2023年 1月

1月1日() 新年礼拝 説教メモ

   「主にあってチャレンジ」 マタイによる福音書6章25-34節 

 

★この年の御言葉と標語

 御言葉

 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」 マタイによる福音書6章33節

 標語

 「主にあってチャレンジする」

  

★子ども時代

 大人になって、子ども時代を振り返ると

  学校に毎日通い、勉強し、友達と遊んだ。 とても懐かしい気がする。

  楽しい思い出が甦る。 実際には、いろいろな悩みもあったのだが、今となっては楽しい思い出が勝る。

 そこには、自分を見守ってくれる親がいたからということが大きかったように思う。 親の保護のもとに大きくなって行った。

 食事のことも、生活のもろもろのことも、親が一番良いように考えてくれる。

 親に任せておけばよい。自分では、食事のこと、生活のもろもろのことは考えない 特に、幼児期、小学生の低学年のとき 

 小学生の高学年、中学、高校生にあり、思春期に入ると、いろいろなことで悩みが始まる。 それでも、親の保護の下で過ごすことができた。

  

★大人時代

  親から離れていく、 自立

  自分で、自分の生活のことをあれこれ考えて行かなければならない。

  たくましさを身に着けていく。

と同時に、どう歩むか、どの道に進むか 自分で考え決めて行かなければならない。 進む道の選択、取り組む課題にどう対処するか

 うまくやれるようになっていくという面と、うまくやっていけないという面がある。

 子ども時代にも、その予行練習のようなことはたくさんあった。

  子ども時代は、親の保護のもとにあった。

  大人時代は、親の保護はほぼなくなり、自分で解決しなければならない。

  うまくいかない問題、課題、 心配なことも増える。

   

★思い悩むこと

 思い悩み、思い煩い  様々にある。

 コロナが始まり悩みは増えた。

  感染したらどうしよう。  感染したら、はたして良くなるだろうか

  商売をしている人は、お客さんが以前のように来なくなった。 どうしようと悩む

 自分自身のことで思い悩む

  人と比べて、あれこれ 自分の容姿のこと、 私自身は、背が低いことにだいぶ悩んだ。 どうして背が低いのだろう。 

  ・学校のこと    ・家族のこと

  ・人間関係のこと     ・仕事のこと

  ・将来のこと

   今は良いけども、将来は大丈夫だろうか?

   年を取ってくると、若い時に考えなかったこと 体力の衰え、健康のこと

   ちゃんとやっていくことができるだろうかと

  ・健康のこと

   いつか重い病にならないだろうか

   今かけている持病が悪化しないだろうか

  ・店じまいのこと

  ・終活のこと 自分の人生をどうたたむか

  ・老後は大丈夫だろうか

  ・この日本、この世界、

    いつか大きな地震は来ないだろうか 原発のこと、戦争のこと

   心配の種は尽きない。 多くの心配事がある。

   思い悩み、思わずらいの中に身を置く。

 人には言えない悩みがある。人には、なかなか相談できない悩みを抱えている。 それが私たち。

 

★今朝の聖書箇所

 思い悩むな 思い煩うなと語りかけている。

 私たちへの神からの語り掛け  

◎25-32,34節 

6:25 だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

6:27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

6:28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

6:29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

6:30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。

6:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

  自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと思い悩む

 自分の体のことで何を着ようかと思い悩む

心配でたまらない いつもそのことが気になる。 気になって夜もぐっすり眠れない。 寝不足、夢の中でもそのことに関連して、夢の中でも悩む

 ぐっすり眠れない 寝不足

 自分の寿命のことで思い悩む

 何歳まで生きることができるだろうか 早く命の終わりが来たらどうしよう。

 80歳までは生きていたい、いや85歳まで、いや90歳まで いや95歳まで  ここに集っておられる方々は、特に80歳を超えておられる方は、さらに長く生きて行かれると思います。 90歳、いや100歳までも

