2023年 6月

6月4日() 聖日礼拝 説教メモ

   「預言、幻、夢の恵み」 使徒言行録2章14-21節 

 

★力を失うことがある。

 おなかがすいて、力を失う。 エネルギー切れ

 目の前のことが大きすぎて、難しく感じ、戸惑う、圧迫感で押しつぶされそうになる。 体調が良くない時、 物事がうまくいかない時。

 

★力を得る。

 力を得ることは感謝なこと。力がみなぎる。その力で活動をなす。 それは幸いなこと おなかがペコペコ 食事をすると元気になる。

 目の前の課題をなし終えると、心が軽くなる。

 誰かが、自分の置かれている大変さを分かってくれる時、励ましを覚える。

 励ましの言葉をかけられるとき。

 嬉しいニュースを聞いた。 孫の写真、動画が届く。

 

★ペンテコステの出来事

 主の弟子たちは、力を受けた。 大いなる力。

 大胆に、主を証しした。 主の大いなる御業を語った。

 その原動力は、聖霊なる神 イエス・キリストの霊

 主イエスの十字架と復活を通して、主イエスにつながる弟子たちの上に聖霊が注がれた。

 

★大胆で勢いを得た。

 あまりに大胆で勢いを得たので、それを見た人たちも驚いた。

 酒に酔っているのではないか?と 嘲笑った。 でも、そうではなかった。

 酒に酔う、アルコールに酔う。 その時には、確かに気が明るくなる。 饒舌になる。 普段あまりしゃべらない人も、良くしゃべるようになる。

 酒に酔いすぎると、後で何をしゃべったかを忘れてしまうことがある。上滑りしてしまうこともある。

 しかし、聖霊に満たされて、弟子たちは、大胆に力強く語った。

 何を語ったかもしっかり心にとめつつ。

 

★酒に酔うはずはない。

 朝の9時であった。 ユダヤ人は、その時間帯は、神に祈りを捧げる時。

 酒に酔うことはまずない。

◎14-15節 

2:14 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。

2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。

 酒に酔うとしたら、祈りを放棄している姿、一番大切なことを見失っている姿ということになる。

 

★一番大切なことを見失い、さまようことがある私たち

 一番大切なことから外れてしまう。 一番大切なことを見失う。

 自分を愛するゆえに、他の人のことを考えない。

 自分の願いを叶えるために、他の人を踏み台にする。他の人のものを奪い取る。 自分の思いを第一にする。  これを手に入れたい。  このことを成し遂げたい。 自分の栄誉、名誉を第一とする。 自分の持ち物を増やす。

 そのことで、他の人のことを見失う。 他の人の大切なものを踏みにじる。奪い取る。 悲しい歩みであり、悲しい姿。

 

★かつての弟子たち

 かつては、自分が一番偉くなりたい。 他の人より良いものを手に入れたいと願った。  自分のことで頭がいっぱいだった。

 少し前までは、失意落胆していた。

  主イエスが捕らえられ十字架につけられ殺されてしまった。奪い取られた。

 希望の星が消えた。

 その弟子たちに、希望の星が戻って来た。

  主イエスの復活の出来事。復活の主が戻って来てくださった。

  40日共に歩む。 その後。主イエスは昇天されて行ってしまわれた。

  大丈夫だろうかと不安にもなった。

 

★しかし、今、聖霊の注ぎと満たしを得た。

 不安、恐れは取り除かれた。

 主が共にいてくださることを心にとめ、喜びに満たされた。

 心は自分ではなく、主に向かった。そして他の人に向かった。

 主を証ししたい。 主の恵みに共に与りたい。

 その思いの中で、大胆に主のことを語った。

 

★ペトロは大胆に立ち上がり、語った。

 かつて漁師であったペトロ、 この時には、メッセンジャとして語った。

◎16-21節

2:16 うではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。

2:17 『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。

2:18 わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

2:19 上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。

2:20 主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。

2:21 主の名を呼び求める者は皆、救われる。

 

★解き明かし

 預言者ヨエルの語った預言の成就だと

○ヨエル書3:1-5(新共同訳)

