2025年1月
1月1日(日) 元旦礼拝 説教メモ
「主が示す地に向かう」 創世記12章1-7節
☆新年おめでとうございます。
新しい年2025年を迎えました。 主に感謝したいと思います。
こうして、共に集うことができました。 感謝です。
今日から、また心新たに歩み出しましょう。
☆元旦礼拝
なぜ、こうして集まり礼拝を捧げるのか?
すべてを造られ支配しておられる主を仰ぐためです。
主は、すべてを支配しておられます。愛と祝福の主です。
その主の愛と祝福の中で、この年を歩むためです。
この年がどのような年になるかわかりません。この年が幸いな年となるように。
たとえ難しいこと、困難なことに出会ったとしても、主の助けをいただき、主と共に歩むためです。
☆新年の御言葉と標語
教会のこの年の御言葉と標語 しおり
御言葉:「あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」
(使徒言行録2章17節)
標語: 「御言葉、ビジョン、希望」
講壇のところの御言葉、標語 感謝です。
主の約束は、始まった。 主によってなされた。
この御言葉、標語を、1年を通して味わうことができるならば、幸いです。
個人個人において、また教会において、御言葉、ビジョン、希望
それぞれ、確かにいただくのです。 主よりいただきましょう。
主は与えてくださるお方です。
自分の努力、頑張りによってではなく、主の霊、主の聖霊によってです。
主なる神は、その聖霊を与えてくださいました。
ペンテコステと呼ばれる日に それは、主イエスの十字架の死からから50日
目 主イエスの昇天(天に昇られて日)から10日後のことでした。
神の聖霊は、今も働いてくださっています。聖霊のご支配があります。
神の霊は、私たちを主と共に歩むことを助け導いてくださいます。
御言葉、ビジョン、希望を与えてくださる主がおられるのです。
その主を仰ぎつつ、待ち望みつつ、その主と共に歩ませていただきましょう。
☆この年の目標、ビジョン
この年の目標、ビジョン、それを既に握っておられる方もいることでしょう。
まだ、はっきりしていない方もおられるでしょう。
願わくば、目標、ビジョンを握って進ませていただきましょう。
今年は、日記をつける。 今年は片づけをする 今年は友達との再会を果たす。
今年は、旅行に出かける。 今年は運動を心掛ける。 今年は、・・
それそれ、目標を持って進んで行きましょう。
個人として、教会としても、目標、ビジョンを握って進みたいものです。
☆主よりの語りかけ
家族、友との交わりは感謝です。 語りかけられることは嬉しいことです。
家族、友からの語りかけを受ける。 自分自身も、家族、共に語りかける その関係を麗しいものにしたい。
そして、もう一つ大切なこと、家族、友との関係以上のこと それは、主なる神との交わりです。 その土台は、主の語りかけです。 どこで聞くか? 聖書を通して聴くのです。 礼拝を通して聴くのです。 御言葉を慕い求めて、歩んで行きましょう。
☆希望
いろいろなことを経験します。いろいろなところを通ります。
時に、難しい問題も経験します。厳しい所を通ることもあります。その時、希望を握って進みましょう。
しかし、その希望は状況に左右されます。 難しい問題、厳しい状況では、希望はしぼみます。 肝心の希望がやって来ない、失われそうになる。
思い通りにいかないことが時に起こる。 しかし、主を仰ぐ者は希望を主よりいただくことができます。 主が希望を与えてくださいます。
主なる神は、平和のご計画をお持ちであり、主を仰ぎ信じる者に、希望を与えてくださいます。
☆何のために生きるのか?