 ただし、思い悩んだから、寿命を延ばすことができるかというと、そんなことはできない。 むしろ、夜ぐっすり眠れなくなると寿命は短くなるかもしれない。

 思い悩んで良いことはほとんどない。 それなのに思い悩んでしまう。

  空の鳥を見なさいと ちゃんと食べ物を手に入れているではないかと

  天の神さまが野山で養ってくださっている。

 野の花を見なさいと

  きれいな花々 春になると田んぼや畑、野山に生えてくる野の花

  小さな花々 春の訪れを知らせてくれる。

  今しばらく、寒い冬の期間を過ごさねばならない。あと2,3か月すると 

   春の訪れとともに野の草、野の花が咲き乱れる。

  春になってユダヤの野原で咲く花 

   有名なものはアネモネの花 赤やピンク 一斉に咲き乱れる。

   自然の野山に咲くアネモネはとてもきれい。

 栄華を極めたソロモンの豪華な衣装よりもきれい。

 野山に雨を降らせ、大地を潤してくださる天の神さま

 暖かい太陽の光を与えてくださる天の神さま

  天の鳥、野の花を育ててくださる天の神さま

  その神さまは、天の鳥、野の花よりもはるかに大切な私たち人間を育ててくださらないことがあろうかと主イエスは語られた。

 富んでいて悩みあり 自分の持ち物は多い、持っている財産、お金は多い。

 誰かが狙っているのではないだろうか

 これが少なくなったら困るなあと心配しなければならない

 貧しくて悩みあり これ以上財産、お金が減ったら生きていけない、

 どうしよう、どうしようと悩む。

思い悩むな、思い煩うなと

 思い悩み、思い煩い、夜眠れなくなれば、それこそ、健康に良くない、病気になってしまう。 今を生きているのに、今を喜んで生きていいけなくなる。

 今の時、今の幸いが与えられているのに、それを十分味わえない。

 

★思い悩みを置きましょう。

  思い悩み、思い煩いが一つもない人はいない。

  その数の差 ある人は、10も、20も抱えている人もいるかもしれない。

  その大黄さ、重さの差 ある人はとても大きなもの 1トンも2トンもあるような悩み それを背負って歩み続けるなら、へばってしまう。 それを背負い続けるなら、いつか倒れてしまう。 それを置きなさい、それを下ろしなさい。

 そんなことはできません。これは私のものですからと背負い続ける。大切な荷物ですから目を離すこともできせん。

 それを置きなさい。 私が番をしてあげますよ。それを見ていてあげますよ。

  信頼のおける方がそう言ってくれたなら、それを下ろすことができますね。

  じゃあ、見ていてください。しばらくお任せしますと肩から降ろして、散歩にでも行くことができる。

 私たちの思い悩み、思わずらいを知っていてくださるお方がおられます。

 

★天の父

 天の神さまは、あなた方の天の父ですよ。

 誰かほかの人の天の父ではなく、あなた方の天の父ですよと。

 あなた方の天の父は、あなた方のことを愛していてくださっていますよ。

 自分の愛する者、それは自分たちの家に誕生した赤ちゃんかもしれない。

 自分の家の子どもかもしれない。 自分が飼っている犬、猫、ハムスター、亀、金魚かもしれない。 自分にとって大事なものに対して、心を用いる。

 今おなかがすいている。 今少し元気がない、 今これを欲しがっている

 よくわかる、それはいつも見ているから、気をかけているから  

◎32節 

6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

 天の神さまは、私たちにそれらのものが必要であるとご存じのお方です、

そのようなお方がおられることを忘れないようにしなさいと 

 

★まず、神の国と神の義を求めなさい。

  まず神の国と神の義を求めるように

◎33節

6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

  神の国とは、神のご支配を意味しています。

  神がこの世界のすべてを創造してくださった。今もこの全宇宙を、そして私たちの住むこの地球もご支配してくださっている。

 それなのに、この地球、世界を見ると問題だらけ 大自然が破壊され、大気汚染、海洋汚染が広がっている、 戦争が絶えない。

 私たち人間の傲慢自己中心、自分だけ良ければ、自分たちだければ良ければ、自分たちの思いのままに支配したいと身勝手な思い、そのような世界に、神は、クリスマスの出来事を起こし、おいでくださった。

 私たちを滅びに向かわせる罪の支配を打ち破るために、

 主イエスを通して、成し遂げられた救いの御業

 神の国は、遠いところに置かれているのではなく、私たちの目の前に置かれた。その中に生きることができるようにしてくださった。

 神の恵みのご支配を感謝して受け取りなさいと

 神の義とは、神の正しさを意味しています。人間の義はいつも崩れ去ります。他の人を他の国の人を傷つけ、苦しめます。 人間の義は、その人の都合で勝手に変えられます。 神の義は決して変わりません。

