2022年 祈祷会の奨励メモ

1月5() 祈祷会 奨励メモ

      「神の救いの計画」    テモテへの手紙一1章1-11節 

 

◎1-2節 

1:1 わたしたちの救い主である神とわたしたちの希望であるキリスト・イエスによって任命され、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、

1:2 信仰によるまことの子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。

★パウロ自身

 キリスト・イエスの使徒 キリストによって立てられ、遣わされた者

  かつては迫害者だった。 しかし、復活の主によってとらえられ、主イエスを信じる者になったパウロ

 ・私たちの救い主である神

   とても珍しい表現 救い主であるキリストではなく、救い主である神

 ・私たちの希望であるキリスト

   すべての希望、最終的な希望であるキリスト

  任命されて使徒とされた。

 

パウロから弟子のテモテへ 

パウロと弟子のテモテとの出会い

・手紙の執筆者パウロについて

 パウロはローマの牢獄に軟禁されていたが(紀元61-63年)、63年頃に釈放 

になり、それから67年頃に再び捕らえられて殉教の死を遂げるまで宣教活動に従事した。一説では、この期間にイスパニア(スペイン)まで足を伸ばしたのではないかと言われている。テモテへの手紙第一はこの期間中、64年もしくは65年頃にパウロによって執筆されたものである。

・手紙の受取人テモテについて

 テモテはパウロが第二回目の伝道旅行で小アジアのリステラを訪れたとき以来

(50年頃)、宣教旅行に同伴してパウロの同労者として働いた人物である(使徒

16:1)。その働きを始めた頃のテモテの年齢は20歳前後であったと思われる。

○使徒16:1-3 

16:1 パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。

16:2 彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。

16:3 パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。

 信仰によるまことの子テモテ テモテを心から愛し育てたパウロ

  エフェソにおいて牧師として歩んでいたテモテ その彼に

  父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。

   恵み、憐れみ、平和が

  ・変わることのない恵み 神の真実さによって

  ・深い憐れみ  憐れみによって救いへと

  ・確かな平和 主のご支配の中で

  

◎3-7節 

1:3 マケドニア州に出発するときに頼んでおいたように、あなたはエフェソにとどまって、ある人々に命じなさい。異なる教えを説いたり、

1:4 作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします。

1:5 わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。

1:6 ある人々はこれらのものからそれて、無益な議論の中に迷い込みました。

1:7 彼らは、自分の言っていることも主張している事柄についても理解していないのに、律法の教師でありたいと思っています。

 ★エフェソにとどまって

  困難があったエフェソ  そこから去るかとどまるか 思案どころ

  困難があるところに、なおとどまるようにと

   我慢ではなく、使命がある。 大切な使命を担って

 

異なる教え、無益な議論に対して警戒

◎3-5節 

1:3 マケドニア州に出発するときに頼んでおいたように、あなたはエフェソにとどまって、ある人々に命じなさい。異なる教えを説いたり、

1:4 作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします。

1:5 わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。

◎6節

1:6 ある人々はこれらのものからそれて、無益な議論の中に迷い込みました。

 異なる教え、作り話や切りのない系図、無益な議論

  異端の教え、それらは、救いとはかけ離れたもの、救いとは反対の方向へ

  それらのものは無益、害のあるもの

 

○使徒20:25-30 

20:25 そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。

20:26 だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。

20:27 わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。

20:28 どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。

20:29 わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。

20:30 また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。

  エフェソの長老たちへのパウロの言葉  その中で、警戒せよと

  間違った教えをもって、教会の群れを荒らそうとする者たち

それらの者にそれらの教えに対して警戒せよと

 

信仰による神の救い

  神によって準備された主イエスによる救い 主イエスの十字架と復活によって救われる 罪の代価はすべて支払われた。 その恵みをいただく 信仰によって その唯一の救いの恵みを受け取らせていただく。

 そのことを成し遂げてくださった神のご計画

 それを台無しにしようとする間違った教え、それを持ちこもうとする者たち   を斥けよ。 一番大切なものを壊してしまうものを良しとしてはいけない。

  神の救いのご計画こそ、尊いもの

 

★目指すもの

◎5節  

1:5 わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。

 ・清い心 ・正しい良心 ・純真な信仰

  主によって与えられるもの それは、幸いなもの

  その3つから生じる愛 その愛を目指しています。

 

◎8-10節

1:8 しかし、わたしたちは、律法は正しく用いるならば良いものであることを知っています。

1:9 すなわち、次のことを知って用いれば良いものです。律法は、正しい者のために与えられているのではなく、不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、

1:10 みだらな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のために与えられ、そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられているのです。

神の教え

  何が正しく、何が間違いであるかを示し教える

  それは間違っています。 そのままでいけません、それは滅びにつながって行きますと

 ・不法な者、・不従順な者

 ・不信心な者や罪を犯す者

 ・神を畏れぬ者や俗悪な者

 ・父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、

 ・みだらな行いをする者、男色をする者

 ・誘拐する者

 ・偽りを言う者、偽証する者

 ・健全な教えに反すること

  律法 神の教え それらは間違いです。 そのままではいけません。

  その罪を認めなさいと

 

○使徒20:31-32

20:31 だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。

20:32 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。

 

神の救いの計画

  神の救いのご計画が進むように。  神の救いの計画を心から願う。

  信仰による神の救いの計画の実現

 主から目を離さずに 主に信頼して、その恵みに与るように。

 

 

1月20日() 合流祈祷会 奨励メモ

     「真の神と共に生きる恵み」    申命記4章25―49節

 

★本物と偽物

 ブランド品 バッグ、装飾品、時計、服、 超一流のブランド品

  ルイビトン、グッチー、オメガ、ロレックス

 価値がある物と認められる、 高い値段になる 何万円、何十番円、何百万円

  それに似せて作る まがい物、偽物 ブランド品に見せかける。それを高く売ろうとする。

  絵画でも  絵画ならば、ただ一つしかない場合も多い。

   レンブラント、ゴッホ、ピカソ、・・

  

★偶像

  なぜ偶像ができたのか 理由は、二つ

   1)本物があるから偽物 偶像

   2)見える形のものを持ちたい、それを拝みたい。

 

★見える形のもの

①25-28節 

4:25 あなたが子や孫をもうけ、その土地に慣れて堕落し、さまざまの形の像を造り、あなたの神、主が悪と見なされることを行い、御怒りを招くならば、

4:26 わたしは今日、あなたたちに対して天と地を呼び出して証言させる。あなたたちは、ヨルダン川を渡って得るその土地から離されて速やかに滅び去り、そこに長く住むことは決してできない。必ず滅ぼされる。

4:27 主はあなたたちを諸国の民の間に散らされ、主に追いやられて、国々で生き残る者はわずかにすぎないであろう。

4:28 あなたたちはそこで、人間の手の業である、見ることも、聞くことも、食べることも、嗅ぐこともできない木や石の神々に仕えるであろう。

 見える形をもって神とする

 大木、巨岩、獣、鳥、動物、魚、太陽、月、星

  それの形、そのありようのすばらしさに感激して しかし、それらは造られた物に過ぎない。

  日本であれば、仏像 立派な彫刻、 年代物

  それらが、人が作ったものに過ぎない。

 

○16-19節

4:16 堕落して、自分のためにいかなる形の像も造ってはならない。男や女の形も、

4:17 地上のいかなる獣の形も、空を飛ぶ翼のあるいかなる鳥の形も、

4:18 地上を這ういかなる動物の形も、地下の海に住むいかなる魚の形も。

4:19 また目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これらに惑わされ、ひれ伏し仕えてはならない。それらは、あなたの神、主が天の下にいるすべての民に分け与えられたものである。

 命のないもの、人が作った者、人が祭り上げたもの

  それを神々とする、それを拝むことは愚かなこと

 

★金の小牛事件

○出エジプト32:1-35

 

②33-40節 

4:33 火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きている、あなたと同じような民があったであろうか。

4:34 あるいは、あなたたちの神、主がエジプトにおいてあなたの目の前でなさったように、さまざまな試みとしるしと奇跡を行い、戦いと力ある御手と伸ばした御腕と大いなる恐るべき行為をもって、あえて一つの国民を他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた神があったであろうか。

4:35 あなたは、主こそ神であり、ほかに神はいないということを示され、知るに至った。

4:36 主はあなたを訓練するために、天から御声を聞かせ、地上に大いなる御自分の火を示された。あなたは火の中からその言葉を聞いた。

4:37 主はあなたの先祖を愛されたがゆえに、その後の子孫を選び、御自ら大いなる力をもって、あなたをエジプトから導き出された。

★火の中から

  火の中から語られた神の声、 火の中から神の声を

  

○出エジプト19:1-25 

19:16 三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。

19:17 しかし、モーセが民を神に会わせるために宿営から連れ出したので、彼らは山のふもとに立った。

19:18 シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。

○出エジプト24:1-18 

24:15 モーセが山に登って行くと、雲は山を覆った。

24:16 主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日の間、山を覆っていた。七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。

24:17 主の栄光はイスラエルの人々の目には、山の頂で燃える火のように見えた。

24:18 モーセは雲の中に入って行き、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた。

 火の中、燃える火

  そのように見えた、そのように表現せざるを得ない。

  神の臨在 神が臨まれた  神が特別にそのように

  主の栄光をそのように表現した。

 

③29-32

4:29 しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。

4:30 これらすべてのことがあなたに臨む終わりの日、苦しみの時に、あなたはあなたの神、主のもとに立ち帰り、その声に聞き従う。

4:31 あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも滅ぼすことも、あなたの先祖に誓われた契約を忘れられることもないからである。

4:32 あなたに先立つ遠い昔、神が地上に人間を創造された最初の時代にさかのぼり、また天の果てから果てまで尋ねてみるがよい。これほど大いなることがかつて起こったであろうか。あるいは、そのようなことを聞いたことがあろうか。

*38-40節  

4:38 神はあなたよりも強大な国々をあなたの前から追い払い、あなたを導いて、今日のように彼らの土地をあなたの嗣業の土地としてくださった。

4:39 あなたは、今日、上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、

4:40 今日、わたしが命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神、主がとこしえに与えられる土地で長く生きる。

 

偽物ではなく、本物を

 偽物に支配されることは残念なこと

   ブランド品の偽物、 絵画の偽物

   それはそれで、そう思っていれば済むことかもしれない。

 偽る者と共に歩むことは残念なこと 偽者 ペテン師

   一生を台無しにする。 全財産を奪い取られる

  偽者とずっと歩むことはできない。 不幸にする。

 

本物のお方 

  力あるお方 生きておられるお方。  

  死を打ち破られたお方 御国を備えてくださったお方

  祝福の人生を導いてくださるお方

  その方にあって生きよ、歩めと語り掛けられている。

 出会ってくださるお方

 心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。

 ・主は憐れみ深い神

 ・見捨てることも滅ぼすことも、あなたの先祖に誓われた契約を忘れられることもないお方

 ・あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、

 ・とこしえに与えられる土地で長く生きる。

 真の神と共に生きよ、歩み続けよと そこに大いなる恵みがある。

  ハレルヤ!

 

 

1月26日() 祈祷会 奨励メモ

      「かたくなな民」          申命記9章1-29節 

 

★かたくなな民

  強情な民(口語訳)、 うなじのこわい民(新改訳)

 その実際は、

①モーセ下山前の時 金の小牛事件

○出エジプト32:1-20

32:1 モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と言うと、

32:2 アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、わたしのところに持って来なさい。」

32:3 民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。

32:4 彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。

32:5 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築き、「明日、主の祭りを行う」と宣言した。

32:6 彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物を供えた。民は座って飲み食いし、立っては戯れた。

32:7 主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、

32:8 早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」

32:9 主は更に、モーセに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。

32:19 宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た。モーセは激しく怒って、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた。

32:20 そして、彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、それを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの人々に飲ませた。

 モーセの下山を待ちきれずに、金の小牛を作って、それを祭り、礼拝した。

 十戒をいただこうとしていたその時に

  唖然とする事件、出来事

 

②カナン偵察

 カナンの地の偵察 12人が遣わされる。 10人と2人に分かれる。

○申命記1:19-33

1:19 我々は神、主が命じられたとおり、ホレブをたち、あなたたちが見たあの広くて恐ろしい荒れ野を通り、アモリ人の山地に至る道を、カデシュ・バルネアまで来た。

1:20 わたしが、「あなたたちは、我々の神、主が与えられたアモリ人の山地まで来た。

1:21 見よ、あなたの神、主はこの土地をあなたに与えられた。あなたの先祖の神、主が仰せになったとおり、上って行って取りなさい。恐れてはならない。おののいてはならない」と言うと、

1:22 あなたたちはそろってわたしのもとに来て、「まず人を派遣し、その土地を探らせ、我々がどの道を上り、どの町に行くべきか報告させましょう」と言った。

1:23 それは名案だと思われたので、わたしは各部族から一人ずつ、合わせて十二人を選び出した。

1:24 彼らは出発し、山地に上り、エシュコルの谷に着きそこを偵察し、

 

もっと詳しくは、民数記13-14章(13:16-33.14:1-38)

 とても勝ち目はありません。 無理です、ダメですと。

 ヨシュアとカレブ以外は、主を見上げることをしなかった。

 

 目に見えるものがなければ、落ち着かない。 目に見えるものを据えたい

 目に見えるものがすべて。  目に見えるありさま、現実 それが自分を覆う。

 

かたくなな民 強情な民、うなじのこわい民

 

★かたくなさの裏にあるものは何か?

  自分と他の人たちとの比較? 自分を大切に思う思い?

  それは自然に起こるもの  それがかたくなさと関係があるのか?

 

 神の語り掛け

  あなたたちが立派だからではない、他の民がそうでないから。

◎4-5節

9:4 あなたの神、主があなたの前から彼らを追い出されるとき、あなたは、「わたしが正しいので、主はわたしを導いてこの土地を得させてくださった」と思ってはならない。この国々の民が神に逆らうから、主があなたの前から彼らを追い払われるのである。

9:5 あなたが正しく、心がまっすぐであるから、行って、彼らの土地を得るのではなく、この国々の民が神に逆らうから、あなたの神、主が彼らを追い払われる。またこうして、主はあなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたことを果たされるのである。

   他の国々の民が、神に逆らう民だから追い払うのだと

    あなたたちよりも、より逆らう民だから。

   比較の論理

   よりひどいものを斥けられる。滅ぼされる、

  あなたたちが正しいからではない、他の人々が正しくないから、ひどいから

  そうなのだ  自分たちの正しさではなく、他の人たちのひどさゆえに

  自分に目を向けること  それは、かたくなさにつながっていく

   自分、自分と 自分が大切  他の人との比較も出てくる

   思いをたくさん持つ。 自分はこう思う、こう比較する。・・ 

 それがなぜ、かたくなさにつながるのか?

 なぜかは、それぞれへの宿題としたいと思います。 ぜひ、考えてみてください。

  

モーセの働き

  指導者としてのモーセ  民をエジプトから脱出させ、約束の地に導く

  約束の地の手前で、その生涯を終える。 そこで、すべてを終える。

申命記  モーセの遺言の形で記されている。

  一番の働き それは民を導く指導者、リーダーとしての働き

  それ以外には?

◎18-20節  

9:19 わたしは、主が激しく怒りに燃え、あなたたちを滅ぼされるのではないかと恐れたが、主はこのときも、わたしに耳を傾けてくださった。

9:20 アロンに対しても、主は激しく怒って滅ぼそうとされたが、わたしはそのとき、アロンのためにも祈った。

◎25-29節

9:26 主に祈って言った。「主なる神よ。あなたが大いなる御業をもって救い出し、力強い御手をもってエジプトから導き出された、あなたの嗣業の民を滅ぼさないでください。

9:27 あなたの僕、アブラハム、イサク、ヤコブを思い起こし、この民のかたくなさと逆らいと罪に御顔を向けないでください。

 

 とりなしの祈り 滅ぼさないでください。

 救いの契約を思い出してください とりなし祈るモーセ

  とりなし祈る者の存在

  執りなされて生きる  執りなされて、生かされる。

  

★選ばれた民

 かたくなな民との指摘を受ける。

  荒れ野での40年  次の世代の民が約束の地に入る 

  選んでくださったお方  その責任を取ってくださった。

 

 

2月9日() 祈祷会 奨励メモ

      「勝利を賜る神」           申命記20章1-20節

 

★恐れの心

  恐れの心が生じる。緊張、恐れ

   今は冬季オリンピックの時期 4年に一度の大きな大会  

   国を背負って出場する。 大きな名誉 一方、いざ試合に臨むとき

どれだけ大きなプレッシャーがかかることか  相手との戦い、自分との闘い  大丈夫だろうか? 負けるのではないだろうか? 不安、恐れ

 

★今日の箇所

  どう読んだら良いのか?  戦争を勧める箇所では決してない。

  内容を読むと、戦いのこと  2つの場合

1)事前に降伏を勧め、敵がそれに応じた場合

◎10-11節

20:10 ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。

20:11 もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。

 

2)事前に降伏を勧めたのに応じない場合

◎12-18節

20:12 しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。

20:13 あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。

20:14 ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵の分捕り品を自由に用いることができる。

20:15 このようになしうるのは、遠く離れた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。

20:16 あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。

20:17 ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。

20:18 それは、彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあなたたちに教えてそれを行わせ、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯すことのないためである。

 実際に、この通りにしたならば、大変   特に2)の場合

 

  体の中の悪い部分(癌)の治療の場合を考えてみると

   悪いものは完全に取り除く 取り残しをそのままにしておけば、それが

   増殖して、全身に広がる  完全に取り除く必要がある。

     完全にとり除くことが必ずしも良いことではない場合もある。

   癌を完全に取り除く治療が強力過ぎて、本人の身体をも限界に追いやることもある。 一時的共存が必要な時もある。    

  戦争そのもので、今、適応することはできない。 それをしたならば、大虐殺になってしまう。

  

★戦争に赴く者への配慮

◎5-8節  

20:5 役人たちは民に勧めなさい。「新しい家を建てて、まだ奉献式を済ませていない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が奉献式をするようなことにならないように。

20:6 ぶどう畑を作り、まだ最初の収穫をしていない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が最初の収穫をするようなことにならないように。

20:7 婚約しただけで、まだ結婚していない者はいないか。その人は家に帰りなさい。万一、戦死して、ほかの者が彼女と結婚するようなことにならないように。」

20:8 役人たちは更に民に勧めて言いなさい。「恐れて心ひるんでいる者はいないか。その人は家に帰りなさい。彼の心と同じように同胞の心が挫けるといけないから。」

  ・新しい家を建てたばかり

  ・ぶどう園の初収穫

  ・婚約をしたが結婚していない

  ・恐れて心ひるんでいる者 

   

★恐れる者への勧め

◎1-4節

20:1 あなたが敵に向かって出陣するとき、馬と戦車、また味方より多数の軍勢を見ても恐れてはならない。あなたをエジプトの国から導き上られたあなたの神、主が共におられるからである。

20:2 いよいよ戦いの場に臨んだならば、祭司は進み出て、民に告げ、

20:3 次のように言わねばならない。「イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。

20:4 あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである。

 

 恐れの心

  無理です。ダメです。

  その心はますます大きくなる。 自分は小さい、とても無理です。 

   相手が強すぎます。 相手が大きすぎます。 この私は無理です。できません。 

  それに対して

  恐れてはならない。 恐れるな。慌てるな。うろたえるなと。

  モーセからの呼びかけ  主よりの呼びかけ

  その声を聴くならば幸いです。

 主より呼びかけ

  その呼びかけを聞く者、心にとめる者でありたいものです。

 

 主は、呼びかけられた主は、

  エジプトの国から導き上られたお方

  エジプトでの奴隷生活 うめき、叫びを聞いてくださったお方

   そして、モーセを立て、救い出してくださったお方

 

私たちの主はインマヌエルの主 共にいてくださる主。

 イエス・キリストによる御救いをなしてくださった主。

 共にいてくださる主

 信仰によってそのことを受け取る。

 

その主が、勝利を与えてくださる。

  ・難しい問題との戦い

  ・人との戦い

  ・自分との闘い

  ・人生という歩みの戦い

 主は、その戦いに勝利を賜る。

 

 

2月17日() 祈祷会 奨励メモ

       「神の祝福」             申命記28章1-14節

 

★良いものを求める

  良いものを求める これが良いと 魅力的なものを求める それらに惹かれる  しかし、それがすべて良いものではない。 時に、そこに反対のものがあったり、罠があったりする。 気を付けたい。 

  これで、一儲け これは良い 自分の財産の大半をそこに

  詐欺ということがある。 すべてを失うことがある。 

 

★どこに幸いがあるか?

  ここにある、あそこにある。  自分の願いが叶うことにある。

  ほしいものを手に入れることにある。 人生を費やす。

  人生を歩み通す。 その一生の最後にならなければわからない、いや人生を終わってみなければわからない。

  聖書は語る。 主のもとに幸いがある。 主のもとに祝福がある。

  願いが叶わななかった。 思い通りに行かなかった。 願う者が手に入らなかったとしても、主のもとに生きる中に、主と共に歩む中に幸いがある、祝福がある。

 

★申命記

  神の言葉、律法 繰り返し語るという意味。 大事なことを繰り返し語る。

  親からの言葉、遺言 

   うそをつくな。 偽りに生きるな。 真面目に歩め。 人には親切にしなさい。 他の人を大事にせよ。 借金はするな。 保証人には決してなるな。

 酒には溺れるな。 異性には気をつけよ。 ・・

  親が、自分の子どもに これだけは 自分の経験から、自分の失敗から 

  モーセを通して語られた言葉 モーセの遺言

○28:69

28:69 これから述べるのは、主が、ホレブで彼らと結ばれた契約とは別にモアブの地でモーセに命じられてイスラエルの人々と結ばせた契約の言葉である。

   ホレブの山(シナイ山)で結ばれた契約

   出エジプト記24章 契約の書 十戒

 その時からおよそ40年の歳月が流れた。 荒野での生活 40年 世代が変わった 次の世代 カナンの地を前に

  

★呪いと祝福

 2つのものがある。 呪いと祝福は全く別物 相容れない。

 呪いを色で表せば、どんな色? 緑? オレンジ?  黒で表すのでは。

 祝福はどんな色? 黄色? ピンク? 明るい色 白で表すかも。

 呪い どのように表現するか? 水の中 火の中 闇と

 祝福 どのように表現するか? 引き上げる綱 差し伸ばされた手 希望、喜び、 明るい光と

  

★今日の聖書箇所

  祝福の道について

◎申命記28:1-14 

28:1 もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。

28:2 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。

28:3 あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。

28:4 あなたの身から生まれる子も土地の実りも、家畜の産むもの、すなわち牛の子や羊の子も祝福され、

28:5 籠もこね鉢も祝福される。

28:6 あなたは入るときも祝福され、出て行くときも祝福される。

28:7 は、あなたに立ち向かう敵を目の前で撃ち破られる。敵は一つの道から攻めて来るが、あなたの前に敗れて七つの道に逃げ去る。

28:8 主は、あなたのために、あなたの穀倉に対しても、あなたの手の働きすべてに対しても祝福を定められ、あなたの神、主が与えられる土地であなたを祝福される。

28:9 もし、あなたがあなたの神、主の戒めを守り、その道に従って歩むならば、主はお誓いになったとおり、あなたを聖なる民とされる。

28:10 地上のすべての民は、あなたに主の御名が付けられるのを見て、あなたに畏れを抱く。

28:11 主は、あなたに与えると先祖に誓われた土地で、あなたの身から生まれる子、家畜の産むもの、土地の実りを豊かに増し加え、

28:12 恵みの倉である天を開いて、季節ごとにあなたの土地に雨を降らせ、あなたの手の業すべてを祝福される。あなたはそれゆえ、多くの国民に貸すようになるが、あなたが貸してもらうことはないであろう。

28:13 わたしが今日、忠実に守るように命じるあなたの神、主の戒めにあなたが聞き従うならば、主はあなたを頭とし、決して尾とはされない。あなたは常に上に立ち、決して下になることはないであろう。

28:14 あなたは、今日わたしが命じるすべての言葉から離れて左右にそれ、他の神々に従い仕えてはならない。

 

祝福の反対についても、語られている それは呪いのこと

○28:15-69

28:15 しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。

28:16 あなたは町にいても呪われ、野にいても呪われる。

28:20 あなたが悪い行いを重ねて、わたしを捨てるならば、あなたの行う手の働きすべてに対して、主は呪いと混乱と懲らしめを送り、あなたは速やかに滅ぼされ、消えうせるであろう。

28:25 主は敵の前であなたを撃ち破らせられる。あなたは一つの道から敵を攻めるが、その前に敗れて七つの道に逃げ去る。あなたは地上のすべての王国にとって恐るべき見せしめとなる。

28:45 これらの呪いは、ことごとくあなたに臨み、付きまとい、実現して、ついにあなたを滅びに至らせる。あなたの神、主の御声に聞き従わず、命じられた戒めと掟とを守らなかったからである。

  

○11:13-32

11:13 もしわたしが今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い、あなたたちの神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕えるならば、

11:14 わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。

11:15 わたしはまた、あなたの家畜のために野に草を生えさせる。あなたは食べて満足する。

11:22 もし、わたしがあなたたちに行うようにと命じるこのすべての戒めをよく守り、あなたたちの神、主を愛してそのすべての道に従って歩み、主につき従うならば、

11:26 見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。

11:27 あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を

11:28 もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。

 

11:29 あなたが入って得ようとしている土地に、あなたの神、主が導き入れられるとき、ゲリジム山に祝福を、エバル山に呪いを置きなさい。

11:32 今日、わたしがあなたたちに授けるすべての掟と法を忠実に守らねばならない。

 

○申命記27:1-26

27:1 モーセは、イスラエルの長老たちと共に民にこう命じた。今日、わたしが命じるすべての戒めを守りなさい。

27:4 あなたたちがヨルダン川を渡ったならば、わたしが今日命じるこれらの石をエバル山に立て、しっくいを塗り、

27:5 またそこに、あなたの神、主のために祭壇を築きなさい。それは石の祭壇で、鉄の道具を当ててはならない。

27:11 その日、モーセは民にこう命じた。

27:12 あなたたちがヨルダン川を渡ったならば、民を祝福するために、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ヨセフ、ベニヤミンはゲリジム山に立ち、

27:13 また呪うために、ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリはエバル山に立ちなさい。

27:14 レビ人は、大声でイスラエルの人すべてに向かって宣言しなければならない。

27:15 「職人の手の業にすぎぬ彫像や鋳像は主のいとわれるものであり、これを造り、ひそかに安置する者は呪われる。」それに答えて、民は皆、「アーメン」と言わねばならない。

27:16 「父母を軽んずる者は、呪われる。」民は皆、「アーメン」と言わねばならない。

  ゲリジム山 祝福を示す山 

  シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ヨセフ、ベニヤミンの6部族

 エバル山 呪いを示す山

  ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリの6部族

 戒めの石のしっくい、祭壇を建てたのは、ゲリジム山ではなく、エバル山だった

 

○ヨシュア記8:30-32

8:30 そのころ、ヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主のための祭壇を築いた。

8:31 この祭壇は、主の僕モーセがイスラエルの人々に命じ、モーセの教えの書に記されたとおり、鉄の道具を使わない自然のままの石で造られた。彼らはその上で、主に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。

8:32 ヨシュアはこの祭壇の石に、モーセがイスラエルの人々のために記した教えの写しを刻んだ。

8:33 全イスラエルは、長老、役人、裁判人をはじめ、寄留者もその土地に生まれた者も、主の契約の箱を担ぐレビ人である祭司たちの前で、箱のこちら側とあちら側に、半分はゲリジム山の前に、他の半分はエバル山の前に立った。それは主の僕モーセがかつて命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。

8:34 その後ヨシュアは、律法の言葉すなわち祝福と呪いをことごとく、すべて律法の書に記されているとおりに読み上げた。

8:35 ヨシュアは、モーセが命じたことをひと言残さず、イスラエルの全会衆、女、子供、彼らの間で生活する寄留者の前で読み上げた。

 

 ヨシュアがカナンの地に入って祭壇を築いたのも、エバル山だった。

  ゲリジム山ではなかった。 ゲリジム山 後に、南ユダのエルサレムをまねて北イスラエル(サマリヤ)の首都になる。

   

★ゲリジム山、エバル山

  ゲリジム山は祝福を指し示す場所だった。 色で言えば白 

  白の画用紙、キャンバスに 絵の具の黒が付いた。 これは大変 黒を消さねば 白の絵の具を次々と用いても、元の白さには戻せない。 黒の力は強い 白をどれだすことは難しい、至難の業 黒の絵の具の黒を塗り消そう、消そうとしても、消えない。 上に白を塗り固めたと思っても、いつかその塗り固めがぽろっとはがれてしまうことも。 呪いの怖さ それは消し去れない、追い出しきれない。

 画用紙、キャンバスに黒を落とさなければ一番良いが、落としてしまう。    

 誰から間違って、意地悪で  自分が不注意で、面白半分で そうしてしまうこともある。

  しかし、ここに祝福の約束がある。 この道を歩みなさいと 

 エバル山、まさに今日の箇所 それを踏み外すイスラエルの民 そして、私たち 呪いの中に陥った民 私たちに対して、抜け出す道が。

 

呪いからの救い

  神のなしてくださったこと 主イエスをお遣わしくださった。

  主イエスが十字架についてくださった。 私たちの受けるべき呪いをご自身が受けてくださった。 十字架はまさにそのこと。

   私たちが決して元の白さに戻せないその黒を取り除いて白に

  私たちが決して追い出せない闇を神の光によって追い出してくださった。

 

 

3月17日() 祈祷会 奨励メモ

     「若枝である主の僕」      ゼカリヤ書3章1-10節

  

★預言者ザカリヤ

○1:1

 1:1 ダレイオスの第二年八月に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主の言葉が臨んだ。

  イドという人の孫であり、預言者

  イドはバビロン捕囚からの帰還の民の一人 その孫

  同時代の預言者としては、 ハガイ、マラキ

  ・バビロン捕囚から帰還 BC537年

  ・ダレイオス王の第2年 BC520年

 ハガイと共に活動

   

○エズラ記5:1-2

 5:1 預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが、ユダとエルサレムにいるユダの人々に向かってその保護者であるイスラエルの神の名によって預言したので

5:2 シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。

   神殿再建、それから5年して完成した。 BC516年

  

○エズラ記6:14-16

 6:14 ユダの長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言に促されて順調に建築を進めていたが、イスラエルの神の命令と、ペルシアの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって建築を完了した。

 6:15 この神殿は、ダレイオス王の治世第六年のアダルの月の二十三日に完成した。

 6:16 イスラエルの人々、祭司、レビ人、残りの捕囚の子らは、喜び祝いつつその神殿の奉献を行った。

  預言者ハガイと預言者ゼカリヤ

 共に総督ゼルバベル、 大祭司ヨシュアへの励まし

 

★困難の中での励まし

  困難の中での励まし 大きな力

  ウクライナの国の人たち

   ロシアによる侵攻、攻撃、戦争 どんなにかつらいことか

   町が破壊され、多くの人が殺され、恐怖のどん底

   ロシアによる蛮行、弁解の余地がない。 とてもひどい行為

   力によって、主権国家をつぶそう、支配しようと

   力があれば、何をしても良い、何でもできるは、大間違い

  ウクライナの人たち

   世界中の人たちの励まし、支援  それは大きな力

   なんとしても、停戦合意となり、ロシア軍が撤退知るように。

   これ以上、悲惨なことにならないように。

  

○1:14-16   

 1:14 わたしに語りかけた御使いはわたしに言った。『呼びかけて言え、万軍の主はこう言われる。わたしはエルサレムとシオンに激しい情熱を傾け

1:15 安穏にしている諸国の民に対して激しく怒る。わたしはわずかに怒っただけだが  彼らはそれに乗じて災いをもたらした。

1:16 それゆえ、主はこう言われる。わたしは憐れみをもってエルサレムに帰りわが家をそこに建て直させると万軍の主はこう言われる。エルサレムには、測り縄が張られる。

・エルサレム信での再建、町の再建の約束

・神の民を苦しめる者に対しての裁き

 ウクライナとロシアとの間で停戦がなったとして、破壊された町、国の再建 どれだけ大変か 何十年とかかるだろう 失われてしまいもとには戻らない物も多くある。

 

 ロシアの国においても、上に立つ者たちの愚かさにより、

  経済制裁により、これから苦しみを受け、耐え忍ばねばならない。

回復、再建は感謝なことだが、それに向かって進むには、大変な労苦が必要。

 そうしていくしかない。

 ロシアによる愚かな侵攻がなければ、破壊されずに良かった家々、病院、学校

  町、そして何よりも失われた何万、何十万人の命  傷ついた人たち

   爆撃、死の恐怖 一生のトラウマとなったことでしょう。

  回復の歩みを祈るのみ。

 

○2:5-12

2:5 わたしが目を留めて見ると、ひとりの人が測り縄を手にしているではないか。

2:6 「あなたはどこに行かれるのですか」と尋ねると、彼はわたしに、「エルサレムを測り、その幅と長さを調べるためです」と答えた。

2:7 わたしに語りかけた御使いが出て行くと、別の御使いが出て来て迎え、

2:8 彼に言った。「あの若者のもとに走り寄って告げよ。エルサレムは人と家畜に溢れ 城壁のない開かれた所となる。

2:9 わたし自身が町を囲む火の城壁となると主は言われる。わたしはその中にあって栄光となる。

2:10 急いで、北の国から逃れよと主は言われる。天の四方の風のように/かつて、わたしはお前たちを吹き散らしたと主は言われる。2:11 シオンよ、逃げ去れ バビロンの娘となって住み着いた者よ。

