2023年7月
7月5日(水) 祈祷会 奨励メモ
「大切なのは神」 コリントの信徒への手紙一3章1-9節
★この世界の悩み
この世界には、様々な悩みや苦しみがある。
その中で、一番多いことの一つは、争いではないでしょうか?
争い 個人対個人、 グループ袋クループ、 国対国、 民族対民族
いがみ合い、争い、戦争
★争いの中で
争いの中で、嬉しいことはほとんどない。
互いに争う。 悩みと悲しみ
ウクライナとロシアの戦争 悲しみと悲劇
一日も早く終わることを願う。 同じ民族(スラブ民族)なのに、悲しいこと
悲しみの涙
★争いの結末
どちらが正しいか、 どちらが強いかと争う
争いによって白黒をつける。 白黒が付いたから、すっきりするか?
すっきりするどころか、大きな犠牲を払わされる。 悲しみが広がる。
★起きるはずがないと思っていたところからも
兄弟間で、 親子間で、 親族間で、 教会の中で
争いが起きることがある。
★コリントの教会の混乱
コリントの教会において、ねたみや争いが起きていた。
分派ができていた。 教会内に分派があった。
★肉の働き
生まれつきの人間の私たちの肉の働き
ガラテヤ書 4つのグループ その3番目の内容 それは人間関係の中での問題
◎ガラテヤ5:19-21
5:19 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、
5:21 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
敵意、 争い、 そねみ、 怒り、 利己心、 不和、 仲間争い、 ねたみ、
その中に陥ってしまう。
★コリントの教会
分派が起きていた。
◎コリント一3:1-9
3:1 兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。
3:2 わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。
3:3 相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。
3:4 ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。
3:5 アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。
3:6 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
3:7 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
3:8 植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。
3:9 わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。
私はアポロに、私はパウロに
アポロ派、 パウロ派、
○コリント一1:10-17
1:11 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。
1:12 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしは
ケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
パウロ派、アポロ派だけでなく、ケファ派、キリスト派と多くのグループがあった。
★ねたみ、争い
互いにねたみ合う。 自分たちの方が正しい、優れていると
教会の中で、そのような状態。 平安がない。
★使徒パウロは指摘した。
それは間違った状態。
どのグループが正しいとか、優れているとかはない。
リーダーが競い合う、自分がリーダーとして優れているということもおかしい。
そのようなことを考えて互いに争っているとしたら、それは、肉の働きであり、肉の人だ、ただの人だ この世の人と何ら変わらない。
主イエスの救いを知らない、主イエスの救いに与っていないこの世の人と変わらない。
★主イエスの救い
生まれつき、神と断絶して歩んでいる私たち
神を仰ぐことをしない。 自分の思いのまま、肉の思い 自分を中心にして歩む。
自分は神の基準から外れている。 的外れ 罪 ハマルティア 的外れ
そのままでは滅び、 永遠に神と断絶したまま
そこからの救い 主イエスの命が犠牲となって、その罪の代価が支払われた。
神との断絶が取り除かれた。
★いつの間にか、神抜きで、物事を見るようになった。
神さまを抜きに、物事を見るようになった。
その結果、誰が優れている、誰が劣っている。
自分たちこそ、優秀だ、偉大だと
自分たちはパウロ派だ、アポロ派だと。
★確かに、アポロもパウロもなすべき働きをなした。
パウロは植えた。 アポロは水を注いだ。
パウロは、福音の種を蒔いた。 福音の苗を植えた。
アポロは、その後で水を注いだ。
使徒パウロの働き 福音宣教、伝道 その結果、コリントの教会も設立された。 パウロは、他の町々にも宣教の旅に
コリントの教会にいろいろな指導者が来た。 その中の一人がアポロ
優秀な人物であった。
しかし、神のもとでは、パウロもアポロも働き人に過ぎない。
神によって、立てられた働き人
★パウロもアポロも神によって立てられた働き人
神が主人公
神によって立てられた働き人
★あなたがたは神の畑、神の建物
コリントの教会の人たち、神の畑、神の建物
その畑で作物を成長させ、実らせる。実を結ぶ。
神の作品
◎9節
3:9 わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。
★大切なのは神
種を蒔き、苗を植えることも、 そこに水を注ぐことも大切。
でも、種や苗に、成長する命が込められていなければ、育たない。実を結ばない。 太陽の光と熱がなければ、成長しない。