 クリスマスの主イエスを通して成し遂げられた救いのゆえに、神の義は、冷たい義ではなく、温かい義、すなわち、救いを意味していることが明らかになりました。

 神の愛と恵みが私たちに注がれている。 そのことを何よりも受けとめなさい。 その愛と恵みに感謝して、応答しつつ歩みなさいと

それを中心軸に据える

 軸足を主に置く 軸足を主の下に置く

軸足をそれ以外のところに置いていくならば、どんどんずれて行ってしまう。

 軸足を主において進んで行きましょう。

 毎週のこの礼拝を大切に励まし合って歩んでいきましょう。

 毎週の水曜祈祷会にも励みましょう。

 毎日のデボーション、主のみ前に静まり祈ること、日々の歩みの中で、聖書の御言葉を読み、主に祈ることを大事にしていきましょう。

 

★主にあってチャレンジする

 思い悩み、思い煩いを主に委ねて、身を軽くさせていただきましょう。

 重い荷物を背負ったままでは、ジャンプできません。

 身を軽くさせていただき、ジャンプしましょう。

 主にあってチャレンジする。

 1)教会において

 教会においては、何にチャレンジしていきましょう、

  長年祈りが積まれてきた納骨堂建設に取り組めるならば幸いです。

  それ以外にも、このことにとチャレンジさせていただきましょう。

   

 2)個人において

  それぞれ、新たにチャレンジ

  ずっと考えていて取り組めなかったこと

   旅行、 旧友に会う 山登り、 ジョギング

   聖書の通読 祈り合うこと

   ひそかにチャレンジ、 自分のうちで静かに始める

   公言してスタートする

 今まで飛びこめなかったことに、特に神の恵みの世界、神の招きに応答する。  

 何か一つのことをチャレンジ! さあ、歩み出しましょう。

 

1月8日() 聖日礼拝 説教メモ

  「土の器に納められた宝」 コリントの信徒への手紙二4章1-7節

 

★本年の御言葉と標語

 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのもの

はみな加えて与えられる。」  マタイによる福音書633節  

「主にあってチャレンジする」

 

★大切なもの

  大切なものはいろいろある。

  大きなお金を払って買い取った住まい、建てた住まい

  高価だった自家用車、・・  一生懸命働いたお金、貯金

  でも、一番大切なものは、一つしかないもの それは高価でなくても良い、心の込められたプレゼント 子どもや孫からの手紙、手作りのもの 大事な思い出のものかもしれない。

 神は、私たちを大切なものとみてくださっている。かけがえのないもの

 それは、親が子どもを思う以上のもの

 

★もろいもの

 出たばかりの芽 大切に扱う必要がある  細い枝

 私たちの心  強く見えて、何かのはずみで弱くなる

 ごはん茶碗、陶器 毎日使っているごはん茶碗 愛用のもの

  それを間違って床に落としてしまうと割れてしまう。

  花瓶 ガラスで造られている者もあるし、陶器のものもある。

   それは、落としてしまえば割れてしまう。

 土の器  土で造られた器

  元の材料は土 それを練り、形を整えて、火で焼いて造る。 陶器

  

★土の器

 私たちは土の器に過ぎない。

 固く頑丈そうに見えても、時に真っ二つに割れてしまう。

 陶器は、きれいな模様が描かれ、時に光輝く。 でもそれを乱暴に扱い、ぶっつけたり、落とせば欠けてしまう。

 そのもとの材料は、金でも銀でもない、宝石でもない。ただの土。

 母親の胎内に宿り、肉体が形造られていく。 そこに心が宿り、考える者となる。

 健康だと思っても、突然病気になり、体が弱る。

 自分は何にでも耐えられると思っていたのに、急に心が弱くなることがある。

  自分を支えきれないと思ってしまう。不安でたまらなくなる。

  希望は尽きないと思っていた自分の内に希望が小さくなっていることに気づくことがある。

 

★憐れみを受けた者

 憐みを受けていることの幸い

◎1-2節

4:1 こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません。

4:2 かえって、卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます。

◎口語訳

4:1 このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務についているのだから、落胆せずに、

4:2 恥ずべき隠れたことを捨て去り、悪巧みによって歩かず、神の言を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦するのである。 

 

★神の憐れみ

 憐れみ、 ただ、ああかわいそうだではない。

  これは大切なもの これを大事なもの これを用いて行こう。

  使徒パウロはどのような人だったでしょうか?