3:1 その後 わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し 老人は夢を見、若者は幻を見る。

3:2 その日、わたしは 奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。

3:3 天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。

3:4 主の日、大いなる恐るべき日が来る前に 太陽は闇に、月は血に変わる。

3:5 しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように シオンの山、エルサレムには逃れ場があり 主が呼ばれる残りの者はそこにいる。

○口語訳

2:28 その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。

2:29 その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ。

2:30 わたしはまた、天と地とにしるしを示す。すなわち血と、火と、煙の柱とがあるであろう。

2:31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変る。

2:32 すべて主の名を呼ぶ者は救われる。それは主が言われたように、シオンの山とエルサレムとに、のがれる者があるからである。その残った者のうちに、主のお召しになる者がある。

 

★聖霊が注ぎ与えられる恵み

 主を仰ぎ信じるすべての者に与えられる。 かつては、特別な者にだけだった。 ペンテコステの出来事を通して、主を信じる者すべてに注ぎ与えられる。

 一つの国を治める大いなる王がいたとします。

 その王は、すべての良いものを持っており、すべての権限を持っている。

 すべての良いもの、莫大な財産をお持ちである。

その王から、その財産の一部をいただくとするなら、生活の必要が満たされる。

  お金かもしれない、住む家かもしれない。

  しかし、見えるお金はやがてなくなる。見える家はやがて古びてしまう。

  見えるものではなく、王の一族、家族としての身分であるなら、必要はいつも満たされる。王の一族であり、家族であるから。

 この世の王であるなら、その支配もいつかは終わる。王が交代することもある。

 しかし、その王が変わることのない王、すなわち主であるなら、いつまでも王であり続ける。

 

★聖霊は、神の子としての資格です。

 この者は神の子どもである。神の子としての資格が与えられた者である。

 普通考えれば、その特別な資格は、特別な人にしか与えられない。

 しかし、神は、主を信じるすべての者にその資格を与えられた。

 ペンテコステの出来事を皮切りに、そのことがスタートした。驚くべきこと。

 大きな感謝。

 

★預言者ヨエルのメッセージ

 紀元前8世紀に活躍したヨエルという預言者。

 そのメッセージを読むと、イナゴの大群が押し寄せる。すべての作物を食い尽くすイナゴの大群。 それは恐ろしい光景。 すべてを食べ尽くされてしまったら、食べるものが亡くなってしまう。

 主に背いたイスラエルの民への裁きが語られている。

○ヨエル書1:4 

1:4 かみ食らういなごの残したものを移住するいなごが食らい/移住するいなごの残したものを若いいなごが食らい 若いいなごの残したものを/食い荒らすいなごが食らった。

○ヨエル書1:15

1:15 ああ、恐るべき日よ 主の日が近づく。全能者による破滅の日が来る。

○ヨエル書2:1-2

2:1 シオンで角笛を吹き わが聖なる山で鬨の声をあげよ。この国に住む者は皆、おののけ。主の日が来る、主の日が近づく。

2:2 それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。強大で数多い民が山々に広がる曙の光のように襲ってくる。このようなことは、かつて起こったことがなく これから後も、代々再び起こることはない。

 主の日、裁きの日が来る。 ああ、もう駄目だ、もう間に合わない。 

 主の御前に悔い改めよというメッセージ。

 これだけならば、ヨエル書はとても厳しいメッセージの書。 耳を塞ぎたくなる。 ところが、一筋の光がある。大いなる希望の光。

 それが、ペトロが引用した箇所

◎17-21節

2:17 『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。

2:18 わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

2:19 上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。

2:20 主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。

2:21 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

 

○ヨエル書3:1-5(新共同訳)

3:1 その後 わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し 老人は夢を見、若者は幻を見る。

3:2 その日、わたしは 奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。

3:3 天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。

3:4 主の日、大いなる恐るべき日が来る前に 太陽は闇に、月は血に変わる。

3:5 しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように シオンの山、エルサレムには逃れ場があり 主が呼ばれる残りの者はそこにいる。

○口語訳

2:28 その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。

2:29 その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ。

2:30 わたしはまた、天と地とにしるしを示す。すなわち血と、火と、煙の柱とがあるであろう。

2:31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変る。

2:32 すべて主の名を呼ぶ者は救われる。それは主が言われたように、シオンの山とエルサレムとに、のがれる者があるからである。その残った者のうちに、主のお召しになる者がある。

