 過ぎ越しの祭りが行われていた日に、主イエスは捕らえられ十字架刑に架けられた。

 過ぎ越し祭が始まって、安息日の次が大麦の最初の収穫をささげる初穂の祭り。この初穂の祭りの七週間後が七週の祭り。新約聖書では五旬祭と呼んでいます。その日から50日目 ペンテコステというのは原語のギリシャ語で50日目という意味。

 復活の主イエスは、弟子たちのもとに戻って来られ、40日間共に歩んでくださった。その後、天に昇って行かれた。その昇天の日より10日後のペンテコステの日に、聖霊なる神は弟子たちの上に降った。

  その時の様子は第2章に記されている。

 なんという幸いな日だったことか。

 

☆聖霊による力を受ける

 約束の聖霊

◎8節  

1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

 弟子たちが体験したこと それは、不思議なことでした。

 そこに集まって来た人たち 言葉が違う外国の人たちに、その言葉で話すことができた。

 主なる神のすばらしさ、その力、御業について  勇気が与えられ、大胆に語ることができた。

 

☆私たちにも与えられている聖霊

 主イエスを救い主として信じ受け入れ歩んでいる私たちにも聖霊なる神は内にお住いくださっている。

 聖霊なる神をあがめつつ歩みたい。

 聖霊なる神による助けをいただきつつ、歩みたい。