  彼はかつて、クリスチャンを迫害する者でした。 キリストを否定する者でした。自分こそは神の御心にかない、神の前に立派なものだと考えていました。

 でも、実際には、神の御心を傷つける者でした。 神の御心とは遠く、神の裁きにかけられるような者でした。

 ところが、そのパウロ(かつての名前サウロ)を、神は憐れみの内に彼を選び、赦してくださいました。 これはもうダメだとは考えられませんでした。

このパウロを生かそう。 彼を私の証し人として用いようと定められたのです。

 サウロは、復活の主イエスとの出会いを通して生まれ変わりました。

  主イエスを信じる者となり、主を証しする者、宣べ伝える者となりました。

 

★憐れみを受けた者として

 憐みを受けて務めをゆだねられた使徒パウロ。 この働きを託された。

◎5節

4:5 わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。

 使徒パウロ自身は、福音宣教の務めをゆだねられた。 そのことを感謝して受け取った。

 その働きを通して、主イエスを知り、主イエスの救いに与る者が起こされて行った。

 大きな喜びをいただいた。 それと共に、さまざまな妨害、迫害もあり困難を経験した。 困難を経験すると、なかなか前に進めない、押し戻される。 行き詰まりを経験する。 しかし、落胆しなかった。 主が共におられる、主が守り支えてくださる。そのことを経験したから。

 私たちも、時に落胆させられるようなことを経験する しかし、主にあって落胆しないで進むことができる。

 神の御前にある自分自身 そのことを心にとめて歩みたい。

  神の御前に立ち生かされていることを忘れなかった。 

   自分はそこにおいて歩んでいることを心にとめた。

   ・卑劣な隠れた行いを捨て  卑劣な隠れた行いを捨て

     ・悪賢く歩まず、 悪巧みによって歩かず

・神の言葉を曲げず、

・真理を明らかにする 

  様々な誘惑がやって来る これくらいは良いだろう、これくらいは誰でもしている 

  その中で、主の憐みをいただいて、み救いに加えられたものであることを心にとめて歩みたい。 主は守り助けてくださいます。

 

★光

 光は何よりも大切なもの

 暗闇を照らす光 停電になると夜、家の中も外も真っ暗になる 光のありがたさを覚えさせられる。

 昼間は太陽の光 天に置かれた太陽からの光 景色が見える、さまざまなものが見える。

 曇り天気や雨の日も必要 でも、やはり晴れの日は気持ちが良い。

 光は、外側だけでなく、内側にも必要、すなわち、私たちの心の中に必要。

 私たちの心は、時に暗くなる。不安になる。どうしようもなく落ち込むこともある。 様々な心配事、難しい問題。 また、問題はあまりないけれど、なぜか落ち込む 人から見ると恵まれて恵まれて何一つ不自由はないと思われる、 それなのに、不安がある。 この幸せがいつかどこかに持って行かれるのではないか、失われるのではないか その心配

 心の中に暗闇が広がる。暗雲が立ち込める。 そこに必要なものは光です。希望です。 その暗雲、暗闇を追い出すところの光が必要ですね。

 

★光をもたらすもの

 それは、かかっている暗雲を取り除くこと 今ある問題、課題を解決すること

 そのことに取り組む 奮闘努力する これも必要 それでも、次々と暗雲はやって来る。流れ込んでくる。 

 光をもたらすもの その根本は太陽ですね。 昼間、太陽が輝いて入れば光はやって来る。 この地上の空間においては太陽です。

 私たちの心に届く光をもたらすもの 使徒パウロは、その根源は福音であると告げている。 福音 良き知らせ Good News 

 神が私たちのことを心にとめていてくださる。 私たちのために神はおいでくださった。 人となっておいでくださった。 神の独り子イエスをお遣わしくださった。 私たちと神を隔てる罪を打ち破ってくださった。

 イエス・キリストが、私たちと神をつなぐ架け橋となってくださった。

 イエスにある命、永遠の命を私たちに差し出してくださった。

 そのイエスを、自分のための救い主をして受け取る者は救いに与ることができる。  神の子どもとされ、永遠の命を受け取り歩むことができる。

 