 どんな激しい嵐が来ても沈まない船を与えよう。 その船に乗ることができる。 その船に乗れば、決して沈まない。 どんなに激しい嵐が襲ってきても、大丈夫。 その嵐に飲み込まれてしまうことはないというメッセージ。

 

★すべてを飲みつくす嵐

 それは、恐ろしいもの。 対抗することはできないもの。

 それは、私たちそれぞれの存在すべてを飲みつくす死であると言える。

 死を打ち破られたお方は、主イエスお一人。

 その復活の主である主イエスの命を、主を信じる私たちもいただくことができるようになった。 そのしるしが聖霊なる神ご自身。 命のパスポート。

 パスポートは、落としてしまうかもしれない、盗まれることもある。失効してしまうこともある。

 しかし、聖霊なる神は、失われることもなく、失効してしまうこともない。

 

★聖霊を内にいただく。

 これほどの幸いはない。 救いのしるしをいただいて生きてゆくことができる。 失われることのない命のパスポート、救いのしるし。 大いなる幸い。

◎17-18節

2:17 『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。

2:18 わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

 

★預言をする 

 御言葉を預言する。 前もって語る予言ではなく、御言葉を預かる預言。

「あなたたちの息子と娘は預言し」

 ここに命の御言葉がある。 自分への語り掛けがある。 信頼して良い神の語り掛けがある。 そこに身を任せて良いお方がおられる。 そこに逃げ込む場所がある。

 嵐の日にも、逃げ込める避難の場所がある。 避難して良い港がある。

 それは、とても幸いなこと。

○申命記33:27

いにしえの神は難を避ける場所 とこしえの御腕がそれを支える。

 難を避ける場所 とこしえの御腕が支えてくれる。

○詩編16:5

主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。

 主は私の運命を支えるお方。

○イザヤ41:10

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。

 あなたを助け、救いの右の手で支えてくださるお方。

 

★幻を見る。

 将来に向けて希望を持って進む。

 希望を持ちにくい、希望をなかなか持たせてくれない現代社会

 将来の予測

  様々な暗いニュース

 食糧危機 人口増加に食糧が追い付かない

 自然破壊 大気汚染、海洋汚染、森林の伐採、沙漠化

 地球温暖化 気温の上昇 南極、北極の氷が解ける。 氷河が消失して

 核兵器の問題 核兵器が用いられたならば

 各個主義 自分だけ良ければ、自分国だけ良ければ。

 人口減 日本の国では、人口がどんどん、減っている。

 そのような中で、希望も持ちにくい。 どうせ、なるようにしかならない。 あきらめ、刹那主義

 そのような状況の中にあっても、希望を持ち、将来こうあってほしい。

 そのためには、今なすべきことはこのこと 若者たちがヴィジョンを持ち、それを分かち合う。 それは、幸いなこと。

 

★夢を見る

 老人は夢を見る。

 年を取るとうつらうつらするようになる。 確かに、次々と仕事をする必要もなくなる。 時間的な余裕ができる。 活力は下がる。

 良い夢を見たい。 眠りの中で、昔を思い出し、励まされる夢を見たい。

 一方、年を取ると、自分のする仕事も限られてくる。若い時のように、取り組むべき仕事は激減する。 依頼される仕事も減る。

 自分の使命は何だろうか? 日々歩む意味はどこにあるだろうか?

 伴侶を先に天に送ることも起きて来る。 孤独感にさいなまれることもある。

 人生の終わりが確実に近づいている。 どうこの人生を着地するか、終活のことも気になる。 この命を終えて、すべてが終わり、消滅するのだろうか?

 主イエスを信じる者には、天の御国に迎えられることが約束されている。

 主がお迎えくださる、 天の御国での歩みが用意されている。

 主が、だんだん体が弱って来ても、共にいて支えてくださる。

 主の守りと助けをいただきつつ、

  

★預言、幻、夢の恵み

 聖霊なる神のご支配の中を生きる。 

 預言、幻、夢の恵みをいただきつつ、日々を生きる。 ハレルヤ!

