2024年6月
6月2日(日) 聖日礼拝
「あなたはどこにいるのか」 創世記3章8—15節
私たち人間は語りかけを受ける存在です。生まれたばかりの赤ちゃんは親からの語りかけを受けつつ、少しずつ呼びかけに応えるようになります。
最初の人アダムは命の息を神から吹き入れられ生きた者となりました。最初の人アダムからエバが造られ、二人はエデンの園に置かれました。園の中央に2本の木がありました。命の木と善悪の知識の木です。「この善悪の知識の木からだけは決してその実を食べてはならない」と命じられました。食べると必ず死ぬと言われました。
エバは、蛇に誘惑されました。蛇はサタンを意味します。蛇の巧妙な言葉に惑わされ食べてはいけないと命じられた木の実を食べてしまいました。エバは、アダムにも渡し、アダムも食べてしましました。
その瞬間から、アダムとエバの心に恐れが生じました。主なる神の園の中の歩く音が聞こえた時、木の間に隠れました。主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」(9節)。
なぜ食べてはいけないと命じた木から実を取って食べたのかと問われた時、そのことを認め謝るべきでしたが、そうせず、アダムはエバのせいですと答えました。エバは蛇のせいですと答えました。
神はこう宣言されました。「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」(15節)。お前とはサタンのことです、彼とは主イエスのことです。サタンは主イエスを十字架につけるように働きました。その結果、主イエスは死に追いやられました。しかし、主イエスの十字架上での死を通して、贖いの業が成し遂げられ、人間の救いの門が開かれました。サタンは完全に打ち破られたのです。
100匹の中の迷い出た1匹の羊を良き羊飼いは見つけるまで探し続けました(ルカによる福音書15章3-7節)。
飛び出して行った放蕩息子の帰りを父は待ち続けました。そして帰って来た息子を抱きしめました。そして喜びの祝宴を開きました(ルカ福音書15章11-14節)。
「あなたはどこにいるのか」。主なる神は、今も呼びかけておられます。
(久多良木和夫)
6月9日(日) 聖日礼拝
「キリストが内に生きる、新しい命」
ガラテヤの信徒への手15-21-21節
聖書の中で、「キリストと出会って、一番変わった人物」といえばパウロでしょう。パウロ(元はサウロ)は、熱心なユダヤ教徒で、ユダヤの律法、戒律を重んじていました。しかし、その教えを守っていた時、パウロはどうだったでしょうか。教会を迫害する者、自分が正しいと思う道に、突き進んでいた人物でした。
パウロは律法が、人を傲慢に陥らせる危険性を持ったものであると知っていました。そのため、ガラテヤの教会に、「律法を遵守し、割礼を受け、まず、ユダヤ人となれ」という教えを持ってきた人々に、非常に警戒しました。パウロ自身が、律法の中には真の救いはない、と知っていたからです。
パウロはキリストと出会ったことにより、変えられました。かつては真理を知らず、その熱心さからキリスト者を迫害し、神の御心に従う者のようにふるまっていたパウロ。しかし、キリストはそのパウロに出会い、罪を示されます。けれども、パウロを滅ぼすことはせず、キリストを宣べ伝える者へ造り変えて下さいました。
「生きているのはもはや、わたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(2章20節)とパウロは言います。赦されるに値しないほどの罪を犯し、真理から外れていた自分を、キリストは愛と赦しのゆえに招き、福音を伝える者に変えて下さった。真の救いと命は福音の中にある、と伝えます。
パウロは、キリストと出会う前は、サウロ(大きい人の意)という名でした。イスラエルの初代の王の名、自分の一族の偉大な者の名、自分の民族、自分の家系、自分を誇りとする名でした。しかしそのサウロは、イエス・キリストと出会い、その名を退け、パウロ(小さい者の意)と名乗りました。それは異邦人に伝道する際の配慮、ともいえるでしょうが、私はそこに、パウロの信仰があるように思います。パウロは、自分の行いを、働きを、自分の生き方を誇りとしていた生き方から、変えられました。彼は自分を大きく表していたところから、自分を小さくする者となり、キリストを指さす者へと変えられます。「キリストを見よ」「この人を見よ」、この方の中に真の命がある。偉大な方は自分ではなく、キリストである。私はキリストの前に、小さなものだ、と告白したのではないかと思うのです。
律法には命はありません。その掟を誤った方法に用い、罪を犯したパウロを、キリストは真の道へと導き、福音を宣べ伝える者として下さいました。キリストの福音は、私たちに新しい命を与えます。パウロのうちに住んで働かれるように、イエス・キリストを信じる私たちの内にも住んで働かれるのです。
(富山希望師)
6月16日(日) 聖日礼拝
「ピスガの山頂に登ったモーセ」 申命記34章1—12節
本日は父の日です。父親がまだ生きているなら、「ありがとう」と感謝の言葉をかけましょう、父は既に他界しているのなら、心の中で父に感謝しましょう、また父を与えてくださった神に感謝を捧げましょう。
モーセは、カナンの地を前にしてピスガ山(ネボ山)で最期を迎えました。無念の思いもあったことでしょう。しかし、それ以上にここまで導いてくださった神に感謝したことでしょう。自分自身の120年の生涯を振り返ったことでしょう、最初の40年は、へブライ人でありながらエジプトの王女に育てられました。同胞を自分の力で救うという野望を持っていましたが、それはつぶれミディアンに逃れました、中間の40年は、ミディアンの地で結婚し、羊飼いをしての仕事をしました、ここで自分の人生は終わると考えていました、最後の40年は、神に呼び出され、同胞をエジプトから導き出す指導者をして歩みました。
カナンの地を目前にして、神はピスガ山に登るように命じました。モーセは、民に「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。」と語りました(32章46節)。