種や苗に命を備え、太陽を置き、その熱と光を送ってくださっているお方は、天の神。 この方こそ、大切。
命の主、救いの主イエスがおられなければ、パウロの救いもアポロの救いもなかった。
★神のご支配
神は、成長させてくださる。 実を結ばせてくださる。 完成へと導いてくださる。 主の御心にあって、進ませてくださる。
そのご支配の中で、感謝して生きる。
それぞれのあり方を認めつつ、協力し合って、互いの働きを認めつつ、主を仰いで歩んでいきたい。
7月12日(水) 祈祷会 奨励メモ
「神からの賜物による違い」 コリントの信徒への手紙一7章1-16節
★使徒パウロ
パウロは、サウロからパウロに改名した。
ダマスコ途上での回心の後。 主イエスの福音を宣べ伝えた。
その生涯は独身であったと言われています。
★結婚についてのパウロのとらえ方
パウロの結婚観 結婚に対するとらえかた
◎2-6節
7:2 しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。
7:3 夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。
7:4 妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。
7:5 互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。
7:6 もっとも、わたしは、そうしても差し支えないと言うのであって、そうしなさい、と命じるつもりはありません。
結婚せずにはおれないのならば、結婚しなさい。
結婚したならば、お互いに対して、その勤めを果たしなさい。
相手の願いを受け止めつつ、歩みなさい。
独身の時は、自分の思い通りに、自由に歩んできた。 しかし、結婚したなら、その結婚相手のために。自分の自由は制限される。
★結婚したなら、その維持を
結婚したならば、その生活を維持しなさいと。
◎9-14節
7:9 しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。
7:10 更に、既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない。こう命じるのは、わたしではなく、主です。
7:11 ――既に別れてしまったのなら、再婚せずにいるか、夫のもとに帰りなさい。―― また、夫は妻を離縁してはいけない。
7:12 その他の人たちに対しては、主ではなくわたしが言うのですが、ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない。
7:13 また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない。
7:14 なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。
結婚したならば、安易に離縁してはいけない。
伴侶が未信者の場合、その伴侶も、信仰者である妻、夫によって聖なるものとされている。
◎15節
7:15 しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。
信者でない相手が離れていくなら、去るに任せるようにと。
結婚に縛られる必要はないとも。
★パウロの本音
自分のように独りでいてほしい、 独身で歩む。
主のために、多くの時間を捧げて歩む。
結婚生活は幸いなことも多いが、その歩みの中で、多くの時間を家庭のことで費やすことも多い。
◎7-8節
7:7 わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。
7:8 未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。
自分のように、独りでいてほしい。
多くの時間を主のために用いてほしいと。
結婚していても、逆に多くの時間を主のために用いることのできることもある。
パウロの視点においては、独身の方が良いと。
パウロの主張をそのまま受け止めることのできる人はどれだけいることか。
★賜物
特別に与えられた賜物 それは上から与えられたもの
一般的には、様々な能力 絵を描く能力、音楽の能力、記憶力、語学力、・・
他の人より特別に優れている。
それをもって、社会の一員として、力を発揮する。
主よりの賜物
預言(御言葉を解き明かし語る)、 教える、 施す、 異言、・・
★神からの賜物
神から与えられたもの、特別なギフト
それを心にとめ、それをいかに活用するか、神の御心に沿って、用いる。
教会において、社会において
神に感謝する。 神に祈る。 これをどのように生かしたらよいでしょうかと尋ね求めつつ、歩む。
★どう生きるか
その賜物を生かしつつ、どう生きるかが問われている。
これは、自分に与えられた賜物である。 このことを受け止め自分はこう生きると心に決める。 この道を進む、このことをなすと
★生きる道
何かに取り組む この道に進む。
今日の箇所においては、友と共に進むか、独りで進むか
特に結婚についてのメッセージ。
パウロは、独りで歩み生きる道を選んだ。
独りで生きることを賜物として受け止める。 主の守りと助け
★神からの賜物による違い
神からの賜物 その進む道に応じての賜物
進む道において、必要な力が与えられる。
他の人との比較ではなく、自分自身の道として 感謝しつつ歩む。
7月20日(木) 曽根合流祈祷会 奨励メモ
「礼拝における秩序」 コリントの信徒への手紙一11章1-16節
★礼拝での被り物
当時の慣習として、女性は、礼拝においてベールのような被り物をする。
現在では、プロテスタントの教会では、そのようなことはありません。
カトリック教会では、女性は頭にベールの小さな被り物をする習慣がある。
★このところをどう理解したら良いのか?