 

6月11日() 聖日礼拝 説教メモ

   「聖霊の導きに従って」 ガラテヤの信徒への手紙5章22-25節

 

★人として生きる。

 この世に生まれ出たのは、父がいて、母がいたから。

 両親が出合い、夫婦となり、その親のもとで、命が与えられ、この世に生まれ出た。それは、命として母の胎内に宿ったことであり、その神秘は図りしれないことです。 しかし、確かに命として宿り、胎内で大きくなり生まれ出たのです。

 生まれ出た時、オギャと産声を上げ、人としての歩みが始まったのです。

 神によって、この世に命が与えられ、その命をもって成長し、人として歩んできました。 両親に感謝すると同時に、神に感謝します。

 

★神の子として生きる

 クリスチャンとなった者は。主イエスを救い主として信じ、私の救い主として受け入れました。

 全人類のために、その命を十字架で捧げてくださった主イエスを認め、この私のためにも十字架で命を捧げてくださったことを認め、主イエスを自分個人救い主として信じました。

 

★私自身の証し

 主イエスを自分の救い主として信じることを躊躇していた私にも、ある一人の人が熱心に主イエスを信じることを勧めてくれました。

 大学2年生の終わりの春休みの時でした。

 九州KGK(キリスト者学生会)の春季キャンプにおいて、関西から来てくださっていた一人の主事によってでした。

 大学3年生になって、5月のペンテコステの日に、宮崎清水町教会にて、洗礼を受け、クリスチャンとなりました。

 

★クリスチャンとなることの2つの意味

 *第1は、神の子どもとされるということです。 

人は神にはなれませんし、神のような存在になることもできません。神の子どもになるということは、罪が赦され、神との断絶が取り除かれたということです。

 神の家族である教会員の一員になり、クリスチャンとして歩み出したのです。

 神によって罪赦された者として、永遠の命をいただいて歩み出すのです。

 

 *第2は、内に聖霊をいただくということです。

それまで持っていなかった命をいただくのです。聖霊を内にいただくのです。

 命のパスポートをいただいて生きる者となった。

 それは、取り出して見せることのできるものではありません。

 聖霊なる神が、私たちのうちにお住まいくださったのです。

 私たちがどのようになろうとも、時に強く、また時に弱くなっても共にいてくださいます。 私たちの信仰の歩みを守り導いてくださいます。

神の御前に立つ時、この者は罪赦され、御国を受け継ぐものだということを証明してくださいます。

 

★クリスチャンとして歩み出した喜び

 新しく歩み出すことは大きな喜びです。

 学校に入って1年生として歩み出す。

  すべてが新鮮、すべてがこれから。

  いろいろなことを学び、いろいろなことを吸収する。

 教会生活を喜び楽しむ。 毎週の礼拝、青年の人たちとの交わり、教会での奉仕できることを喜んで担ってゆく。

 

★クリスチャンとしての歩みの中で、出会う壁

 神の子どもとされた事の感謝 礼拝を捧げる喜び できる奉仕をする喜び

 教会生活をしつつも、この世に生きる者

 この世で生きる中で、様々なことにも直面する。

  物事がうまく進むこともあるがうまく進まないこともある。

  人との関係がうまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。

   人と仲良くできることもあれば、そうできないこともある。

   人と険悪な関係になることも時にある。

 様々な誘惑を受けることもある。 悪いことへの誘いを受けることもある。

  それを退けることもあれば、退けることができないこともある。

 そのような誘惑から距離を置くこともあれば、自分から近づいてしまうこともある。

 

★クリスチャンとなる救いに与った者なのに

 救いに与った者なのに、様々な問題にぶっつかり、立ち止まってしまう。

 礼拝よりもこの世のことを優先してしまう。

 神の御心よりも自分の願い、願望、計画を優先してしまう。

 様々の誘惑に飲み込まれてしまう。

 救いに与る前と全く同じ、いやそれよりも堕落してしまうことさえある。

 自分は何者なのだ。

  あの洗礼式は何だったのか。神の子どもとされ、喜び感謝して歩み出した経験は何だったのかと考え込んでしまう。

 

★様々な問題

 肉の業の中に身を置いてしまう。

○17-21節

5:17 肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

5:18 しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。

5:19 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、

5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、

5:21 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。

 