 2:12 栄光によってわたしを遣わされた、万軍の主があなたたちを略奪した国々に、こう言われる。あなたたちに触れる者はわたしの目の瞳に触れる者だ。

  主が町を囲む城壁となってくださる。 主のご支配、守りが約束されている。

  主の民を苦しめ、略奪、・・する者は主がお許しにならない。

 どの国の人であれ、どの民族である、その人たちを苦しめる者は許されない。

  主がお許しにならない。

   人の命、人権、自由、現在、未来を踏みにじることは許されないこと。

  

★第4の幻

  大祭司ヨシュアに対して サタン

  それに対して、主は

 ◎1-7節 

 ◆第四の幻

3:1 主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼を訴えようとしているサタンをわたしに示された。

3:2 主の御使いはサタンに言った。「サタンよ、主はお前を責められる。エルサレムを選ばれた主はお前を責められる。ここにあるのは火の中から取り出された燃えさしではないか。」

3:3 ヨシュアは汚れた衣を着て、御使いの前に立っていた。 

3:4 御使いは自分に仕えている者たちに向かって言った。「彼の汚れた衣を脱がせてやりなさい。」また、御使いはヨシュアに言った。「わたしはお前の罪を取り去った。晴れ着を着せてもらいなさい。」 

3:5 また、御使いは言った。「この人の頭に清いかぶり物をかぶせなさい。」彼らはヨシュアの頭に清いかぶり物をかぶせ、晴れ着を着せた。主の御使いは立ち続けていた。

3:6 主の御使いはヨシュアに証言して言った。 

3:7 「万軍の主はこう言われる。もしあなたがわたしの道を歩み わたしの務めを守るなら あなたはわたしの家を治め わたしの庭を守る者となる。わたしはあなたがここで仕える者らの間に歩むことを許す。

 

サタンは大祭司ヨシュアを訴える。

ヨシュアは、相応しくない。

 大祭司としては、不適切だ、汚れている、不適格だ

  その働きはできない者だ。 サタンは、責めた。主に訴えた。

 それに対して、主は、ヨシュアを責められなかった。 反対にサタンを責めた。

 火の中から取り出された燃えさし

 *燃えさし  中途まで燃えること。燃えかけ。 燃えきらないで残ること。燃え残り。  燃えさし 確かにみすぼらしい者

  汚れた衣を着て、御使いの前に立っていたヨシュア

  ああ、これは見た眼に、みじめな恰好

 そのままではどうしようもない。 御用もできないと思われた。

  ところがそうではなかった。

   汚れた服を脱がせ、晴れ着を着せなさいと

   きよいかぶり物をかぶらせなさいと 主はみ使いに命じられた。

 あなたは、わたしの道を歩み わたしの務めを守りなさい。

あなたはわたしの家を治め わたしの庭を守る者となるのですと。

 わたしはあなたがここで仕える者らの間に歩むことを許す。

 なんということでしょう。 主が、きよめ、御用に当たらせてくださると。

 大祭司ヨシュアへの主の御顧み

  教師であれ、信徒であれ、主のものとされた私たちへの主のご支配。 感謝です。

  

○コロサイ3:1-17

3:1 さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。

3:5 だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかなら

3:8 今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。

3:9 互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、

3:10 造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。

3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

   

★若枝である主の僕

  預言者ゼカリヤに対してのさらなる預言  それは、若枝なる主の僕

 ◎8-10

3:8 大祭司ヨシュアよ あなたの前に座す同僚たちと共に聞け。あなたたちはしるしとなるべき人々である。わたしは、今や若枝であるわが僕を来させる。 

3:9 ここに石がある。これはわたしがヨシュアの前に差し出すものだ。この一つの石に七つの目がある。わたしはそこに碑文を刻む、と万軍の主は言われる。そして、一日のうちにこの地の罪を取り除く。

3:10 その日には、と万軍の主は言われる。あなたたちは互いに呼びかけて/ぶどうといちじくの木陰に招き合う。」

 今、季節は初春 若葉の芽が吹き出しつつある。 若葉は希望

 ウクライナの国にも、季節としては春がやって来る季節 今は、どん底。

 もし今、停戦和平がなったとしても町の再建、国の再建は絶望的と思えるほど。 でも、町の再建、国の再建

  そして何より、人々の悲しみの癒し、苦しみの癒しは大変なこと。

  前に進むようにと心より願います。

  

若枝であるわが僕

  それは、救い主イエスを指し示している。

  人間の心の奥底に住み着く罪、悪しき思い、・・

  そのことが解決されなければ、主のご支配をいただかなければ、

 本当の希望は与えられない。持ちえない。 本当の喜びは来ない。

 

預言ゼカリヤを通して救い主の預言、何という感謝なことか。

  一つの石 7つの目を持つ石。

  神殿の土台となる石、 再建の土台となる石  確かな石

  すべてを見通される目を持つ。 

  人の前に隠し通しても、主の御前には隠し通せない。

 主は、公正に裁かれるお方。

  人の前に、どんなに富を築こうとも、偉大なことをしたように見えたとしても、 不正や裏取引、うそ、偽り

  そして、そのことで、他の人を苦しめ、他の人の奪ってはならない人権、自由、命、未来を犯す者を主は決して見逃されない。

人に隠せても、主の御前には隠せない。

  

その主の御前に、自らの罪を心から認めることの大切さ

 その主によって、遣わされた主イエスを自分の救い主として受け入れること

 このことこそ、大切なこと。

  若枝である主を私たちの主です。 ハレルヤ!

  

 

3月23日() 祈祷会 奨励メモ

     「ろばに乗って」      ゼカリヤ書9章1-17節

   

★預言者ゼカリヤ

 同時代の預言者は、ハガイであり、マラキである。

 特に、バビロン捕囚からの解放、エルサレムへの帰還

  エルサレム神殿の再建 行悩むときに、ハガイと共に主よりの励ましを告げる。 紀元前520年頃のこと

 イスラエルの民のこれからこと、その周辺の国々のこと、そして、世界のこと

 

★周辺の国々のこと

 イスラエルと接する国々、異邦の民 苦しめられることが多かった。

 日本は小さな国だが、島国であるので、周辺の国から苦しめられるといったことは皆無と言って良いほどない。

 でも、イスラエルは小さな国、しかも周りの国々、周りの民から苦しめられることが度々あった。

 

◎1-8節 

9:1 託宣。主の言葉がハドラクの地に臨み、またダマスコにとどまる。人々はイスラエルの全部族と共に主に目を向ける。

9:2 それらの地に境を接するハマト、知恵に抜きん出たティルスとシドンもそうだ。

9:3 ティルスは自分の砦を築き、塵のように銀を、野の土くれのように金を集めた。

9:4 しかし、見よ、主はその町を陥れ、富を海に投げ込まれる。火は町を焼き尽くす。

9:5 アシュケロンはそれを見て恐れ、ガザは大いにもだえ、エクロンも期待を裏切られてうろたえる。ガザの王は滅び、アシュケロンには人が住まなくなり、

9:6 混血の民がアシュドドに住み着く。わたしはペリシテ人の高ぶりを絶つ。

9:7 わたしはその口から血を、歯の間から忌まわしいものを取り去る。その残りの者は我らの神に属し、ユダの中の一族のようになり、エクロンはエブス人のようになる。

9:8 そのとき、わたしはわが家のために見張りを置いて出入りを取り締まる。もはや、圧迫する者が彼らに向かって進んで来ることはない。今や、わたしがこの目で見守っているからだ。

 

ハドラク、ダマスコ 北の方、シリア ダマスコはシリアの首都

ティルス、シドン ガリラヤ湖の北西 地中海沿岸

アシュケロン、ガザ、エクロン、アシュドド、ペリシテ人、エブス人

 死海の西、地中海沿岸

これらの国々、そこに住む者から苦しめられてきた。

それら国は、神の民をもはや苦しめない。 その富は、おごりは、打ち砕かれる。

特にティルスは

 ティルスは、陸路を行く隊商の交易の中心地であると同時に、輸出入品の大きな集散地でもあった。ティルスの都市は軍事面での強さも備えていた。

 その有様は、 👉 エゼキエル書26:1-28:19

26:2 「人の子よ、ティルスがエルサレムを嘲る。『ああ、諸国民の門であったお前は打ち破られ、わたしのものになった。わたしは富み、お前は廃れる。』

26:17 彼らはお前に向かって嘆きの歌をうたって言う。ああ、あなたは滅びてしまった。海のかなたから来て住み着き 誉れある町となったのに。この町とそこに住む民は海のつわものとなり 海に住むすべての者を震え上がらせたのに。

26:18 今や、その島々はあなたの倒れた日におののき 海の島々は、あなたの終わりを見て恐れる。

27:33 お前は海を越えて商品を輸出し 多くの国々の民を飽き足らせ 豊かな富と産物で、地上の王たちを富ませた。

28:1 主の言葉がわたしに臨んだ。

28:2 「人の子よ、ティルスの君主に向かって言いなさい。主なる神はこう言われる。お前の心は高慢になり、そして言った。『わたしは神だ。わたしは海の真ん中にある神々の住みかに住まう』と。しかし、お前は人であって神ではない。ただ、自分の心が神の心のようだ、と思い込んでいるだけだ。

28:16 お前の取り引きが盛んになると お前の中に不法が満ち 罪を犯すようになった。そこで、わたしはお前を神の山から追い出し 翼で覆うケルブであるお前を 火の石の間から滅ぼした。

○2-4節

9:2 それらの地に境を接するハマト、知恵に抜きん出たティルスとシドンもそうだ。

9:3 ティルスは自分の砦を築き、塵のように銀を、野の土くれのように金を集めた。

9:4 しかし、見よ、主はその町を陥れ、富を海に投げ込まれる。火は町を焼き尽くす。

 銀、金を集めた。 多くの富を手に入れて、これで良しとした。

 欲しいものを次々と手に入れて行った。 自分は何でもできる、何でもしても良いと錯覚した。自分は神のような存在だと考えた。 全くの思い上がり、間違い。 すべてを失うことになるとの預言。

ペリシテ人の高ぶり(6節)。

 高ぶりを絶つとの御言葉 高ぶりの罪 恐ろしい

 何をしても構わない。 そのことで、人が苦しもうとも知らない、関係ない、どうでもよい。 それは許されない罪

 今、ロシアの一番上に立つプーチンという人は、そのようなことを平気で行っている。 それは間違ったこと。

 でも、政治的なこと、国際政治のこと、いろいろな意見があるので、誰々、どこどこの国が悪いという問題だけではない。

 すべての人、すべての国は、高ぶりに陥る可能性がある。いや、高ぶりの中に身を置いているのではないかとわが身を振り返ることが大切だ。

 

★ろばの子に乗って

 ろばの子に乗って

 この箇所の預言が、まさに主イエスのエルサレム入城の時になされた。

◎9-10節

9:9 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。

9:10 わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ 諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ 大河から地の果てにまで及ぶ。

 

○マルコ21:1-11

11:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、

11:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。

11:3 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」

11:4 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。

11:5 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。

11:6 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。

11:7 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。

11:8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。

11:9 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に 祝福があるように。

11:10 我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」

11:11 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

 

○マタイ21:1-11

21:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、

21:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。

21:3 もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」

21:4 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

21:5 「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」

21:6 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、

21:7 ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。

21:8 大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。

21:9 そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」

21:10 イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。

21:11 そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。

  馬ではなく、ろばに乗って

 馬は、足が速い、軍馬となる。 力、特に軍事力の象徴

 ろばは、黙々と荷物を運ぶ。 平和を指し示す。

主イエスは、馬ではなく、ろばに乗って、エルサレム入城を果たされた。

 平和の主として来られたお方。

わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ 諸国の民に平和が告げられる。(10節)。

 戦車、軍馬、戦いの矢を絶つと

今ウクライナで起きていることは、恐ろしいこと

 一日も早く、このことが終結するように。 ウクライナのためにも、世界のためにも、ロシアのためにも。

  人間的な駆け引き、策、作戦があることでしょう。でも、それで良いのでは決してない。

  平和が戻るように。 ウクライナの地に、世界に、そしてロシアにも

  

★主に立ち返れ

ユダ(南ユダ)とエフライム(北イスラエル)

 ユダとエフライムが主によって、握られ、用いられる。

  矢として用いらえれる。 大切な御用のために。

 ユダとエフライムは、今は苦しみの中にあるが、必ず、主は回復させ、用いられる。 希望の約束

◎11-17節

9:11 またあなたについては あなたと結んだ契約の血のゆえに わたしはあなたの捕らわれ人を 水のない穴から解き放つ。

9:12 希望を抱く捕らわれ人よ、砦に帰れ。今日もまた、わたしは告げる。わたしは二倍にしてあなたに報いる。

9:13 わたしが引き絞るのはユダ エフライムもわたしは弓として張る。シオンよ、わたしはあなたの子らを奮い立たせ あなたを勇士の剣のようにして ヤワンよ、お前の子らに向かって攻めさせる。

9:14 主は彼らの前に現れ その矢は稲光のように飛ぶ。主なる神は角笛を響き渡らせ 南からの暴風と共に進まれる。

9:15 万軍の主は彼らの盾となられる。放たれた石は敵に食らいついて倒し 血をぶどう酒のように飲み 鉢や祭壇の四隅のように血で満たされる。

9:16 彼らの神なる主は、その日、彼らを救い その民を羊のように養われる。彼らは王冠の宝石のように 主の土地の上で高貴な光を放つ。

9:17 それはなんと美しいことか なんと輝かしいことか。穀物は若者を新しいぶどう酒はおとめを栄えさせる。 

  今クリスチャンとして、何をなすべきか?

   一日も早く、このむごい戦争が終わることを願い、祈る者でありたい。

 ヤワン それがギリシャを指す。 このゼカリヤの時代は、ペルシャの全盛期

 それからさらに200年経つと、ギリシャのアレキサンダー大王が現れ、ギリシャの全盛期に移り変わる。

 その先のこと、200年先のことも預言している。

 そのヤワンによって、支配され、苦しみの時を過ごさねばならない。  

  しかし、そのヤワンもやがて斥けられる。

◎11-12節

9:11 またあなたについては あなたと結んだ契約の血のゆえに わたしはあなたの捕らわれ人を 水のない穴から解き放つ。

9:12 希望を抱く捕らわれ人よ、砦に帰れ。今日もまた、わたしは告げる。わたしは二倍にしてあなたに報いる。

  主が、解放の時を与えてくださる。

  解き放たれる時を

 ウクライナの国の人々 今は、どん底の中にある。 命の危機 解放の時、助け出される時が一日も早く来ますように。

  私たちもまた苦しみを経験する

  ウクライナの人が今経験していることの比べたら、その苦しみは、10分の一、100分の一かもしれない。それでも、苦しみの中では、それがすべてのように思える。

  解放の時、出口は備えられている。 主にあって。 主に信頼したい。

  砦に帰れとは、主に立ち返れということ

 主に立ち返る。

  主と関係なく歩むことをやめて、主に立ち返れと

  自分の力、知恵、持ち物だけを頼りに歩むことをやめて、主に立ち返れと呼び掛けられている。

◎16節

 9:16 彼らの神なる主は、その日、彼らを救い その民を羊のように養われる。彼らは王冠の宝石のように 主の土地の上で高貴な光を放つ。

  主が救ってくださる。

羊のように養ってくださる。 良き羊飼いとなり、ねんごろに養ってくださる。

 今は、埋もれ、光を放つどころではない。 しかし、やがての時に、しかるべき時に、主は私たちそれぞれを王冠の宝石のように輝かせてくださる

 なんという慰め、励ましの約束でしょう。

 

 

4月6日() 祈祷会 奨励メモ

      「御言葉を待ち望め」     詩編119編105-128節

 

★苦しみを受ける

  人生の歩みにおいて、苦しみの中を通る時がある。

  困難な事柄が起きる。思い通りに歩みが進まない。・・

  心がつらくなる、心が弱る、下ばかりを向いてしまう。

107110115118119121122

119:107 わたしは甚だしく卑しめられています。

119:110 主に逆らう者がわたしに罠を仕掛けています。

119:115 悪事を謀る者よ、わたしを離れよ。

119:118 あなたの掟から迷い出る者は ことごとく打ち捨てられました。彼らは欺く者、偽る者です。

119:119 この地であなたに逆らう者はことごとく 金かすのように断ち滅ぼされました。

119:121 わたしは正しい裁きを行います 虐げる者にわたしをまかせないでください。

119:122傲慢な者がわたしを虐げませんように。

  自分を、自分たちを苦しめる者、 虐げる者、 罠を仕掛ける者

  特定の者から、特定の者たちから

  主に従う自分、従おうとしている自分に対して

  それは、本当に辛く、苦しいことです。

  一時的でなく、短期間でなく、長く、長期間にわたっての攻撃

  軽い攻撃ではなく、激しい攻撃 つぶれそうになる。

 

★そのような中で、どうしたら良いのか?

 対抗するには、エネルギーが必要、 そうしたとしても、エネルギーは限りがある、それは枯渇しそう。 弱り果てる、疲れ果てる。 悶々とした苦しい日々。 何とかそこから抜け出したいと願う。 

 その時に必要なことの一つは、退避、その現場から身を引くこと。 

 その前線に立ち続けることは、まさにエネルギーを使い続けること 

 しばし、休息することが必要。休息して、エネルギー補充 とにかく、休むこと。 休息していても、受けた苦しみ、味わった苦しみがトラウマとなって、思い出される。

    

★主のもとで憩う。

  どこで憩うか その辛かったことを忘れよう。 仕事、バカンス、・・

  その時には、一時的に忘れていても、また思い出される。

 主のもとで憩う。 主に御手の中で、主の御懐の中で。 主のもとに逃げ込む

  嵐がやってくる。 激しい風、激しい波 

   小舟であれ、大きな船であれ、その中で航海を続けることはしない。

   港に帰る。

  私たちも、主のもとに逃れましょう。

   主に自らの思いを申し上げましょう。

107

119:107 わたしは甚だしく卑しめられています。主よ、御言葉のとおり 命を得させてください。

*新改訳

119:107 私はひどく悩んでいます。主よ。みことばのとおりに私を生かしてください。

116

119:116 あなたの仰せによりすがらせ 命を得させてください。わたしの望みを裏切らないでください。

*新改訳

119:116 みことばのとおりに私をささえ、私を生かしてください。私の望みのことで私をはずかしめないようにしてください。

117

119:117 わたしを支えてください そうすればわたしは救われます。いつもあなたの掟に目を注ぎます。

*新改訳

119:117 私をささえてください。そうすれば私は救われ、いつもあなたのおきてに目を留めることができましょう。

  この私を支えてください。これ以上立っていられません。支えてください。

 命を得させてください。 命が枯渇しそうです。死んだも同然です。生きる気力を失っています。

 小学生の時だったか、川で一度一瞬溺れそうになった。

  向こう岸まで泳ぎ、もう着くと思ったのに、まだつかない、息が切れそう。

  一瞬、これはまずいと思った。でも、顔をあげると一つのことが分かった。まだ半分ではなく、あと少しだということが。心のパニックが和らぐ、あと少しだ、泳ぎ切れると思って泳ぎ、向こう岸に着いた。パニックのままだったら、溺れたかもしれない。 パニックが和らいだことで、落ち着いて泳ぎ、向こう岸に着くことができた。

  主に祈りましょう。主に申し上げましょう。

 「主よ、助けてください。」、「主よ、支えてください。」、「主よ、生かしてください。」、「今、私は、自分はこのような状態です。枯れはてています。疲れ切っています。 これ以上は無理です。もう限界です。」と

 宮崎や鹿児島には『えぎれ(餌切れ)』という方言がある。単なる空腹状態ではなく、冷や汗や脱力を伴うかなりひどい低血糖状態を指す言葉。

「もう、今えぎれです」と

 

★主の御言葉

105107108109111112114115116 、119

119:105 あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。

119:107主よ、御言葉のとおり 命を得させてください。

119:108 わたしの口が進んでささげる祈りを 主よ、どうか受け入 あなたの裁きを教えてください。

119:109 わたしの魂は常にわたしの手に置かれています。それでも、あなたの律法を決して忘れません。

119:111 あなたの定めはとこしえにわたしの嗣業です。それはわたしの心の喜びです。

119:112 あなたの掟を行うことに心を傾け わたしはとこしえに従って行きます。

119:114 あなたはわたしの隠れが、わたしの盾 御言葉をわたしは待ち望みます。

119:115わたしはわたしの神の戒めを守る。

119:116 あなたの仰せによりすがらせ 命を得させてください。わたしの望みを裏切らないでください。

119:119それゆえわたしはあなたの定めを愛します。

 

 主の御言葉 主よりの語り掛け

 人の語り掛け 慰めを受けることはある。 でも、それはやはり一時的なもの。 その語り掛けが変わる時もある。 その人もいつか去って行くこともある。

 主の語り掛け  御言葉を通して、主の語り掛けを聞く、受け止めることは幸いなこと。 その御言葉の主は変わることがないお方。

 

107110115118119121122

119:107 わたしは甚だしく卑しめられています。

119:110 主に逆らう者がわたしに罠を仕掛けています。

119:115 悪事を謀る者よ、わたしを離れよ。

119:118 あなたの掟から迷い出る者は ことごとく打ち捨てられました。彼らは欺く者、偽る者です。

119:119 この地であなたに逆らう者はことごとく 金かすのように断ち滅ぼされました。

119:121 わたしは正しい裁きを行います 虐げる者にわたしをまかせないでください。

119:122傲慢な者がわたしを虐げませんように。

 逆らう者、欺く者

  外の誰かであるだけでなく、自分の内にそのような者を見ることがあるかもしれない。 主に逆らう心。主の御声を聞かずに歩もうとする自分

その中での恐れの心

◎20節

119:120 あなたを恐れてわたしの身はすくみます。あなたの裁きを畏れ敬います。

新改訳

119:120 私の肉は、あなたへの恐れで、震えています。私はあなたのさばきを恐れています。

主の裁きを恐れる。 他の人にではなく、自分自身への裁き

自分自身が裁かれるのではないか、裁かれているのではないかと恐れる。

 

122節

119:122 恵み深くあなたの僕の保証人となってください。

 『みことばの光』 

 信仰者は、ただ神の恵みによって、主に信頼することによって「幸いの保証人」として来てくださったキリスト・イエスにあって、救いに与ることができる。 祈ろう 「主よ、あなたが私の幸いの保証人となってくださることを感謝します。」

 保証人 

  救いの保証人 自分自身がなることがある。

   自分の受けとめ、確信 確かに見えても、決してそうではない。

   自分の気分、感情は、その時々で変わってしまう。

   アップ、ダウン。 ジェットコースター

  救いの保証人 他の人がなる

   他の人もまた、変わってしまう。 どこかに行ってしまう。

 救いの保証人

  それは、主ご自身、主イエスご自身、聖霊なる神

  主ご自身が保証人となってくださる。その幸い。

 

★み言葉を待ち望め

 御言葉を待ち望む。

◎114節

119:114 あなたはわたしの隠れが、わたしの盾 御言葉をわたしは待ち望みます。

 主の語り掛け

  それは、直接耳に聞こえるというよりも、心に響く。

  御言葉を通して、心に響く。 その御言葉を心にとめつつ歩んでいきましょう。

 

4月13日() 祈祷会 奨励メモ

       「燃え盛る炉の中で」     ダニエル書3章16-30節

 

★力はどこから

  力はどこから来るか

   1)普段の中から   2)特別の中から

 1)普段の中から 

  テストで良い成績 急にはできない 普段勉強していなくては無理 普段の勉強、その結果として良い成績

  サッカーの試合 普段の練習によって、脚力、技術

 2)特別の中から

   火事場のばか力 普段は運べないような重い物も 運び出していた

   追い込まれた中で、集中して

 

 力はどこから

   1)自分の中から     2)外から

  1)自分の中から   自分の実力、頑張りによって

  2)外から  他の人から励まされて、支えられて 特別な力を注がれて

 

★困難の中で

 急に襲って来た困難

  1)自然相手  地震、水害、・・

  2)世界の流れ  不況、パンデミックの病(コロナ)、・・

  3)人災  人によってもたらされる大変さ

   今起きているウクライナにおける戦争

   ロシアの指導者である者 本当に身勝手

   自分の勝手な考え、思い込みに過ぎないのに、選択肢はこれしかなかった。とんでもないこと 選択肢はいくつもある。それなのに、自分が勝手にこれしかないと そのことで、ウクライナの多くの人を苦しめ、命を奪い、町を破壊し、・・ この降ってわいた出来事 最も痛ましい戦争

  一日も早く、この大変なことが終結するようにと願い、祈りましょう。

  

★その時にどう向かい合うか

  心備えは、どうか? できているか

  急にやって来る 押しつぶされんばかりに そのことが自分を沿いつぶさんばかりに 不安と恐れ、うつ、パニック

   

★3名の若者が経験したこと

 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ

 バビロン捕囚として、イスラエルから連れて来られた者たち

 天の神を心から信じる者たち

 天の神を信じ、その神のみ旨に沿いたい、神に御心を一番大切にして日々過ごしていた。

 

○ダニエル3:1-15

 

ネブカドネツァル王の命令 金の像 自分自身を模して作ったのではないか それを拝め 拝めばよし、拝まなければ、命はない 脅し、圧力

 自分の思うままに、 自分の権力をほしいままに 

 自分を神として、すべての者を従わせる。従わない者、歯向かう者は許さないという圧力、権力の誇示

 それに対して、すべての者は、平伏した。

 ところが三人の者は違った。平伏さない、決して金の像を拝まない。

 

★三人の主張

  王の尋問に対して 

  神を仰ぎつつ、主張

◎16-18節

3:16 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。

3:17 わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。

3:18 そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。

 真の神以外は拝みません。 神は、救ってくださいます。 神は、見捨てず、守り支えてくださいます。 主はそのような方です。

 たとえそうでなくても 自分たちが願う通りにならないことがあったとしても、神への真実を尽くします。 決して金の像は拝みません。

この非常事態の中で、もうどうすることもできない状況の中で、彼らは、そう申し上げた。

 そう主張することは何を意味するかを知らないわけではなかった、ちゃんと知っていた。 それでも、そう主張した。自分たちの信仰を表明をした。

 それはおかしいです。それは間違っています。 普通は恐れがあって、なかなかできない。 しかし、三人の若者は主張した。

 

★その後の出来事

 三人は、炉の中に投げ込まれた。 絶体絶命

◎19-30節

3:19 ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。

3:20 そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。

3:21 彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。

3:22 王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。

3:23 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。

3:24 間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」

3:25 王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」

3:26 ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。

3:27 総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。

3:28 ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。

3:29 わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」

3:30 こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。

 熱い炉の中に投げ込まれた。 それでおしまいだと思われた。 ところがそうでなかった。 もう一人の者の姿 その者は、天の神からのみ使い 神の子のような姿だった。

 3人の若者は守られた。 特別に守られた。激しい熱、炎から守られた。

 

○イザヤ書43:1-2

43:1 ヤコブよ、あなたを創造された主は イスラエルよ、あなたを造られた主は 今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。

43:2 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず 炎はあなたに燃えつかない。 

 まさに、火の中を歩いても焼かれず、炎は燃えつかなかった。

 神の特別な守り、支えがあった。

 

三人は、炉から出ることを許された。

王の驚き。そして、王の命令。

◎28-29節

3:28 ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。

3:29 わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」

 

★証しを立てること

 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は、証しを立てた。

彼らが信じる神があがめられた。

 証しを立てることは、簡単ではない。 でも、主を仰ぎ従う時に、証しが立てられる。 どんな時にも、神を仰ぎ従って行きましょう。

 

*赤塚達子姉を思い出す。

  略歴

  1948年4月 8日 北九州で生まれる。

  1966年 7月 3日  洗礼を受けクリスチャンとなる。 18歳

  1975年 6月28日 赤塚隆二さんと結婚 二女を与えられる。

  2018年 10月22日 召天 70歳               

 すい臓がんの診断 1年4カ月後、召天

 苦しみの中で、主を仰ぎ、天国に行くことができる確信、平安

 その姿を通して、ご主人が後に求道。そして洗礼を受けられた。 今も主を仰ぎ信じ歩まれている。

 

★燃え盛る炉の中で

 燃え盛る炉の中に投げ込まれる

  まさに、そのような厳しい状況に置かれることがあるかもしれない。

  その中にあって、主を仰ぎ、主に信頼したい。 主に信頼し、従って行きましょう。

 自分を飲み込むばかりの力に囲まれる、そのような中で、主を仰ぎましょう。

 自分の思い通りにはいかないかもしれない。 その中でも、主に依り頼み歩んでいきましょう。

 自分の頑張りは限界がある。自分の力にも限界がある。 主に祈りつつ、歩んでいきましょう。

 

 

4月21日() 祈祷会 奨励メモ

      「祈りをやめなかったダニエル」  ダニエル書6章1-29節

 

★大事にしていること

  それぞれ、大事にされていることがあるでしょう。

  朝の散歩、 朝のラジオ体操、 ジョギング、 野菜をしっかり摂ること、 友達とのおしゃべり、 読書、 映画鑑賞、 自分の趣味(山登り、・・)

 これが抜けると、調子が出ない。

  

★それが、できないことがある

 雨の日がずーと続いて、 体調が悪く、病気になって、入院、 眼が悪くなって、  仕事が忙しく、・・ それができないことがある。 それは、とても残念なこと。

 時に、いろいろな理由で、人から邪魔される。 禁止される。 妨害される。

 恐喝される してはいけない、するなと

 

★ダニエルの場合

  ダニエルは、メディアの国、ダレイオス王のもとで、立てられた3人の大臣 

 の一人 一番優れていた。 

他の大臣や総督は、ダニエルには勝つことができない。 彼らからねたみを買い、その地位から追い出そう。 ダニエルを消しされば良いと

◎1-10節

6:1 さて、王国を継いだのは、メディア人ダレイオスであった。彼は既に六十二歳であった。

6:2 ダレイオスは、王国に百二十人の総督を置いて全国を治めさせることにし、

6:3 また、王に損失がないようにするため、これらの総督から報告を受ける大臣を三人、その上に置いた。ダニエルはそのひとりであった。

6:4 ダニエルには優れた霊が宿っていたので、他の大臣や総督のすべてに傑出していた。王は彼に王国全体を治めさせようとした。

6:5 大臣や総督は、政務に関してダニエルを陥れようと口実を探した。しかし、ダニエルは政務に忠実で、何の汚点も怠慢もなく、彼らは訴え出る口実を見つけることができなかった。

6:6 それで彼らは、「ダニエルを陥れるには、その信じている神の法に関してなんらかの言いがかりをつけるほかはあるまい」と話し合い、

6:7 王のもとに集まってこう言った。「ダレイオス王様がとこしえまでも生き永らえられますように。

6:8 王国の大臣、執政官、総督、地方長官、側近ら一同相談いたしまして、王様に次のような、勅令による禁止事項をお定めいただこうということになりました。すなわち、向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる、と。

6:9 王様、どうぞこの禁令を出し、その書面に御署名ください。そうすれば、これはメディアとペルシアの法律として変更不可能なものとなり、廃止することはできなくなります。」

6:10 ダレイオス王は、その書面に署名して禁令を発布した。

 ダニエルを陥れるたくらみ

 ダニエルを陥れる法律を作り、ダレイオス王に進言。

 ダレイオス王は、承認。 法律ができた。

 

★窮地に追いやられたダニエル

 王以外の者にお祈りをしたならば、ライオンの洞窟に投げ込まれる。

 これは、まずい。 これは大変だ。ひそかにお祈りをするか?