モーセの働きは、同胞をエジプトの地から導き出すことともう一つありました、それは、十戒を神から受け取り、民に伝えることでした。モーセは神の言葉に聴き従いました。約束の地以上に大切なもの、それは神の言葉でした。その言葉に聴きそれを守ることを命じました。
「モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。」(1-3節)。
「モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。」(7節)。モーセは神によって支えられ生かされました。私たちもそうでありたいものです。
「ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた。モーセが彼の上に手を置いたからである。イスラエルの人々は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおり行った。」(9節)。モーセは、後継者となるヨシュアを育てました。
「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出された」(10節)、神によって選び出され、モーセはなすべき働きをなしその生涯と閉じました。
(久多良木和夫)
6月23日(日) 聖日礼拝
「信仰を捨てなかった七千人」 列王記上Ⅰ9章11-18節
本日は、ホ群弾圧受難記念礼拝です。今からおよそ80年前のホーリネス系のキリスト教会に加えられた弾圧を覚えて、毎年6月第4聖日に、弾圧受難記念礼拝を捧げています。
当時は、日本は、日中戦争に突入し、東アジア、東南アジアの国々に侵略して行き戦争一色でした。やがて太平洋戦争に突入して行きました。今はもう関係ないではない。今の時代も一歩間違えば、戦争につき進んで行ってしまう状況があります。
紀元前9世紀 エリヤが生きた時代、その時の北イスラエルの王はアハブで、暗黒の時代でした。その大きな力で偶像礼拝を命じ、主を信じる者を迫害しました。その絶対的権力によって偶像礼拝を命じ、誰も文句が言えませんでした。
エリヤは、アハブ王に対して、偶像礼拝の間違いを指摘して、命を狙われました。ついにカルメル山で、バアルの預言書450人とエリヤ一人で戦い勝利しました。しかし、その直後、イゼベルの脅しもあり、エリヤは恐れに包まれ、自分の死さえ願いました。
そのエリヤに対して神は、飲み水とパンを与え、元気づけました(9:3-8)。主は、シナイ山でさらに語りかけられました。
80年以上前の日本においては、政府は絶対的な力で、天皇を現人神とし、神道を国家の宗教をし、神社参拝を強要しました。教育勅語で、天皇を最高のものと位置づけました。神話による天照大神を八百万の神の最高位に据え、その子孫を天皇としました。神武天皇の即位を紀元前660年とし、1940年を記念の年とし、11月に皇紀二千六百年式典を大々的に行いました。キリスト教会もそれに先立ち10月に皇紀二千六百年全国信徒大会を青山会館を会場に2万人を集めて開きました。キリスト教会も添いの当時の間違った流れに抗うことはできませんでした。
そのような時代の中で、1942年6月、ホーリネス系の教会に対して宗教弾圧がなされましした。6月26日、日本基督教団第六部(元日本聖教会)、同第九部(元きよめ教会)、宗教結社・東洋宣教会きよめ教会に対する一斉検挙が行われました。第二次及び外地での検挙で合計134名の教職が投獄されました。このことで7名の牧師が殉職しました。
弾圧のために改正された治安維持法違反の罪で、ホーリネス系の教会は弾圧されました。」狙い撃ちされた大きな理由は、掲げていた再臨信仰でした。この弾圧で、ホーリネス系の教会はつぶされました。しかし戦後新たに立ち上がりました。
「しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」(18節)。厳しい状況の中で信仰を捨てなかった者、一度は捨てつつも、悔い改めて主に立ち返った者がいたのでした。
(久多良木和夫)
6月30日(日) 聖日礼拝
「正しい人を救い出す主」 ペトロの手紙二2章4-9節
「正しい人を救い出す主」という説教題をつけました。自分は正しい人なのだろうか、その反対に正しくない人なのか、この説教題を喜ぶべきか悲しむべきか悩む人もいることでしょう。正しい人はどこにいるのでしょうか。聖書は、人はすべて罪人と語っています(ローマ3章9-20節)。神の前に正しい人はいません。
この聖書箇所においては、旧約の二人の人物について触れています。一人はノアです。周りの人が神を畏れず、悪いことばかり考え行っていた時代の中で、ノアだけは神を畏れ、正しく歩みました。「これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」(創世記6章9節)。ノアは神に従い、箱舟を作り、その中に入って滅びを免れました。「また、神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。」(5節)。
もう一人の人物は、アブラハムの甥のロトです。彼は、おじと別れて住む場所を選びました。その低地にはソドムとゴモラの町がありました。ロトの住んだ町ソドムは悪に満ちていました。そのロトを神は救い出してくださいました。「ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。」(創世記19章16節)。
「しかし神は、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされていた正しい人ロトを、助け出されました。」(7節)。ロトは正しい人だったでしょうか。自分の思いで危うい地に住むことになってしました。ロトは悪から一線を引いていました。少なくとも悪に引き込まれないようにと考えていたようです。
そのロトを覚え、滅びないようにとりなし祈る者がいました。おじのアブラハムです(創世記18章16-33節)。
主は、罪の中にある者、どうしようもない者をも引き上げて救ってくださいます。人は主イエスによって罪を赦していただくことができます。主イエスの救いに与った者は滅ぼされることはありません。
(久多良木和夫)