★肉の業の4つのグループ

 ①性的堕落

  姦淫、わいせつ、好色、

  性的誘惑、間違った関係、ひずんだものに引っ掛かってしまう。

  異性関係で踏み外してしまう。

 ②真の神を見失う

  偶像礼拝、魔術

   元の迷いの森に逆戻りしてしまう。 迷いの偶像礼拝

   どの神でもよいと考える、自分の願いが叶えられればそれで良いと

   魔術、占いにはまる、 惑わしの霊が働いているのに。

 ③人間関係での争い

  敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、

  人との間の様々な問題 これに翻弄される。

   この項目が一番内容が多い。 人間関係の中でもめる、苦しめる、苦しめられる。

 ④依存

  泥酔、酒宴  自分を見失う。その中に飲み込まれてしまう。

  それに身を任せてしまう。

  アルコールだけでなく、薬物もあります、ギャンブルもあります。

   それらのものに流されてしまう。

 

★クリスチャンとしての誇り、喜びがなくなる。

 神の子どもとされたことの喜び、感謝が乏しくなる。

 自分の罪は本当に赦されたのだろうかと考えるようになる。

 揺れ動き、停滞、力を失う

 

★肉の思い、願いを中心に歩むようになる。

 救われる前の自分、この世と調子を合わせる自分

 自分の思い、願いを中心にして歩むようになる。

 自分の思い、願い、欲望を満たしたいと願い、歩むようになる。

 一時的な満足はあっても、しばらくすると満たされない自分自身に気が付く。

 真の神を知らない人と同じように歩むようになる。

 礼拝を捧げることから遠ざかる。 

 与えられている時間、賜物を神の御心を心のとめ、それに沿うように用いたいとは考えなくなる。

 これは、自分のもの、だから、自分の思うままに使うのだ。

 そのように歩むのが当たり前になってしまう。

 心のどこかにむなしさを覚えつつも、事のなるままに歩み進む。

 

★神の御心

 神は、主イエスの救いを知らずに歩んでいる者たちのことを心にとめていてくださる。 この救いの恵みに与るようにと働きかけてくださる。

 それと共に、一度主の救いに与り、その恵みを経験した者となりながら、その恵みから遠ざかっている者、救われる前の時のように歩むようになった者に対して、働きかけてくださる。

 わたしに立ち帰るように。

 再び、わたしと共に歩もうと、御声をかけておられる。

 その御声がなかなか聞こえなくなる。

  礼拝から遠ざかり、聖書の御言葉に触れる機会も減る中で、神の語り掛けがなかなか聞き取れない。

 

★働きかけ続ける神

 神は、一度は救いの恵みに与った者に対して、特に忍耐強く働きかけ続けてくださる。

 聖霊なる神による働きかけ。

 救いに与った時の喜びの歩みをもう一度回復したいという願いを持たせてくださる。

 このままでは良くない。

 主に対するうめきを与えてくださる。

 聖霊なる神は、特別に働いて、共にうめいてくださる。

 

★聖霊による実

 聖霊によって与えられる実がある。

◎22-23節 

5:22 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、

5:23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。

 1)愛  

愛に生きる 神の愛に感謝して、その愛の中を生きる。 その愛に応えて歩む

 2)喜び 

喜びが内に満ちる。 大きな喜び、一時的な喜びではなく、継続する喜び

 3)平和(平安) 

神との平和を感謝する。神の子とされ、神とつながって生きる幸い 

 4)寛容

   寛容の心がみなぎる。人に対して寛容、人の悪しき言葉や振舞いに対して許す心

 5)親切(慈愛)

   人に対して親切、 何らかの助けになりたい

 6)善意

   何か人のために良いことをしたい、できることをしたい。人の出す言葉に 

 対して穏やかな心で対応する

 7)誠実(忠実)

   真摯な態度、 相手に対してしっかり向き合う態度。 相手の言わんとす  

 ることを理解しようとする。

 8)柔和

   穏やかな心、態度。 もの柔らかい

 9)節制(自制)

   ブレーキをかけることができる。

   様々な誘惑に対しても、それらのものに対して、簡単に乗って行かない。

   食べ過ぎに対してブレーキ

   怒り過ぎにブレーキ、 いろいろなこだわりにブレーキ

 