普段はあまり考えないことかもしれません。でも時にふと心をよぎることかもしれません。 いろいろな意味を握ります。
今取り組んでいる勉強のため、仕事のため それにしっかり取り組むため
自分の抱いている計画、目標を達成するため。 家族を養うため。 家族を支えるため
受けたバトンを次の人に手渡すため 今を生きるため 目の前の課題に向き合うため
その意味がつかめない時もあります。
何のために生きているのだろうかと思い悩むこともないわけではない。
そのような時に主の支えをいただき、主によって必要な力をいただき、今日を生きる。
そして、明日に向かうのです。 その意味を主に問いつつ歩むのです。
主は、その意味を教えてくださいます。生きる意味を与えてくださいます。
その意味が分からない時にも、主は私たちをそっと支えてくださいます。
☆この元旦礼拝の聖書箇所
創世記12章の最初のところ
◎創世記12章1-7節
☆この箇所を選んだ理由
「御言葉、ビジョン、希望」にどこか重なる思いが与えられたからです。
後の名前アブラハム この時の名前アブラム
彼は、主からの言葉を聞いて、それに応答して出かけた人物です。
私たちそれぞれも、言葉を聞いて、立ち上がり、出かけます。
アブラムは、主の語りかけを聞きました。そして応答しました。
◎1—3節
12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。
12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」
大いなる国民とする。あなたを祝福する、あなたの名を高める、祝福の源となる。 ああ、それはありがたいこと、それは素晴らしいこと
その場で、そのままでということであれば、 それは、ああありがたい それを私にください。喜んで受け取らせていただきます。
その時、アブラムはチャレンジを受けたことを聖書は伝えています。
そのチャレンジとは何でしょうか?
生まれ故郷、父の家を離れなさい。 示す地に行きなさい。
いや、ちょっと待ってください。
生まれ故郷、父の家 それはウルであり、ハランでした。
その時、アブラムは妻サライと共に、ハランに移り住んでいた。
親族がいて、財産も増え、友達も増え。安定していた。
☆チャレンジする時
この年、何かにチャレンジできたら素晴らしい。
若い人は、大いに! 壮年の人も、ぜひ! 老年の人も
若い人であれ、壮年の人であれ、老年の人であれ、チャレンジを チャレンジする心を持って 大きなことにチャレンジ、中くらいのことにチャレンジ、小さなことにチャレンジ
チャレンジ精神 チャレンジを妨げるもの 難しそうだ、とても無理だ、うまくいかないかもしれない。 いやうまくいかないに違いいない 失敗に終わるかもしれない。きっと失敗する マイナスのこと多く考える。
そのチャレンジには、エネルギーが必要だ、自分にはそのエネルギーはないと
チャレンジすることを控える。チャレンジはしない。
チャレンジせずに、後で後悔するより、チャレンジして、たとえ何度かうまくいかなくても、何回目かでやり遂げることもある。
後で後悔せず、ああチャレンジして良かったと言えるようでありたい。
☆アブラハムはどうしたのか?
あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。
神からの大いなるチャレンジ
生まれ故郷、父の家を離れる ここにいた方が楽だ。無難だ そのような思いもやって来たでしょう。
神が示す地に行く 出かけていく どのような地かよくわからない。
未知の世界、行ったことがない地、全く初めの地
新しいことにチャレンジする 簡単なことではないですね。
しかし、アブラムは応答しました。
◎4節
12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
その時、アブラハムは75歳であった。
決して若くはなかった。年齢が進み、年をかに始めていた頃
いえいえ、神さま、私は、20代、30代、40代ではありません。
もう70代です。この年では無理ですとは言わなかった。
そう言うこともできただしょう。 しかし、アブラムは、最終的に応答した。
妻のサライ、おいのロトを連れて、旅立った。
神からのチャレンジに応答した。神の言葉に従った。
カナンの地にも到着する
◎5-7節
12:5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
12:6 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
12:7 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
カナン人の住んでいたカナンの地
この土地を与えるとの神の語りかけ アブラムは、感謝して祭壇を築いた。
☆やがて、アブラムを通して神の御業が進んだ。
アブラム 「高められた父」
後にアブラハムという名前をいただく 「多くの者の高められた父」という意味の名前
信仰の父とも呼ばれるようになった。 約束の子「イサク」が与えられる。
神の約束が実現していった。
アブラムが優秀だったからではありません。
信仰に立てない時もありました。 失敗もしました。
しかし、神の憐れみの中で、アブラムは整えられ、アブラハムとなりました。 神が、そうしてくださったのでした。
☆主が示す地に向かう
主はアブラムに進むべき地を示されました。
アブラムは、それに従いました。
神は、私たちそれぞれに進むべき地を示されます。
それは時にチャレンジとなる。 簡単ではない、難しいと思える。
しかし、神の大きなご計画がある。
その神の大きなご計画、み旨がなるために、あなたが必要なのです。