★福音の光

 福音の光はなかなか届かない。

 覆いが掛かっている その光を邪魔するものがある。 その光が届かないようにする力が働いている。  

 福音の光があるのに、届かない。 覆いが掛かっている。

 この世の神が目をくらます。

  この世の神とは、この世を支配しようとする偽り者

  これが本物ですよ、これさえあればあなたは幸せになりますよ、これが最高ですよ

  私たちの心を奪おうとするもの  金銭、 物、 名誉、 快楽・・・

  それらがなかったなら、楽しくない。 それらも必要。しかし、それらこそ最高のもの それを一番だと追い求めてしまう。

 それらが私たちを動かす。 それがなければ生きていけない、これこそ、大事なものと思わせる。 それらが心の中心を占めようとする。

 金銭、物、名誉、快楽から来る光にとりこになる。その満足こそ、最高だと思い追い求める。

 イエス・キリストを通して与えられる永遠の命を遠ざける者になる、

 福音の光を覆い隠そうとする力がある。 それは巧妙で、力がある。

 私たちを支配しようとする。 

◎3‐4節

4:3 わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。

4:4 この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿である  

 キリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。

そのような中に置かれている私たちですが、主はその覆いを取り除いてくださる。

 主の愛によって。

 私たちが主の方を向くならば、その覆いは取り除かれる。

 主よ、その福音の光を感謝します。 主よ、その光をこの私は受け取らせていただきます。 主よ、信じますと、信仰をもって主に向くとき、覆いは取り除かれる。

 

★光を生み出すお方

 天の神さまは、光あれを命じ、光をもたらすことのできる方です。

 光あれと命じて、私たちは光をもたらすことはできない。

  マジックではできるかもしれないが、 

○創世記1:1-5

1:1 初めに、神は天地を創造された。

1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、

1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

天地創造の初めに、この世界は闇で覆われていた。

神は、「光あれ」と命じられた。すると光があった。 この世界に光がやって来た。

◎6節

4:6 「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。

 そのお方は、光が輝き出よと命じられ、私たちの心のうちに輝いて、光を与えてくださった。

 その光とは、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光

 イエス・キリストの御顔に輝く光 神の栄光を悟ることを得させる光

 闇が覆う、闇に覆われる中で、何も見えなくなる、先が見えなくなる。

 それは悲しくつらいこと。 心が暗くなる。希望を失いそうになる。

 どうなるのだろか、どうしたら良いのだろうか

 年末、ある一人の老姉妹が困難を経験した。 具体的なことは控えますが、そのことで2日ほど眠れなくなった。体調も優れなくなった。 その時にしたこと。 それは祈りであった。 主よ、お守りください、助けてください、この困難を乗り越えさせてください。 この大変さを解決してくださいと。 主の平安がその方を包んだ。 そのことが解決へと導かれた。 守られ助けられたと電話で話してくださった。

 時に思わない出来事に遭遇する、困難に出会うことがある。 主に呼び求めましょう。

 主は必ず助けてくださいます。 闇を打ち破る光を与えてくださいます。

 「主にあってチャレンジする」 この年の標語

  主と共にチャレンジする。 主に祈りつつチャレンジする。

  新しいことにも取り組んでいく。

 

★土の器に納められた宝

 私たちは土の器 強く見えていても、決して強くない。 

 何かにぶっつかれば欠けてしまうもの、ぱかんと割れてしまうもろいもの

 しかし、感謝なことは、主なる神が私たちのことを心にとめていてくださっているということ。

◎7節

4:7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。

 大切なものとして見ていてくださっている。

 土の中に納められた宝  私たちのうちに納められた宝とは、主イエス・キリストです。

 イエス・キリストの霊である聖霊なる神です。

主が共にいてくださるという約束であり、主は私たちを決して見捨てないという約束です。

 その主は、私たちの内に住んでくださっておられます。

 主が共にいてくださる。 主と共に歩むことができる。 

主が必要を満たしてくださる。 主が必要な力を与えてくださる。 

 私たちは歩み続けることができる。

 希望を失うことなく、主にあって希望を満たしていただきつつ、歩むことができる。 いつか、この地上の人生の終わりがやって来たとしても、主が共に天の御国に導き上ってくださる。

 この地上の見える宝はすべて失われたとしても、主が共にいてくださる。

 共にいてくださる主、私たちを守り導いてくださるお方 この方こそ、私たちの宝です。 ハレルヤ!