2024年 8月

8月25日() 聖日礼拝 説教メモ

     「預言者イザヤの召命」      イザヤ書6章1-13節

 

☆転機

 特別な年、特別な日というものがある  何年何月何日に、自分は生れた。 

 誕生日の日

  長年住み慣れた地から引っ越した日、 父が、母が亡くなった年、その日

  自分自身にとって忘れえない年、忘れえない日がある。

 その年の経験、その時の経験が、一つの大きな転機となった。自分の歩みの新 

 たな歩み出し

 

☆私の思い、計画

 私の計画というものがある。 こうして、ああしてこうする このことをなし 

 ていく それが思い通り進むこともあれば、そうでないこともある。

 こう進むはずが、そうならなかった。 そうは進まないはずだったが、そう進 

 むことになった。 それはまさに、人生における機微 自分の思い通りになる 

 ことが必ずしも最善ではない。 自分の思い通りにはならなかった。しかし、

 自分の考えてもみなかった良いものを得たということもある。 

 

☆神のみ思い、ご計画

 人間をはるかに超えてすべてを支配しておられる神のみ思い、ご計画がある。

 それは、私たち人間には、ほんの少ししかわからない。

 救いに関しての神のみ思い、ご計画だけは、聖書を通して、確かに知ることは 

 できる。

 現在における世界の情勢、これから進む道 私たち人類はこれからどうなるの 

 か、この世界はこれからどうなるのかは、わからない。この私はこれからどう

 なるのか、近い将来も、遠い将来もわからない。

 神のみ思い、ご計画 それは、災いの計画ではなく平和の計画であり、将来と 

 希望を与えるもの(エレミヤ29:11)。

 

☆イザヤが経験したこと

 彼の召命に関わること 預言者としてのスタート 本日の聖書箇所 イザヤ書6:1-13

 彼は、この日の出来事を通して、本当の意味で、神に仕え、神の御言葉を宣べ伝える者となった。 イザヤの献身の原点

 

☆私たちが経験すること 

 私たちにおいても、あの出来事、あの経験が私の歩みの原点ですというものが 

 あるのではないでしょうか。 あの日のあの時の経験、出会い

 あの時に、キリスト教の1枚のトラクトを受け取った。 教会の特別集会に出 

 席した。

 あの時に、クリスチャンであるあの方から声をかけられ、集会に参加した。

 あの人の救いの証しを聞いた。 一つの御言葉に出会った。

 

☆ウジヤ王の死んだ年

 ウジヤ王は52年間南ユダの王であった。 とても長い期間、国は見えるとこ 

 ろ、繁栄した。 そのウジヤ王が亡くなった。 紀元前736年 大きな時代 

 の転機

◎1節 

6:1 ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた

 偉大な王と思われていたウジヤは、後半、傲慢になり、神殿で、自分で香をたこうとした。それは祭司にしか許されていなかった。彼は思い皮膚病にかかった。 50年以上の長期の王位 その治世が終わった。 これからこの国はどうなってしまうのか その動揺の年に、イザヤは預言者としての召命を受けた。

 人の世の王は、いつか変わってしまう。 しかし、真の王である神は変わることなく、ご支配しておられることを神は示された。

 

☆イザヤは神の臨在に触れた。

 神の仕えるみ使いであるセラフィム 

 その様 6つの翼 2つで顔を覆い、2つで足を覆い、2つで飛び交う

◎1-4節

 6:3 彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」

 神を指し示すセラフィム

 イザヤは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。その衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。 その時、神の臨在が神殿の中に満ちていた。 彼は神の臨在によって圧倒された セラフィムは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」と。

 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。 イザヤは、圧倒された。

 聖なるお方 神は、私たち人間と全く別次元のお方 私たちは被造物の一つに過ぎない

 神は創造主なるお方 すべてのすべてを造られご支配しておられるお方

 聖いお方 被造物である私たち人間が持ちえない聖さ 

 永遠なるお方、愛と真に満ち、力に満ちておられるお方 神殿の敷居は揺れ動いた。

 イザヤは身動きできない、息が止まる思いだったことでしょう。神の聖さに圧倒された。 圧倒的な神の聖さ それは、この世のものではない。すべてを黙らせる。すべてを支配する

 

☆イザヤは叫んだ

 神の臨在、その聖さに触れ、イザヤは、自分の醜さ、汚れを知った。

 私たちは、人との比較の中で、自分の方が正しい、自分の方が清い。自分の方 

 が真実だ。他の人と比較して、あの人と比較してあの人よりずっとましだと考

 えることがないわけではない。 しかし、この時イザヤは、神の臨在、神の聖

 さに触れ、人との比較ではない。

  自分は汚れている このままではとても立ちえない

  自分の心の中の思い、考え  自分が語る言葉 それらは神のみ前に、どう 

 しようもないほど汚れていると感じた。そして叫んだ。

◎5節

6:5 わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた民の中に住む者。しかも、わたしの目は 王なる万軍の主を仰ぎ見た。」