 ダニエルは、どうしたか? 今までと同じようにお祈りした。

◎11節

6:11 ダニエルは王が禁令に署名したことを知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた。

  二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずいて

 日に三度の祈りと讃美を神に向かって捧げた。

 これをやめるわけにはいかない。 これは最も大切なこと。 これをやめることは呼吸をやめるようなもの どんなに脅されても、それをしたら命がないと言われても、これだけはやめない。

 

 *ウクライナの人たち

  ロシアから。降伏せよ、そうしたら、命は奪わないと言われても、そうするわけにはいかない。 降伏したなら、一時的には命は保証されても、一生涯、自由、人権が奪われてしまう。 決して譲れないものがある。

  ロシアは一方的に侵略して来て、降伏すれば、・・ とんでもないこと。 

自分たちの自由、人権、喜び、希望 それを渡すことはできない。

 

 ダニエルにとって、祈りは神さまとのつながり。 それは、生きることそのものだった。 神とのつながり。

 神に対して、賛美する。 神を礼拝すること。神とお話しすること。 

 どんなに脅されようとも、 どんなに脅迫されても、やめることはできない。

 神につながって生きること、それが最大の喜びであり、感謝であった。

 

★ダニエルの運命はいかに

 ダニエルは訴えられた。 法律によって、裁かれることになった。

  ライオンの洞窟の中に

  苦悩するダレイオス王

◎12-29節

6:12 役人たちはやって来て、ダニエルがその神に祈り求めているのを見届け、

6:13 王の前に進み出、禁令を引き合いに出してこう言った。「王様、向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者があれば、獅子の洞窟に投げ込まれるという勅令に署名をなさったのではございませんか。」王は答えた。「そのとおりだ。メディアとペルシアの法律は廃棄されることはない。」

6:14 彼らは王に言った。「王様、ユダヤからの捕囚の一人ダニエルは、あなたさまをも、署名なさったその禁令をも無視して、日に三度祈りをささげています。」

6:15 王はこれを聞いてたいそう悩み、なんとかダニエルを助ける方法はないものかと心を砕き、救おうとして日の暮れるまで努力した。

6:16 役人たちは王のもとに来て言った。「王様、ご存じのとおり、メディアとペルシアの法律によれば、王による勅令や禁令は一切変更してはならないことになっております。」

6:17 それで王は命令を下し、ダニエルは獅子の洞窟に投げ込まれることになって引き出された。王は彼に言った。「お前がいつも拝んでいる神がお前を救ってくださるように。」

6:18 一つの石が洞窟の入り口に置かれ、王は自分の印と貴族たちの印で封をし、ダニエルに対する処置に変更がないようにした。

6:19 王は宮殿に帰ったが、その夜は食を断ち、側女も近寄らせず、眠れずに過ごし、

6:20 夜が明けるやいなや、急いで獅子の洞窟へ行った。

6:21 洞窟に近づくと、王は不安に満ちた声をあげて、ダニエルに呼びかけた。「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか。」

6:22 ダニエルは王に答えた。「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。

6:23 神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません。」

6:24 王はたいそう喜んで、ダニエルを洞窟から引き出すように命じた。ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。

6:25 王は命令を下して、ダニエルを陥れようとした者たちを引き出させ、妻子もろとも獅子の洞窟に投げ込ませた。穴の底にも達しないうちに、獅子は彼らに飛びかかり、骨までもかみ砕いた。

6:26 ダレイオス王は、全地に住む諸国、諸族、諸言語の人々に、次のように書き送った。「いっそうの繁栄を願って挨拶を送る。

6:27 わたしは以下のとおりに定める。この王国全域において、すべての民はダニエルの神を恐れかしこまなければならない。この神は生ける神、世々にいましその主権は滅びることなく、その支配は永遠。

6:28 この神は救い主、助け主。天にも地にも、不思議な御業を行いダニエルを獅子の力から救われた。」

6:29 こうしてダニエルは、ダレイオスとぺルシアのキュロスの治世を通して活躍した。

 法律にのっとり、ダニエルは、ライオンの洞窟に投げこまれた。

 心配するダレイオス王 翌朝にライオンの洞窟のところへ

 なんと、ダニエルは生きていた。 ライオンに襲われ、食べられることはなかった。 驚くべきことが起きた。

 ライオンはダニエルを襲わなかった。 ライオンの口はふさがれた。

 

ダレイオス王は、喜んだ。 ダニエルが信じる神を崇めた。

 ダニエルを陥れようとした者たちをライオンの洞窟に投げこんだ。

 その者たちは、ライオンに襲われかみ砕かれてしまった。

 

これだけは外せない。これは一番大切なもの

  自分の人権、思想、信仰の自由、行動の自由、選択の自由

  それを奪い取ろう。 それを制限することに対しては、断固拒否。

  ウクライナの人たち 自分たちの国の歩み、今の歩み、そして将来の歩み

  自分たちが決める これは誰も侵すことはできない。

 それを奪おうとするロシア それは完全に間違っている。

  正義の戦い、自由のための戦い 今、大変な中にある。 守られるように。

 

★祈りをやめなかったダニエル 

 今日の箇所においては、ダニエルにとって

  信仰の自由 神を礼拝すること、神を賛美すること、神に向かって祈ること

  これは、外すことができないことだった。 命がけで貫いた。

   神は、ダニエルのその思いを受け取ってくださった。

  私たちは、どう歩むか? キリスト信仰の歩みを貫いて行きましょう。

 

 

4月27日() 祈祷会 奨励メモ

      「不法の者が現れる」        ダニエル書11章21-45節 

 

★とんでもない者

 特別な才能の持ち主

  音楽、 数学、 将棋、 IT ・・ さまざまな分野で 画期的な作品、画期的な活躍 他の人を励ます。 他の人に益をもたらす。 そのような人がいる。 

一方、他の人に大いに迷惑を及ぼす。 他の人を苦しめる人がいる。 一人の人によって、多くの人が苦しむ。 悲しい現実がある。

 

★ダニエルが幻のうちに告げられたこと

  これから起きること

  ダニエルが紀元前534年頃にこの幻を受けた。二世紀後に起こる出来事を。

○ダニエル書10章1-20節 

 ペルシャの国にキュロス王、その後に次々と王が

 3人の王のこと もう一人の王

 ペルシャの国の後には、ギリシャの国

勇壮な王(3節)とは、アレキサンダー大王

 アレクサンダー大王の後、4つの国に分かれる。

  その中の二つがシリアのセレウコス王朝とエジプトのプトレマイオス王朝

  このシリアとエジプトとの間に争い

 

★卑しむべき者の出現

 実際の歴史の中では、多くの人を苦しめた人、苦しめている者がいた。

 そして、今もいる。

 ダニエルに告げられたこと

 その卑しむべき者(卑劣な者) それは、アンティパス・エピファネス

 

 とんでもない者

◎21-24節 

11:21 代わって立つ者は卑しむべき者で、王としての名誉は与えられず、平穏な時期に現れ、甘言を用いて王権を取る。

11:22 洪水のような勢力も彼によって押し流され、打ち破られ、契約の君も破られる。

11:23 この王は、僅かの腹心と共に悪計を用いて多くの者と同盟を結び、勢力を増し、強大になって行く。

11:24 平穏な時期に彼は最も豊かな地方を侵略し、先祖のだれもしたことのないようなことを行い、戦利品や財宝を分配する。また、諸方の砦に対して計略を練るが、それは一時期のことである。

 甘言を持って王権を取る 悪系を用いて、勢力を増し、強大になっていく。

 侵略し、奪う そして、南の国エジプトとの戦い

 その中間にあったのがユダヤの国

 神の背く思いを持って、ユダヤの国を荒らす。 ユダヤ教徒に対しての迫害

 神殿を汚した。

◎28-33節 

11:28 北の王は莫大な富を獲得して自国に引き揚げる。聖なる契約に逆らう思いを抱いて、ほしいままにふるまい、自国に帰る。

11:29 時が来て、彼は再び南に攻め入るが、これは最初でも最後でもない。

11:30 キティムの船隊が攻めるので、彼は力を失う。彼は再び聖なる契約に対し、怒りを燃やして行動し、また聖なる契約を離れる者があることに気づく。

11:31 彼は軍隊を派遣して、砦すなわち聖所を汚し、日ごとの供え物を廃止し、憎むべき荒廃をもたらすものを立てる。

11:32 契約に逆らう者を甘言によって棄教させるが、自分の神を知る民は確固として行動する。

11:33 民の目覚めた人々は多くの者を導くが、ある期間、剣にかかり、火刑に処され、捕らわれ、略奪されて倒される。

  豚を神殿に持ち込み祭壇の上に捧げた。ゼウス神を祭る

 ユダヤ人の信仰を踏みにじる 迫害、弾圧 大きな苦しみが起きる 棄教を迫る。 そのような時にあって、主に従い続ける者たち

◎32節

11:32 契約に逆らう者を甘言によって棄教させるが、自分の神を知る民は確固として行動する。

 自分こそは一番偉いものだ、一番上に立つ者だ。 自分は神のようなものだ。  

 自分に従えと とんでもない者

 そのような厳しい中で、信仰を捨てない、信仰を持って、進む。

 

◎36-38節

11:36 あの王はほしいままにふるまい、いよいよ驕り高ぶって、どのような神よりも自分を高い者と考える。すべての神にまさる神に向かって恐るべきことを口にし、怒りの時が終わるまで栄え続ける。定められたことは実現されねばならないからである。

11:37 先祖の神々を無視し、女たちの慕う神をも、そして他のどのような神をも尊ばず、自分を何者にもまさって偉大であると思う。

11:38 代わりに、先祖の知らなかった神、すなわち砦の神をあがめ、金銀、宝石、宝物でこれを飾り立てる。

 

★不法の者

 不法の者の現れ

○マタイ24:4-22

24:4 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。

24:5 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。

24:6 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。

24:7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。

24:8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。

24:9 そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。

24:10 そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。

24:11 偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。

24:12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える

24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

24:14 そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」

24:15 「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――

24:16 そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。

24:17 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。

24:18 畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。

24:19 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。

24:20 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。

24:21 そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。

24:22 神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。

 

○テサロニケ二2:3-10

2:3 だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。

2:4 この者は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです。

2:5 まだわたしがあなたがたのもとにいたとき、これらのことを繰り返し語っていたのを思い出しませんか。

2:6 今、彼を抑えているものがあることは、あなたがたも知っているとおりです。それは、定められた時に彼が現れるためなのです。

2:7 不法の秘密の力は既に働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです。

2:8 その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます。

2:9 不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、

2:10 そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。

  不法の者はついには滅ぼされる。

 

◎45節

11:45 海とあの『麗しの地』の聖なる山との間に天幕を張って、王の宿営とする。しかし、ついに彼の終わりの時が来るが、助ける者はない。

 不法の者を最後には、滅ぼされる。

 忍耐をしつつ、主に従い続けていきましょう。

 

 

5月19日() 曽根合流祈祷会 奨励メモ

      「帰還した捕囚の民」       エズラ記2章1-58節

 

★喜び

 日々の歩みの中での喜び

  おいしい食事を食べた。 楽しいテレビ番組を見た。 ・・

 1年の歩みにおいての喜び

  なかなか行けなかったところに行くことができた。

  なかなか会えなかった人に会うことができた。

 最大の喜びの一つ それは、苦しみからの解放ではないでしょうか。

  入院していたところから、退院できた。

  制限された中から、その制限が取り除かれた。

  閉じ込められたところから、出ることができた。

  ウクライナの人たちを覚える。

  望まない戦争に巻き込まれた。 その戦争が終わる時が来たならどんなに嬉しいだろう。 国外に出るしかなかった人たちが多くいる。その人たちが自分の国に帰ることができる日が来ることを願いますし、その日が来たならどんなに嬉しいことでしょう。

 

★苦しみの日々からの解放

  苦しみの日々から喜びの日を迎える 

  ユダヤの民にとっての苦しみの日々の代表は、国が滅ぼされたこと

   北イスラエル、南ユダ

   アッスリアによって、バビロニアによって町は破壊され、遠い地に連れて行かれる。 特に南ユダの人たちはバビロン捕囚の民となる。

  自分で国外に出るのではなく、遠いバビロンに連れて行かれる。 どんなにか悲しくつらいことだったでしょう。 その捕囚の期間、1カ月ではない、半年ではない、数十年 一番長い人で70年間 気が遠くなる期間、 人生が終わってしまう。 その苦しみの中に投げ込まれた。

 しかし、その苦しみから解放される時が来た。 それこそ、このエズラ記の第1章で描かれていること

 バビロニアがペルシャの国によって滅ぼされる。 今度は、バビロニアからペルシャの支配 支配されていることは変わらない。 しかし、一つの門が開かれた。 ペルシャの王キュロスの命令

 自分たちの国に帰っても良い。町を、国を立て直しても良い。 特にエルサレムの町の再建、神殿の再建っをしても良いとの許可

 それは夢のようであった。でも、実際に起きた。

 

★喜びを実際のものにするには困難が伴う

  夢のような知らせ、夢のようなできごと

  それは、大きな喜び それを味わうのは一瞬、一日、一週間 それはどういう意味か?  その知らせによって喜びに酔いしれるその一日、その1週間

 その喜びを実際のものにする  その喜びを1年のものにする、10年のものにする、100年のものにするには、その開かれた道に進み出す必要がある。 喜びをもって進んで行く。

 その先には、実は大変さもある、困難がある。

  その開かれた先には、立て直しという困難がある。

 ウクライナの人たちも、これからその道を通ることでしょう。

  破壊された町、国の再建 気が遠くなるよう困難があることでしょう。

  でも、そのことがなされることを心から願います。

 ユダヤの民においても、その時が来た。

  自分の国に帰っても良い、町を、国を立て直しても良い。

  エルサレムの町の再建をしても良い、エルサレム神殿の再建をしても良い。

  予想される大きな困難、大変さ 簡単ではない。

 

★困難が予想される中で

  いろいろな反応、いろいろな人がいた。

  大きな困難が予想される。 関わらないでいよう。 その大きな困難が小さくなったら関わろう。困難がなくなったら関わろう。 さまざまな人がいた。

 その中で、その困難を予想しつつも、困難があることを知りつつも、立ち上がった人たちがいた。

 実際に立ち上がった人たちがいたという事実 これこそ、幸いなこと

 あれこれ批判する、あれこれ言うことは、難しいことではない。 あれこれ言って実際には何もしない、立ち上がらないという人もいたでしょう。

でも、何も言わずに立ち上がる人もいた。それこそ、この帰還の民 その帰還第1弾の人たち

 

★今日の聖書箇所

  帰還した捕囚の民

◎エズラ記2:1-58 

 

○64節

2:64 会衆の総数は、四万二千三百六十人であった。

 その人数は、42,360人であった。

 キュロス王の時、捕囚の民は全部で何人ほどであったことでしょう?

 ペルシャの国にとどまった人たちも多かった。

  その中で、第1弾での帰還 大きな困難が予想された。 

 その予想される困難を抱えつつも、4万を超える人たちが帰還した。

 町は破壊され、住む家もない。 食糧を調達することも大変。

 町の再建、神殿の再建、大変なこと それを知らなかったのではない、予想できなかったのでもない。 その中で、踏み出した人たちがいた。驚きであり、励まし。

 パイオニア、開拓者 道を切り開くこと。これは困難なこと

 その困難の中で道を切り開く。

◎1-2節 

2:1 捕らえ移された先から上って来たこの州の人々は次のとおりである。彼らはバビロンの王ネブカドネツァルによってバビロンに連行されたが、それぞれエルサレムとユダにある自分の町に帰った者たちである。

2:2 彼らはゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、セラヤ、レエラヤ、モルドカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと共に帰って来た。イスラエルの民の男子の数。

 ユダの総督シェアルティエルのゼルバベル

 大祭司ヨツァダクの子ヨシュア

 指導者をして働いた人の中に、ゼルバベルが、イエシャアがいた。

 4万を超える人々の内訳

 何何の一族 何人と列記されている。それぞれの一族のことが記されている。

◎3―35節

2:3 パルオシュの一族二千百七十二人、

2:4 シェファトヤの一族三百七十二人、

2:5 アラの一族七百七十五人、

2:6 パハト・モアブの一族、すなわちイエシュアとヨアブの一族二千八百十二人、

2:7 エラムの一族千二百五十四人、

2:8 ザトの一族九百四十五人、

2:9 ザカイの一族七百六十人、

2:10 バニの一族六百四十二人、

2:11 ベバイの一族六百二十三人、

2:12 アズガドの一族千二百二十二人、

2:13 アドニカムの一族六百六十六人、

2:14 ビグワイの一族二千五十六人、

2:15 アディンの一族四百五十四人、

2:16 アテル、すなわちヒズキヤの一族九十八人、

2:17 ベツァイの一族三百二十三人、

2:18 ヨラの一族百十二人、

2:19 ハシュムの一族二百二十三人、

2:20 ギバルの一族九十五人、

2:21 ベツレヘムの男子百二十三人、

2:22 ネトファの男子五十六人、

2:23 アナトトの男子百二十八人、

2:24 アズマベトの男子四十二人、

2:25 キルヤト・アリムとケフィラとベエロトの男子七百四十三人、

2:26 ラマとゲバの男子六百二十一人、

2:27 ミクマスの男子百二十二人、

2:28 ベテルとアイの男子二百二十三人、

2:29 ネボの男子五十二人、

2:30 マグビシュの一族百五十六人、

2:31 もう一人のエラムの一族千二百五十四人、

2:32 ハリムの一族三百二十人、

2:33 ロド、ハディド、オノの男子七百二十五人、

2:34 エリコの男子三百四十五人、

2:35 セナアの一族三千六百三十人。

  私たちも名前を残すためではない。

  今、主が立ちあがれ、今、取り組みなさいを命じられていることがある。

 それに応答する者でありたい。 主は共にあって、助けてくださる。

 

★直接主に仕える者

  帰還の民の目的  町の再建、国の再建、 エルサレムの再建、神殿の再建

 そのために働く そのことを心にとめつつ、帰還していった。

 実際に大きな困難があった。 それに取り組んんだ。

 今日注目したいのは、直接主に仕える者たちがいたということ。

◎36-58節

2:36 祭司。エダヤの一族、すなわちイエシュアの家族九百七十三人、

2:37 イメルの一族千五十二人、

2:38 パシュフルの一族千二百四十七人、

2:39 ハリムの一族千十七人。

2:40 レビ人。イエシュアとカドミエル、ビヌイ、ホダウヤの一族七十四人。

2:41 詠唱者。アサフの一族百二十八人。

2:42 門衛。シャルムの一族、アテルの一族、タルモンの一族、アクブの一族、ハティタの一族、ショバイの一族、合計百三十九人。

2:43 神殿の使用人。ツィハの一族、ハスファの一族、タバオトの一族、

2:44 ケロスの一族、シアハの一族、パドンの一族、

2:45 レバナの一族、ハガバの一族、アクブの一族、

2:46 ハガブの一族、シャムライの一族、ハナンの一族、

2:47 ギデルの一族、ガハルの一族、レアヤの一族、

2:48 レツィンの一族、ネコダの一族、ガザムの一族、

2:49 ウザの一族、パセアの一族、ベサイの一族、

2:50 アスナの一族、メウニムの一族、ネフシムの一族、

2:51 バクブクの一族、ハクファの一族、ハルフルの一族、

2:52 バツルトの一族、メヒダの一族、ハルシャの一族、

2:53 バルコスの一族、シセラの一族、テマの一族、

2:54 ネツィアの一族、ハティファの一族。

2:55 ソロモンの使用人の2一族。ソタイの一族、ソフェレトの一族、ペルダの一族、

2:56 ヤラの一族、ダルコンの一族、ギデルの一族、

2:57 シェファトヤの一族、ハティルの一族、ポケレト・ハツェバイムの一族、アミの一族。

2:58 神殿の使用人およびソロモンの使用人の一族、合計三百九十二人。

その合計は4,289人

42,360人の中の4,289人 一割強いたということ

 祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人 直接、神殿の御用に仕える者たち

 神殿再建のなる前に、第1弾の帰還者の中にいた。 神殿再建はなされると信じて、この者たちは加わった。 10分の一の人たち

 

教会においても、主に共に仕える。

 直接献身の者は教師3名

 それ以外に、主に心から仕える者、労を惜しまない者

 私たちの教会の現住陪餐会員 80名 その10分の一は8名

 不在会員も含めての教会の数は、137名 その10分の一は14名

 主に心から仕える者の存在

 私たちは、そのような者として招かれている。招きに応じて、歩んでいきましょう。 

 

★帰還した捕囚の民

  帰還の時が備えられていた。  絶望から希望へ その時は来た。

  その時に立ち上がる人たちがいた。

  困難はないわけではなかった。大きな困難があった。

しかし、主の守りと助けを信じ、そして願いつつ、立ち上がった人たちがいた。

  私たちも、さまざまなところを通る。 時に苦しみがあり、困難がある。

  長い期間を待つ必要があるかもしれない。

  でも、門が開かれる時が来る。 そのことを信じ待ちましょう。

 そして、門が開かれた時に、主に応答して立ち上がる者とさせていただきましょう。 

 

 

5月25日() 祈祷会 奨励メモ

      「書記官、祭司エズラの帰還」   エズラ記7章1-28節 

 

★外側と内側

 家の新築、マンション建設

  家やマンションが建てられる。 立派だなあ、素敵だなあ

  外から見て、とても素敵、立派  中もきっと素敵なことでしょう。

  中を見ることは、なかなかできない。 

  外側と内側 どちらも立派。 それは良いこと。

 もっと良いことは何でしょう。 そこに住む人たちの生活。 その生活が喜びに満ちていること、仲良く暮らしていること。 このことがもっとも大切。

 外側が立派、中も立派 ところがそこに住む人が、仲良く暮らさず、喧嘩ばかりだとしたら。本末転倒。

 

★大切な内側のこと

 私たち個人においても、外側の見える部分、 体格、見た目

 それよりも大切なこと 健康であること、心が元気であること、心に希望があること、喜びがあること。

 

★バビロン捕囚からの帰還

  苦しみ日々、絶望の日々からの解放  

バビロン捕囚の苦しみの日々、年月 そこからの解放、エルサレム帰還

 それは、ペルシャの王キュロスを通してなされた。

 バビロニアがペルシャに滅ぼされた。

 支配者が変わった。 そしてなんとその王キュロスからの帰還の許可

 

★民が取り組んだこと

  町の再建、 荒れ果てた町の再建。国の再建

  その象徴的なことが、エルサレム神殿の再建 さまざまな困難があったが、BC515年に完成した。 エルサレム神殿が再建された。 民の大きな喜び。

  念願だった神殿の再建がなった。夢のようだ。 喜び、感謝。

そのことがあって、王が次々に代わり、アルタクセルクセス王の時

 50年以上たっていた。 50年経つということは、世代が変わる時が過ぎて行った。 町も再建が進んだ。 外側の見える部分が整ってきた。

 内側がどうであったか?

 人々の心は、神さまから離れかけていた。 自分たちの生活のことは充実してきたが、心に喜びが乏しくなっていた。 神に心を向けて歩むことが乏しくなっていた。

 

★エズラという人物の登場

 エズラが、ペルシャの国の王から遣わされた。

◎エズラ記7:1-28

 

アルタクセルクセス王の第七年に BC458年

◎7-8節 

7:7 アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエルの人々、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人から成る一団がエルサレムに上り、

7:8 同王の第七年の第五の月にエルサレムに到着した。

エルサレム神殿の再建完成から57年、約60年経っていた。

 エズラが、使命を与えられてエルサレムに帰還した。

なんとペルシャの王アルタクセルクセス王の命令で。 全面的な信任を受けて。

 

★エズラは祭司であった。

◎1-5節

7:1 エズラの祖先は、父がセラヤ、祖父がアザルヤ、更にヒルキヤ、

7:2 シャルム、ツァドク、アヒトブ、

7:3 アマルヤ、アザルヤ、メラヨト、

7:4 ゼラフヤ、ウジ、ブキ、

7:5 アビシュア、ピネハス、エルアザル、そして祭司長アロンとさかのぼる。

 アロンの家系の祭司であった。

 

★エズラは書記官であった。

◎11-12節   

7:11 イスラエルに対する主の戒めと掟の言葉に精通した、祭司であり書記官であるエズラに、アルタクセルクセス王は親書を送った。以下はその写しである。

7:12 「諸王の王であるアルタクセルクセスは、天にいます神の律法の書記官、祭司エズラに心からの挨拶を送る。

◎21節

7:21 天にいます神の律法の書記官、祭司エズラの要求には、すべて怠りなくこたえるように、このアルタクセルクセス王がユーフラテス西方の全財務官に命令しておく。

 ペルシャ王のもとでの神の律法の行政官

   直接王に仕える者となっていた。

  単なる書記官ではない 神の律法の書記官であった。

◎口語訳 11.12節

7:11 主の戒めの言葉、およびイスラエルに賜わった定めに通じた学者で、祭司であるエズラにアルタシャスタ王の与えた手紙の写しは、次のとおりである。

7:12 「諸王の王アルタシャスタ、天の神の律法の学者である祭司エズラに送る。今、

◎新改訳 11.12節

7:11 アルタシャスタ王が、祭司であり、学者であるエズラに与えた手紙の写しは次のとおりである。――エズラは、主の命令のことばと、イスラエルに関する主のおきてに精通した学者であった。――

7:12 「王の王アルタシャスタ。天の神の律法の学者である祭司エズラへ。この件は完了した。

 学者であった。

  ペルシャの王、人々から一目置かれていた。 律法に詳しい学者

 

 アルタクセルクセス王の絶大な信任を受けていた。

◎13-26節 

7:13 さて、ここにわたしの命令を明記する。わが国にいるイスラエルの人々、祭司、レビ人でエルサレムに行くことを望む者はだれでも、あなたと共に行ってよい。

7:14 わたしは七人の顧問官と共にあなたに次の使命を託す。すなわちあなたにゆだねられた神の律法に従って、ユダとエルサレムの事情を調べること、

7:15 エルサレムに住まいを定められたイスラエルの神に、わたしと顧問官が寄進する金銀を持って行くこと、

7:16 またバビロニアの州の至るところであなたが得るすべての金銀を、民と祭司がエルサレムにある彼らの神殿に寄進する献げ物と共に持って行くことである。

7:17 それゆえ、あなたはその銀を持って雄牛、雄羊、小羊、および穀物とぶどう酒の献げ物を丹念に買い集め、エルサレムにあるあなたたちの神の神殿の祭壇にささげよ。

7:18 そのほかあなたとあなたの仲間が適切と思うことがあれば、残りの金銀を神の御旨に従って用いてよい。

7:19 あなたの神の神殿の儀式のためにあなたに託す祭具類も、エルサレムの神の御前に納めよ。

7:20 その他、神殿に必要なもので費用がかさむなら、それも国庫負担としてよい。

7:21 天にいます神の律法の書記官、祭司エズラの要求には、すべて怠りなくこたえるように、このアルタクセルクセス王がユーフラテス西方の全財務官に命令しておく。

7:22 銀は百キカルまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バトまで、油は百バトまで、塩は制限なく与えられる。

7:23 王とその子孫の国に怒りが下らないように、天にいます神の命令であれば、天にいます神の神殿のために、すべてを滞りなく実行しなければならない。

7:24 また祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人など総じて神殿に仕える者に、年貢、関税、交通税を課す権限が、だれにもないことをあなたたちに知らせておく。

7:25 エズラよ、ゆだねられた神の知恵によってあなたは治める者と裁く者を任命して、ユーフラテス西方のすべての民、あなたの神の律法を知るすべての者を治めさせ、律法を知らない者にはあなたたちは教えを授けよ。

7:26 あなたの神の律法と王の法律に従わない者は、すべてこれを厳しく裁き、死刑または流刑、財産没収、または投獄によって処罰しなければならない。」

 

王自身も天の神に心を向けていた

◎15節

7:15 エルサレムに住まいを定められたイスラエルの神に、わたしと顧問官が寄進する金銀を持って行くこと、

 エズラを通して、王自身も天の神に心を向けていた。

 

★エズラという人の証し力

 影響力、良き証しを立てていた。

 それはエズラが、律法に詳しい学者であったことがあった。

 それ以上に、神のご支配が豊かにあった。

◎6節

7:6 エズラは、イスラエルの神なる主が授けられたモーセの律法に詳しい書記官であり、その神なる主の御手の加護を受けて、求めるものをすべて王から与えられていた。

◎口語訳6節

7:6 このエズラはバビロンから上って来た。彼はイスラエルの神、主がお授けになったモーセの律法に精通した学者であった。その神、主の手が彼の上にあったので、その求めることを王はことごとく許した。

◎新改訳

7:6 エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜わったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。

 主のご加護 主の御手が彼の上にあった。

 エズラの信仰、祈り

  主が特別に臨んでくださいますようにと祈りつつ歩んだ、その結果

 

★エズラの使命

◎25節

7:25 エズラよ、ゆだねられた神の知恵によってあなたは治める者と裁く者を任命して、ユーフラテス西方のすべての民、あなたの神の律法を知るすべての者を治めさせ、律法を知らない者にはあなたたちは教えを授けよ

 エルサレム神殿の再建から57年、およそ60年経っていた。

 イスラエルの民に律法の教えを授ける。

 内側に命を 神の教えを人々の心につける。 人々の心が主に向くように。

  一時的に向くのではなく、御言葉を通して整えられる。

  神の律法に精通していたエズラ そして、その律法に生かされていたエズラ

  その恵みを民に伝える。

  民の心が主にしっかり向けられ、主と共に歩むことができるように。

 

 

6月1日() 祈祷会 奨励メモ

       「ネヘミヤの祈り」      ネヘミヤ書1章1-11節

 

★嘆き、苦しみ

  嘆き、苦しみは、さまざまある。 自分自身のことでの嘆き、苦しみ

  自分に関わる方々のことでの嘆き、苦しみ この世界における嘆き、苦しみ

  ある事柄が、その嘆き、苦しみの原因となる。

 その原因となっている事柄、そのために起きて起きている現実、それから目をそらせば、関係ないと割り切れば、嘆き、苦しみは起きないかもしれない。

 それに目をそらさず、向き合えば、嘆き、苦しみを経験する。

 その中で、苦悩することがある。

 私たち主を信じる者の幸いは、そのことを主に向かって申し上げることができること。 そして、主の助けを願い求めることができること。

 主は、それを受けとめてくださる。

 

★自分と関係ないとするか、自分と関係ありとするか

  嘆き、苦しみの原因となっていること、その現実をどう受け止めるか

  自分のことは、当然、関係ないとはしない。

  どの範囲を自分のこととするか それは、自分が決めることであり、また、主の恵みの中で、導かれること これは自分とは関係ないとするか、自分と関係があるとするか これは、自分が関わることではないと受けとめるか、自分が関わることと受け止めるか

 

★本日の箇所

 ネヘミヤという人物

 彼の嘆き、苦悩

◎1-4節 

1:1 ハカルヤの子、ネヘミヤの記録。第二十年のキスレウの月、わたしが首都スサにいたときのことである。

1:2 兄弟の一人ハナニが幾人かの人と連れ立ってユダから来たので、わたしは捕囚を免れて残っているユダの人々について、またエルサレムについて彼らに尋ねた。

1:3 彼らはこう答えた。「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」

1:4 これを聞いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。

 エルサレムの現状 城壁、城門は焼け落ちたまま 自分の祖国である南ユダの都、エルサレム そのことを嘆き、食を絶った。

 自分と関係ないことではない、大いに関係がある。 とても切実な課題だ。

 この時、わたしは献酌官として王に仕えていた。(11節)

 ネヘミヤは、関係ないと考えることもできた。でも、関係ないとは考えなかった。 大いに関係がある。

 

 困難の中で、しかも、それは自分とは関係ないと考える、思うこともできないわけではない。 しかし、そう考えない人たちがいる。 そのことをしっかり受け止め、嘆き、苦しむ。 なぜ、どうして。 どんなにか大変かを受けとめる。

 そして、主の御前にお祈りする。

 そのような人は、主から愛されている人、特別に選ばれた人、幸いな人

 そして、それにとどまらない。 具体的に歩み出す。

  自分のこととして受け止め、関わる。 そのことをその人自身が関わっていく。 そのような人たちがいる。 ありがたいことだと思い、頭が下がる、感謝な気持ちになる。

 ネヘミヤは、エルサレムの現状を嘆き、悩んだ人だった。

 主が、ネヘミヤに触れてくださっていたことでしょう。

 

★ネヘミヤの受けとめ

 目の前のことをどう受け止めるか

  御言葉に照らして、目の前のことを見る。

 御言葉に生かされていたネヘミヤ

 その御言葉とは

○申命記11:13-14,26-28

11:13 もしわたしが今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い、あなたたちの神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕えるならば、

11:14 わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。

11:26 見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。

11:27 あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、

11:28 もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。

〇申命記28:1-3、15-16

28:1 し、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。

28:2 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。

28:3 あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。

28:15 しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。

28:16 あなたは町にいても呪われ、野にいても呪われる。

  主に従うことの幸い、従わないことの不幸

  幸い、祝福だけを受け取り、そのうちに主を忘れてしまうことの愚かさ

  そこに人は陥ることが多い。

  

★ネヘミヤの祈り

 ネヘミヤは、主に祈った。

 この祈りの後、ネヘミヤは、王にエルサレムに遣わしてくれるように申し出、エルサレムに実際に出かける。 そして、自分の使命として、エルサレムのために、進んで行った。

◎5-11節

1:5 わたしはこう祈った。「おお、天にいます神、主よ、偉大にして畏るべき神よ、主を愛し、主の戒めを守る者に対しては、契約を守り、慈しみを注いでくださる神よ。

1:6 耳を傾け、目を開き、あなたの僕の祈りをお聞きください。あなたの僕であるイスラエルの人々のために、今わたしは昼も夜も祈り、イスラエルの人々の罪を告白します。わたしたちはあなたに罪を犯しました。わたしも、わたしの父の家も罪を犯しました。

1:7 あなたに反抗し、あなたの僕モーセにお与えになった戒めと掟と法を守りませんでした。

1:8 どうか、あなたの僕モーセにこう戒められたことを思い起こしてください。『もしも背くならば、お前たちを諸国の民の中に散らす。

1:9 もしもわたしに立ち帰り、わたしの戒めを守り、それを行うならば、天の果てまで追いやられている者があろうとも、わたしは彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ場所に連れて来る。

1:10 彼らはあなたの僕、あなたの民です。あなたが大いなる力と強い御手をもって贖われた者です。

1:11 おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください。」この時、わたしは献酌官として王に仕えていた。

 

 呪いと思える事柄、大変な事柄が、祝福と思える事柄に引き上げられるように。 主の約束のごとくに 呪いが祝福に変えられる。

 悩みと苦悩が取り除かれていく。

 

私たちはどう歩むかが問われているのかもしれない。

 どう受け止めるか、どう関わるか 無理して関わっても長続きしない。

 主の憐れみをいただいて、大きな恵みが与えられていることを心にとめたい。

 自分自身が、主の大きな憐れみをいただいた者、いただいている者です。

 主よ、感謝します。 私は、どう歩んだら良いのでしょうか?

