2023年8月

 8月6日() 聖日礼拝  

  「造り上げるために」 コリントの信徒への手紙二12章11-21節

 

 花壇の花や畑の作物は、雨が降らないと元気を失います。しかし、そのような

時にも、水やりがなされると再び元気になります。親は子どものために、特に子

どもが小さい時には、多くの愛情を注ぎいろいろと世話をします。子どもはその

おかげですくすくと成長します。

 

 本日の聖書箇所には、使徒パウロの姿勢が5つ記されています。第1は忍耐強

くあったということです。「わたしは使徒であることを、しるしや、不思議な業

や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証しています。」(12節)。パ

ウロは、コリント教会の人たちを愛し忍耐強くなすべきことをなしました。

 

 第2は、負担をかけなかったということです。「あなたがたが他の諸教会より

も劣っている点は何でしょう。わたしが負担をかけなかったことだけではないで

すか。この不当な点をどうか許してほしい。」(13節)。彼は天幕作りという仕

事をしながら、教会からの援助を受けず、自分で、自分自身の必要を満たしてい

ました。

 

 第3は、コリントの教会の人たちが間違った道に進まないようにと願っていた

ということです。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動、不

潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いに進まないように、万が一そこに陥っ

たならば悔い改めるようにと勧めていました(20-21節)

 

 心を込めて形作られているものは多くあります。家庭、家族の関係、人間関

係、互いに助け合っての仕事、インフラ、建物等、すべて大切なものです。これ

らのものが人の強欲や悪意によって壊されることがあります。その最たるものは

戦争です。今日は、日本キリスト教団において定められた「平和聖日」です。世

界の平和を願い、「祈りの言葉」を交読します。

 

 第4のことは、自分を使い尽くそうとしたということです。「わたしはあなた

がたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもし

よう。」(15節)

 

 第5は、造り上げることを心から願い、労苦したということです。わたした

ちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあ

なたがたを造り上げるためなのです。(19節)私たちそれぞれも、両親や祖

父母、おじおば、出会った先生、その他の方々、主にある兄弟姉妹、信仰の先輩

から多くの愛を注がれて今の自分があります。また特に聖霊なる神は、私たちを

造りあげるために労してくださっています。なんという感謝でしょう。

                          (久多良木和夫)

 

8月13日() 召天者合同記念礼拝  

  「仕えるために来られた方」 マルコによる福音書10章35-45節

 

 弟子たちは、自分こそは上に立ちたい、仕える者ではなく仕えられる者になり

たいと願いました。12弟子の中のヤコブとヨハネは、そのことを他の10人の

弟子に抜け駆けで主イエスに願い出ました。そのことを知った他の10人は腹を

立てました。12弟子たちは全員、そのことを願っていたのでした。

 

 主イエスは弟子たちに諭しました。「あなたがたも知っているように、異邦人

間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振る

ている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉く

りたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の

になりなさい。(42-44節)

 

 仕えることの具体的な例は、自分のことはさて置き、お客に対して、おいしい

料理を作り、テーブルに運び、接待をすることです。

 

 この世界の中で、最も悲しい出来事の一つは戦争です。他の国の人を自分たち

の思い通りにしようとして始まります。その結果、多くの人が苦しみます。その

ような世界にあって、私たちは互いに励まし合い歩みます。毎年の召天者合同記

念礼拝において、先に召天した愛する者たちを偲ぶのです。

 

 仕えることの究極は、自分の身を削ることです。溺れる自分の子どもを助け

ようとして飛び込んだ父親が子どもを助けた後に溺れ死ぬことがあります。子ど

もを産み出す母親は、出産時に自分の命を犠牲にすることがあります。

 

 「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金と

して自分の命を献げるために来たのである。(45節)。人の子とは、主イエス

のことです。主イエスは公生涯の最後の時に、僕となって、弟子たちの足を洗い

ました。(ヨハネ福音書13章1-15節)

 

 「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・

イエスによる永遠の命なのです。」(ローマの信徒への手紙6章23節)真の

神を見失い、自分勝手に歩むようになった結果、人は自らだけでなく、他の人を

苦しめます。そして取り返しのつかないことを行います。払いきれない罪の代価

を、主イエスは、ご自身の命を引き換えに支払ってくださいました。

 

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる

者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3

章16節)。神は、その独り子を犠牲にして、私たちを救ってくださいました。

 