★肉の望むことと霊の望むこと

 *肉の望むこと

  もともと持っていた肉の性質

 それはいつの間にか自分を支配し、自分の願いや欲望を中心に歩んでしまう。

  一時的な満足を与えても、それは一時的にとどまる。それどころかむなしさを覚える。 後で後悔する。 その時にはこれこそ自分の願うこと、これこそ正しいと思って歩んできたのにと後悔する。

  それでも、自分の思いを中心に、自分の心が赴くままに歩んでしまう。

 *霊すなわち聖霊が望むこと

  聖霊なる神が、私たちを愛するゆえに、願ってくださること。

 自分の思いを中心にして歩むのではなく、神の御思いを心にとめ歩むように。

  神から離れて歩むこと それは結局のところさまようことになる。

  神から離れずに歩むように。

  虚しさの渦の中に飲み込まれないように。

  どうすることもできない苦しみの渦の中に飲み込まれないように。

主の愛に生かされ、主の恵みの中を歩むことができるようにと導いてくださる。

 

★その対立の中で

 そのはざまの中で揺れ動く。 どちらに身を置くか。

○17-18節

5:17 肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

5:18 しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。

 自分の思いを優先する、 自分の思い通り、願い通り 心地よい

  一方、それを中心として歩むときに、行き詰まりを覚える。

 私たちを愛してやまない神のご支配、働きかけ

  わたしに聞き従いなさい。 わたしの語ることを聞きなさい。

  わたしの示すことに心をとめなさい。

  わたしの御手の支配の中に歩み続けなさい。 ここに本当の喜びがある、永続する喜びがある。 永遠の命の道がある。

 主よ、あなたに従います。この私を導いてくださいと主に申し上げる。

 

★主にお任せする

 主よ、あなたに従います。

 わたしの思い、願いがありますが、それを第1とはしません。

 主の御心を第1として歩みます。

 この肉の思い、願いを持つ私自身を主におゆだねします。

 その思い、願いを、主を中心として、主に従う中で、捧げます。

 新生から聖化の道に

○24節  

5:24 キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。

 

★霊の導きに従って

聖霊を内にいただき、聖霊のご支配の中に置かれた。

聖霊の導き

 何か特別に声が聞こえるわけではない。

 聖霊なる神が、この私を神の子どもとし、神の子どもとして育て導いていてくださる。

 そのことを感謝しつつ、聖霊の助けと導きを祈りつつ歩む。

○16節

5:16 わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

 聖書を通しての神からの呼びかけ

◎25節 

5:25 わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。

 聖霊の守りと助けと導きがある。

 そのことをしっかりと心にとめて、聖霊なる神に従って歩む、前に進む。 

 主は、喜んでくださる。 主はなお豊かに導いてくださる。 ハレルヤ!

 

 

6月25日() ホ群弾圧受難記念礼拝 説教メモ

    「熱心なとりなしの祈り」    使徒言行録12章1-19節 

  

★本日は、ホ群弾圧受難記念礼拝

 毎年6月第4日曜日に、弾圧受難記念礼拝を捧げます。

 1942年(昭和17年)6月24日の日に、ホーリネス系の教会に対して、国家が宗教弾圧を始めた日 今から81年前の出来事

 その後1年の中で、第2次、第3次と弾圧がなされた。

 日本にあるホーリネス教会だけでなく、海外すなわち中国、台湾、朝鮮にあるホーリネス教会に対しても弾圧がなされた。

 当時のホーリネス教会においては、牧師が検挙され、教会の礼拝、祈祷会等はできなくなった。

 翌1943年(昭和18年)には教会解散命令が出された。

 この弾圧は、日本の敗戦、終戦の時1945年(昭和20年)まで続いた。

 

★国家も間違うことがある。

 国家は、本来国民のためにあるべきなのに、その時の政府、政治家によって動かされ、

 国民を支配する、国民を自分たちの思う通りに支配し動かそうとする。

 それに従わない者に対して、厳しく臨むことがある。

 80年前の日本がまさにそのようであった。

 現在において、ロシアしかり、 中国しかり、 北朝鮮しかり。

  そして、アメリカであれ、日本であれ、そうでないとは決して言えない。

 