 自分の現状のことだけに甘んじてしまう私たちです。

  このネヘミヤの祈りを心にとめたいものです。

 

6月16日() 曽根合流祈祷会 奨励メモ

       「賛美をもって主を仰ぐ」   ネヘミヤ書12章1-26節 

 

★賛歌

  主をほめたたえつつ、歩みたい。

  私たちはいろいろなものを大事にする。 持ち物、お金、名誉、・・  

  それを大事にし過ぎておかしくなることがある。

   ブランドのものを 最高のものをと より多くのお金を、 人の何倍もと

   自分だけの名誉、最高の名誉をと そこに落とし穴がある。

  仰ぐべきお方 賛美すべきお方は、主のみ 

 

★本日の聖書箇所

 帰還した祭司、レビ人の名簿について

◎ネヘミヤ記12:1-26 

 

★苦しみの歴史

  国が滅ぼされてしまった。 北イスラエル、南ユダと

  南ユダは、バビロンによって滅ぼされる。 町は破壊され、エルサレムも破壊しされる、エルサレム神殿も破壊される。

  バビロン捕囚の憂き目 遠いバビロンに捕囚の民として連れて行かれる。

  ちょうど、今ウクライナが経験しているようなこと 町が破壊され、多くの人たち、子どもも含めて、何万人もの人がロシアの地に連れて行かれている。 

 ユダヤの民は、バビロン捕囚の苦しみ、悲しみを50年ほど過ごす。

 

★道が開かれる時が

  バビロニアがペルシャに滅ぼされ、キュロス王によって帰還が許される。

 第1弾の帰還

  およそ4万2千人

   エズラ記2章、 ネヘミヤ記7章

  総督ゼルバベル、 大祭司イェシュア(ヨシュア)

   神殿の再建 BC515年

 第2弾の帰還 アルタクセルクセス王の第7年

  エズラ記7章 祭司であり書記官であったエズラとその他の人たち

 第3弾の帰還 アルタクセルクセス王の第20年 BC444

  ネヘミヤ記2章 献酌官であった、そして総督となったネヘミヤとその他の

  城壁の再建 神殿再建からおよそ70年後

 

★喜びの時

  エルサレム帰還 バビロン捕囚からの解放

*神殿再建

○エズラ記6:13-22

6:13 そこで、ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタル・ボゼナイ、およびその仲間たちは、ダレイオス王が書き送ったことに従い、命令どおり実行した。

6:14 ユダの長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言に促されて順調に建築を進めていたが、イスラエルの神の命令と、ペルシアの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって建築を完了した。

6:15 この神殿は、ダレイオス王の治世第六年のアダルの月の二十三日に完成した。

6:16 イスラエルの人々、祭司、レビ人、残りの捕囚の子らは、喜び祝いつつその神殿の奉献を行った。

6:17 この神殿の奉献のために雄牛百頭、雄羊二百匹、小羊四百匹をささげ、また全イスラエルのために贖罪の献げ物としてイスラエルの部族の数に従って雄山羊十二匹をささげた。

6:18 そしてモーセの書に書き記されているとおり、エルサレムにおける神への奉仕のために、祭司たちをその担当の務めによって、レビ人をその組分けによって任務に就かせた。

6:19 捕囚の子らは、第一の月の十四日に過越祭を行った。

6:20 祭司とレビ人は共に身を清めていたので皆清く、捕囚の子ら皆のため、仲間の祭司のため、また彼ら自身のために、過越のいけにえを屠った。

6:21 捕囚の地から帰って来たイスラエルの人々も、イスラエルの神なる主を尋ね求めて、その地の諸民族の汚れを離れて来た人々も皆、過越のいけにえにあずかった。

6:22 そして七日間にわたって、喜び祝いつつ除酵祭を行った。主がアッシリアの王の心を彼らに向け、イスラエルの神の神殿を再建する工事を支援させて、彼らに喜びを与えられたからである。

 

*城壁の完成

○ネヘミヤ記6:15 

6:15 城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。

○7:1-3

7:1 城壁が築かれたので、わたしは扉を取り付けさせた。そして、門衛と詠唱者とレビ人を任務に就けた。

7:2 わたしは、兄弟のハナニと要塞の長ハナンヤにエルサレムの行政を託した。このハナンヤは誠実で、だれよりも神を畏れる人物だった。

7:3 わたしは彼らに言った。「日射しの暑くなる時まで、エルサレムの門を開いてはならない。また彼らが任務に就いている間に扉を固く閉ざしなさい。エルサレムの住民に守備態勢を取らせ、各自が自分の持ち場と、各自が自分の家の前を守るようにせよ。」

 

*城壁の奉献式

○12:27-47 

12:27 エルサレムの城壁の奉献に際して、人々は、あらゆる所からレビ人を求め、エルサレムに来させて、感謝の祈りと、シンバルや竪琴や琴に合わせた歌をもって、奉献式と祝典を行おうとした。

12:28 -29詠唱者たちは、それぞれエルサレム周辺の盆地、ネトファ人の村々、ベト・ギルガルおよびゲバやアズマベトの田舎などから集まって来た。詠唱者たちは、エルサレムの周辺に村を作って住んでいた。

12:30 祭司とレビ人は身を清めたうえで、民と城門と城壁を清めた。

12:31 わたしは、ユダの長たちを城壁に上らせ、二つの大きな合唱隊を編成した。一隊は城壁の上を右へ、糞の門に向かって進んだ。

12:32 その後ろに、ホシャヤおよびユダの長たちの半数が続き、

12:33 またアザルヤ、エズラ、メシュラム、

12:34 ユダ、ビンヤミン、シェマヤ、イルメヤ、

12:35 ラッパを持った祭司たち、次にゼカルヤが続いた。その父はヨナタン、祖父はシェマヤ、更にマタンヤ、ミカヤ、ザクル、アサフとさかのぼる。

12:36 更に彼の仲間シェマヤ、アザルエル、ミラライ、ギラライ、マアイ、ネタンエル、ユダ、ハナニが、神の人ダビデの楽器を持って行進に続いた。書記官エズラは彼らの前を行った。

12:37 泉の門に来ると、彼らはその前にあるダビデの町への上り坂を上がり、城壁に上って、ダビデの家の上を過ぎて東の水の門に来た。

12:38 他の一隊は左に向かった。わたしは他の半数の人々と共に彼らに続いた。一行は城壁の上を行き、炉の塔から広壁、

12:39 エフライムの門から古い門、魚の門、ハナンエルの塔、ハンメアの塔から羊の門まで進み、警備の門で止まった。

12:40 こうして二隊は、神殿の中に立ち、わたしも役人の半数と共にそこにいた。

12:41 ラッパを手にした祭司はエルヤキム、マアセヤ、ミンヤミン、ミカヤ、エルヨエナイ、ゼカルヤ、ハナンヤ。

12:42 更にマアセヤ、シェマヤ、エルアザル、ウジ、ヨハナン、マルキヤ、エラム、エゼルは詠唱者として歌いイズラフヤが彼らの監督であった。

12:43 その日、人々は大いなるいけにえを屠り、喜び祝った。神は大いなる喜びをお与えになり、女も子供も共に喜び祝った。エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた。

12:44 その日、礼物と初物と十分の一の供出物を蓄える収納庫の監督が任命された。こうしてそこに、律法が定めているように、祭司とレビ人の生活の糧を、町々の耕地から徴集して納めた。実にユダの人々は、祭司とレビ人の働きを喜んでいた。

12:45 祭司とレビ人は神への務めと清めの務めを守り、詠唱者と門衛はダビデとその子ソロモンの定めによく従った。

12:46 ダビデとアサフがいた昔の時代のように、詠唱者の頭がいて、神への賛美と感謝の歌をつかさどった。

12:47 ゼルバベルの時代とネヘミヤの時代のイスラエルの民は皆、毎日詠唱者と門衛に生活の糧を提供した。また、レビ人には奉納物を与え、レビ人はその奉納物をアロンの子らに分け与えた。

 

 

◎12:1-26 

12:1 シェアルティエルの子ゼルバベルとイエシュアと共に上って来た祭司とレビ人は、次のとおりである。セラヤ、イルメヤ、エズラ、

12:2 アマルヤ、マルク、ハトシュ、

12:3 シェカンヤ、レフム、メレモト、

12:4 イド、ギネトイ、アビヤ、

12:5 ミヤミン、マアドヤ、ビルガ、

12:6 シェマヤ、ヨヤリブ、エダヤ、

12:7 サル、アモク、ヒルキヤ、エダヤ。以上、イエシュア時代の祭司長とその仲間である。

12:8 レビ人では、イエシュア、ビヌイ、カドミエル、シェレブヤ、ユダ、マタンヤ。この彼とその仲間が賛歌の責任を負い、

12:9 バクブクヤとウンニおよびその仲間が彼らの前で任務に就いた。

12:10 イエシュアにはヨヤキムが生まれ、ヨヤキムにはエルヤシブが生まれ、エルヤシブにはヨヤダが生まれ、

12:11 ヨヤダにはヨナタンが生まれ、ヨナタンにはヤドアが生まれた。

12:12 ヨヤキム時代に祭司で家長であった者は、セラヤ家のメラヤ、イルメヤ家のハナンヤ、

12:13 エズラ家のメシュラム、アマルヤ家のヨハナン、

12:14 メリク家のヨナタン、シェバンヤ家のヨセフ、

12:15 ハリム家のアドナ、メラヨト家のヘルカイ、

12:16 イド家のゼカリヤ、ギネトン家のメシュラム、

12:17 アビヤ家のジクリ、ミンヤミン家、モアドヤ家のピルタイ、

12:18 ビルガ家のシャムア、シェマヤ家のヨナタン、

12:19 ヨヤリブ家のマテナイ、エダヤ家のウジ、

12:20 サライ家のカライ、アモク家のエベル、

12:21 ヒルキヤ家のハシャブヤ、エダヤ家のネタンエル。

12:22 エルヤシブ、ヨヤダ、ヨハナン、ヤドアの時代にレビ人は、その家長が祭司と共にペルシアの王ダレイオスの治世まで記録された。

12:23 レビ人の家長は、エルヤシブの子ヨハナンの時代まで、年代記に記録された。

12:24 レビ人の頭はハシャブヤ、シェレブヤ、カドミエルの子イエシュアと、その前に立って神の人ダビデが命じたように、交替で賛美と感謝を唱えた仲間たち、

12:25 マタンヤ、バクブクヤ、オバドヤ、メシュラム、タルモン、アクブ。彼らは城門にある倉庫の警備に当たる門衛たちである。

12:26 以上の人々は、ヨツァダクの孫でイエシュアの子であるヨヤキムの時代、長官ネヘミヤと祭司であり書記官であるエズラの時代に奉仕した。

 

○7:1-67

○7:44

7:44 詠唱者。アサフの一族百四十八人。

○7:67

7:67 ほかに男女の使用人が七千三百三十七人いた。また、男女の詠唱者が二百四十五人いた。

○7:72

7:72 祭司、レビ人、門衛、詠唱者、民の一部、神殿の使用人、すなわちイスラエル人は皆それぞれ自分たちの町に住んだ。

  

○11:17

11:17 祈りにおける賛歌の先唱者マタンヤ。彼の父はミカ、祖父はザブディ、更にアサフとさかのぼる。そのほかに仲間の副主任バクブクヤ、そしてアブダ。彼の父はシャムア、祖父はガラル、更にエドトンと続く。

○11:22-23

11:22 エルサレムのレビ人の監督はウジであった。彼の父はバニ、祖父はハシャブヤ、更にマタンヤ、ミカとさかのぼる。彼は神殿の務めにおいて詠唱者の役を担うアサフの子らの一人であった。

11:23 詠唱者に対しては王の命令があって、日ごとに果たすべきことが定められていた。

 

★ダビデ王、ソロモン王の時

  詠唱の働きの重要性

*最初に神殿奉献においても

○歴代誌上6:16-28

6:16 神の箱が安置されたとき以来、ダビデによって主の神殿で詠唱の任務に就けられた者は次のとおりである。

6:17 ソロモンがエルサレムに主の神殿を築くまで、彼らは幕屋、すなわち臨在の幕屋の前で詠唱者として仕え、その規則に従って任務に就いた。

6:18 この任務に就いた者とその子孫は次のとおりである。ケハトの子孫では、詠唱者ヘマン。その父はヨエル、祖父はサムエル、

6:19 更にエルカナ、エロハム、エリエル、トア、

6:20 ツフ、エルカナ、マハト、アマサイ、

6:21 エルカナ、ヨエル、アザルヤ、ツェファンヤ、

6:22 タハト、アシル、エブヤサフ、コラ、

6:23 イツハル、ケハト、レビ、イスラエルとさかのぼる。

6:24 ヘマンの右側に立って任務に就く兄弟アサフ。その父はベレクヤ、祖父がシムア、

6:25 更にミカエル、バアセヤ、マルキヤ、

6:26 エトニ、ゼラ、アダヤ、

6:27 エタン、ジンマ、シムイ、

6:28 ヤハト、ゲルション、レビとさかのぼる。

 

◎12:8

12:8 レビ人では、イエシュア、ビヌイ、カドミエル、シェレブヤ、ユダ、マタンヤ。この彼とその仲間が賛歌の責任を負い、

◎12:24

12:24 レビ人の頭はハシャブヤ、シェレブヤ、カドミエルの子イエシュアと、その前に立って神の人ダビデが命じたように、交替で賛美と感謝を唱えた仲間たち、

 

★詠唱者

 賛美を主に捧げる  主に目を向けます。心を向けます。 主をほめたたえますと そのことに専心する。 そのために働く。 このために生涯を捧げる。

 特別な奉献式でも御用があった。 その式に喜びの歌声を響かせる。

○12:27

 12:27 エルサレムの城壁の奉献に際して、人々は、あらゆる所からレビ人を求め、エルサレムに来させて、感謝の祈りと、シンバルや竪琴や琴に合わせた歌をもって、奉献式と祝典を行おうとした。

○12:31

 12:31 わたしは、ユダの長たちを城壁に上らせ、二つの大きな合唱隊を編成した。一隊は城壁の上を右へ、糞の門に向かって進んだ。

 

★賛美をもって主を仰ぐ

  主を賛美する

   歌を用いて、  楽器を用いて、 合唱隊によって

  そのために日々、主を賛美する。 そのことに心を用いて歩む。

  特別な時に、 礼拝において  奏楽、 賛美、 ・・

    主への賛美 主に目を向け、心を向けて

   

 

6月22日() 祈祷会 奨励メモ

       「婚礼の祝い」          雅歌3章1-11節 

 

★雅歌

  歌の中の歌 song of songs  シール ハ シーリーム

    聖書66巻の中で特別なもの 

  愛の歌 若い男女の間の愛、 愛し合う男女の愛が記されている。 

  聖書の中で一番特異なものと言える。 そのまま読むだけでも心ときめく

   一人のおとめと一人の若者 恋愛小説のよう、恋愛エッセイのよう

  そして、その指し示すもの それは、教会とキリスト、教会と神様との関係

   主を信じる者とキリストとの関係

 

★心ときめかすもの

  自分がたいせつにしているもの、

  様々なものがあることでしょう。

   食べ物 おいしいもの、大好物、お肉、魚、ケーキ、・・

   趣味 山登り、旅行、魚釣り、スポーツ観戦、・・

   飼っている生き物 ペット、 犬、ネコ、金魚、・・

   子ども、孫、・・

   若い男女であるならば、互いに対して

 

★雅歌の表現

  互いの愛についての表現、 かなりストレート 

  恋愛小説、 ラブストーリーを読んでいるような、そのような映画を観ているような感覚を持つ。 読んでいて、次はどうなるのだろうと 時にこちらの心がときめく こちらがポーと顔が赤くなりそう。

 

★第1章

○雅歌1:1-17 

1:1 ソロモンの雅歌。

1:2 どうかあの方が、その口のくちづけをもって わたしにくちづけしてくださるように。

◆おとめの歌

1:2 ぶどう酒にもましてあなたの愛は快く

1:3 あなたの香油、流れるその香油のように あなたの名はかぐわしい。おとめたちはあなたを慕っています。

1:4 お誘いください、わたしを。急ぎましょう、王様 わたしをお部屋に伴ってください。

◆おとめたちの歌

1:4 わたしたちもあなたと共に喜び祝います。ぶどう酒にもまさるあなたの愛をたたえます。人は皆、ひたすらあなたをお慕いします。

◆おとめの歌

1:5 エルサレムのおとめたちよ わたしは黒いけれども愛らしい。ケダルの天幕、ソロモンの幕屋のように。

1:6 どうぞ、そんなに見ないでください 日焼けして黒くなったわたしを。兄弟たちに叱られて ぶどう畑の見張りをさせられたのです。自分の畑は見張りもできないで。

1:7 教えてください、わたしの恋い慕う人 あなたはどこで群れを飼い 真昼には、どこで群れを憩わせるのでしょう。牧童たちが飼う群れのそばで 顔を覆って待たなくてもすむように。

◆おとめたちの歌

1:8 だれにもまして美しいおとめよ どこかわからないのなら 群れの足跡をたどって羊飼いの小屋に行き そこであなたの子山羊に草をはませていなさい。

◆若者の歌

1:9 恋人よ、あなたをたとえよう ファラオの車をひく馬に。

1:10 房飾りのゆれる頬も 玉飾りをかけた首も愛らしい。

1:11 あなたに作ってあげよう 銀を散らした金の飾りを。

◆おとめの歌

1:12 王様を宴の座にいざなうほど わたしのナルドは香りました。

1:13 恋しい方はミルラの匂い袋 わたしの乳房のあいだで夜を過ごします。

1:14 恋しい方は香り高いコフェルの花房 エン・ゲディのぶどう畑に咲いています。

◆若者の歌

1:15 恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう。

◆おとめの歌

1:16 恋しい人、美しいのはあなた わたしの喜び。わたしたちの寝床は緑の茂み。

1:17 レバノン杉が家の梁、糸杉が垂木。

 おとめの歌、若者の歌

  愛し合う若い男女のその心、その思い

  互いに惹かれあう様子、 ただその相手のみ  その相手に対する思い

  おとめの若者に対する思い、 若者のおとめに対する思い

   どんなにかけがえのないものか 

〇4節 

1:4 わたしたちもあなたと共に喜び祝います。ぶどう酒にもまさるあなたの愛をたたえます。

 喜び祝う、あなたの愛をたたえる

〇15節 

1:15 恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう。

 あなたは美しいと

 

★第2章

○雅歌2:1-17 

2:1 わたしはシャロンのばら、野のゆり。

◆若者の歌

2:2 おとめたちの中にいるわたしの恋人は茨の中に咲きいでたゆりの花。

◆おとめの歌

2:3 若者たちの中にいるわたしの恋しい人は 森の中に立つりんごの木。わたしはその木陰を慕って座り 甘い実を口にふくみました。

2:4 その人はわたしを宴の家に伴い わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。

2:5 ぶどうのお菓子でわたしを養い りんごで力づけてください。わたしは恋に病んでいますから。

2:6 あの人が左の腕をわたしの頭の下に 右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。

2:7 エルサレムのおとめたちよ 野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください 愛がそれを望むまでは 愛を呼びさまさないと。

2:8 恋しい人の声が聞こえます。山を越え、丘を跳んでやって来ます。

2:9 恋しい人はかもしかの 若い雄鹿のようです。ごらんなさい、もう家の外に立って 窓からうかがい 格子の外からのぞいています。

2:10 恋しい人は言います。「恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。

2:11 ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。

2:12 花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。

2:13 いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ さあ、立って    

出ておいで。

2:14 岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ 姿を見せ、声を聞かせておくれ。お  

前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」

2:15 狐たちをつかまえてください ぶどう畑を荒らす小狐を。わたしたちのぶどう畑  

は花盛りですから。

2:16 恋しいあの人はわたしのもの わたしはあの人のもの ゆりの中で群れを飼って

いる人のもの。

2:17 夕べの風が騒ぎ、影が闇にまぎれる前に 恋しい人よ、どうか かもしかのよう

に、若い雄鹿のように深い山へ帰って来てください。

⋆おとめについて

〇2節

2:2 おとめたちの中にいるわたしの恋人は茨の中に咲きいでたゆりの花。

  ユリの花にたとえられている 白、黄色、赤い 白百合

〇14節   

2:14 岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ 姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」

   わたしの鳩と

⋆若者について

〇9節  

2:9 恋しい人はかもしかの 若い雄鹿のようです。ごらんなさい、もう家の外に立って 窓からうかがい 格子の外からのぞいています。

〇17節

2:17 夕べの風が騒ぎ、影が闇にまぎれる前に 恋しい人よ、どうか かもしかのように、若い雄鹿のように深い山へ帰って来てください。

  かもしか、若い雄鹿  野生のカモシカ、雄鹿 俊敏でたくましい

 若者がおとめのところへ訪問  おとめの若者を慕う心

 教会とキリスト、教会と神様との関係

 クリスチャンとキリストの関係、 クリスチャンと神様との関係

 そこに掲げられているのは、愛の旗 最高のしるし それは愛

  様々な旗があることでしょう。力という旗、 権力という旗、 お金という旗、 ・・  様々な旗が立てられる  支配した、これは支配の印だということで立てられる。

 人間の強引な力による支配 あなたたちは支配のもとに置かれた。 どんなの大きな旗を高く掲げたとしても、それは決して長続きしない。

  ロシアによるウクライナ侵攻 力によって強引に支配しよっとしても、それは愚かなこと 強引な支配、一方的ない支配は、決して長続きしない。

 互いを認め合い、互いを大事にする思い、関係がなければ、それは崩れてしまう。

 愛の旗 それはなんと素晴らしい旗ではないでしょうか。

  キリストへの愛、神への愛   教会が、クリスチャンが

 そして、その前に、キリストの愛、神の愛が注がれた。

〇ヨハネ福音書3:16

3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 

★第3章

 探し求める思い

  心を満たしてくれるもの  おいし食べ物、 楽しいイベント、 趣味

   自分の思いが叶う 願うことが達成された

 私たちは神様によって造られた。 神のものに立ち返るまでは本当の憩いはない。 主のもとで憩う  一時的にそこにいることではない、主のものとされて生きる 罪赦され、神の子とされて歩むこと そこに真の憩い

◎雅歌3:1-11 

3:1 夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても 求めても、見つかりません。

3:2 起き出して町をめぐり 通りや広場をめぐって 恋い慕う人を求めよう。求めても、あの人は見つかりません。

3:3 わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」

3:4 彼らに別れるとすぐに恋い慕う人が見つかりました。つかまえました、もう離しません。母の家にわたしを産んだ母の部屋にお連れします。

3:5 エルサレムのおとめたちよ 野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください 愛がそれを望むまでは愛を呼びさまさないと。

◆合唱

3:6 荒れ野から上って来るおとめは誰か。煙の柱が近づいて来るかのよう。それは隊商のもたらすさまざまな香料 ミルラや乳香をたく煙。

◆合唱

3:7 見よ、ソロモンの輿を。輿をになう六十人の勇士、イスラエルの精鋭。

3:8 すべて、剣に秀でた戦士。夜襲に備えて、腰に剣。

3:9 -10ソロモン王は天蓋を造らせた。レバノン杉を柱とし、銀の台座に金の玉座 エルサレムのおとめたちが愛をこめて 紫の布を張りめぐらした。

3:11 いでよ、シオンのおとめたちよ ソロモン王を仰ぎ見よ。その冠を見よ 王の婚礼の日に、喜びの日に 母君がいただかせた冠を。

 愛は人工的に作り上げるものではない。 無理に押し上げることでもない。 

  その相手への思いを深める中で、はぐくまれるもの その相手のすばらしさを心にとめて キリストの愛、神の愛

  自分への愛 その愛を心に深くとめる 心に深く刻みこむ。

  その歩みの中で、愛ははぐくまれる。

 

若者を見失ってしまった。 心に不安と悲しみ

 その方を慕い求める

 必死に探し求める。 おとめの必死さ

〇エレミヤ書29:12-14

29:12 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。

29:13 わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、

29:14 わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。

 主を見失ってしまった。

  主から目を離してしまった。 再び主を探し求める

  悔い改めをもって、主に立ち返るときに、主は戻ってきてくださる。

 再び、主の間近に歩み、生きる道へと導いてくださる。 

   

 

6月29日() 祈祷会 奨励メモ

      「平和がありますように」     詩編125編1-5節 

  

★二つの道

  道が二つに分かれる時がある。

  どちらの道を選ぶか決めなければならない。 右か左か

  良いと思える道、 こちらが正しい道だろう、 魅力的に見える道

  自分の心と相談して、決める。

 

★選んだ道によって、歩みが変わる。

  当然なことながら、選んだ道によって、その歩みが変わる。

  だから、選ぶことはとても大事なこと。

  熟考が必要、 よく考えることの大切さ

  キリスト者である私たちは、主のみ前に祈ることの大切さ

  

★悪しき道

  迷い森に導く道、 崖から落ちてしまう道

  滅びにいたる道、 破滅へと導く道、 人を苦しめる道

  ウクライナ侵攻、戦争

   ロシアの大統領プーチンが選んだ道 明らかに悪しき道

   選んだことによって多くの人が苦しむ。

  ギャンブルの道 家を失う。 その選んだ道によって、大切なものを失う。 家庭を、大切な人を、人生を失う。

◎5節   

125:5 よこしまな自分の道にそれて行く者を 主よ、悪を行う者と共に追い払ってください。 

◎新改訳

125:5 しかし、主は、曲がった道にそれる者どもを不法を行なう者どもとともに、連れ去られよう。

  よこしまな自分の道。悪を行う道

   それらの者を追い払ってください。 そのような者を

  自分の中にそのような道はないか そのような道を選ぶ自分がいないか

  

★間違った道は、変えられないか

  変えることもできる。 悪い道を選んだしまった。 間違っていたと気が付く。 引き返す。 その道を進むことをやめる。  助けを求める。

    

★正しい道を選ぶには

  悪い道を選ばないように気を付ける

  と言っても、その時には、間違った道も正しい道と考えてしまう。自分がその間違った道を選んでしまう。

  他の人のアドバイスを聞く、耳を傾ける。

  主に祈りつつ、歩む。 主よ、この道でよいのでしょうかと尋ねつつ進む  

  

★主に信頼する

  誰に信頼するか、何に信頼するか

   有名な人、成功した人、この世の常識、自分の願いに信頼してしまう。

  聖書は告げる。 主に信頼せよと

◎1節

125:1 【都に上る歌。】主に依り頼む人は、シオンの山。揺らぐことなく、とこしえに座る。

◎新改訳

 125:1 主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。

 主に信頼する。 それは具体的には、主のみ言葉をいただきつつ、聴きつつ

  主に助けを求めつつ

  

★主に助けを求める

◎3-4節

125:3 主に従う人に割り当てられた地に 主に逆らう者の笏が置かれることのないように。主に従う人が悪に手を伸ばすことのないように。

125:4 主よ、良い人、心のまっすぐな人を 幸せにしてください。

◎新改訳

125:3 悪の杖が正しい者の地所の上にとどまることなく、正しい者が不正なことに、手を伸ばさないためである。

125:4 主よ。善良な人々や心の直ぐな人々に、いつくしみを施してください。

  悪の杖がとどまらないように 不正なことに手を伸ばさないように

  善良な者に、心の直ぐな人にしてくださいと  

 

★主にご支配していただく

  主よ、取り囲んでください。

◎2節

125:2 山々はエルサレムを囲み 主は御自分の民を囲んでいてくださる 今も、そしてとこしえに。

◎新改訳

125:2 山々がエルサレムを取り囲むように、主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。

◆「エルサレムの景色」

 モリア山、 オリーブの山、 ヘレズ山、ジオン山、 スコパス山

 

○詩編32:10

32:10 神に逆らう者は悩みが多く 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。

〇新改訳

32:10 悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。

 ヘセド いつくしみ、良いこと誠実

 

★平和があるように

◎5節

125:5 よこしまな自分の道にそれて行く者を 主よ、悪を行う者と共に追い払ってください。イスラエルの上に平和がありますように。

◎新改訳

125:5 しかし、主は、曲がった道にそれる者どもを不法を行なう者どもとともに、連れ去られよう。イスラエルの上に平和があるように。

◎口語訳

125:5 しかし転じて自分の曲った道に入る者を 主は、悪を行う者と共に去らせられる。イスラエルの上に平安があるように。

 シャローム 平和無事安全

 「シャローム」は、単に戦争がないというだけではなく、神と人との関係があるき関係になっており、神のみ旨に従った秩序をもって、人間がすべての被造物を用いている状態を指しています。したがって、社会的にも精神的にも満たされた安らかな状態にあることを意味しています。

 主のご支配、主との交わり

 主イエスによる救いをいただく、罪の赦しをいただいて、主につながって

 主の恵みをいただく、主の祝福の下に生かされる

 神との関係があるべき関係であるように。

 

  

7月6日() 祈祷会 奨励メモ 

    「見よ、神の小羊」  ヨハネ福音書1章29-42節 奨励メモ

 

★ぶれない

  車の四輪 前輪と後輪のタイヤ

  前輪の二つのタイヤ、後輪の二つのタイヤ それぞれのタイヤを結ぶ車軸

  車軸はとても大切 タイヤそのものも大切だが、車軸はもっと大切

  車軸が前輪の左右のタイヤ。後輪の左右のタイヤをつないでいる。

  車軸がぶれたら大変 車軸は車体の下にあり、普段は見えないものだが、とても大切。 エンジンの力から変えられた力を車軸はタイヤに伝え回す。

  

★ぶれないものによって、私たちはいろいろな良いものを得ている。

  地球の自転によって、朝に太陽が昇り、夕方に太陽が沈む。

   変わることのない自転

  郵便局の方の配達  時間通りに来るバスや電車

  ぶれることなく、きちんと

 

★バプテスマのヨハネ

 彼は、自分の立ち位置を知っていた。 自分の役目、自分の使命をわきまえていた。 自分は何をする者なのか、自分は何をするために生かされているのかを知っていた。

 彼は生まれて間もなく、父ザカリヤを通して、大人になり何をする者なのかを明らかにされた。

 その箇所をまず見てみましょう。

○ルカ福音書1:67-80

1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。

1:68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、

1:69 我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。

1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。

1:71 それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。

1:72 主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。

1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、

1:74 敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、

1:75 生涯、主の御前に清く正しく。

1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、

1:77 主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。

1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、

1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」

1:80 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にい

た。

  いと高き方の預言者、 主に先立って歩む者、その道を整える者 露払い

  主イエスを指し示す者  自分ではない、この方だ

  この方、すなわち主イエスこそが罪の赦しによる救いを与えてくださるお方

  ヨハネはこのために生まれてきたことをいつ心にとめたのだろうか?

  小さいときから父にそう言われ、物心がつく前からそのことを自覚していたのだろか そして思春期、そして青年、大人になっていったことだろう。

 何より、天からの語り掛けを聞いていったのだろう。

 救い主を迎えることを前にして、人々の目を、その心をそのお方に向けさせる。  その方は特別な方だ、自分は比べようのない者だ。

 

○1:19-28

1:19 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、

1:20 彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。

1:21 彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。

1:22 そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」

1:23 ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」

1:24 遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。

1:25 彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、

1:26 ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。

1:27 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」

1:28 これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

 自分はメシアではない。 荒れ野で叫ぶ声だと、自分は主イエスの露払いだと語った。 その履物のひもを解く資格もない者であると。

 

◎30節

1:30 『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。

    自分は比べられるべき者ではない。 その方ははるかに勝るお方

  私よりも先におられたお方 ヨハネのほうが半年ほど早く生まれた。

  先におられたお方 永遠の初めからおられたお方

  

35-37節

1:35 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。

1:36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。

1:37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。

  ヨハネ自身にも彼の弟子がいた。 彼は自分の弟子を集めることを願っていなかった。 自分の弟子を増やすことも願っていなかった。

 その弟子たちも、最終的には、神の真理に導かれることを願っていた。

 自分に従うことは嬉しい。しかし、一番の願いは、主イエスに従うことだと考えていた。 より良いものを持っているお方を指し示す。

 当然そう示されたなら、そちらの方に向かうことを知っていた。

 主イエスを指し示し、「見よ、神の小羊だ」と言った。

 二人の弟子たちは、ヨハネを後にして、主イエスの方に行き、イエスに従った。 ヨハネはそれを良しとした。

 

★ヨハネの目にしたこと

  人々に水でバプテスマを授けた。 悔い改めのバプテスマを授けた。

 真の救い主がおいでになる。 悪いことを告白してそこから足を洗うようにと勧めた。

 そのようにしていたとき、主イエスが来られた。

 主イエスは、洗礼を願い出られた とんでもないと断るも、切に求められた。  

 洗礼を授けたとき、霊が鳩のように降るのを見た。

◎31-33節

1:31 わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」

1:32 そしてヨハネは証しした。「わたしは、が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。

1:33 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、「が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」と わたしに言われた。

1:34 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

  ヨハネの衝撃

  そのことを見て、ヨハネは、まさにこのお方こそ、神から遣わされた方だと確信した。 そして、この方こそ神の子であると確信し、証しした。

 この方こそ、聖霊によって洗礼を授けるお方であると

  この方こそ、主の救いを与え、聖霊を授け与えてくださるお方である。

 

★ヨハネは中心を外さなかった。

  弓道、アーチェリー 的をめがけて矢を射る。 中心を射抜くことを目指す。 ヨハネは的を射抜いた。

  この方は、いと高き方だ。そして罪の赦しを与えてくださるお方だ。

 

◎29節 

1:29 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。

◎36節

1:36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。

  

 ただ謝って済むなら警察はいらない。 謝れば許してもらえると安易に考えるなの戒め

 人間の罪、私たち人間の罪、そして自分自身の罪

  それは、本当に恐ろしい。 ロシアの大統領が今なお行っていること。

  それは、ウクライナへの軍事侵攻であり、人殺し。 どれだけ多くの人が苦しみの中で亡くなっただろう。  

  それをあくまでも続けようとする 自分の間違った考え、自分のメンツを大事にする。 そのことで、どれだけ多くの人が苦しもうとも構わない。

  神の御心なぞ、知らない。 自分のやりたいことを行うのだ。

  自分の立場、自分の持っている権力、自分の願いをあくまでも

  神を無視して歩む、自分の思いをあくまでも貫こうとする。

神の愛が注がれているのに、それに気が付かない。 少し気が付いても、それに応答して歩もうとしない。

   

○ヨハネ一3章16節

3:16 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。 

 主イエスは、私たちのために命を捨ててくださいました。

 ご自身の命を引き換えに、罪の赦し、永遠の命を私たちに差し出してくださいました。

 

○ヨハネ一4章10節

4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

 私たちは自分勝手に歩んでいました。 神を愛するということなぞはありませんでした。 しかし、神は私たちを愛してくださいました。

  神の御心は、私たちを主の命に与らせることです。

  罪を償ういけにえとなってくださった。

 罪を取り除く神の小羊

  罪ために犠牲となってくださった。

  その命を身代わりとして捧げてくださった。

  「神の小羊」 「世の罪を取り除く神の小羊」

   命を犠牲にすることはできないと思う。 しかし、愛は時に命を心から差し出す。 その相手の命を助けるために。

 

★福音の恵みの広がり

 アンデレが先に主イエスに出会った。

 そして、その兄弟シモン・ペトロもアンデレに誘われて、主イエスに出会った。

◎38-42節 

1:38 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、

1:39 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。

1:40 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。

1:41 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。

1:42 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

 

★「見よ。神の小羊」

 神の小羊なるイエス、世の罪を取り除く神の小羊なるイエス

 主イエスが私たちの救いのために、その命を十字架の上で捧げてくださった。

 なんという感謝でしょう。

 

 

7月13日() 祈祷会 奨励メモ

      「本当に求めるべきこと」 ヨハネによる福音書4章1-15節

 

★喉を潤す水

  山登りをして感激するもの

  教会学校の夏期キャンプで山登りをよくした。 最近は行っていないので懐かしい。

  その時に感激するもの

   3つある。山頂からの景色、お弁当のおにぎり、そして冷たい水やお茶

   汗をたくさん流し、喉がカラカラになる。

   その時に、喉を潤す冷たい水やお茶は最高

  

★水は欠かせない

   水は生きていくうえでも欠かせないもの 水がなければ生きていけない。

   体にとって欠かせないもの

  

★本日の聖書箇所

  サマリアの一人の女性と主イエスとの出会い

  ユダヤからガリラヤに向かう道 その途中にはサマリアの町があった。

   多くのユダヤ人は、サマリアの町を避けた。

    ユダヤ人は、純潔を尊ぶ。

   サマリアは、混血の人が多かった。 ユダヤ人とユダヤ人以外の人の結婚

   ユダヤ人は、それを嫌った。 混血の人は汚れていると考えた。  

サマリアの人とは付き合わなかった。接することもしなった。

できるだけ、会わないようにした。

ところが、主イエスは、弟子たちと共にサマリアを通り、そこに限られた時間であったが、とどまった。

 

◎4節

4:4 しかし、サマリアを通らねばならなかった。 

  サマリアで、この一人の女性との出会い。 そのことを願っておられた。

 ちょうど、あのエリコの町で、ザーカイに出会ったように。

 

★一人の女性

  彼女は、毎日、ヤコブの井戸のところに水を汲みに来ていた。

  一つだけ他の人と違うことがあった。 それは日中の暑い時に水を汲みに来ていた。 他の人と顔を合わせたくない。 彼女は後ろめたい思いがあった。 人の目が気になっていた。

 

★主イエスの語りかけ

  水を飲ませてほしいと彼女に語り掛けた。

  誰も語り掛けないのに、主イエスは語り掛けた

 特にユダヤ人はサマリア人に声をかけない。関わりを持たない。

  一歩を踏み出して、関わろうと

  彼女は不思議に思った。 この方はどのような人なのだろう。

   サマリア人である自分に声をかけて来るとは

 

★そこでのやり取り

◎9-12節

4:9 すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。

4:10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」

4:11 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。

4:12 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」

 水のことでのやり取り 生きた水

  主イエスが語った「生きた水」とは、人を真に生かす水

   人間である私たちの心、そしてもっと深いところの魂を生かす水

   サマリアの女性が語った「生きた水」とは、喉を潤す飲み水としての水

   この井戸は深いのです。  井戸水は地下水

    夏場は冷たくておいしい。 この井戸は深いのです。

   彼女は、飲み水のことにしか頭が向いていなかった。

   自分自身が一番必要なものについて、ぼーとしか考えていなかった。   

  でも実際には、彼女には飲み水と共に心、魂を生かす水が必要であった。

 

★彼女は人生に行き詰っていた。

  人生を生きてはいたけども、流されつつ歩んでいた。 

  自分の心を満たそうとしていたけども、満たされずにいた。

  何度も同じことを繰り返し、うまくいかないことを経験していた。

  なるようになるさ。 うまくいかない。 そのことで、人の目が気になっていた。

  浮草のような生き方をしていた。 流れのままに流されていく。

  根を張りたいと思いつつも、流されていく。

 どうしてうまくいかないのだろうか? 何が原因なのだろうか?