 主イエスは、仕えられるためではなく、仕えるために来てくださいました。そ

して、その命を私たちのために献げてくださいました。

                           (久多良木和夫)

  

8月20日() 聖日礼拝  

 「わたしを強くしてくださる方」 テモテへの手紙二1章12-18節

 

 「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝して

います。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったから

です」 テモテ112

 

 テモテはエフェソの教会で務めていましたが、エフェソの教会には問題があり

ました。その問題とは、『正しい教え』を曲げるものでした。エフェソの教会に

は、『偽りの教え』が入り込み、人々を混乱させていました。テモテはその中

で、聖書の『正しい教え』を守っていましたが、しかし『偽りの教え』を説く

人々のいる中、逆風の中で葛藤していたのでしょう。

私たちも正しく良いことを保とうとする時、逆風に遭うこともままあります。逆

風の中のテモテを励ました、それが112節から18節です。

 

 パウロは自らを振り返ります。かつて自分は罪人の頭、『神を冒涜する者、迫

害する者、暴力をふるう者』だった。しかし、神は憐れみをもって救い、主イエ

スの十字架を明らかにし、恵みによって信仰と愛を与えてくださった。「キリス

ト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であった。

 「罪人のかしら」であった自分を救われた主は、限りない忍耐と憐れみを示し

下さった。福音を伝える働きを委ね、実行する力を与えて下さった。それはテ

テにもあらわされたことでした。

 

 

 この福音を保ちなさいと命令するとともに、自分を後押しした神の真実、誠実

がテモテを後押ししているのだ、とパウロは語りました。神の愛と憐れみと赦し

が、限りない忍耐が、私たちを強くするのだ、とパウロは言います。自分を務め

に相応しい者と「見なし」「数え」「受け入れて下さった」方がおられる。この

方のゆえに、立ち上がりなさい。雄々しくありなさい。『正しい教え』を保つ力

もまた、主がお与えくださる。恐れてはならない。救いを始められ、実行する力

を与え、完成させてくださる方が、逆風の中でもともに歩んでくださるのです。

                          (富山 希望師)

 

 

 8月27日() 聖日礼拝  

 「神の力によって生きる」 コリントの信徒への手紙二13章1-13節

 

 「キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方で

す。()。キリストは依り頼んで良い方です。私たちは決して強くありませ

ん。主にお祈りをしつつ寄り縋って力をいただきつつ歩むのです。

 「キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生き

ておられるのです。(4節)。キリストは、神の地位を捨てて、父なる神のもと

を離れてこの世においでくださいました。そして、私たちの救いのためにその命

を十字架で献げてくださいました。そして父なる神の力によって復活され、今も

生きておられます。

 

 使徒パウロは7つことを勧めています。第1は悪を行わないようにということ

です。「わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈って

います。」(7節)。 第2は、善を行うようにということです。「あなたがたが

善を行うためなのです。」(7節)。善と分かっていてもそこに踏み出せないこと

が多くあります。主に助け導いていただき歩みましょう。 第3は完全なものに

りなさいということです。「完全な者になりなさい。」(11)。自分の思い

けでパーフェクトにことをこなすことではありません。主に喜んでいただける

はどうしたら良いかを尋ね求め、取り組んでいくのです。

 第4は喜びなさいということです。「終わりに、兄弟たち、喜びなさい。」

(11節)。様々なことの中でうまく行かないと弱気になり、心が下を向くことが

あります。主を見上げ歩むときに励ましの心が与えられます。 第5は、励まし

合いなさいということです。「励まし合いなさい。」(11節)。個人主義の現代

において、互いに励まし合うことができれば幸いです。

 第6は思いを一つにしなさいということです。「思いを一つにしなさい。」(11節)。教会において、この約20年の間において、60周年記念誌の発

行、第1駐車場の取得、その他いろいろなことに、心を合わせて取り組んできま

した。第7は、平和を願い求めることです。「平和を保ちなさい。」(11節)。

と国、人と人の関係で、平和を保つことは簡単ではありません。その間に主を

置いて、主のご支配のもとで、互いを尊重し合えるように進んで行きましょう。

 

 「わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたが

たに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。(4節)。自分勝

手に歩み何でもできると思うと傲慢になります。自分が弱いことを覚える時、自

分の小ささを覚え、主を仰ぐ時、謙虚さが与えられます。キリストから離れず、

主と共に歩むときに、上からの力が与えられます。キリストが力を満たしてくだ

さいます。 

 

                          (久多良木和夫)