2025年 1月
1月5日(日) 新年礼拝 説教要約
「御言葉、預言、証し」 使徒言行録2章14-21節
2025年の御言葉は、「あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」標語は、「御言葉、ビジョン、希望」です。本当は、17節全体にしたかった。『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。これはヨエル書のヨエル3章1節(口語訳、新改訳では、2章28節)の引用です。「その後わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し老人は夢を見、若者は幻を見る。」 そのカギは、注がれる聖霊です。神のご支配、恵みが先行しています。そのご支配、恵みによって、幸いな歩みをいただくのです。
現代社会の問題の一つは力の乱用です。人から来る力は、他の人を支配しようとします。力を追い求め満足することを知りません。その力は、いつかは打ち破られます。神からの力は人を生かします。自分だけでなく、他の人を生かします。栄光を人に帰することをしません。栄光を神に帰します。
主イエスを救い主と信じることは幸いなことです。ただし、それだけで終わってはなりません。主を忘れてしまうなら、後でしまったと思う時が来ます。主と共に歩む、主と間近く歩む、主を崇めつつ歩むことが大切です。聖霊は、主を信じる者を主と共に歩むように導いておられます。
ペンテコステの日に聖霊を受けた弟子たちは、聖霊に満たされて、力強く神の偉大な業を他の人たちに語りました(2章11節)。弟子のペトロは、立ち上がりその日に起きたことはヨエル書の御言葉の成就であると語りました。預言とは、神の御言葉を人々に語ることです。
神から御言葉をいただき、その御言葉に生かされることほど幸いなことはありません。聖書をよく読み、より多く御言葉をいただきましょう。神の自分への語りかけを聞きましょう。
御言葉は人を立ち上がらせ、人を生かします。カルメル山での戦いの後、エリヤは燃え付け症候群に陥りました。神の語りかけがもう一度エリヤを立ち上がらせました(列王記上Ⅰ9章1—18節)。
復活の主イエスは弟子たちに約束をしました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1章8節)
人が生きることは大変なことです。多くの人に助けられて今の自分があります。自分も誰かの助けになれたら幸いです。聖霊の助けをいただく時、私たちは、主の証し人として生きていくことができます。かつては生きる意味が分からなかった。しかし、今は生きる意味を知った、かつてはむなしく生きていた。しかし今は主よって生かされて感謝しつつ歩んでいる。
(久多良木和夫)
1月12日(日) 聖日礼拝 説教要約
「ビジョン、幻」 使徒言行録2章14-21節
神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。(17節)。
ビジョンは、1)視覚、映像、2)幻影、3)将来に対する見通し、展望という意味があります。若者は幻を見るの「幻」ビジョンは、将来に対する見通し、展望のことです。
昨年12月、アフリカ南部のジンバブエという国で、7歳の少年が行方不明となり、捜索の結果5日後に奇跡的に生還したとのことです。ライオン、ヒョウ、ゾウ、カバが周りにいる中で生き延びたのでした。少年は必ず生還することを思い描き頑張り、捜索の人々も見つかることを思い描き努力しました。
明治維新後、札幌農学校の教頭となったウィリアム・スミス・クラークは、そこを去る時に、学生たちに「少年よ、大志を抱け」という有名な言葉を語りました。この自分のようにという言葉が添えられていたという証言があります。聖書に基づいて信仰に生きた故に言えた言葉でしょう。
カルメル山での戦いの後、エリヤは力を失いました。彼は神から水とパンをいただき励まされました。自分の働きはこれで終わりだと思っていたエリヤですが、神はエリヤを通しての後継者エリシャへの油注ぎを伝えました(列王記上Ⅰ9章14-18節)。その後、その御言葉の通りになり、後継者は立てられ働きは継続されました。
ミディアン人を恐れていたギデオンに対して、神は「勇者よ、主はあなたと共におられます」と語られました(士師記6章1-40節)。臆病者だったギデオンは、神の御言葉の通りに勇者となり、300人の兵と共にミディアン人を打ち破りました。
私たちの教会が今取り組んでいる大きなことは、メモリアルチャペル(納骨堂)の新築です。現在の納骨室から納骨堂に代わります。長年祈って来た事柄を実現しようとしています。この建物が有効に用いられること、また、多くの人に天の御国を指し示すものとなることを願っています。この事業と共に、教会の将来に向けてのビジョンを確かにしていきましょう。個人におけるビジョン、幻も主にあって確かなものとさせていただきましょう。
(久多良木和夫)