 相手に問題がある。 自分にも問題がある。

  一時的な満足を追い求めて歩んでいた。

  確かに、一時的なものは、一時的な満足感、幸せ感を与えてくれるが、その満足感、幸せ感は長続きしない。 虚しさを覚えさせられる。

 

★周りの人は、彼女を責めた、非難した。

  とんでもない者だと どうしようもないなあと非難した。

  どうしてあのようなことをするのか。 汚れた者だ。

  付き合いたくない。 仲間はずれにした。

  彼女も決してそのことをよしとしていたわけではない。   

  同じことを繰り返す。 目の前のものを変えることで、何とかしのごうとしていた。 でも、心の奥底の魂はカラカラに渇いていた。

 

◆行橋の田んぼ

  水不足で、水がない所があることを昨日ニュースが流れていた。

  本来水があるべき水田に水がない。そして稲の苗は植えられて少しだけ大きくなってきているのに、ひび割れていた。

 このままだと、苗が育たない。枯れてしまう。 お米の収穫に大きく影響する。

 

★魂の状態はどうであるか?

  映像として見ることはできないが、水田に例えるなら、水がたたえられているべきなのに、水がほとんどない。そのためにひび割れしているかもしれない。

  花壇の土も乾くことがある。 一番良いのは、雨がたくさん降ること

   次善策としては、じょうろ、バケツやホースで水かけ 

 

★外に見える部分も大切だが、外から見えない部分はもっと大切。

  心に不平不満があれば、それがいつか出てくる。

  心が満たされていなければ、一時的なことに走ってしまう。

  人への恨み、社会への恨み  それはいつか爆発してしまうかもしれない。 反社会的なことをしてしまう。

   あのことは許せない。決して許せない   あの人は許せない。決して許せない。 そのような思いを持つことがあるかもしれない。 その思いが解決しなければ、自分自身が苦しくなる。

  この思いは正しいのだと思ってもむなしい歩みとなってしまう。

 このような思いを持ち続けてはいけないと自分の心を抑え続けて苦しくなる。

 

 ★を潤う水

 魂の土壌がカラカラだとしてひび割れているとしたら、必要なものは、その魂を潤う水です。

 その水がなければ、ひび割れはますますひどくなる。

 私たちは、神様によって造られた存在。

 その造り主なる神は、私たちの魂をも生き返らせてくださる。

 魂が満たされて歩む秘訣は、造り主なる主を仰ぎ、その方につながって歩んでいくこと。 その方から絶えず、魂を潤す命の水をいただき続けること。

  

◎13-15節

4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。

4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

4:15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」

 

★渇く水と渇かない水

  一度飲んだら一生渇かない水はない。

  渇く水とは、主につながらないままに歩み続ける歩みであり、その時に手を出しむなしくなるものと言える。

  渇かない水とは、主につながって歩み続ける歩みであり、主によって与えられる交わりの恵みと言える。

  渇かない水と言っても、一度だけ主のもとに来ていただいて、それで、一生渇かないということではない。 主につながり続けることが大切。

 いつも主につながって生きる。

 主よりいつも魂を潤す水を受け続けることが大切。

 

◆白川水源

  熊本に白川水源というところがある。

環境庁の「名水百選」に選ばれるほど有名な水源です。

常温14℃の水が毎分60tも湧き出て、熊本市内の中央を流れる白川の源となってい 

ます。水源の水は自由に持ち帰ることができ、加熱処理された水も販売されています。

白川水源はカルデラ内の火山群(中央火口丘群)の南の裾野にある代表的な湧泉で、毎分60トンもの豊富な湧水を誇る。環境省が日本全国から選ぶ名水百選にも選ばれている。

近隣には、塩井社水源、川地後水源、寺坂水源、湧沢津水源、池の川水源、小池水源、吉田城御献上汲場、明神池名水公園、妙見ヶ池、竹崎水源など、良質で豊富な水が湧出する湧水群がある。

熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある一級河川白川の総水源です。白川の上流に流れる水のほとんどは、阿蘇カルデラに降り注いだ雨や湧水。毎分60トンの湧水が勢いよく湧き上がる白川水源は、極上の癒しスポットです。電車でのアクセス:南阿蘇白川水源駅(南阿蘇鉄道高森線)

  阿蘇山に降った水が、地下水となり湧き上がってくる。

 毎分60トン こんこんと湧き出て来る水

  主なる神様につながって生きることを通して、生ける水がこんこんと湧き出て来る。 なんと幸いなことでしょう。

 

 このサマリアの女性は、その水の与え主である主イエスと出会った。

 主イエスが来てくださった。

  彼女は変えられた。 なんと幸いなことか

 

★本当に求めるべきこと

  一時的なものを追い求めるのではなく、一時的ではないもの、永遠に続くものを追い求めましょう。

揺れ動くものにではなく、揺れ動かないお方に依り頼みましょう。

 本当に求めるべきは、主につながって生きるということです。

 

 

7月20日() 祈祷会 奨励メモ

      「大麦のパン5つと魚2匹」 ヨハネ福音書6章1-15節 

 

★どうしたらよいか?

  今、これが必要だ。 でも、それがない。 

  私たちの日常の歩みにおいて、そのようなことがある。 自分のこと、家族のこと、友達のことで。  その時にどうするか?

  どうしたら良いか、心配になって仕方がない。 いつもそのことで頭がいっぱい 夜も眠れなくなる。 夜眠っても、夢の中で、悩むかも。

   他の人に話をする。 相談する。・・

   もう、あきらめる。 あえて考えない。 ほったらかしにする。

  

★弟子たちが経験したこと

  自分たちで何ができるだろうかと思い悩む。

  集まっていた町の人たちの必要。

 

◎1-6節

6:1 その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。

6:2 大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。

6:3 イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。

6:4 ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。

6:5 イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、

6:6 こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。

 他の福音書の記述を読むと、時は夕方。 もうすぐ、日が沈みそうな時

 そこに集まった町の人たちは、家に戻らねばならない。

  現在のように、バスや電車、タクシーもない。 コンビニもない、ホテルもない。 歩いて帰るにしても、何時間もかかる人もいたであろう。 帰り着くのは夜中になる人もいたであろう。

 主イエスのご命令

  この集まった人たちに何か食べ物をあげるように。 主は、その集まった人たちのことを心配された。

 弟子たちは、考えたかもしれない。 帰るのはそれぞれの責任ですよ。 自分で来たのだから、自分で帰るべきだ。 食べ物も、自分のことだから、自分でどうにかしたら良いと 家にたどり着くのが夜中になろうと、空腹のままであろうと、自己責任ですよと。

しかし、主イエスは違った。

 集まった人たちのために、必要を満たしてあげたい。 せめて、夕食を食べさせたい。 集まった人たちの食べ物、必要を満たしてあげなさいと。

 

★子どもの時

  食べること、寝ること、・・ 当たり前と思っていた。

  その寝食のための必要は足りるのだろうか? ほとんど考えなかった。

  幸せといえば幸せ。 能天気と言えば能天気。

  世界を見渡せば、寝食のために小さい時から自分もその責任の一端を担う子どもたちもいる。

 学校にも行けず、行かずに、仕事をして、家族のために少しでも稼ぐ。

  子どものこと 何も考えなかったということだろうし、その必要は親が満たしてくれる。 親がすべてを知っている。 親に任せておけばよいと

 親への信頼があったとも言える。

 

★さて、弟子たちはどうしたか?

  二人の弟子のことが記されている。

  フィリポとアンデレ

*フィリポ

  彼は計算の早い人であった。 200デナリンなら何とかあります。

  このお金でパンを買い求めたとしても、一人ひとりには、ほんの少ししか分け与えることしかできない。 とてもとても足りません。 イエス様、到底無理です。 どんなに考えても不可能です。 と報告した。

 

*アンデレ

  集まった人に対して、どう食べ物を満たすことができのだろうかと思いめぐらしていた。 そこに一人の男の子

  自分のお弁当として、親から持たしてもらったものでしょうか? 

  イエス様が集まった人たちに食べ物を上げなさいと言われるのを聞いていたのでしょう。

 「これ、僕の夕食です。これを使ってください。」

 「これは、君の分でしょ。 これがなかったら、君はおなかがすくよ。」

 「いいんです。 これを使ってください。」

 アンデレはそれを受け取った。

  「じゃあ、これをまずイエス様にお渡しするね。 イエス様がきっとこれを用いてくださるよ」と 

 アンデレは、ピリポのようにぱあぱあと頭が回転する方ではなかった。

 イエス様なら、きっと何とかしてくださるに違いないと考えた。

  そして、イエス様のところに持って行った。

  ピリポは笑ったかもしれない。

   「アンデレ、君は大人だろ。これでどうなると思うんだ。子どもじゃないんだから常識を働かせた方が良いよ」と言ったかもしれない。 

 それでも、アンデレは、その男の子のように、これをイエス様にお渡ししよう。 きっと、どうにかしてくれるに違いないと。

 でも、大丈夫かなあ。 とても足りないかなあと思いつつも、主イエスに手渡した。

 

★手渡されたもの

  大麦のパン5つと二匹の魚が手渡された。

 

◎10-13節 

6:10 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。

6:11 さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。

6:12 人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残 

ったパンの屑を集めなさい」と言われた。

6:13 集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。

 主イエスの手に渡されたパンと魚

  主イエスは、パンを取り感謝の祈りを唱えられた。魚も同じようにされた。

  不思議なことが起きた。

  そのパンと魚が次々に増えた。

  主イエスによる奇跡 人々に配られた。 集まった人たちは、その配られたパンと魚を夕食としていただいた。

 

 今か20年ほど前の隣接地のことを思い出します。

  福岡県から売り出された。 競争入札 

  小さな金額ではない。 長年祈られてきた土地。

  競争入札に参加しよう。 近所の方で関心のある方々も見に来られた。

  当日、合同庁舎に出かけた。ほかにも入札希望者が来るかもしれない。 

  願わくば、ほかに参加者がありませんように。

 いたとしても、入札できますように。 なんと当日、県職員の担当者3名いた

  かと思います。 私たちの教会以外に参加者はいない。

  数字を書き込みました。 当然最低価格の金額と そして、落札できました。

 この土地は整地して駐車場とした。 現在の第1駐車場です。 

 この土地の支払いのために、目標金額を掲げました。

 そして皆で、このために各個人、各家庭に予約献金をしていただきました。

 それぞれ、祈って決めた金額を書き提出しました。

 その時の教会員の多くの方々が予約献金の申し込みをしてくれました。

 そして、およそ半年ほどで、その目標の目標金額は満たされました。

 福岡県にもちゃんと期限内に支払うことができました。

  大きな感謝でした。

 

★5つのパンと2匹の魚

  多い量では決してありません。

  男性だけで5千人、女性、子どもを含めたなら、7千人、8千人、1万人といたことでしょう。

  人間的に考えたらとても足りない。 焼け石に水といった量

  でも、それが主のもとに手渡されたとき、必要はすべて満たされた。

  主は必要を満たしてくださるお方。

 私たちの持てるものは決して多くない。

  でも、それを信仰を持って感謝して主のもとに差し出すとき、主により頼むときに主は満たしてくださる。

 なんという感謝なことでしょう。 ハレルヤ!

 

7月28日() 曽根合流祈祷会 奨励メモ

     「生きた水が川となって」 ヨハネによる福音書7章37-53節 

 

★主イエスに対する様々なとらえ方

  一人の人に対する見方

   あの人は良い人だ、あの人は悪い人だ 評価が分かれることがある。

   その人と接したときの、その人の言動に触れて

   具体的に何かをしてもらった、または何もしてもらわなかったかによっても評価が分かれる。

  主イエスに対するとらえ方 

◎40-44節

7:40 この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、

7:41 「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。

7:42 メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」

7:43 こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。

7:44 その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。

  主イエスに対して

   ある人たちは、預言者だ。 神からの特別なメッセージを預かって語る人

   ある人たちは、メシアだ。 キリスト 救い主だと

    神が特別にお遣わしくださった救い主だと

   ある人は、メシアではないと

  ガリラヤからは良い人は出ない。 北のガリラヤ地方は見下げられていた。 主イエスの最初の活動の拠点はガリラヤだったことから、そう言った。

   ある人は、主イエスの生まれた地がベツレヘムを知っていた。

    ミカ書5章の御言葉を心にとめていた。 

  主イエスをどうとらえるかによって、その人の歩みは変わる。

   偏見によって、間違った歩みにならないように。

   事実の誤認によって、間違った歩みにならないように。

   主イエスは、ベツレヘムでお生まれになった。 その事実

   ガリラヤで初期の宣教活動をされた。

  「異邦人のガリラヤは、栄光を受ける」(イザヤ書8:23)

   見下された地であっても、主の宣言、約束のよって、素晴らしいことが起きる。

 

★何をよりどころにするか?

 律法 伝統の教え

 神からの律法 その初め モーセの律法

 その後、いろいろな教えが告げられた。 出エジプト記、レビ記、申命記

 その元の律法に対する理解の仕方が様々、律法を細かく細分化して、人が作りあげた律法 それが伝統の教えになって行った。

 それに依り頼み、律法順守をなさなければならない。

 そのことなしには救いはないと考えるようになった。

◎45-52節

7:45 さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」と言った。

7:46 下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。

7:47 すると、ファリサイ派の人々は言った。「お前たちまでも惑わされたのか。

7:48 議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。

7:49 だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。」

7:50 彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。

7:51 「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」

7:52 彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」

 祭司長、ファリサイ派の人々、議員の人たち

  伝統の教え 人の教えに縛られていた。

  人間のとらえ方

   ガリラヤの地からは、良いものは出ない、預言者は出ないと

   伝統の教えが人のレベルであるかを示す。 都合の良い見方

   ベツレヘムのことは触れず。

  群衆は律法を知らないから呪われている。 自分たちは律法を知っているから祝福されていると思い違いをしていた。

 ニコデモは、律法の中から、出口を見出す。

  本人の話を聞くこと、何をしたかを確かめることは大切だと

  主イエスの話をなしたことをしっかり見聞きしていた。

 

★命の水

 水はとても大切な物  生命維持において欠かせないもの

 ・喉を潤す水 カラカラの喉を潤す

 ・体を潤す水 体全体で必要としている水

 ・魂を潤す水 心の奥底にある魂を潤す水

 

◎37-39節

7:37 祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。

7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」

7:39 イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしているについて言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、がまだ降っていなかったからである。

★主イエスによる招き

  招きを受けることは嬉しいこと  自分を覚えて招いてくれる。

  特に寂しさを覚えているとき

   自分は忘れられていないのだ。覚えられているのだと励ましを受ける。

  

★招きの時の条件

  それは渇いている者

  もし、これが別だとしたらどうしたら良いか?

  収入 年収何万円以上・・  持ち物、財産

 学歴 テストの点数何点以上・・ 体格 がっちり・・ 容姿 端麗・・

 特別の人だけが招かれることになる。

 しかし、主イエスの招きの条件はただ一つ、渇いている者

  魂が渇いている。

  生きる意味が分からない。 日々の中で心からなる喜びがない。

  一時的な喜びはあっても、何かむなしい。

 

★その魂の渇きを潤す命の水を与えよう。

  来なさい。そして飲みなさい。

  その命の水を飲みなさいと

  

★主を信じる者

 主を信じるということ それは、心の中に主イエスを迎えること

  今まで、心の中に主イエスはいなかった。迎えていなかった。    

  心の中には、自分自身が中心にいて、自分の考え、自分の願い、野望、自分の計画、自分が手に入れたいもの、・・ それらが自分の心を支配している。

  その心に主イエスを迎え入れる。

   端っこに置くのではない、中心にいていただく。

   お客さんとして、1回だけ迎えるのではない。

   私があくまでも家の主人、主イエスは、端っこにいてもらうのでもない。

    それはいつでも自分が中心、自分勝手に主イエスを動かす。

    隅っこにいてもらう、自分の都合で、自分の視野から消えてもらう。

  あくまでも自分が主人 心の中のパーツの一つとして扱うとしたなら、それは主を信じたことではない。

 主を信じるとは、心の中の中心にお迎えすること。

 最も大切なお方としてお迎えする。

 その方が、おっしゃることは、しっかり聞く。そして、それに従う。   

 

7月13日(水)ヨハネ福音書4:1-15のサマリアの女性と主イエスの出会いの個所でした。

★魂を潤う水

 魂の土壌がカラカラだとしてひび割れているとしたら、必要なものは、その魂を潤う水です。

 その水がなければ、ひび割れはますますひどくなる。

 私たちは、神様によって造られた存在。

 その造り主なる神は、私たちの魂をも生き返らせてくださる。

 魂が満たされて歩む秘訣は、造り主なる主を仰ぎ、その方につながって歩んでいくこと。 その方から絶えず、魂を潤す命の水をいただき続けること。

◎13-15節

4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。

4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。

4:15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」

  

★渇く水と渇かない水

 一度飲んだら一生渇かない水はない。

 渇く水とは、主につながらないままに歩み続ける歩みであり、その時に手を出しむなしくなるものと言える。

 渇かない水とは、主につながって歩み続ける歩みであり、主によって与えられる交わりの恵みと言える。

 渇かない水と言っても、一度だけ主のもとに来ていただいて、それで、一生渇かないということではない。 主につながり続けることが大切。

 いつも主につながって生きる。

 主よりいつも魂を潤す水を受け続けることが大切。

 

◆白川水源

  熊本に白川水源というところがある。

 常温14℃の水が毎分60tも湧き出て、熊本市内の中央を流れる白川の源となっています。水源の水は自由に持ち帰ることができ、加熱処理された水も販売されています。

白川水源はカルデラ内の火山群(中央火口丘群)の南の裾野にある代表的な湧泉で、毎分60トンもの豊富な湧水を誇る。環境省が日本全国から選ぶ名水百選にも選ばれている。

近隣には、塩井社水源、川地後水源、寺坂水源、湧沢津水源、池の川水源、小池水源、吉田城御献上汲場、明神池名水公園、妙見ヶ池、竹崎水源など、良質で豊富な水が湧出する湧水群がある。

熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある一級河川白川の総水源です。

 阿蘇山に降った水が、地下水となり湧き上がってくる。

 毎分60トン こんこんと湧き出て来る水

 主なる神様につながって生きることを通して、生ける水がこんこんと湧き出て来る。 なんと幸いなことでしょう。

 このサマリアの女性は、その水の与え主である主イエスと出会った。

 主イエスが来てくださった。

  彼女は変えられた。 なんと幸いなことか

 

◎38節

7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。

 生きた水が川となって流れる

 池はどうしても濁る

 金魚を飼っている。一番お悩みは何だと思いますか?

  飼ったことがある人ならわかる。 それは水が濁るということ。 

  水を時々換えなければならない。 また、酸素も不足する。 空気を送るブクブクを取り付ける。

 川は、雨降りの後は濁るけども、普通は濁らない。

  なぜなら、次々と水が上流から流れてきて下流に流れていくから。

  川は大好き。

   小さい時に水郷日田で育った影響もありますが、自然の中に流れる川

   そして、そこにたくさんの魚が泳いでいる。

   魚釣りや魚掬いをたくさんした思い出がある。

 主イエスを信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出る。

 その心に、主イエスが泉となり命の水が沸き上がる。

  その水がたくさんであるので、流れるようになる。

  その水は魂を潤す。 魂を生き生きさせる。

  生きる希望を与える。生きる意味を教えてくれる。

 

◎39節

7:39 イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしているについて言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、がまだ降っていなかったからである。

  その水とは、やがて与えられる聖霊であると。

 主イエスの十字架の死と復活を経て、主イエスの昇天、そして聖霊降臨の出来事が起こされる。

 弟子たちに注ぎ与えられた聖霊

 聖霊のご支配   その恵みに与る。 

 

 

 8月3日() 祈祷会 奨励メモ

 「神の業がこの人に現れるため」 

                 ヨハネによる福音書9章31-12節 

 

★どうすることもできないもの

  どうすることもできないものはいろいろある

  この国に生まれた、この時代に生まれた、 この家に生まれた。 

  自分の背丈、 体格、 自分の抱えている体質、病気、 ・・

  それが恵まれたものである場合もありますし、その逆のこともあります。

  その逆である場合は、大変さが伴う。

 

★生まれつき、こうである。

  生まれつき、手足が短くしかない。 目が見えない。

  生まれて間もなく、神経芽細胞種という病で、視力を失う

  生まれつき、・・、 生まれて間もなく、・・ いろいろとある。

  いろいろなハンディーを抱え、本人、家族は大変さを抱えることになる。

  変えたくても変えられない。 それを抱えつつ歩む人生を進んでいく。

 

★本日の個所

 生まれつき目が不自由な人、目が全く見えない。

 目が見えないことをもって生まれてきた。 でも、本人は、それを抱えつつも大きくなる。それが当たり前として受け止め大きくなる。

 目が見えないということであっても、それをもって幸せに生きている人はたくさんいる。 目が見えないことがアウトというわけでは決してない。

 目が見えない人のハンディーは確かにある。

  周り人を見ることができない、周りの景色を見ることができない。

  遠い先に何があるかわからない。自分で、自由に動き回ることは、目の見える人に比べたら、雲泥の差がある。

 目の見える人は、一般的に言うならば、目の見えない人を大変だ、不自由だと考える。 

 人によってはかわいそうだ、なんと大変だと考える。生まれつき目が見えないなんて、なんと不幸なことかと考える。 それは、決して正しいものではないのだが、・・

 目が見えないことで負ったハンディー、大変さ

  この記事に記されている人は、できる仕事は限られ、ひょっとしたら、通りで物乞いをしていたのかもしれない。

 そこを主イエスと弟子たちが通りかかった。

 弟子たちの質問と主イエスの受け答えが記されている。

 

◎1-5節 

9:1 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。

9:2 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」

9:3 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

9:4 わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。

9:5 わたしは、世にいる間、世の光である。」

 この人が抱えている大変さを見て、なんというかわいそうなこと、不幸なことと考えた。 このようなことを抱えるようになったのは、どうしてか? 誰のせいか? と考えた。

誰かが何か悪い罪を犯したからこうなったのではないかと考えた。

 そう考える人が多かった。 弟子たちもそう考えた。

 本人が罪を犯したからか、その両親が罪を犯したからか

「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」(2節)と尋ねた。

 生まれつき目が見えないとは。きっとそこに罪が関係しているに違いないと考えた、何かひどい罪を犯したからではないかと考えた。

どこに原因があるのか、だれに原因があるのかと原因探しをした。

 

この人は、周りの人からいつもそのような目で見られ、そのようにうわさされていた。 そのような噂を聞いたり、直接言われ、どんなにか傷ついたことでしょう? 本人もその両親もどんなにか心を痛めたことでしょう。

 どんなに言われても、心当たりはない。 周りの人と少しも変わらないのに、

 この生まれつき目が見えないということで、そう言われる。

心当たりは全くない、なのにそう言われる。どんなにか苦しかったことでしょう。つらかったことでしょう。

 そのような目で見られることは、生まれつき目が見えないというハンディーを抱えることの数倍も、数十倍もつらいことだったことでしょう。

 

★間違った態度

 そのような大変さを抱えていることには、本人ないし両親に原因があるように考えること、それは間違っている。

 ハンディーを抱えつつ歩んでいる人、大変さを抱えて歩んでいる人を不幸な人と考える。 それについては、きっと原因があると考える。特に、その本人やその両親を責めるような見方をする。 それは間違い。

 本人とその両親がその目が見えないことを抱え、いろいろと悩み、苦しみつつも、それを受け止めて歩もうとしているのに、その大変さを少しも理解しようとしない。 それどころか、傷口に塩をすりこむようなことを言ってしまう。

 

★何か大変さがあると、その原因はどこにあるのかと

 確かに一般的には考える。

 本人や家族も考える。 周りの人も考える。

  周りの人が、野次馬的に考え、勝手なことをいうことはおかしい。

  それどころか、それを決めつけるように言う。

   その原因は、あなた自身です。あなたの両親です。あなたの祖先です。

   そんなことはないのに、そう指摘する、時に断定する。

 偽りの宗教は、それを前面に出し、それを取り除くためには、これをしなさい。あれをしなさい。 これこれを買いなさい。 この印鑑をこの壺を、何十万円、何百万円で購入し、家の置きなさいと。 これこれの奉仕をしなさい。

 その人の大事なものを勝手に剥ぎ取る、奪い取る。

 

★主イエスの返答  

◎3節 

9:3 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

 人の抱えている大変さ

  この人にとっては、目が見えないということ

  周りの人は、まったくマイナスなことと考えた。

  その原因は、本人または両親にあると考えた。

 しかし、主イエスはそのことを否定された。

 「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。」(3節)

 何か大変なことが起きたとき、苦しいことが続いたとき

  人は誰かのせいにしたくなる。あの人が問題だ。あの人がこうしたからだ。

  あの人がこうしなかったからだ。 あの人に原因があると勝手なことをいう。 自分自身が背負うのではなく。人に背負わせる。

 主イエスは、だれにも背負わせなかった。 誰のせいでもない。

  誰かの罪のせい。誰かが問題だからではない。

 今背負っているもの

  その人が背負っているものを否定的には考えられなかった。

  このことには意味がないわけではない。意味がある。

 その人の抱えていることをマイナス、意味のないものとは考えなかった。

 その人の抱えていること、確かに一般的に見るならハンディーであり、大変さが伴う。しかし、そこには意味があると

 原因探しではなく、意味探し。 意味がある。 さらに言うならば、大きな意味がある。 その人でしかできないことがある。

 「神の業がこの人に現れるためである。」(3節)

   この人を通して、神の業が現れると言われた。

   この人の抱えているハンディーを通して、神の業が現れる。

 

★神の業

 人の業はいろいろある。 その人自身が太る、その人がいよいよ多くの者を手に入れる。 その人自身が誉めたたえられる。

 神の業が現れる。 

  多くの人が神の恵みをいただき、生かされる。 多くの人が喜ぶ。

  多くの人が神をほめたたえる。

 

★その直後の出来事

  その人の目が見えるようになる奇跡が起きた。

◎6-12節

9:6 こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。

9:7 そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。

9:8 近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。

9:9 「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。

9:10 そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、

9:11 彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」

9:12 人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。

  唾で泥をこね目に塗られた

  シロアムの池に行きなさい。そこで目を洗いなさい。

  その通りにした。 すると目が見えるようになった。

 生まれつき目が見えなかったその人は目が見えるようになった。

 そのことを周りの人に知らせた。 証しした。

  

★シロアムの池

  シロアム 遣わされた者という意味

  真の神から遣わされた者、お方 それは主イエスご自身であった。

その主イエスを通して、御業がなされる。 遣わされた者

  私たちは、主イエスを信じ、神の子どもとされ、主の弟子としてこの世に遣わされている者 大きな感謝

 本物のお方から遣わされることが大事。主の良しとされる良いことを行う。

  異端宗教に気を付けなければならない。  

 今話題となっている異端宗教 この世で、悪徳なこと、霊感商法を行い、集団結婚式を行い、多くの人々からお金を吸いあげ、その人生を、その家庭を破壊している。 政治の世界に入り込み、自分たちの思い通りに事を運ぼうとしている。 偽り者。 偽りの遣わされた者

 

★神の業が現れるため 

  それぞれが抱えている事柄 抱えているハンディー

  他の人と比べて大変だと思えること、一見マイナスと思えること。 

  主はそれをまた受け取ってくださる。

  共にあって助けてくださる。

 その人にしかできない働きに用いてくださる。

  可能性へと引き上げてくださる。

  後ろ向きではなく、前向きに受け止める。 前進していく幸いへと。

 

 

8月10日() 祈祷会 奨励メモ

 「主イエスを信じる者は」  ヨハネによる福音書11章17-20節

 

★どうすることもできない問題

  様々なことの中で、困難な問題、どうすることもできない事柄がある。

   特に、老いの事柄、病との闘い、死の問題

   避けることのできない事柄

   世界的歌手のオリビア・ニュートン・ジョンさんの死去 73歳 「そよ 風に誘惑」 乳がん30年以上 あの輝いていた人も、この地上での生涯を閉じられた。

 

死の問題は、とても大きく手ごわい

  死は、すべてを飲み込む

  命のすべてを飲み込む。 誰かのことではなく、身近な人のことであり、私たちすべてのことです。 このことを考えると、心が暗くなる。なぜなら、逃れることができないものだから。 この問題の解決なしに歩むことは苦しい。

  考えないことにする。無視する。 しかし、それは根本的な解決ではない。

  主イエスのもとにその解決があります。

 

★さて、本日の聖書箇所

  マルタとマリアの弟ラザロの病気と死

  主イエスと親しかったマルタとマリアの弟 病に取りつかれ、もう命の灯がほんの少し 僕が主イエスのもとに遣わされる。

 その様子は、

○1-16節  

11:1 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。

11:2 このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。

11:3 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。

11:4 イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」

11:5 イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。

11:6 ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。

11:7 それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」

11:8 弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」

11:9 イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。

11:10 しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」

11:11 こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」

11:12 弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。

11:13 イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。

11:14 そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。

11:15 わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」

11:16 すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。

 僕が家を出てすぐラザロは息を引き取った。 その家から1日かかって主イエスのところに 主イエスはラザロが1日前に亡くなったことをご存じであった。

 すぐに移動せず、さらに2日間、動かず。

それから移動。マルタとマリアの家に着いたのはラザロの死後4日経っていた。

 

 その家での様子

◎17-29節

11:17 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。

11:18 ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。

11:19 マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。

11:20 マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。

11:21 マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。

11:22 しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」

11:23 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、

11:24 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。

11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。

11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

11:27 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

11:28 マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。

11:29 マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。

マルタとマリアの悲しみ

 慰めに集っていた人たち マルタとマリアどんなに慰められても、どうすることもできない。

 マルタと主イエスとのやり取り

  マルタ あなたがおられたらラザロは死ななかったでしょうと。

 主イエス ラザロは復活する。 終わりの日に復活することは知っています。

 

★この後の出来事

  蘇らすという奇跡の出来事

○30-44節 

11:30 イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。

11:31 家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。

11:32 マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。

11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、

11:34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。

11:35 イエスは涙を流された。

11:36 ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。

11:37 しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。

11:38 イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。

11:39 イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。

11:40 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。

11:41 人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。

11:42 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」

11:43 こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。

11:44 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。

  ラザロよ、出てきなさい。  布で巻かれたラザロがよみがえる。

  驚くべき奇跡

 

★主イエスを信じる者は

その奇跡の起こされる前に主イエスがマルタに語られた言葉

〇25-26節

11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。

11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

 わたしは復活であり、命である。

 その時には、主イエスの復活はまだ誰も見ていなかった。

  十字架の死の三日後の出来事  死を打ち破られた。

  命があるだけでは、勝利ではない。 命は、最後には死に飲み込まれる

  復活があり、その命は勝利となる。

 

★死んでも生きる

  死んでも生きるとはどのような意味なのか?