被り物をすることは当時の慣習であったあったようです。
なぜ女性だけなのか? 男性は被らなくても良かった。
一つ、一番考えられること、それは、当時娼婦は、髪を短く切ったり、髪を剃ったりしていたようです。また被り物もしなかったようです。
女性が被り物をしない、あるいは君を短く切る、髪を剃るということは、娼婦と思われた。 そのような誤解がないようにということが一番考えられることです。
被り物をすることで長い髪を隠す。 顔までも覆う。
男性の気を引かないようにする。 礼拝に集中できるように。
また、時に被り物をかなぐり捨てて、熱狂的に祈りや預言をする者もいたのかもしれない。 礼拝の秩序が乱されたというような背景があったのかもしれない。
★使徒パウロの主張はかなり大胆
かなり大胆な主張であり、受け入れがたいことも大きい。
◎3節
11:3 ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。
ここでの頭の意味は、支配という意味ではなく、起源、源という意味。
◎7-9節
11:7 男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。
11:8 というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、
11:9 男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
男は神の姿と栄光を映す者、女は男の栄光を映す者
男性が神の姿と栄光を映すものであるなら、女性も神の姿と栄光を映すものである。
女は男のために造られた。
男性も女性もお互いのために造られた。互いに助け合うために。
神の姿と栄光を現す。 神の像(かたち)に似せて造られた。
★パウロ自身の基本線
あなた方は皆神の子である。
○ガラテヤ3:26-29
3:26 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
3:27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
3:28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由な身分の者も
男性も女性も
◎11-12節
11:11 いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。
11:12 それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。
男性なしに女性はなく、女性なしに男性はない。
女性は男性から出た、男性も女性から生まれた。すべての者は神から出ている。
神によって生まれ出た命 女性であれ、男性であれ、大切。
★どのような意味であろうか?
◎4-5節
11:4 男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。
11:5 女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。
男性が祈ったり、預言する時に被り物をするなら、自分の頭を侮辱することになる
女性が祈ったり、預言する時に被り物をしないなら、その頭を侮辱することになる
どのような意味であったのだろう。
★独特なコメント
被り物は、力の印 自身を守るために
天使をどう理解するか。 良い天使もいれば悪い天使もいる。
誘惑を与えないように。
◎10節
11:10 だから、女は天使たちのために、頭に力の印をかぶるべきです。
力の印としての被り物
◎14-15節
11:14 -15男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか。長い髪は、かぶり物の代わりに女に与えられているのです。
長い髪が、男性には恥、女性には誉れ
男女の違い語ろうとしたのか。 男性があり、女性がある。
それぞれの在り方の中で、神があがめられる。
★時代における課題の一つ
トランスジェンダーの課題
見た目には男性であるのに、心は女性。自分自身は女性である。自分が男性であることに違和感を持っている。
見た目には女性であるのに、心は男性。自分自身は男性である。自分が女性であることに違和感を持っている。
そのような人たちもいることを心に留めたい。
★礼拝における秩序
主への礼拝、祈りと預言
使徒パウロの思い。 より秩序が保たれて、主への礼拝がなされるように。