 災いだ、わたしは滅ぼされる。神のみ前に立ちえない者だとわかった。

 自分は滅びると感じ、そう叫んだ。

 人との比較ではない、誰誰より優れている、自分の方がましだでは通用しない

 すべてを失うかもしれないと覚えた。

 これですべてがおしまいだ。自分は滅ぼされると思った。 自分が打ちのめされた。

 

☆神によるご支配、取り扱い

 神は、イザヤに対して臨まれた、対処してくださった。

 イザヤは滅ぼすのではない。 イザヤの内に持つ汚れをきよめられた。 不思議な方法で

◎6-7節

6:6 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。

6:7 彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたのであなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」

 祭壇から火ばさみで撮った炭火 真っ赤に燃えている炭火 

セラフィムは、真っ赤に燃えた炭火でイザヤの唇に触れた。 どうなるでしょう? その炭火で、唇はジューと音を立てて、焼けてしまうことでしょう。

 真っ赤に燃えている火によって、唇は焼け焦げ溶けてしまう。

その時、呼びかけの声がした。 「見よ、これがあなたの唇に触れたのであなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」

 あなたの咎は取り去られた。罪は赦された。

 あなたは、滅ぼされることはない。あなたは赦された。赦された者となった。 

 

☆一つの場面を思い出す。

 それは、ペトロの召命の場面 ガリラヤ湖の舟の上で

○ルカ福音書5:1-11

 主イエスによる出来事 一晩中漁をして魚が一匹も取れなかったのに、主イエスの言われた通りにしたとき、舟が沈みそうなほど、魚が捕れた。

 この方はただの方ではない、特別な方だ 神の臨在を感じたのかもしれない。  

 私は罪深い者です、離れてくださいと叫んだ

 主イエスの言葉 「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師に 

 なる。」

 シモン・ペトロの召命の時の出来事 ペトロはこの日から主イエスに従う者になった。

 

☆神の恵みのご支配の中で

 イザヤは、神のご支配の中で、大いなる恵みに与った

 罪を赦していただいた。圧倒的な神の愛と神の憐みの前に砕かれた。

 神の愛に捕らえられた。 神の愛に応答したいという思いが与えられた。

◎8節

6:8 そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。

  誰を遣わすべきか 誰が出かけてくれるのか? その主の御声に、イザヤは応答した。 「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」

 この私をお遣わしくださいと自らの献身を表明した。

 神のご支配は、この自分に与えられていた。 神の大いなる愛はこのわたしに注がれていた。 神の大いなる憐みにより、今まで生かされてきた。

 そのことを心にとめ、感謝をもって応答した。

 

☆簡単ではない

 主からの不思議な言葉

◎9-13節

6:9 主は言われた。「行け、この民に言うがよい よく聞け、しかし理解するな よく見よ、しかし悟るな、と。

6:10 この民の心をかたくなにし 耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく その心で理解することなく 悔い改めていやされることのないために。」

6:11 わたしは言った。「主よ、いつまででしょうか。」主は答えられた。「町々が崩れ去って、住む者もなく 家々には人影もなく 大地が荒廃して崩れ去るときまで。」

6:12 主は人を遠くへ移される。国の中央にすら見捨てられたところが多くなる。

6:13 なお、そこに十分の一が残るが それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。

「行け、この民に言うがよい よく聞け、しかし理解するな よく見よ、しかし悟るな、と。

 この民の心をかたくなにし 耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく その心で理解することなく 悔い改めていやされることのないために。」

 イザヤが出かけて行って主の御言葉、メッセージを語っても、民は受け入れない。 応答がない 手ごたえがない。  結果が出てこない。 失意落胆する。 残念、がっかりする そのような中にも、出かけて行きなさい。

 普通ならば、それなら出かけていく意味はないではないですかと言いたくなるところだが、イザヤはいつまでなのですかと尋ねた。

 主の答え「町々が崩れ去って、住む者もなく 家々には人影もなく 大地が荒廃して崩れ去るときまで。」

 イザヤの時代においても、およそ100年後に南ユダもバビロニアによって滅 

 ぼされた。 バビロン捕囚 つらいことが起きていく。

 イザヤのメッセージを受け止めない民は多くいた。ユダの滅亡とバビロン捕囚

 

☆しかし、希望はある。

 主のご支配があるゆえに希望がある。

◎13節 

6:13 なお、そこに十分の一が残るが それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子ある。

 人数は多くはない、少ない。 しかし、切り株が残る。 その切り株が聖なる種子である。また、その種子から芽が吹き出る。

 限られた人数であっても、主が、その一人一人を用いてくださる。

 そして、御業をなしてくださる。

 

☆預言者イザヤの召命

 揺れ動く困難時代にイザヤは神からの召命を受けた。 そして、神に従って行った。 私たちも神の御手の中にある。 神は、私たち一人一人に対しても招いておられる。 神に従い、歩む道へと