  死んでしまえばもはや生きていない。

   その地上での歩みのすべては終わる。 すべての活動は停止、永遠に停止する。 死んだ後、その人が残したものが残る。

   その人の持ち物、財産、愛用していたもの、住んでいた家。

   その人の日記、書き物、随想、 作った作品 絵画、建物、・・

   その人の歩んだ人生 共に近く歩んだ人たちとの思い出

   死んでも生きるとは、そのようなことなのか?

   しかし、それらのものはやがて古びてしまう。処分される。

   そのことを知っている人たちもやがていつか亡くなる。

   50年たち、100年たてば、その人を知っている人は誰もいなくなる。

  死んでも生きるとは?

   この地上での命は終わり、その持ち物もその人のものではなくなる。

   その記憶、思い出もすべて失われる。

   生きるとは、主イエスにあって、天において生きるということ

   死んだら、あの世?  極楽? パラダイス? 天国?

    そのように言う言い方が確かにある。 それは、希望として、またそう思いたいということで、そのような表現  それで、何とか、心に慰めを得る。

  そこに行ったことのある人はいない。 そこがどのような世界であるかは誰も知らない。 誰が支配しているかも知らない。

  主イエスを信じる私たちは、そのところの主が誰であるかを知っている。

   その主こそ、天の神様である。

   その主が備えておられる世界、天の御国である。まさに天国である。

   天の御国の民として生きる。

  それがどのような姿なのか、どのような有様であるかは、詳しくは記されて

  いない。しかし、真の命の主である神と共にある。

  この地上での礼拝、御国での礼拝。 真の神に対する礼拝 なんと幸いなことでしょう。

 

★決して死なない。

  この地上の肉体的な命は終わる。

  しかし、主イエスを通して与えられた命は終わらない。

 主イエスを信じ、罪の赦しをいただき、神の子どもとしての命が与えられる。

  永遠の命 神と共に生きる命、 主によって、与え続けられる命

  その命、主とつながっている命

  その命は終わることがない。 なぜなら、主によって与えられ、主によって支えられているから。

 主につながって生きる。 主のものとなって生きる。 神の子どもとなって生きる。

 この幸いについて、ラザロの蘇りの前に、主イエスはマルタに告げられた。

  

★主イエスを信じる者は

  どれほど、幸いなことであるか。

  その幸いを心にとめて歩み続けましょう。

 

 

8月25日() 曽根合流祈祷会 奨励メモ

   「悲しみが喜びに」     ヨハネ福音書16章16-33節   

 

★悲しみ

  私たちの人生には、喜びと共に悲しみがあります。

  一番大きな悲しみの一つは、愛するものとの別れです。

   飼っていたペットを失う。経験のある人は分かることでしょう。

   一緒に過ごした時間を思い出します。

   そして、愛する者との別れ。これほどつらいことはないことでしょう。

   伴侶、父、母、兄弟、子ども、友人、・・

   ほかのもので埋めることのできない悲しみ。

 

★弟子たちがこれから経験しようとしていること

 主イエスとの別れ 主は、やがて捕らえられる。そして十字架につけられる。

  命を奪い取られる。  共に歩んだおよそ3年間の日々が終わる。

  主イエスによる予告

 

◎16-18節

16:16 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」

16:17 そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」

16:18 また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」

 弟子たちは、主イエスが語る意味が分からなかった。

 見なくなる。 どういうことだろう。 ここにいるではないか。

 しばらくすると見るようになる。

  どこかに行って来られるのだろうか。旅に出かけられるのだろうか。 

 十字架での死と三日後の復活だということは考えだにしなかった。

  

★悲しみを味わいたくないと思う。

  悲しみは味わいたくない。  悲しいこと、苦しいこと、それはすべてマイナスと考える。 でも、どうだろう。

  大根おろし

   大根を大根おろし器ですり下ろす。大根はずたずた。

   すり下ろされたもの。それを私達は美味しくいただく。

  美味しいスイカ、ぶどう、桃

   つるを伸ばし花を咲かせ、やがて実を付ける。

   太陽の熱さを味わう。それを経て甘さが増す。

 

◎19-22

16:19 イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。

16:20 はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。

16:21 女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。

16:22 ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。

 主イエスが語られたこと

 子どもを産む。 これは女性にしかできないこと。 

 産んだことのない者には分からない。産むことの大変さ。

 その痛み。 男性あれば失神してしまうほど。

 ところが、赤ちゃんが生れ出ると、赤ちゃんの産声。無事に生まれた。

 一つの命を産み出した。大仕事をなす。

 お母さんは、その直前までの痛み、苦しみを一瞬のうちに忘れると聞く。

 

★悲しみは喜びに変わる。

  苦しみが喜びに、 悲しみが喜びに変わる。

  長く会えなかった人に会えた。 それは大きなサプライズ。

  もしかしたら会えないかもしれないと思っていた人に会う。

  日本では見ることはできない。

  軍隊に入り、外国の地で働く。 厳しい状況の中に派兵される。 

   ひょっとしたら、そこで命を落とすかもしれない。

   任務を終えて無事に帰って来る。 サプライズで帰って来る。

   その家族に、急に姿を現すと、絶叫が起きる。

   なぜなら、驚きであると同時に、信じられない。

   毎日、毎日心配し、祈っていた夫、父親が、母親が無事に戻って来た。

    

★主イエスの復活

  弟子たちは、悲しみのどん底から引き上げられる。

  復活の主が戻って来てくださった。

  もう戻って来ることはないだろう。 万が一、戻って来られたとしても、自分たちには大きな災いが降りかかるだろう。なぜなら、自分たちは主イエスを見捨てたのだから。

 でも、実際はそうではなかった。 悲しみは吹っ飛んだ。 喜びに変わった。

 そのことを味わうとの予告。

 その通りになった。主イエスの復活と自分たちのところに帰ってきてくださった。弟子たちの喜び。

 

★主に願うことが許されている。

  主イエスの名が力を持つ。

  主イエスの復活により、その名によって祈ることができるようになった。  

◎23-24節

16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。

16:24 今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。

 主イエスの名によってお祈りいたします。

  それ以外の名を用いても届かない。 許可されない。

  支払い済みで予約の航空券を持っていれば、飛行機に乗ることができる。

  その航空券は、オッケーです。保証されています。

   既に料金が支払われています。

 主イエスの十字架の死と復活により、主イエスの名の権威

 その名によって祈る祈りを、神はお聴きくださる。

 御心にかなうことを願うならば、その願いはかなえられる。

 ダメだ、ダメだではなく、大丈夫だ、きっと大丈夫だと信じることができる。

◎25-27節

16:25 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。

16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。

16:27 父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。

 

★悲しみが喜びに

 悲しみ もう会えないと思っていた者との再会。

 死別した愛する父、母、伴侶、子ども、兄弟、・・ 御国での再会

 主イエスの復活により、そのことが備えられた。 御国が備えられた。

 復活の主イエスをほめたたえる。

  主イエスの復活の恵みが主イエスを信じる者たちにも分け与えられる。

  この大きな幸い。

 

★一人になる

  一人取り残される。 主イエスは、一人取り残された。

  弟子たちは、主イエスの語られることを理解しなかった。

  最後は、主イエスを見捨てて逃げ去った。

 孤独を感じる。一人取り残される。

 その時、一人ではなかった。 一人なのに一人でなかったとは?  父なる神が共にいてくださった。 一人ではない、父なる神が共にいてくださっている。 

 コロナで、コロナ前のように人と頻繁に会えない。

 病院、施設に入ったら、家族ともなかなか会えない。 孤独を味わう。

 どこから励ましを得るか。 確かにスマホで、家族と話すこともできることもある。それでも、直接会うことはなかなか難しい。 一人で日々過ごさねばならない。 主を仰ぎ、主に祈り、過ごす。  主よりの励ましをいただきつつ。

 

◎28-33節

16:28 わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」

16:29 弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。

16:30 あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」

16:31 イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。

16:32 だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。

16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。

 

★世に勝つ

  揺れ動く世界。 揺り動かされる。

  いろいろな不安、恐れを抱かされる。

  召天者合同記念礼拝の時にも少しだけ語った。今ある3つの大変なこと。

   第1は、コロナ禍

    新型コロナ感染 パンデミック、 世界中に

    行動制限、マスク生活、 隔離、 重症化、・・

   第2は、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻

    侵攻から6ヵ月が過ぎ、7ヵ月目に

    一人の人の野望、妄想によって、どれだけの悲しみが起きたことか

   家々、町々の破壊、 日常生活が破壊され、家族がバラバラに。

国外への非難1千万人を超える。 多くの人の死

  ウクライナの一般市民、兵士

  多くのロシアの兵士もまた ウソで駆り出され、その尊い命を失っている。

    この戦争により世界中が苦悩。

   第3は、キリスト教の異端宗教、カルト宗教

    旧統一教会(現世界平和統一家庭連合) 名前を隠して様々な活動

    集団結婚式、霊感商法、・・

  多くの人をだまし、洗脳して、大事な財産を吸い上げる。多くの家庭が崩壊

    日本の政治家を取り込んでの保身の活動。

   この他にも、

   この世に生きる中で、私たちを悩まし苦しめる事柄は、他にも多くある。

    人間関係での悩み、 自分や家族の病気にこと、 ・・

  世では苦難がある。

   悩みがある。揺さぶるものがある。

  平然としておれない。ジタバタせざるを得ない。吹き飛ばされそうになる。

  激しい突風がやって来た。 飛ばされないように踏ん張る。 それも限界がある。

 その時、大きな頑丈なビルディングの中に逃げ込めば、もう大丈夫。

  大きな岩の後ろに身を寄せればもう大丈夫。

 主は勝利者なるお方。

  世に勝っているお方、サタンと呼ばれるものにも勝っておられる。

  その方が私たちの主である。 大きな感謝。

 

★悲しみが喜びに

  さまざまな悲しみを経験する。

  それで終わりではない。 喜びに変えられる。

  喜ぶことができる。 主と共に歩む中で 。

 

9月21日() 祈祷会 奨励メモ

   「主の栄光」   エゼキエル書10章1-22節

 

★預言者エゼキエル

旧約聖書における三大預言書の一つエゼキエル書

 イザヤ、エレミヤ、そしてエゼキエル

 南ユダの滅亡の前にバビロンへの捕囚として連れて行かれケバル川のほとりで幻を見る。 南ユダの滅亡を預言する。後半40章からは、回復の預言

 

★旧約の預言

  最初から、そのままで良い、何でも良いとは告げられない。

  最初は厳しさがある。

   そのままではいけない。そのままであるなら、大変なことになる。

   苦しみを受ける、滅亡してしまう。

  赤ちゃんに厳しくする親は、まずいない。

  幼児になり、小学生になるに従って、これはして良いこと、これはしてはいけないことを教える。 特に危険なこと、悪いことは、はっきり教える。

  神もまた、間違いに対しては厳しいお方

  ただ、怖いお方ではない。そのままであるなら、大変なことになる。滅亡してしまう。そうならにようにと 

  そして、その歩みを認め、主の示される道を歩むなら、大きな幸いがあることを示してくださる。教えてくださる。

 

★エゼキエルの見た幻

  特別な幻

  ケルビムに関しての幻 天の使いとしてのケルビム

 

★ケルビムのことが最初に記されている箇所

◎創世記3:20-24

3:20 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

3:21 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。

3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。

 命の木を守る存在、働き

 

★次には

○出エジプト25:18-22

 

25:18 打ち出し作りで一対のケルビムを作り、贖いの座の両端、

25:19 すなわち、一つを一方の端に、もう一つを他の端に付けなさい。一対のケルビムを贖いの座の一部としてその両端に作る。

25:20 一対のケルビムは顔を贖いの座に向けて向かい合い、翼を広げてそれを覆う。

25:21 この贖いの座を箱の上に置いて蓋とし、その箱にわたしが与える掟の板を納める。

25:22 わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。

 契約の箱の上にある贖いの座の一部として打ち出しとして作られたもの

 

★その他

○列王記した22:10-11

22:10 主は天を傾けて降り密雲を足もとに従え

22:11 ケルビムを駆って飛び風の翼に乗って現れる。

 

★エゼキエル書1章

○エゼキエル1:1-20

 

 

★10章

 1章で記された不思議な存在、それと同じものを再び見る

  それがケルビム

◎エゼキエル10:1-22

 エゼキエルは、ケルビムという存在、生き物 天の使いを幻として見た。

 神秘的な体験をするエゼキエル 

 

 神秘的な不思議な体験

  故市吉京子姉は、5歳の時のイエス様の幻

 両親がクリスチャン 小さい時から祈りを聞き、教会にも行っていたことでしょう。 両手を広げ、「子らよわたしのもとに」と招かれる主の幻

  人生の半ばより主にしっかりつながり、クリスチャンとして歩まれた。

 神秘的な体験で終わらないように。 主と結びつくように。

 

★10章における幻で大切なところ

◎1-7節

10:1 わたしが見ていると、ケルビムの頭上の大空の上に、サファイアの石のようで、形は王座のように見えるものがあるではないか。それはケルビムの上に見えた。

10:2 主は亜麻布をまとった者に向かって言われた。「ケルビムの下の回転するものの間に入れ。そして、ケルビムの間にある燃える炭火を両手に満たし、それを都の上にまき散らせ」と。彼は、わたしの目の前で入って行った。

10:3 その人が入って行ったとき、ケルビムは神殿の南側に止まっており、雲が中庭を満たしていた。

10:4 主の栄光はケルビムの上から立ち上がり、神殿の敷居に向かった。神殿は雲で満たされ、庭は主の栄光の輝きで満たされた。

10:5 ケルビムの翼の羽ばたく音は外庭にまで聞こえ、全能の神が語られる御声のようであった。

10:6 主が亜麻布をまとった人に命じて、「火を、回転するものの間、ケルビムの間から取れ」と言われたので、彼は来て、車輪の傍らに立った。

10:7 すると、ケルビムのひとりが、手をケルビムの間から、ケルビムの間にある火に向かって伸ばして火を取り上げ、亜麻布をまとった者の両手に置いた。その人は火を受け取って、出て行った。

  炭火を受け取り行く亜麻布をまとった人

 その炭火を都の上にまき散らすように。 裁きを指し示すものかもしれない。

 幻の中では神殿が出てくる。

 そして、主の栄光

 

◎18-19節

10:18 主の栄光は神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった。

10:19 ケルビムは翼を広げ、傍らの車輪と共に出て行くとき、わたしの目の前で地から上って行き、主の神殿の東の門の入り口で止まった。イスラエルの神の栄光は高くその上にあった。

 

 ケルビムの上に存在する主の栄光

○1:1-3

1:1 第三十年の四月五日のことである。わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した。

1:2 それは、ヨヤキン王が捕囚となって第五年の、その月の五日のことであった。

1:3 カルデアの地ケバル川の河畔で、主の言葉が祭司ブジの子エゼキエルに臨み、また、主の御手が彼の上に臨んだ。

 

 ケルビムをも支配しておられるお方 すべてをご支配しておられるお方

 人のなすこと、考えること

 自分の思いを通したい。  自分の願いをかなえたい

 その結果、うまくいくこともあるが、うまくいかないこと、大変なことも多く起こってくる。 行き詰まりに陥ることも 何とか、そこから脱したい。 

 自分自身の罪、人間の罪が、そのことを妨げる。

 

 主のご支配、助けを必要とする。

 主の栄光 主を見上げることの大切さ。

  主のご支配の中で、最善がなされるように。

 

 

9月22日() 曽根合流祈祷会 奨励メモ

   「主を見上げることの幸い」  エゼキエル書11章1-22節

 

★エゼキエル書

 旧約聖書における三大預言書の一つエゼキエル書

 イザヤ、エレミヤ、そしてエゼキエル

 預言者エゼキエル 南ユダの滅亡の前にバビロンへの捕囚として連れて行かれケバル川のほとりで幻を見る。 南ユダの滅亡を預言する。後半40章からは、回復の預言

 

★神の特別な方法

  主の霊が特別なことをなさる。

  エゼキエルは、主の霊に導かれて、幻を見た。

  遠いケバル川ンほとりにいたにもかかわらず、幻のうちに主の神殿の東の門に運んで行かれた。

  遠い地のことを心配する

   故郷のこと、遠い地に住む家族、親族、友のこと

     

★南ユダの国の滅亡が近い時

  人々は2つに分かれた

  一つは、先にバビロンに捕囚の民として連れて行かれた人たち

    悲しみと苦しみの中に過ごした。

  もう一つは、なお祖国にいる人たち 捕らえられ遠いバビロンに連れて行かれていない人たち

 祖国にある人たちの中でも、2つ分かれた。

自分たちの国は危ないのではないか、滅ぼされるのではないかと考える人たち。

 いや大丈夫だと考える人たち

 

★民の指導者たち

  大丈夫だと考える人たちがいた。

◎1-3節   

11:1 霊はまた、わたしを引き上げ、主の神殿の東に面する東の門へ運んで行った。門の入り口に二十五人の男がおり、その中に民の指導者であるアズルの子ヤアザンヤと、ベナヤの子ペラトヤがいるのをわたしは見た。

11:2 主はわたしに言われた。「人の子よ、この人々はこの都の中で悪をたくらみ、悪い計画を立てている。

11:3 彼らは、『家をすぐに建てる必要はない。この都は鍋で、我々は肉だ』と言っている。

 自分たちは特別な存在だ。

 このエルサレムは城壁で囲まれている、鍋のようなもの

 その中で過ごしている自分たちは、高級な肉だ 守られている。どんなことがあっても大丈夫。

 それは、ウクライナでの戦争を引き起こしたロシアの指導者たちに似ている。

  自分たちは大丈夫。特別なのだ

  実際には、そうではない。 しかも、自分の国の多くの若者たち戦場で亡くなっている。 自分たちの野望を通そうとすることよりも、自分の国の大切な若者たちの命の方が大切なのに、戦争をやめようとしない。

 愚かにも、自分たちは特別なのだ。どんなことがあっても大丈夫だと考えている。  

 エルサレムにいた民の指導者たちもそう考えていた。大丈夫だと。自分たちは特別な者たちなのだ、だから、守られ続けると。

 

★それに対しての主の御心

特別な高級な肉ではない。

 どんなことをしても、自分たちは守られるということはない。 そのままであるなら、滅ぼされる

○24章1-10節  

24:3 あなたは反逆の家に対してたとえを語り、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。据えよ、鍋を据えよ。またその中に水を注げ。

24:4 それに肉の切れを入れよ。腿や肩肉、すべて上質の肉切れを集め 最上の骨で鍋を満たせ。

24:5 また、最上の羊を取り その下に骨を積み重ねよ。これを十分に沸騰させ 中の骨まで煮えるようにせよ。

24:9 それゆえ、主なる神はこう言われる。災いだ、流血の都よ。わたしもまた、薪の山を大きくする。

24:10 まきを積み重ね、火をつけよ。肉を煮込んで肉汁を作り、骨を焦がせ。

 あなたたちは引き出される。 エルサレムから引き出される

 剣が臨む。 剣に撃たれて死ぬと

 決して安泰ではない。 あなたたちはイスラエルの国境で滅びると

 遠い地に連れて行かれた同胞は裁かれたのだ。 特別に悪い者たちだったのだと考えていたのかもしれない。

 自分たちは、どんなことがあっても守られる。大丈夫だと考えていた。 しかし、その自分たちは引き出され、遠い地に連れて行かれる手前で、命を落とすと

◎4-12節

11:4 それゆえ、彼らに向かって預言せよ。人の子よ、預言せよ。

11:5 また、主の霊がわたしに降り、主は言われた。あなたは言わねばならない。主はこう言われる。イスラエルの家よ、お前たちはそのように言い張っている。わたしはお前たちが心に抱いていることを知っている。

11:6 しかし、お前たちはこの都の中で殺される者を数多く出し、路上は殺された者で満たされる。

11:7 それゆえ、主なる神はこう言われる。お前たちがこの都の中に積み上げる殺された者こそ、その肉にほかならず、都は鍋である。しかしわたしは、お前たちをそこから引き出す。

11:8 お前たちは剣を恐れているが、わたしはお前たちの上に剣を臨ませる、と主なる神は言われる。

11:9 わたしは、お前たちをそこから引き出して、異国人の手に渡し、お前たちに対する裁きを行う。

11:10 お前たちは剣に撃たれて倒れる。わたしはイスラエルの国境でお前たちを裁く。そのとき、お前たちは、わたしが主であることを知るようになる。

11:11 この都が、お前たちにとって鍋となることはない。お前たちがその中で肉となることもない。わたしは、イスラエルの国境でお前たちを裁く。

11:12 そのとき、お前たちは、わたしが主であることを知るようになる。お前たちはわたしの掟に従って歩まず、わたしの法を行わず、かえって周囲の国々のならわしに従ってきた。」

 裁きは、ふんぞり返っている指導者たちにこそ、臨む。

 権力を持ち、それを長期間持ち続けていると、人が傲慢になる。

 何をしても良い。何をしても誰も反対しない。 反対できないと、うぬぼれてしまう。 間違ったことに対しては、最後に自分に返ってくる。

 その時に知る。 自分たちはとんでないことをしてきたのだ。 どんなにひどいことをしてきたとかと。

 神の背いて歩んでいたことを知る。

 

★エゼキエルの叫び

 同胞はこのまますべて滅んで行ってしまうのですか?

 いつの間にか神の存在を無視し、神の存在を忘れ歩むようになったイスラエルの人たち 北イスラエルはアッスリヤの国に飲み込まれた、 南ユダの国もバビロニアの国に飲み込まれようとしている。

 散らされて行った人たちはそれでおしまいですか?

◎13-18節

11:13 わたしが預言していると、ベナヤの子ペラトヤは死んだ。わたしは倒れ伏し、大声で叫んで言った。「ああ、主なる神よ。イスラエルの残りの者を滅ぼし尽くされるのですか」と。

11:14 主の言葉がわたしに臨んだ。

11:15 「人の子よ、エルサレムの住民は、あなたの兄弟たち、すなわちあなたの親族である兄弟たち、およびイスラエルの家のすべての者に対して言っている。『主から遠く離れておれ。この土地は我々の所有地として与えられている。』

11:16 それゆえ、あなたは言わねばならない。主なる神はこう言われる。『確かに、わたしは彼らを遠くの国々に追いやり、諸国に散らした。しかしわたしは、彼らが行った国々において、彼らのためにささやかな聖所となった。

11:17 それゆえ、あなたは言わねばならない。主なる神はこう言われる。『わたしはお前たちを諸国の民の間から集め、散らされていた諸国から呼び集め、イスラエルの土地を与える。

11:18 彼らは帰って来て、あらゆる憎むべきものと、あらゆる忌まわしいものをその地から取り除く。

 彼らのためにささやかな聖所になる

 散らされたところにあって、彼らの祈りを受け取る。主の語り掛け、慰めを与える。

 再び、祖国の戻る時が来る。 神がその時を備えておられる。

 厳しい中の置かれると、希望を失いそうになる。絶望感に包まれる。

 そこから助け出される時は来る。 主が用意してくださる。

 再び、回復するときがくる。 主が約束された。

 

★新しい霊、肉の心

 私たちが普段に願うこと。

 目の前の状況が好転してほしい。 自分の願うとおりになってほしい。

 事がうまく運んで行ってほしいと それ自体は決して悪いことではない。

  ただし、私たちはどうしても自己中心、自分が良ければよい

  事がうまくいけば、大事なことを忘れてしまう。

  自分だけでなく他の人も大事であること。 

この自分に命を与え生かしてくださっている主を忘れないこと

その主に対して、感謝して応答して歩むこと これらのことを忘れてしまう。

  自分勝手の物事を考えてしまう。

  主に従わなくても大丈夫、うまくいくと間違って考えてしまう。

  強情な心、頑なな心、自分勝手な心、主の声を無視する心

 それが変えられる必要がある。

◎19‐25節

11:19 わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。

11:20 彼らがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。

11:21 しかし、憎むべきもの、忌まわしいものに心を寄せている者には、彼らの行ってきたことが頭上にふりかかるようにする』」と主なる神は言われる。

11:22 そのとき、ケルビムは翼を広げ、車輪もまた共に行った。イスラエルの神の栄光は高くその上にあった。

11:23 主の栄光は都の中から昇り、都の東にある山の上にとどまった。

11:24 霊はわたしを引き上げ、カルデアの方に運び、わたしを幻のうちに、神の霊によって、捕囚の民のもとに連れて行った。こうして、わたしの見た幻は、わたしを離れて上って行った。

11:25 わたしは、主が示されたすべてのことを、捕囚の民に語り聞かせた。

 

○36章24-28節

36:24 わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。

36:25 わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。

36:26 わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。

36:27 また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。

36:28 お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。

 新しい霊 主を見上げる心

 肉の心 やわらかい心

 畑を世話するときに、大切なことがいくつかある。

  畑の土地に大きな石がゴロゴロしているとするならば、それを掘り出して捨てる。 畑の土が固いならば、鍬でほぐしやわらかくする。

  土の質をよくする。 腐葉土を入れる等する。

  雑草が生えてくるのでそれを抜く。

 民の心は、自分勝手になり、強情になり、主を忘れ、無視するようになった。

 その心を造り変えるとの約束

 新しい霊、肉の心は主が用意して与えてくださる。

 主を見上げ、主の御心を心にとめて歩む。

 その幸いを主は与え、導いてくださる。

 

   

 10月5日() 祈祷会 奨励メモ

    「酸いぶどうのことわざ」  エゼキエル書18章1-18節

 

★酸っぱいもの 

  梅干し、レモン

  とても酸っぱい。 酸っぱくて、食べると唾液が出る。

食べなくても、それを食べる人を見るだけで唾液が出る。 歯が浮くような状態になる。

 

★一つのことわざ

  『先祖が酢いぶどうを食べれば子孫の歯が浮く』

  自分の先祖が酸いぶどうを食べる。 するとその本人ではなく、その子孫である自分の歯が浮く。

1-3節  

18:1 主の言葉がわたしに臨んだ。

18:2 「お前たちがイスラエルの地で、このことわざを繰り返し口にしているのはどういうことか。『先祖が酢いぶどうを食べれば子孫の歯が浮く』と。

18:3 わたしは生きている、と主なる神は言われる。お前たちはイスラエルにおいて、このことわざを二度と口にすることはない。

 このことわざの意味 その人の先祖が悪いことをしたら、その報いがその先祖の子孫に返ってくる。 

  先祖のなしたこと 自分が計り知れないこと

  その報いが返ってくる もしそうだとしたら、何か大変なことがある度に、このことはどの祖先が悪事の報いなのだろうと戦々恐々としなければならない。

  自分が今をどう生きるということよりも、祖先がどう生きたかということで、自分の歩みが支配される。振り回される。

  自分はいつも恐れなければならない。 自分の祖先とはいえ、そのなしたことで自分の人生が振り回される。

  主は、そのことわざは間違っていると語られた。

   

★そのようなことわざを悪用する者さえ

  その祖先のなした悪事が、あなたに返って来ないために、この高価な壺を買い求めなさい。それを床の間に飾りなさい。 この勤めをしなさいと

  そのことわざは違っている。

  それにもかかわらず、もっともらしく、その報いが返って来ないように、このことをなさい。あのことをなさい。 多額のお金を払って、これらの物を買い求めなさい。 それはすべて偽り。 神からは決していない。

  もし、そのことで、神の名を用いるならば、その教えの宗教はまったくの偽りものだということ。

   

★自分がどう生きるかが大切。

  自分が関わり得ない祖先。 その祖先がどのような歩みをしたか

  そのようなことに振り回される必要はない。

  そのような違った教えに対しては、すぐに見抜くべきだ。

  その教えの団体は全くの偽物 それらに対しては、断固ノーと

  そのようなことは違っています。 私は、その勧めを拒否します。

  退けますと言って良い。

  

◎4節 

18:4 すべての命はわたしのものである。父の命も子の命も、同様にわたしのものである。罪を犯した者、その人が死ぬ。

  罪を犯す者は死ぬ。

  

◎5-9節  

18:5 もし、ある人が正しく、正義と恵みの業を行うなら、

18:6 すなわち、山の上で偶像の供え物を食べず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を犯さず、生理中の女性に近づかず、

18:7 人を抑圧せず、負債者の質物を返し、力ずくで奪わず、飢えた者に自分のパンを与え、裸の者に衣服を着せ、

18:8 利息を天引きして金を貸さず、高利を取らず、不正から手を引き、人と人との間を真実に裁き、

18:9 わたしの掟に従って歩み、わたしの裁きを忠実に守るなら、彼こそ正しい人で、彼は必ず生きる、と主なる神は言われる。

 正義と恵みの業を行うならば、必ず生きる 

 

◎10-13節

18:10 彼に生まれた息子が乱暴者で、これらの事の一つでも行う人の血を流し、

18:11 自分自身はこれらすべての事の一つですら行わず、かえって山の上で偶像の供え物を食べ、隣人の妻を犯し、

18:12 貧しい者、乏しい者を抑圧し、力ずくで奪い、質物を返さず、偶像を仰ぎ見て忌まわしいことを行い、

18:13 利息を天引きして金を貸し、高利を取るならば、彼は生きることができようか。彼は生きることはできない。彼はこれらの忌まわしいことをしたのだから、必ず死ぬ。その死の責任は彼にある。

 忌まわしいことをしたならば、死ぬ。

  

14-18節

18:14 ところで、その人にまた息子が生まれ、彼が父の行ったすべての過ちを見て省み、このような事を行わないなら、

18:15 すなわち、山の上で偶像の供え物を食べず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を犯さず、

18:16 人を抑圧せず、質物を取らず、力ずくで奪わず、飢えた者に自分のパンを与え、裸の者に衣服を着せ、

18:17 貧しい者の抑圧から手を引き、天引きの利息や高利を取らず、わたしの裁きを行い、わたしの掟に従って歩むなら、彼は父の罪のゆえに死ぬことはない。必ず生きる。

18:18 彼の父は搾取を行い、兄弟のものを力ずくで奪い、自分の民の中で善くない事をしたので、自分の罪のゆえに死んだのである。

 父の行った過ちを反省し、その過ちを自分は行わない。

 主の掟に従って歩むなら死ぬことはない。生きる。

 

★この箇所での教え

  多くの人が言っていることわざに振り回される必要はない。

  自分が今どう歩むかが大切だ。

  間違ったことわざがある。 そのようなものに振り回されてはならない。振り回される必要はない。

  神の語りかけがある。 誰かのせいにしてはいけない。

  自分の歩みこそ、大切だ。

  人のせいにすることも控えるべきだ。 あの人のせいで自分はこうなった。

  確かにそのようなこともあるかもしれない。 ただし、それを言い続けてはならない。 悪いのはあの人だ、あの人のせいで、今の自分がある。人のせいにしてしまうことがある。

 自分の歩みをどう選ぶかが大切。

  間違った歩み、悪しき歩みは、自分に悪いものが返ってくる。

  正しい歩み、良い歩みは。自分に良いものが返ってくる。

 どの道を選ぶかが大切。

  

★主よりの語り掛け  

  間違ったことわざ、間違った教えは退けて良い。

  悪しき歩みを主にあって捨てる。

  良い歩みを主にあって選び進む。  

 

★生きる道がある。

  滅びる道ではなく、生きる道を選べ。

  滅びの道を歩み続ける必要はない。

  生きる道を主は、備えてくださっている。 その道を選び取り進もう。

 

 

 10月12日() 祈祷会 奨励メモ

    「流血の都よ」       エゼキエル書22章1-16節

 

★残念なこと

 様々な残念なことがある。

 ・おなかをすかせて帰ってきた。炊飯器でタイマーをかけていて炊き上がっていたと思っていたら、スイッチを入れていなかった。

 ・袋に入れていたミカンを食べようと思って、取り出してみたら、長く入れすぎてカビが来て腐っていた。

 ・喉が渇き、あすこまで行けば水がある。湖があると思って行ったら、何もなかった、見えていたのは蜃気楼であった。 

 ・甘がきだと思ってかぶりついたら、渋柿だった。

 ・たくさんの魚を釣り上げた、掬い取った。それを網に入れて川に、海につけていた引き上げて持って帰ろうとした。そうすると、1匹もいなかった。よく見ると底の部分が破れていた。

 ・会社で新入社員を採用した。この者は良い仕事をしてくれるに違いない。

  入社して最初研修をしっかり積んだ、ところが、1か月でやめてしまった

 ・上げたら、いろいろあることでしょう。

 

★都エルサレム

  神の都エルサエム 神が特別に選んだ都エルサレム

  聖なるエルサエム

  ところが、その都が、「流血の都」と呼ばれるようになっていた。

   地が流されている、血が流される  恐ろしい名前が付けられた。   

  残念なこと 聖なる都が、栄光の都、輝きの都ではなく、その反対の流血の街と呼ばれた。  人々がそう言ったのかもしれない。

  血が流されている、血が流される 悲惨な町

  そう呼ばれたのは神ご自身であった。

 

◎1-16節

 

★エルサレムにおいて何がなされていたのか、何が起きていたのか

 二つのことを行った。

①偶像礼拝に陥っていた。

 偶像を造っていた

◎3節  

22:3 そして言いなさい。主なる神はこう言われる。自らの真ん中に血を流し、自分の時を来させようとする都よ。自分のために偶像を造って、自らを汚す都よ。

  偶像を拝んでいた。 エルサレムは神の都 神を礼拝する町であったはず

  そのエルサレムで、偶像が造られ、拝まれていた。

  真の神を捨ててしまった、ないがしろにしていた。

  真の神に背を向けていた。  一番大切にすべき方を邪険にしていた。

  偶像 何でもよい 自分の願いが一番 自分の都合の良いままに

  自分が求めること、願うことが一番 やりたいことをやるのだ

  自分がすべてを決めるのだ 自分が考えること、思うことが一番正しいのだ

  駒は回る。 長く回る。 それには理由がある。 それは中心軸がきちんとあるから。 その中心軸を抜いてしまうなら、駒は回らない。

 中心から引き抜いて、端っこに付け直すなら、その駒は本の一瞬回って倒れる。 なくてならない方を打ち捨ててしまった。

 その方によって、選ばれ、立ち上げられていたのに。  一番残念なこと

 

②もろもろの悪を行った。

 それは、5-13節に記されている通り

5節 近くの者も遠くの者も、自分の名を汚して混乱に満ちているお前を嘲笑うだろう。

6節 イスラエルの君侯たちは、お前の中でおのおの力を振るい、血を流している。

7節 父と母はお前の中で軽んじられ、お前の中に住む他国人は虐げられ、孤児や寡婦はお前の中で苦しめられている。

8節 お前はわたしの聖なるものをさげすみ、わたしの安息日を汚した。

9節 お前の中には、血を流すために人を中傷する者がおり、山の上の聖所で食事し、  

お前の中で恥ずべき事を行う者たちがいる。

10節 またお前の中には、父を辱めたり、生理中の女性を犯す者たちがいる。

11節 ある者は隣人の妻と忌まわしい事を行い、ある者は、恥ずべき事を行って嫁を犯し、またある者は異母姉妹を凌辱する。

12節 お前の中には賄賂を取って流血の罪を犯す者、利息を天引きして金を貸したり、高利を取って隣人を抑圧する者がいる。お前はわたしを忘れた、と主なる神は 言われる。

13節 わたしは、お前が得た不正の利益に対し、またお前の中で流された血に対して、わたしの手を打ち鳴らす

   力の過信 力によって、ひどいことを

 ・血を流す 傷つけ殺す 争い

  まさに、今ウクライナの地で起きていること。 ロシアによって引き起こさ

れた戦争 ミサイルによる攻撃 何の罪もない人たちの命が奪われている。

   弱い立場の人が苦しむ

   他国人が虐げられた 孤児や寡婦が苦しめられた。

 ・神を汚す、無視する

   聖なるものを軽んじる。 安息日を無視する

   ・性的な混乱、乱れ

    1011節に記されているようなこと

  ・不正

   賄賂の授受 袖の下

   高い利息でお金を貸して儲ける その結果、隣人を抑圧、苦しめる。 

   不正の利益

  罪は、人には隠すことができても、神の前には隠すことはできない。

 罪であることをこれは罪でないと主張したとしても、神の前には通らない。

   

★不名誉な呼び名

不名誉な呼び名で呼ばれた。

〇2-3節

22:2 「人の子よ、あなたはこの流血の都を裁くのか。それならば、この都にそのすべての忌まわしいことを知らせよ。

22:3 そして言いなさい。主なる神はこう言われる。自らの真ん中に血を流し、自分の時を来させようとする都よ。自分のために偶像を造って、自らを汚す都よ。

  なんと残念なこと

  ・流血の都  血で汚された都

  ・自らの真ん中に血を流し、自分の時を来させようとする都

    自分の時 裁かれる時

  ・自らを汚す都 自らますますどうしようもなくなる

 まさに不名誉な呼び名で呼ばれた。

 

★神の裁き

 神の裁き その時がある、その日が来る  それは確かなこと

○4節

22:4 流した血によってお前は罪を負い、造った偶像によって汚される。こうしてお前は自分の日を近づかせ、自分の年を来させる。それゆえ、わたしはお前を諸国民の嘲りの的とし、すべての国々の笑いものとする。

○14-16節

22:14 わたしが裁きを行う日に、お前の心は耐えられようか。お前の手の力はうせないだろうか。主であるわたしが、これを語りこれを行う。

22:15 わたしはお前を諸国民の間に散らし、国々にまき散らす。わたしはお前の汚れを取り除く。

22:16 お前は諸国民の前で自分の罪によって汚される。こうして、お前はわたしが主であることを知るようになる。

  自分の日、自分の年

  裁きを招く自らに返ってくる。 なんということか

〇エフェソの信徒への手紙5章5節

5:5 すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。

  御国に入ることができない、御国から締め出される

   なんと残念なこと、悲しいこと

  

★それで終わりならば

  それは一番残念なこと、一番悲しいこと。 

  ただ、最終的悲しみ、絶望

  

★それで終わりではなかった。終わりではない。

    主なる神は、人間のどうしようもない罪を憐れんで、その運命を憐れんで手を差し伸べてくださった。主が御手を差し伸べてくださった。

  主イエス・キリストをお遣わしくださった。  それは、救いの門

○ローマの信徒への手紙6章23節 

  6:23 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

  罪の支払う報酬は死である。厳然とした事実。 しかし、それで終わりではない。

  主イエスを通して救いの道が備えられた。

   この方を信じる者は滅びることはない。滅びから免れる。

   滅びではなく、救い。

   永遠の命をいただいて歩むことができる。

   主と共に歩むことができる。 なんという幸いでしょう。

 

 

10月20日() 祈祷会 奨励メモ

    「高慢の結末」            エゼキエル書28章1-26節 

 

★大切なもの  

  それぞれ大切なものがある。

  自分の持ち物 洋服、アクセサリー、自動車、家、お気に入りの家財道具

  家族、子ども、・・   自分の趣味、  お金、財産、・・    

権力、名誉、自分の今の立場

   

★その大切なものに心が向かう

  これは大切、失いたくない、 ずっと持っていたい、 

心が固執する。 絶対に失いたくない、 絶対に他の人には渡さない。

  もっと増やしたい、もっと多く、もっと高く

 

★すべてを手放さねばならないときがある

 それは、いつ? 年を取って、第一線を退くとき。 地上の生涯を終えるとき

 必ず、その時は来る。

 それに固執しすぎるなら、それを失うことは、悲しみ、落胆、気が狂わんばかりになる。

 

★よく考えてみると

  それらのものは、最初何も持っていなかった。 裸で生まれてきた。

  大きくなる、やがていろいろなものを持つようになった。

   持ち物だけでなく、自分の立場、名誉等も

 そうであるのに、人は、自分が頑張ったから、才能があるから、特別だから、

   ・・ と思うようになる。  もともとは、何も持っていなかった。

  今自分が持っているものは、すべて与えられ、託されているもの

   それらは、神によって、恵みとして与えられたもの、託されているもの

   そのことを忘れないようにしましょう。

  何よりも、神の感謝したいものです。

  今、自分が持っているもの、それは何のためですか?

 自分だけのために用いるためでは決してない。それをもって、他の人のために  

も用いるため。

 最後はすべて手放すものです。 手放さなければならないものです。

 これらのものに固執することがありませんように。

主の御心に従って、用いることができますように、活用することができますようにと祈りつつ歩んでいきましょう。

 

★ティルスという町

  ツロとも呼ばれる。

 フェニキアの北に位置した町、 とても栄えた町、繁栄を極めた町。

  貿易で栄えた。 いろいろな国々と取引 莫大な富を手にした。

   その富によって、持ち物、建物が豪華になった。

  世界を見渡すと、貿易で栄えている国々がある 産物で栄える

  石油、天然ガス 産油国と呼ばれる中東諸国、ロシアも  石炭、

  鉱石(鉄鉱石、鉄、銅、マンガン、・・)、

  宝石(ダイヤモンド、ルビ-)、 レアルメタル   

  海産物、木材、  工業製品で 様々な製品 織物、自動車、コンピューター、・・

  

★ティルスの繁栄ぶり

 その繁栄は、貿易によって

○27:12-25

27:12 タルシシュはお前の豊かな富のゆえに商いに来て、銀、鉄、錫、鉛をお前の商品と交換した。

27:13 ヤワン、トバル、メシェクの人々は取り引きを行い、彼らは奴隷と青銅の製品をお前の物品と交換した。

27:14 彼らはベト・トガルマから、馬、軍馬、らばを仕入れて、お前の商品と交換した。

27:15 ロドス島の人々はお前と取り引きを行い、多くの島々はお前の下で商いをし、彼らは象牙と黒檀を貢ぎ物として献上した。

27:16 アラムはお前の豊かな産物のゆえに商いに来て、トルコ石、赤紫の毛織物、美しく織った布地、上質の亜麻織物、さんご、赤めのうをお前の商品と交換した。

27:17 ユダとイスラエルの国もまた、お前と取り引きを行い、ミニトの小麦、きび、蜜、油、乳香を、お前の物品と交換した。

27:18 ダマスコはお前の多くの産物と豊かな富のゆえに商いをし、ヘルボンのぶどう酒とツァハルの羊毛を運んで来た。

27:19 ウザル地方のウェダンとヤワンは、お前の商品と交換し、銑鉄、桂皮、香水萱をお前の物品と取り替えた。

27:20 デダンは乗馬用の粗い布地で、お前と取り引きを行った。

27:21 アラブの人々とケダルの首長たちもまた、お前の下で商いをし、小羊、雄羊、山羊を商った。

27:22 シェバとラマの商人たちは、お前と取り引きを行い、極上のあらゆる香料、あらゆる宝石、黄金をお前の商品と交換した。

27:23 ハラン、カンネ、エデンとシェバの商人たち、アシュルとキルマドは、お前と取り引きを行った。

27:24 彼らはお前と取り引きを行い、豪華な衣服、紫の衣、美しく織った布地、多彩な敷物、堅く丈夫によった綱で、お前と取り引きを行った。

27:25 タルシシュの船はお前の物品を運び回った。お前は荷を重く積み 海の真ん中を進んだ。

 

★多くの富を手に入れた

  多くの富を手に入れた。

◎4-5節

28:4 お前は知恵と悟りによって富を積み、金銀を宝庫に蓄えた。

28:5 お前は取り引きに知恵を大いに働かせて富を増し加え、お前の心は富のゆえに高慢になった。

 それは、結果としてもたらされたものであった。

 見えるものだけでなく、他の国々、人々からの評価も受けた。

  ティルスはすごい。立派だ。

  その町の地位も上がった。名誉も多く受けた。

 

★その次ぎにやってくるものは何でしょう?

  それは、喜び、感謝 こんなに多くの物を手に入れて 嬉しい、喜び

  これが自分たちのもの。 これを維持しよう。これをもっと増やそう。

   もっと多くの物を手に入れよう。もっと高い者になろう

  これをもとに、住まいを、町を豪華にしよう。

  

★その次にやって来るものは?

  自分は、自分たちは特別なものだという意識ではないでしょうか

  自分たちは才能があるから、特別な者だから

  

★そしてその次にやってくるものは?

  それこそが、今日の箇所、26章、27章、28章で指摘されていること

  それは、おごり、高ぶり、高慢、傲慢

 ◎2-6節

28:2 「人の子よ、ティルスの君主に向かって言いなさい。主なる神はこう言われる。お前の心は高慢になり、そして言った。『わたしは神だ。わたしは海の真ん中にある神々の住みかに住まう』と。しかし、お前は人であって神ではない。ただ、自分の心が神の心のようだ、と思い込んでいるだけだ。

28:3 お前はダニエルよりも賢く、いかなる奥義もお前には隠されていない。

28:4 お前は知恵と悟りによって富を積み、金銀を宝庫に蓄えた。

28:5 お前は取り引きに知恵を大いに働かせて富を増し加え、お前の心は富のゆえに高慢になった。

28:6 それゆえ、主なる神はこう言われる。お前は自分の心が神の心のようだと思い込んでいる。

◎15-18節

28:15 お前が創造された日から お前の歩みは無垢であったが ついに不正がお前の中に 見いだされるようになった。

28:16 お前の取り引きが盛んになると お前の中に不法が満ち 罪を犯すようになった。そこで、わたしはお前を神の山から追い出し 翼で覆うケルブであるお前を 火の石の間から滅ぼした。

28:17 お前の心は美しさのゆえに高慢となり 栄華のゆえに知恵を堕落させた。わたしはお前を地の上に投げ落とし 王たちの前で見せ物とした。

28:18 お前は悪行を重ね、不正な取り引きを行って 自分の聖所を汚した。それゆえ、わたしはお前の中から火を出させ お前を焼き尽くさせた。わたしは見ている者すべての前で お前を地上の灰にした。

  高慢

 不法が満ち、罪を犯す、 不正な取引

 おごり高ぶり 自分を最高の者と考えるようになる

 自分は神だ、神のような存在だ。

  何でもできる。何をしても良い。自分の考え、行うことはすべて正しい。

  考えること、計画することに間違いはない。すべて正しい。

  その通りになる。皆がそれに従う。 

それは、全くの間違い、自分勝手な考えに過ぎない

 まさに今、ロシアの一人の指導者の姿と重なる。 恐ろしいほど、重なる。

  自分に与えられたもの それは奪い取ったものがほとんどだが、自分こそが権力の中枢にある。 自分の考えは何一つ間違いがない。

  自分の思い描くこと、行おうとすることに間違いはない。それはすべてその通りになる。 全くの間違い

 しかし、人はそのような大きな間違いに陥る。 とても悲しい現実。

 

★その間違いに気が付く必要がある。

  その間違いに気が付かなくなる。

  高慢、おごり高ぶるが、間違いに気が付く心を覆ってしまう。

  間違いを認めることもしなくなる。 

  周りは、皆、イエスマン そのような者しか置かないようにしてきた。

  誰も、それは間違っています。それはだめですと言わない。

   言えなくしている。

  ロシアだけではない、中国然り、北朝鮮然り

  一人の指導者が独裁者となっている。  

   その権力の座を揺るがせないようにしている。

   自分の思いのままにことを運ぶ。 いつまでもいつまでも最高の権力の座に そのことで、苦しむのは、その国の多くの人々であり、周りの国の人々

  かつて、何も持っていなかったものである。

  今、与えられているものはすべて、与えられているもの、託されているもの

  それは、いつかお返ししなければならない。

  自分のためだけに用いるためではない。 その間違いに気づく必要がある。

  

★ティルスの運命   

  ティルスのこれから先  それは、厳しい現実 

  その町はすべてを失う。滅ぼされるということ。

 具体的には、バビロニアによって、そして後には、歴史的には、アレキサンドリアによって滅ぼされた。

○26:4-14

26:3 それゆえ、主なる神はこう言われる。ティルスよ、わたしがお前に立ち向かう。わたしは、海が波を巻き起こすように 多くの国々をお前に立ち向かわせる。

26:4 彼らはティルスの城壁を倒し、塔を破壊する。わたしはその土くれまでぬぐい去り ティルスを裸の岩にする。

26:5 ティルスは海の中にある網干し場となる。これはわたし自身が語ったことだと 主なる神は言われる。ティルスは諸国民に略奪され

26:6 陸にある周囲の町々も剣で滅ぼされる。そのとき彼らは わたしが主であることを知るようになる。

26:7 主なる神はこう言われる。わたしは、王の王であるバビロンの王、ネブカドレツァルを北からティルスに来させる。彼は馬と戦車と騎兵と多くの軍勢を引き連れてくる。

26:8 彼は陸にある周囲の町々を剣で滅ぼし お前に向かって堡塁を築き 塁を積み、大盾を立てる。

26:9 彼は破城槌で城壁を突き崩し 鉄の棒で塔を打ち壊す。

26:10 軍馬が怒濤のように襲い 土煙がお前を覆う。打ち破られた町に敵が突入するように 彼らがお前の城門に攻め入るとき 騎兵と戦車の車輪の音で城壁は揺れ動く。

26:11 軍馬のひづめで、町並みはすべて踏みにじられ 民は剣で殺され、巨大な柱は地に倒れる。

26:12 彼らは財宝を奪い、商品を略奪し 城壁を破壊し、華やかな宮殿を壊し 石や木や土くれまで海に投げ込む。

26:13 わたしはお前の騒がしい歌声をやめさせ 竪琴の音が再び聞かれることはない。

26:14 わたしはお前を裸の岩にする。お前は網干し場となり 再び建て直されることはない。これは主なるわたしが語ったことだと 主なる神は言われる。

 バビロニアに攻め込まれる。

 ティルスはツロ(岩、要塞)と呼ばれたように、海上部分は陸からの攻撃に耐え、ネブカドネザルは13年の包囲の後、その攻略を諦めている。ネブカデネザルがツロの町の門を破り侵入したとき、住民のほとんどが船で本土沿岸から半マイルに位置する防備された島に移っていたので、町はもぬけの殻だった。ツロの本土が崩壊したのは紀元前573年

 ティルスが滅びたのは前332年、アレキサンダー王の攻撃の時であった。その時にはエゼキエルの預言のように「世界に冠たる交易都市ティルスが裸の岩になってしまった」。ティルスはその後繁栄を取り戻すことなく、今日は寒村で、ただ遺跡と歴史から世界遺産に指定されている。

 

★とても厳しい言葉、表現

  とても厳しい結末が記されている。

◎7-8節

28:7 それゆえ、わたしはお前に対して諸国の中でも最も暴虐な外国人を立ち向かわせる。彼らはお前の知恵の誇りに向かって剣を抜き、お前の栄華を汚し、

28:8 お前を陰府に突き落とす。お前は海の真ん中で切り倒されて死ぬ。

   陰府に突き落とす 死ぬ

◎16‐18節 

28:16 お前の取り引きが盛んになると お前の中に不法が満ち 罪を犯すようになった。そこで、わたしはお前を神の山から追い出し 翼で覆うケルブであるお前を 火の石の間から滅ぼした。

28:17 お前の心は美しさのゆえに高慢となり 栄華のゆえに知恵を堕落させた。わたしはお前を地の上に投げ落とし 王たちの前で見せ物とした。

28:18 お前は悪行を重ね、不正な取り引きを行って 自分の聖所を汚した。それゆえ、わたしはお前の中から火を出させ お前を焼き尽くさせた。わたしは見ている者すべての前で お前を地上の灰にした。

  滅ぼした。 焼き尽くさせた。灰にした。

   

★嘆きの歌

  嘆きの歌、哀歌

◎11-19節

28:11 主の言葉がわたしに臨んだ。

28:12 「人の子よ、ティルスの王に対して嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。主なる神はこう言われる。お前はあるべき姿を印章としたものであり 知恵に満ち、美しさの極みである。

28:13 お前は神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石がお前を包んでいた。ルビー、黄玉、紫水晶 かんらん石、縞めのう、碧玉 サファイア、ざくろ石、エメラルド。それらは金で作られた留め金で お前に着けられていた。それらはお前が創造された日に整えられた。

28:14 わたしはお前を 翼を広げて覆うケルブとして造った。お前は神の聖なる山にいて 火の石の間を歩いていた。

28:19 諸国の民のなかで、お前を知っていた者は皆 お前のゆえにぼう然とする。お前は人々に恐怖を引き起こし とこしえに消えうせる。」

  嘆きの歌、哀歌が歌われた。

 今日の箇所は、私たちに大切なことを教える箇所でした。

 

10月26日() 祈祷会 奨励メモ

    「見張り(預言者)の務め」 エゼキエル書33章1-16節 

 

★人の子よ

 預言者エゼキエルへの呼びかけ

 同胞に語りかけよ、言えと 預言者としての働き、使命

 見張りとした。 警告せよ 悪しき道から離れるように。

 

◎1-3節

33:1 主の言葉がわたしに臨んだ。

33:2 「人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。わたしがある国に向かって剣を送るとき、その国の民は彼らの中から一人の人を選んで見張りとする。

33:3 彼は剣が国に向かって臨むのを見ると、角笛を吹き鳴らして民に警告する。

◎7―8節

33:7 人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。

33:8 わたしが悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死なねばならない』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。

 

★警告する、前もって知らせる

 前もって知らせる。

  台風が違づいています。 これだけの勢力で備えが必要です。

   気象予報士が告げる。

  地震警報、洪水警報等の災害警報

  それによって危険を前もって知らせる。 備える。退避する

 

★見張りの役目

  見張りの役目は、敵が来たことを少しでも早く仲間に知らせる。 

   危険が近づいたことを告げる。

  それを怠るなら、大きな危険が及ぶ。 大きな損失を被る

 

★見張り役に命じられた者    

 エゼキエル自身が、その役に命じられた。 その責任を負った。

  責任は重大、責任は重い。

  その役にふさわしい、足る者だということで任される。

 それを怠るなら責任が問われる 大事な役目

  

★責任を果たすためには

  怠らない。 目を覚ましている。 いつも、遠くを見ている。 状況把握

  正確な情報をキャッチする。 そして、それを知らせるということ

   自分だけでとどめていてはならない。

   その事実を勝手に曲げてはならない。

 

★見張り役に後で問われること

  その役目をきちんと果たしたか  怠らなかったということ 

  責任は重い。

◎4-6節

33:4 角笛の音を聞いた者が、聞いていながら警告を受け入れず、剣が彼に臨んで彼を殺したなら、血の責任は彼自身にある。

33:5 彼は角笛の音を聞いても警告を受け入れなかったのだから、血の責任は彼にある。彼が警告を受け入れていれば、自分の命を救いえたはずである。

33:6 しかし、見張りが、剣の臨むのを見ながら、角笛を吹かず、民が警告を受けぬままに剣が臨み、彼らのうちから一人の命でも奪われるなら、たとえその人は自分の罪のゆえに死んだとしても、血の責任をわたしは見張りの手に求める。

 責任は後で問われる。 責任をきちんと果たさねばならない。 

 

★聞いた者の責任も当然ある

  見張り役から聞いて、それに従うことの大切さ

  危険を知らされたのに無視、軽く考える

  その道を進んではいけない。

   大きな落とし穴がある、先には崖がある

   それを無視したなら、大変なことになる。

  その責任は、見張り役から聞いた者自身にある。

  

★見張り役の知らせは、危険だけではない、良い知らせを知らせることも

  海の魚の漁 魚の群れが近づいてきた。 黒潮に乗って

   いち早く知らせる。 その事実、有様を正確に伝える。

   サンマの群れ、・・

  その情報を得て、出漁して、多くの獲物を獲得する。

  

★主より立てられた見張り役 

  主よりのメッセージを伝える 主のお心を伝える

◎11節

33:11 彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。

◎14-16節

33:14 また、悪人に向かって、わたしが、『お前は必ず死ぬ』と言ったとしても、もし彼がその過ちから立ち帰って正義と恵みの業を行うなら、

33:15 すなわち、その悪人が質物を返し、奪ったものを償い、命の掟に従って歩き、不正を行わないなら、彼は必ず生きる。死ぬことはない。

33:16 彼の犯したすべての過ちは思い起こされず、正義と恵みの業を行った者は必ず生きる。

 主のお心

  死んではならない。 立ち帰れ、立ち帰って生きよ

  生きる道があるということ

 絶望ではなく、希望

  主と共に歩む道 それは幸いな道

 

★世の光、地の塩

 私たちもまた、見張り役

  主のメッセージを聴き、それを伝える者

  私たちは世の光、地の塩として立てられている。

○マタイ5章13-16節

5:13 あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。

5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

5:15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。

5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

 

★見張り役として

  何が必要か 絶えず、主を見上げ、主の御心を受け止めること

  そして、主の恵みに生かされること

  主よ、あなたの恵みに生かしてください。

   喜び、感謝しつつ、主と共に歩ませてくださいと祈りつつ

  私たちも主と共に一歩一歩進んで行きましょう。

 

 

11月9日() 祈祷会 奨励メモ

    「神殿の幻」      エゼキエル書40章1-27節

 

★出口

 暗いトンネルの中にずっといるのは苦しい。 どうかなりそう。

    明かりを手にすると少し安心。

  最も安心なことは出口が見つかること。 あそこに出口がある。

   あそこから外に出ることができる。 あそこに向かって進んで行こう。

 

★希望

  希望なかなか見えないときはつらい。

   これから先どうなるのだろうかと心配

  希望が見えると安心できる。 今少々つらくても、頑張ることができる。

  希望とは何でしょう? 先が見える、将来が見える。

  今はこうだけども、将来はこうなる。 将来、未来の歩み、姿が見える。

 

★神は顧みてくださる。

 神は、民を、そして私たちを顧みてくださる。

  民に、そして私たちに励ましを与えてくださる。

  心への励まし 心が動く、心が嬉しくなる、心が温かくなる、心が熱くなる。心が強められる。 それは感謝なこと。

  ただし、心は動きやすいもの。変動しやすいもの

  暖かくなったと思ったら、冷えてしまうこともある。

  私たちは、どこに拠り所を持つべきか、その心の拠り所をどこに持つか?

   自分自身? 自分の感覚、感情は揺れ動きやすいもの。

    自分自身 当てになりそうで当てにならない

   目の前に起きる出来事?  これはもっと当てになりない。

   信仰者として、一番感謝なことは、神を仰ぐことができるということ

  そうです。御言葉です。

 御言葉を通しての神の語りかけ、約束 それを握ること、それをいただくことです。

  

★絶望の中で希望の光

 イスラエルの民 南ユダの滅亡 バビロニアによって

  エルサレム神殿の破壊、  バビロン捕囚

  何もかもが終わった。 どん底に突き落とされた。

  ちょうど、今のウクライナの人々が置かれている状況

   町が破壊され、めちゃくちゃに こんなひどいこと

   愛する家族の命が奪われた。 国外に逃げるしかない。 

   この戦争が一日も早くやみますように。 ウクライナの国が回復しますように。 この戦争が終わり、前のように自分の国、自分の町で、自分の家に住むことができますように

 

★幻

 幸いな幻  新しい神殿の幻

 都が破壊されて14年目 BC572年

 

◎1-27節 

40:1 我々が捕囚になってから二十五年、都が破壊されてから十四年目、その年の初めの月の十日、まさにその日に、主の手がわたしに臨み、わたしをそこへ連れて行った。

40:2 神の幻によって、わたしはイスラエルの地に伴われ、非常に高い山の上に下ろされた。その南側に都のように建設された物があった。

40:3 主がわたしをそこへ連れて行くと、その姿が青銅のように輝いている一人の人が   

門の傍らに立っており、手には麻縄と測り竿を持っていた。

40:4 その人はわたしに向かって言った。「人の子よ、自分の目で見、自分の耳で聞き、わたしがこれから示す、すべてのことを心に留めなさい。あなたがここに連れて来られたのは、それを示すためです。あなたが見ることを、すべてイスラエルの家に告げなさい。

40:5 見ると、神殿の周囲を囲んでいる外壁があった。その人は六アンマの測り竿を手に持っていた。ここでいう一アンマは、普通のアンマに一トファを加えた長さである。彼がその壁を測ると、その厚さも、高さも一竿であった。

40:6 彼は東の方に向いている門を入った。その石段を上って、門の敷居を測ると、奥行きは一竿、つまり最初の敷居の奥行きは一竿であった。

40:7 そして、控えの間は奥行きも間口も一竿、控えの間と控えの間の間隔は五アンマであり、廊門を内側に抜けるところにある門の敷居の奥行きは一竿であった。

40:8 廊門の奥行きを測ると、

40:9 八アンマで、そこには厚さ二アンマの脇柱があり、それが内側の廊門であった。

40:10 東の方に向いている門の控えの間は、通路の両側に三つずつあった。三つの部屋は同じ寸法であり、それに両側の脇柱も同じ寸法であった。

40:11 門の入り口の幅を測ると、十アンマで、門全体の幅は十三アンマであった。

40:12 それぞれの控えの間にある仕切りの厚さは一アンマ、向こう側の仕切りも一アンマであった。控えの間は両側ともに六アンマであった。

40:13 門を、一方の控えの間の端から他方の控えの間の端まで測ると、二十五アンマであり、控えの間の入り口と入り口は向かい合っていた。

40:14 廊門を測ると、六十アンマあり、柱は門に沿って庭の周囲を取り囲んでいた。

40:15 正面入り口の門の前面から、内側に面した廊門の前面までは五十アンマであった。

40:16 明かり取りの格子窓が、両側の門の内側の控えの間にも脇柱にもつけられており、同じように廊の内側にも、明かり取りの格子窓が向かい合ってつけられていた。脇柱にはなつめやしの飾りがあった。

40:17 更に、彼はわたしを外庭に連れて行った。すると、そこに部屋があった。庭の周りには敷石があった。敷石に沿って、その周りには三十の部屋があった。

40:18 敷石は門の両側にあり、門の奥行きと同じ幅で敷き詰められていた。それが下の敷石である。

40:19 下の庭の広さを、下の門の内側から内庭の門の外側までの距離で測ると、百アンマあった。これが東側であり、北側も同じであった。

40:20 外庭に続いて、北の方に向いている門があった。彼はその長さと幅を測った。

40:21 控えの間は、両側に三部屋ずつあり、脇柱と廊は最初の門と同じ寸法であり、門の奥行きは五十アンマ、幅は二十五アンマであった。

40:22 明かり取りの格子窓と廊となつめやしの飾りは東の方に向いている門と同じ寸法であった。それから七段の石段を上って入ると、その先に廊があった。

40:23 内庭の門は、東の門と同じように、北の外門に相対していた。門から門までを測ると、百アンマであった。

40:24 更に、彼はわたしを南の方へ連れて行った。すると、南の門があった。その脇柱と廊を測ると、やはり前と同じ寸法であった。

40:25 脇柱と廊の周りには、前と同じように明かり取りの格子窓があった。門の奥行きは五十アンマ、幅は二十五アンマであった。

40:26 七段の石段を上ると、その先に廊があり、なつめやしの飾りが一つずつ両側の脇柱にあった。

40:27 内庭の門は南の方に向いており、この門から南に向いている外門までを測ると、百アンマであった。

 

★神殿の周り

 神殿の前庭 その外側に、内庭、さらにその外側に外庭

 今日の箇所は、外壁と外庭 東の門、北の門、南の門

  外庭に入るのに7

 

★さらに内側には

 内庭 東の門、北の門、南の門

  内庭に入るのに8段

   

◎28-49節

40:28 更に、彼は南に向いている門から、わたしを内庭に連れて行った。南の門を測る  

と、前の場合と同じ寸法であった。

40:29 控えの間と脇柱と廊も前の場合と同じ寸法であり、脇柱と廊の周りには明かり取りの格子窓があった。門の奥行きは五十アンマ、幅は二十五アンマであった。

40:30 その周囲の廊の長さは二十五アンマ、幅は五アンマであった。

40:31 廊は外庭に向き、脇柱にはなつめやしの飾りがあり、石段は八段であった。

40:32 更に、彼はわたしを内庭の東側に連れて行った。門を測ると、前と同じ寸法であった。

40:33 控えの間と脇柱と廊も前と同じ寸法であった。脇柱と廊の周りには、明かり取りの格子窓があった。門の奥行きは五十アンマ、幅は二十五アンマであった。

40:34 廊は外庭に向き、なつめやしの飾りが両側の脇柱に付けられており、石段は八段であった。

40:35 更に、彼はわたしを北の門に連れて行った。彼がこれを測ると、前と同じ寸法であった。

40:36 控えの間、脇柱、廊、その周囲の明かり取りの格子窓も同じであった。門の奥行  

きは五十アンマ、幅は二十五アンマであった。

40:37 廊は外庭に向き、なつめやしの飾りが両側の脇柱に付けられていた。石段は八段であった。

40:38 また一つの部屋があって、その入り口は門の脇柱のそばにあった。そこで、人々は焼き尽くす献げ物の動物を洗うのである。

40:39 門の廊の両側には、それぞれ、二つの聖卓があった。この上で焼き尽くす献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物の動物が屠られる。

40:40 北の門の入り口に上って行くと、廊門の外の片側に二つの聖卓があり、また、廊門の他の側にも二つの聖卓があった。

40:41 つまり廊門の内側と外側に、それぞれ四つの聖卓が置かれ、聖卓は全部で八つあり、その上で動物を屠るのであった。

40:42 焼き尽くす献げ物に用いる四つの聖卓は、長さ一アンマ半、幅も一アンマ半、そして、高さは一アンマの切り石であった。この上に、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を屠る道具を置くのである。

40:43 一トファの長さの二またの鉤が部屋の内側の周りに列をなして付けられていた。献げ物の肉は、そこから聖卓の上に置かれる。

40:44 内庭には、内門の外側に歌い手の部屋がある。一つは北の門の傍らにあって南の方へ向いており、もう一つは東の門の傍らにあって、北の方へ向いていた。

40:45 彼はわたしに言った。「南の方へ向いている部屋は、神殿の務めを行う祭司のためである。

40:46 北の方へ向いている部屋は、祭壇の務めを行う祭司のためである。」彼らはツァドクの子らであり、彼らだけが、レビ人の中で、主に近づいて仕えることが許される。

40:47 彼が内庭を測ると、長さは百アンマ、幅も百アンマの正方形であり、神殿の前には祭壇があった。

40:48 それから、彼はわたしを神殿の廊に連れて行った。廊の両側の脇柱を測ると、それぞれ五アンマであった。門の両側の壁の幅はそれぞれ三アンマ、

40:49 廊門の幅は二十アンマ、奥行きは十二アンマであった。そして十段の石段を上った両側の脇柱の傍らにそれぞれ一本の円柱があった。

 

★回復の希望

  神は、回復の希望を幻によって与えてくださった。

  それは今すぐにではなかったが、将来に。

  神からの励まし 回復の希望、その幻、ビジョン

  

★私たちはどうか?

 

 神の御心を仰ぎつつ、神の語り掛け、神の約束、神の示してくださるビジョン それを受けとめつつ、それを握りつつ。

  主にあって、先を、将来に向かって。 主のご計画を信じて。

  自分自身に、将来の幸いな計画、ビジョンが持たないとき、主が幸将来の幸いな計画、ビジョンをお持ちであることを心にとめて歩を進めていきましょう。

 

11月17日() 合流祈祷会 奨励メモ

   「神殿から流れ出る命の水」 エゼキエル書47章1-23節

 

★魚が住めないところ

  ①水がなくなる。

    水が干上がる 干ばつが続き、雨が降らない。 干上がる湖、貯水池

     水がだんだん少なくなる。 魚の泳げる範囲は狭まる。 酸素不足

     魚はアップアップ、 魚は死んでいく

    水は、雨に頼らざるを得ない。 雨がたくさん降ると水が増える。

     水が再び増えると、魚たちは命拾いをする、再び、元気になる。 

    日本だと、一年中、川は流れている。

    世界の中で、雨がある短い時期にしか降らない。限られた期間、モンスーン(雨 期)1‐2か月1か月ほど一気に降る。

    川が出現する。そして大きな川とつながる。そのあたり一面が大きな湖のよ   

うになる。 そこにたくさんお魚が出現する。

   水が満ちると魚が泳ぎまわる。

    小さな魚から、大きな魚まで。

    森林が湖となる。 水深1メートル、2メートルとなり、多くの魚が泳ぐ。

   1匹もいなかったところにたくさんお魚が泳ぐ。

 

  ②塩分が多すぎる。

    淡水魚は、基本的には海水では生きていけない。

    海水の塩分濃度 3.4パーセント   

    死海 塩分濃度は、約2527%と言われ、通常状態での飽和濃度がおおむね28%程度ですから、ほぼ飽和状態であると言えます。

   海水の7.5倍

   海水魚は淡水では生きていけない。淡水魚は海水では生きていけない。

   魚が住めないところ それは死海

    淡水魚も、海水魚も住めない。生物がほとんど生息できない環境が「死海」という名の由来です。

 

  ③毒物が流れ込む。

    猛毒のもの。 ヒ素、・・が流れ込む。

    川は毒で汚染される。 魚たちは次々と死んでしまう。 

    工場からの排水 毒物が流される。 川は毒で汚染される。

 

★魚が住めない。魚がいない。

  魚にとっては、致命傷。 

漁師にとっては大変なこと どんなに網を打っても魚がないのだから。

  魚は大切な食糧、蛋白源

  魚が1匹もいない。魚を取ることができない。

  

★魚が泳いでいる

  それは、川であれ、海であれ、喜び。

  魚たちがいきいきと泳いでいる。 見た目にもさわやか

  きれいな川、きれいな海であれば、余計に気持ち良い。

  漁師にとっては、ここは良いところだ、たくさんお魚が捕れそうだ。

  私なぞも、魚が泳いでいると、特に大きな魚

   川で大きな鯉が泳いでいると、よしいつかここで釣りあげてやるぞと思う。

   前の貫川でも、たまに見る。

  それはともかくとして、いろいろな魚が群れをなして泳いでいるのを見るのは心地よい。

 

★さて、本日の箇所

  預言書エゼキエルが見せられた不思議な光景、幻

  神殿の敷居の下から湧き出す水

 

◎エゼキエル47:1-12 

47:1 彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。

47:2 彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。見よ、水は南壁から流れていた。

47:3 その人は、手に測り縄を持って東の方に出て行き、一千アンマを測り、わたしに水の中を渡らせると、水はくるぶしまであった。

47:4 更に一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は膝に達した。更に、一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は腰に達した。

47:5 更に彼が一千アンマを測ると、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。

47:6 彼はわたしに、「人の子よ、見ましたか」と言って、わたしを川岸へ連れ戻した。

47:7 わたしが戻って来ると、川岸には、こちら側にもあちら側にも、非常に多くの木が生えていた。

47:8 彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。

47:9 川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。

47:10 漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海の魚のように非常に多くなる。

47:11 しかし、その沢と沼はきれいにならず、塩を取ることができる。

47:12 川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。

  不思議な光景

  その水が次々と湧き出る。 その源は泉なのか

  水が滾々と湧き出る。

   日本の湧水 おいしい飲み水

    阿蘇山のふもと、 霧島山のふもと、 富士山のふもと

    最高においしい水 熊本の白川水源、 水前寺公園の池

   エゼキエルが見せられた幻

    神殿の敷居の下から その水が広がっていく。 無限の水。

    それは汚れた海に入っていく。

  その海に毒がたとえあったとしても、無限の水が流れ込み、毒は完全に薄められ、ないも同然になる。  

 その海が海水の7.5倍の塩分を含んでいたとしても、その塩分は薄められる。

 海水と同じ3.4パーセントになると、海の魚も泳ぐことができる。

 さらにさらに薄められ、真水に近くなると淡水魚も泳ぐことができる。

エルサレムに建てられる新しい神殿  その西には死海がある

 塩分がほとんど飽和状態の濃さであっても、流れ込み水によって。その塩分は薄められ、魚が泳げるようになる。 たくさんお魚が泳ぐ、

漁師たちは、たくさんの魚を捕ることができるようになる。

まさに命の水  その水が湧き出る。

 川のほとりには、木々が茂る。

  葉は枯れず、薬用となる

  果実がたくさん実る その果実は食用となる。

  これが、エゼキエルが見せられた幻

 命の水が湧き出る。 新しい神殿の敷居の下から。 こんこんと

 この幻は何を意味するのか、この神殿は何を指すのか?

 汚れた海は何を意味しているのでしょうか?

 この命の水は何を意味しているのでしょうか?

  神殿は、確かに再建されました。 ヘロデ王によって、増築もされました。

 しかし、その神殿も紀元70年には完全に破壊されました。

 

 神殿が意味するもの それは神ご自身、救い主であるキリスト、 そして聖霊なる神 父なる神より、子なる主イエスより、聖霊なる神より

 命の水が与えられる。 その水は尽きることがない。

 その水源は、主ご自身。

 汚れた海

  魚が一匹もいない、生きていけない海

  それは、ひょっとしたら私たち人間の心かもしれない。

  希望がなくなる、絶望でいっぱいになる。

毒に満ちる

 自己中心、敵意、憎しみ、妬み、傲慢 

 自分だけが大事、自分の身内だけが大事、自分の取り巻きだけが大事。

 それ以外のことは知らない、関係ない、そうでもよい。

 人を大事にしない。 人を粗末に扱う。 人を平気で苦しめる。 

ロシアの大統領プーチンの心はまさにそのような心

 それはプーチンだけでは決してない。

 私たちの心も同じような心になることがある。 五十歩百歩

 人の心を支配する罪

罪によって支配している心、 サタンに牛耳られている心

それは、人間の反省とか、努力とか、頑張りでは対抗できない。

 認めるべきは、限界です、私の反省とか、努力とか、頑張りでは限界です。

 反省します。 努力します。頑張ります。

 それは良い言葉に聞こえるけども、事罪との戦いにおいては、無力。

それを言い続けるのは、真実そうに聞こえるけども、それを主は喜ばれない。

それを言い続けることは、主よ、関わらないでください。

私がしまうから。

 信仰の真実から測る時には、それは大きな落とし穴、自分でバリケードを作っているだけ。罪との戦いをいつまでも続けます。

目途は立ちません。 それを続けますという表明。

そのような態度は捨てねばならない。

 そうでなければ、延々と同じところを回り続けるようなもの。

私たちが申し上げるべきは、主に対して、降参です。

 私の反省や頑張りや努力では無理です。

この死の海を、死の川を命の海に、命の川に戻すことは私にはできません。

主よ、お任せします、主よ、この私を助けてくださいと申し上げることです。

主より命の水を受けるしかない。

 命の水をいただくならば、たとえ死の川であっても、死の海であっても、命の川、命の海に変えられる。

魚たちが泳ぎ出す。 たくさんお魚が泳ぐ川、海となる。

その川のほとりには木々が茂る。

  葉は萎まず、薬用になる。  実は絶えず結び、食用となる。 

幸いな幻をエゼキエルは見せていただいた。

 

★割り当て

 割り当てがあることは嬉しい。 報酬があることは嬉しいこと。

 土地の分配

 12部族への分配

 このエゼキエルへの幻の中でもみ告げ

◎47:13-23

47:13 主なる神はこう言われる。「あなたたちが、イスラエルの十二部族に土地を嗣業として割り当てるときの境界線は、次のとおりである。ヨセフの割り当て地は二倍である。

47:14 あなたたちは、土地を平等に割り当てねばならない。この土地は、わたしがあなたたちの先祖に与える、と手を上げて誓ったものである。この土地は、あなたたちに嗣業として割り当てられる。

47:15 以下が土地の境界線である。北の端は大海からヘトロンの方へ、レボ・ハマト、ツェダド、

47:16 ベロタ、シブライム――それはダマスコの国境とハマトの国境の間にある―― を経て、ハウランの境界線に臨むハツァル・ティコンに及ぶ。

47:17 こうして、境界線は海から始まり、ダマスコの国境の北にあるハツァル・エノンに至る。ハマトの国境は更に北にある。これが北の端である。

47:18 東の端はハウランとダマスコの間を通り、更にギレアドとイスラエルの土地の間、つまりヨルダンを経て東の海に接する地域からタマルに及ぶ。これが東の端である。

47:19 南の端は、南の方に向かってタマルからカデシュのメリバの泉に至り、大海に注ぐ川に及ぶ。これが南方、南の端である。

47:20 西の端は大海で、レボ・ハマトに向かい合った地域に及んでいる。これが西の端である。

47:21 あなたたちは、この土地を自分たちイスラエルの各部族に分けねばならない。

47:22 この土地を、あなたたち自身とあなたたちの間に滞在し、あなたたちの間で子をもうけるにいたった外国人に、くじで嗣業として割り当てねばならない。彼らをイスラエルの子らの中で同じ資格のある者として扱わねばならない。あなたたちと共に彼らにも嗣業をくじでイスラエルの部族の間に割り当てねばならない。

47:23 外国人には、その滞在している部族の中で嗣業を与えねばならない」と主なる神は言われる。

  12部族、イスラエルの民だけでない。 そのほかの者たちにも分配が告げられていること。

 外国人 共に住んでいる外国人に対しても分配が告げられていること。

 外国から来て共に住んでいる外国人たちにも、分配、報酬が告げられている。

  日本にも、以前と違い、多くの外国人

  仕事のために、稼ぎのために来た人たちもいる。 その家族も

  いろいろな事情で、日本に住むことになった外国人もいる。

  在日人たちもいる

   在日韓国人、在日朝鮮人。 1世の人もいる。在日2世の人もいる。

  その人たちの生活、人権、自由、・・

  それに対して無関心であってはならない。

 宋 富子〈ソンプジャ〉さんの講演

   両親在日1世 大変な生活

   自分は在日2世 小学生の時からチョンコ(朝鮮人)と呼ばれ、ひどいいじめを受けてきた。 自分の子どもは在日3世 やはり、在日ということで、ひどいいじめを受けてきた。 31歳の時に在日大韓教会川崎教会に導かれて、キリスト教信仰を持った。 李仁夏(イインハ)牧師との出会い。 

それまでは、神も仏も信じない。 神がおられるならこんなひどいことを許されないはずだと考えていたから。

今は81歳。 クリスチャンとなって50年。

その歩んできた歩みについて講演された。

  神の語り掛け イスラエルの民だけでなく、外国人も大切であると。 

 

 

11月30日() 祈祷会 奨励メモ

   「七つのラッパと共に」     ヨハネ黙示録8章1-13節 

 

★苦しみ、困難

 苦しみ、困難を経験する。  人それぞれ違う。

  その苦しみ、困難の中で、やはり求めるのは、そこからの解放。

  何とか、その苦しみ、困難を乗り越えたい。そこから抜け出たい。

  暗いトンネルの中に置かれたようなもの、そこから出たい。

 

★苦しみの中で

 助けを求める。 出口を探し求める。

 主に呼び求める幸いがある。 主に向かって祈る。 助けを与えてください、

  出口へと導いてくださいと

  私たちキリスト者に与えられている幸い

 

★助けを求める祈り

 主よ、助けてください。主よ、引き上げてくださいと

○6章10節

6:10 彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住 

む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」

 

★信仰の歩みにおける迫害

 主を信じて歩む中での迫害

 ヨハネは、迫害のゆえにパトモス島に島流し、幽閉

1章9-10

1:9 わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。

1:10 ある主の日のこと、わたしはに満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。

 

★黙示

  すぐには理解できないが、そこに込められたメッセージがある。

  それを受けとめたい。

 

7つのラッパ

  7つのラッパが天使たちに与えられる

◎1-5節 

8:1 小羊が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた。

8:2 そして、わたしは七人の天使が神の御前に立っているのを見た。彼らには七つのラッパが与えられた。

8:3 また、別の天使が来て、手に金の香炉を持って祭壇のそばに立つと、この天使に多くの香が渡された。すべての聖なる者たちの祈りに添えて、玉座の前にある金の祭壇に献げるためである。

8:4 香の煙は、天使の手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った。

8:5 それから、天使が香炉を取り、それに祭壇の火を満たして地上へ投げつけると、雷、さまざまな音、稲妻、地震が起こった。

 

★第1から第4の天使たち

 第1の天使、第2、第3、第4の天使

◎6-13節

8:6 さて、七つのラッパを持っている七人の天使たちが、ラッパを吹く用意をした。

8:7 第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった。

8:8 第二の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、

8:9 また、被造物で海に住む生き物の三分の一は死に、船という船の三分の一が壊された。

8:10 第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。

8:11 この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。

8:12 第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった。

8:13 また、見ていると、一羽の鷲が空高く飛びながら、大声でこう言うのが聞こえた。「不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者たち。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに。」

 

*出エジプトの時の災い

 ①血の災い   出エジプト71424 

 ②蛙の災い     〃  725811

 ③ぶよの災い    〃  81215

 ④あぶの災い    〃  81628

 ⑤疫病の災い    〃  917 

 ⑥腫物の災い    〃  9812

 ⑦雹の災い     〃  91335

 ⑧いなごの災い   〃  10120

 ⑨暗闇の災い    〃  102129

  そして過ぎ越しの出来事

 

 迫害の中に置かれたキリスト者に対してのメッセージ

 神が、あの出エジプトの時に災いを見せファラオに迫った。

 そして、ついに過ぎ越しの出来事を通して、出エジプトを成し遂げさせてくださった。 主なる神が私たちの味方である。  必ず、助けは与えられる。

 

★『みことばの光』より

本書の最初の読者は、ローマ帝国に苦しめられていたキリスト者である。彼らはここに終末の恐怖よりも解放の恵み、新しい出エジプトが起こるという祝福のメツセージを読み取ったことだろう。黙示録は希望の書である。

 

祈り  主よ、たとえ途方に暮れることがあっても、行き詰まることがないことを感謝します。

 

 様々な異変を経験するかもしれない。

主の助けは備えられている。 主に信頼し、歩んで行きましょう。

 

 

 12月7日() 祈祷会 奨励メモ

   「忍耐と信仰が必要」     ヨハネ黙示録13章1-18節 

 

★支配

 支配されることがある。

 支配は決して喜ばしいものではない。 なぜなら、支配する者は勝手に命じるから。 個人の自由は制限される。禁止される。奪われる。

 行動、思想、そして信仰に対しての制限、禁止 こうせよ、ああせよと。 自分の意に反して強制される。

 

★ひどい目に合う

 そのような時代に生きる者は大変な目に合う。

  戦争の時代 戦争のただ中 政府が様々なことを統制する

  独裁者の時代 その独裁者の思いのままに

 その時代に生きる者たちには、大変。 従わざるを得ない。

  従わなければ罰が与えられる。 逮捕される、 弾圧される

 

★第12章

 一匹の竜のこと

 〇12:1-18

○9節

12:9 この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。

  巨大な竜、 年を経た蛇、 悪魔とかサタンとか呼ばれるもの

  その悪しき支配  天から投げ落とされたもの

○17節

12:17 竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。

   キリスト者に対しての攻撃

 

★第13章

 2匹の獣

 1匹は、海の中から海の中から上って来た。(1-10節) 

 もう1匹は、地中から上って来た(11-18節)。

 地上における悪しき支配者、権力を握る者

 権力を握り、自分が思うがままに事を行う。

 取り巻きの者たちを作り、多くの人、国民を支配する。

  行動、思想、信仰を制限する。 こうしてはいけない、こうせよと

  それ以外のことを許さないと

 

◎1-10節

★1匹の獣

◎1節

13:1 わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。

 10本の角と七つの頭。 それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。

 神を冒涜する者  竜(サタン)によって権威を与えられた。 強引に権威を

◎4節

13:4 竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」

 多くの者たちが、竜を拝み、この獣を拝んだ

 その支配下に身を置いた。 間違ったことも、それでよいとして受け入れる。

 その竜、獣に服する。 ひれ伏す。

◎8節

13:8 地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。

 多くの人がひれ伏し、拝む

 間違った信仰

 

◎5-6節

13:5 この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。

13:6 そこで、獣は口を開いて神を冒涜し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒涜した。

 神を冒涜する

 教会とキリスト者に対しての冒涜、弾圧 その命をも奪おうとする。

 

◎11-18節

★もう1匹の獣

 もう1匹の獣が現れる

◎11節

13:11 わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。

  

◎12-14節

13:12 この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。

13:13 そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。

13:14 更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。

 先の獣(最初の獣)を拝ませる

  その権力者、独裁者の像を作らせ拝ませる。

   権威付けをする。

 

◎15-18節 

13:15 第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。

13:16 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。

13:17 そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。

13:18 ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。

従わない者に対して、その命さえ奪う。

 右手ないし額に刻印 獣の名、その名の数字666(不完全)

 それがなければ、物を買うことも売ることもさせない。

  弾圧 

 

★厳しい時代、状況

 特に宗教弾圧、迫害の中に置かれる時がある。

 人間的には、とても厳しい。

 その圧、その支配に屈せざるを得ないような時代、状況

 その中にあって、主の守りと助けを願う、従って行くことは決して簡単ではない。 しかし、なお主のご支配、守りと助け

 

○12章10-11節

12:10 わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。

12:11 兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。

  神の救いと支配

 小羊の血、証しの言葉とで打ち勝つ

 

★忍耐と信仰

◎13節

13:10 捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、剣で殺される。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。

  忍耐と信仰

 主を仰ぎつつ、忍耐。

 主に信頼しつつ、信仰。

 

12月15日() 合流祈祷会 奨励メモ

   「裁かれた大いなる都」    ヨハネ黙示18章11-24節

 

★力を持つ

  私たちの多くは、力を持つことを願う。

  様々な力がある。 物の力、繁栄の力、 たくさんの物を手に入れ、繁栄を極める。 経済力 経済で力を持つ。

 ポストの力 地位、身分 それらを手に入れたいと思う。

  名誉、栄誉 他の人からの称賛  武器、軍事力

   

★力は二つの物を引き寄せる。

 一つは、支配

  その持てるもので、他を支配する。 押さえつける。自分の思うままに事を運ぶ  自分の思い通りに事を運ぼうとする。 他を圧倒する。 自分が命令する。

 もう一つは、傲慢

  自分は偉いのだ、自分の考えはすべて正しいのだ。

  自分は高いところに身を置いている。 自分はいつまでもこのままでいるのだ。

   

★力は時に恐ろしい方向に向かわせる

 力は他を強引に支配し、自分の思うままにふるまう。

 力を悪いことにも、平気で用いてしまう。 人間の力は、力から力へ 

 力は、他の人への支配だけでなく、その力を持つ者が、力によって支配される。

 人間の力に潜む罠  人間の力に対する誘惑

 その力で何でもできるのだ。 何をしても良いのだ。 お前は最高の者だ、お前は一番上に立つ者だ  そのように誘惑する存在 それは、サタンである。

 サタンは、人にささやきかけ、間違った方向に導く。

 お前は最高権力者だ。お前は最高の上に立つべきものだ。 お前こそ、神だと全くか違った思いを抱かせる。 お前によって、人は動くのだ、周りは動くのだ、世界は動くのだと その支配は永遠に続くのだと、その支配は今まで誰もしたことがない。 お前はヒーローだと、最高の者だと  それは、すべて誘惑であり、落とし穴

 

★神の支配

 支配の主は、神のみ 喜びをもたらす支配は、神による支配のみ。

 神でない者が、勝手に支配する時、そこに大きな間違い、悲しみが起きる。

  神でない者、それは人、そしてそれは究極においてサタン

 神は、間違った支配をなそうとするものを裁かれる。打ち滅ぼされる。

 神の支配を待ち望みましょう。

 

★本日の箇所 

 18章後半「裁かれた大いなる都」

 大いなる都は裁かれたと すべては取り除かれた。 すべてはなくなったと

  

★倒れたと

 18章前半  大バビロンが倒れた。

○ヨハネ黙示18:1-10

18:1 その後、わたしは、大きな権威を持っている別の天使が、天から降って来るのを見た。地上はその栄光によって輝いた。

18:2 天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。

18:3 すべての国の民は、怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、地上の商人たちは、彼女の豪勢なぜいたくによって富を築いたからである。」

18:4 わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。

18:5 彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神はその不義を覚えておられるからである。

18:6 彼女がしたとおりに、彼女に仕返しせよ、彼女の仕業に応じ、倍にして返せ。彼女が注いだ杯に、その倍も注いでやれ。

18:7 彼女がおごり高ぶって、ぜいたくに暮らしていたのと、同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない。』

18:8 それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、力ある主だからである。」

18:9 彼女とみだらなことをし、ぜいたくに暮らした地上の王たちは、彼女が焼かれる煙を見て、そのために泣き悲しみ、

18:10 彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立ってこう言う。「不幸だ、不幸だ、大いなる都、強大な都バビロン、お前は、ひとときの間に裁かれた。」

 火で焼かれた。

 

★ティルスという町  

 エゼキエル書26-28章

ツロとも呼ばれる。フェニキアの北に位置した町、 とても栄えた町、繁栄を極めた町。 貿易で栄えた。 いろいろな国々と取引 莫大な富を手にした。

 その富によって、持ち物、建物が豪華になった。

 

★ティルスの運命   

 それは、厳しい現実  その町はすべてを失う。滅ぼされるということ。

具体的には、バビロニアによって、そして後には、歴史的には、アレキサンドリアによって滅ぼされた。

○26:4-14

26:3 それゆえ、主なる神はこう言われる。ティルスよ、わたしがお前に立ち向かう。わたしは、海が波を巻き起こすように 多くの国々をお前に立ち向かわせる。

26:4 彼らはティルスの城壁を倒し、塔を破壊する。わたしはその土くれまでぬぐい去り ティルスを裸の岩にする

26:5 ティルスは海の中にある網干し場となる。これはわたし自身が語ったことだと 主なる神は言われる。ティルスは諸国民に略奪され

 

26:14 わたしはお前を裸の岩にする。お前は網干し場となり 再び建て直されることはない。これは主なるわたしが語ったことだと 主なる神は言われる。

 バビロニアに攻め込まれる。

 ティルスが完全に滅びたのは前332年、アレキサンダー王の攻撃の時であった。その時にはエゼキエルの預言のように「世界に冠たる交易都市ティルスが裸の岩になってしまった」。ティルスはその後繁栄を取り戻すことなく、今日は寒村で、ただ遺跡と歴史から世界遺産に指定されている。

  

★ティルスの繁栄ぶり

 その繁栄は、貿易によって

○27:12-25

 

★多くの富を手に入れた

  多くの富を手に入れた。

○28:2-8節

28:7 それゆえ、わたしはお前に対して諸国の中でも最も暴虐な外国人を立ち向かわせる。彼らはお前の知恵の誇りに向かって剣を抜き、お前の栄華を汚し、

28:8 お前を陰府に突き落とす。お前は海の真ん中で切り倒されて死ぬ。

   陰府に突き落とす 死ぬ

 

○28:15-18節

28:18 お前は悪行を重ね、不正な取り引きを行って 自分の聖所を汚した。それゆえ、わたしはお前の中から火を出させ お前を焼き尽くさせた。わたしは見ている者すべての前で お前を地上の灰にした。

  高慢 不法が満ち、罪を犯す、 不正な取引

 おごり高ぶり 自分を最高の者と考えるようになる

 自分は神だ、神のような存在だ。

  何でもできる。何をしても良い。自分の考え、行うことはすべて正しい。

  考えること、計画することに間違いはない。すべて正しい。

  その通りになる。皆がそれに従う。 それは、全くの間違い、自分勝手な考えに過ぎない 滅ぼした。 焼き尽くさせた。灰にした。

    嘆きの歌、哀歌が歌われた。

 

◎ヨハネ黙示18章11-24節  

★裁かれた大いなる都

 神の座に着こうとするもの 

 神に代わって、世を支配しようとするもの、他者を支配しようとするもの

 それらは、裁かれる。 それらは火に焼かれてしまう。

 

◎19-24節

18:19 彼らは頭に塵をかぶり、泣き悲しんで、こう叫んだ。「不幸だ、不幸だ、大いなる都、海に船を持つ者が皆、この都で、高価な物を取り引きし、豊かになったのに、ひとときの間に荒れ果ててしまうとは。

18:20 天よ、この都のゆえに喜べ。聖なる者たち、使徒たち、預言者たちよ、喜べ。神は、あなたがたのためにこの都を裁かれたからである。

18:21 すると、ある力強い天使が、大きいひき臼のような石を取り上げ、それを海に投げ込んで、こう言った。「大いなる都、バビロンは、このように荒々しく投げ出され、もはや決して見られない。

18:22 竪琴を弾く者の奏でる音、歌をうたう者の声、笛を吹く者やラッパを鳴らす者の楽の音は、もはや決してお前のうちには聞かれない。あらゆる技術を身に着けた者たちもだれ一人、もはや決してお前のうちには見られない。ひき臼の音もまた、もはや決してお前のうちには聞かれない。

18:23 ともし火の明かりも、もはや決してお前のうちには輝かない。花婿や花嫁の声も、もはや決してお前のうちには聞かれない。なぜなら、お前の商人たちが地上の権力者となったからであり、また、お前の魔術によってすべての国の民が惑わされ、

18:24 預言者たちと聖なる者たちの血、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである。18:20 天よ、この都のゆえに喜べ。聖なる者たち、使徒たち、預言者たちよ、喜べ。神は、あなたがたのためにこの都を裁かれたからである。

 

 おごり高ぶった故、神のようになろうとしたゆえに裁かれた。

 聖徒を苦しめた故に。 キリスト者を苦しめた故に

 その裁きはなされる。

 苦しみの中にある聖徒たちよ、キリスト者たちよ。

 主の支配、主の勝利は備えられている。  待ち望め。

 

12月21日() 祈祷会 奨励メモ

   「神の栄光の都」    ヨハネ黙示録21章9-27節

 

★神のご支配

 この世は、人の支配のもとに置かれている。 人の歩みがあり、この世はある。 一人一人の歩みが、この世の歩みを形作っている。

  自分の歩みの大切さ。 しかし、それと共に、社会の大きな力の中で歩むしかない、大きなこの世の力、流れの中で生きていくしかない。 人の支配の中に身を置いている。

 また、この世は人に支配と共に、闇の力、神に敵対する者、サタンとも呼ばれる者の支配がある。 この世に生きていくことの大変さがある。

しかし、また、永遠の主、神のご支配がある。

 その中で、さまざまなことが起きてくる、さまざまなことを経験する。

 時に苦しみ、苦難をも経験する。

 そのような中にあっても、神のご支配をいただき、助けをいただく。それは、大きな感謝なことです。

 

★苦しみの中で、何が助けとなるか?

 その苦しみが和らぐこと、その苦しみが軽くなること、その苦しみが取り除かれることは大きな喜びです。

 ただ、なかなかそうならないこともある。抱えている苦しみ、痛み、大変さが去って行かない、居座り続ける。 その中に身を置き続けねばならない。

 大雪の中、車が動かない。 何時間も何時間も飲み食いもできず、喉が渇きおなかがすく。寒い。

 そのような時、ひたすら忍耐する、待つしかない。

 そのような時、飲み物や食べ物等が少しでも差し入れがあるなら大きな励ましとなる。 ああ、助かった、ああ感謝。

 励ましてくれる人がいるなら感謝。

 もう一つは、忍耐、我慢の中にも、この先のことを心にとめる。

  今は閉じ込められているけども、やがて脱出できる。

  この渋滞、身動きできない状態から解放される時が来る。

  家に帰り着き、畳の上で横になる。暖かい暖房の中で過ごす、暖かいお風呂に入る。 布団の中で横になりぐっすりと休む。 その時を思い描きつつ、過ごすことができるなら幸い。

 

★困難を経験したヨハネ

 信仰のゆえの迫害、その苦しみを経験したヨハネ

 そのヨハネの幸い それは、主の語り掛けを聴いた。

  主が共にいてくださる、主は見捨てておられないという思い。

 それでも、厳しい状況の中に、身を置きつつ、将来起きること、将来に経験すること 主が、これから先のことを支配してくださる。

 そして、主が待っていてくださる。

 主が用意して待っていてくださる。 主の全きご支配の中に身を置くときが来る。 そのことが告げられている。 それは、大きな励ましであった。

 

★最後に行くところ

 最後に身を置くところがわかっていると感謝です。

 最後、どこに身を置くかわからないでは、心配。

 この地上の生涯を終える時が来る。

 山中信行兄が、恵美子姉に語った。

  施設に入り、だんだん弱る、命の灯火も弱くなる。

 天国が用意されている、自分はそこに行くのだから、大丈夫だよ。

  それが、交わし最後の会話 素敵ですね。

  恵美子さんも、主にすべてをゆだね、ご主人を天に送られた。

  

★聖なる都

 聖なる都エルサレム 神のご支配の都

 その姿を垣間見せられたヨハネ

 その記述

 神の都エルサレム

 その姿は一言でいうならば、神の全きご支配、神の栄光で輝いていた。

 まばゆいばかりの輝き

◎11節 

21:11 都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。

  最高の宝石のようであった。

 

★城壁と門

 高い大きな城壁と12の門

◎12-15節

21:12 都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。

21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。

21:14 都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。

21:15 わたしに語りかけた天使は、都とその門と城壁とを測るために、金の物差しを持っていた。

  エルサレム神殿を想起させられる。

 門には、名が刻まれていた。 12部族の名

 城壁の土台にも名が刻まれていた。 12使徒の名

 旧約、そして新約 神の救いの御業を思い起こさせる。

 

この都

 都の形

◎16-17節

21:16 この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。

21:17 また、城壁を測ると、百四十四ペキスであった。これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。

 12,000スタディオン 1スタディオン185センチ 2,220キロ

 立方体

  長さ、幅、高さが同じ

  至聖所 長さ、幅、高さが同じ すなわち立方体 純金で覆われていた。

○列王記上6:20

6:20 この内陣は奥行きが二十アンマ、間口が二十アンマ、高さが二十アンマであり、彼はこれと、その前のレバノン杉の祭壇を純金で覆った。

 

★城壁とその土台石

 城壁は碧玉で

 都は、クリスタルの純金

◎18-21節

21:18 都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。

21:19 都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、

21:20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。

21:21 また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。

 都の城壁の土台は、第1から第12の土台の石 12の宝石

 

★神の栄光

 神の都は、神の栄光に満ちている。  当たり前と言えば当たり前

 人の都、この世の都

  特別な人のために作られた。 特別な宮殿 一人の人の栄誉のために

  きらびやかに作る それは権力、権勢を誇るために。

  一人の人が王である、 その人に支配に服せと迫る。

  その一人の人の権力欲、名誉欲のために作られた。

  たいていは、その陰で多くの人が苦しむ。 どこかの国の誰かを見れば歴然としている。 人の都は、その特別な人のために動き、多くの人は踏みつけられる。 その特別な人のために、支配され、こき使われる。

 神の都は、全く違う。

◎22-26節

21:22 わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。

21:23 この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。

21:24 諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。

21:25 都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。

21:26 人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。

 神の都は、光輝いている。

  その光のもとは太陽でも月でもない。

  神の栄光が、その光のもと 小羊である主イエスは都の明かり

  そこには夜がない。

   暗闇がない。戦争もない、いがみ合い、争いもない。

   病も死もない。 苦しみもない。

 諸国の民(主イエスの救いに与った人たち)がこの都に招かれ来る。

  栄光と誉れを携えて

   栄光と誉れ 自分の栄光、誉れではないだろう。

   主にあって、主を指し示すところの栄光と誉れ

   主にあって、主の憐みと愛のゆえにこのことをすることができました。

  これは、主のご支配の中にあって、歩ませていただき与えられた恵みです。

   栄光は主にお返しします。

 

★天に入る資格

 天国という言葉 日本でも定着してきた。 極楽という言葉よりも、天国

 天国で憩う それは大きな慰め

 ただ、安易に用いることは、聖書の教えとはずれている。

 そこに、入り、憩う。

  それは、人間がそこに入ることを希望するから、自動的に入るのではない。

◎27節

21:27 しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。

 汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入ることはできない。

 汚れた者であり続けて良いのではない。 

 忌まわしいことや偽りを行い続けて良いのではない。

 主のみ前に歩むようになることが必要。

 主のみ前に、悔い改め、造り変えられることが必要。

 主イエスを救い主として信じ、受け入れることが必要。

 主イエスの十字架の血潮の恵みに与ることが必要。

 小羊の命の書に名を書いていただく。 

○ヨハネ1:9―12

1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。

1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。

1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

 神の子としての資格を与えていただいている。

 そのことを感謝しつつ、なお主のみ前に歩んでいくのです。

 主に感謝しつつ、主を指し示しつつ、歩んでいきましょう。