★権力者が自分の思いを通す。

 権力を握ると、それを大きくし、それを維持しようとする。 その権力を持って、自分の思い通りに事を運ぼうとする。 その権力を守るために、それを維持するために、自分の栄誉、名誉のために、何でも行うことがある。 それが多くの人を苦しめることになっても、構わない。 恐ろしいことであり、悲しいことです。

 

★80年ほど前の日本

 太平洋戦争に突入していた。 中国、朝鮮、台湾、アジア諸国を支配しようとしていた。

 主な相手はアメリカであった。

 そのような時代の中で、キリスト教会に対しても弾圧が加えられた。

 キリスト教会の中では、ホーリネス系の教会を狙い撃ちにして宗教弾圧がなされた。

 教会にとっては大打撃。牧師は検挙され、教会にとっても、牧師家庭にとっても、その大黒柱を失った。

 

★本日の聖書箇所

 ヘロデ王による身勝手な迫害

 ヘロデ・アグリッパ 主イエスの誕生の時にいたヘロデ王の孫に当たる人物

 そのヘロデ王によって、指導者ヤコブが剣で殺され、殉教の死を遂げる。

 そして、指導者ペトロが捕らえられた。牢の中に入れられ、厳重な監視下に置かれた。

◎1-4節

12:1 そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、

12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。

12:3 そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。

12:4 ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。

 

★厳しい状況

 これは厳しい。 このままでいくと最悪の事態も起こりかねない。

 私たちも時に厳しい状況に置かれることがある。

 

★エルサレムの教会

 エルサレムの教会は、ペンテコステの出来事の中で誕生し、多くのキリスト信者が起こされた。 言うならば、リバイバルの出来事。 次々と仲間が加えられた。 その中で、ステファノの殉教、エルサレム教会に大迫害が起きた。

◎使徒言行録7章54-60節

7:54 人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。

7:55 ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、

7:56 「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。

7:57 人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、

7:58 都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。

7:59 人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。

7:60 それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

◎8章1-2節  

8:1 サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。

8:1 その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。

8:2 しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。

 

★そして、このヘロデ王による宗教弾圧

 踏んだり蹴ったり。 さんざんな目に合う。 大変なことが続いた。

 

★大きな悲しみと動揺

 弾圧が起き、ステファノが殉教し、エルサレム教会からは人が散らされ、ヤコブが殉教し、ペトロが投獄された。 これは大変、悲しみと動揺が起きた。

 私たちにおいても、そのようなことが起きるかもしれない。 宗教弾圧が起きないとは決して言えない。

 他のことにおいても、自分が飲み込まれそうになる、自分たちが飲み込まれそうになることがあるかもしれない。 どうしたら良いか、絶体絶命と思える状況

 その中にあって、どうするか?

 沈み込む? 閉じこもる?  どうしたら良いのか?

 

★仲間たちは、心を合わせて祈った。

 主の教会は祈った。

◎5節

12:5 こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。

 祈るしかない。 祈ることを最優先とした。 祈りに打ち込んだ。 熱心な祈りが捧げられた。

 教会の祈祷会で、心を合わせて祈る。私たちの教会でも、祈祷課題を柱として、毎週名前を挙げて祈っている。

 祈られている。 ぜひ、祈りの輪に加わってほしい。

 

★今から80年ほど前のホーリネス教会への宗教弾圧のこと

 1889(明治22)年明治憲法が発布され、信教の自由についても規定されたが、「国の安寧秩序を乱さない限り」という枠がついていた。常識的には「淫祠邪教」でなければ大丈夫だとされていたが、「安寧秩序」をどう理解するかで、信教の自由にいくらでも制限を加えることができたのである。

  当時の政治的背景

 日清・日露の戦役を耐え抜いた日本は、遅く出てきた帝国主義国家として、韓国を併合し、中国大陸に侵攻しつつあった。

 1931(昭和6)年満州事変。

 1932(昭和7)満州国建国宣言

  5・15事件(犬養首相暗殺)。

 1933(昭和8)日本の国際連盟脱退。

 1936(昭和11)二・二六事件(斎藤内大臣、高橋蔵相暗殺)。

 1937(昭和12)日中戦争始まる。

 1938(昭和13)国家総動員法発動。

 1939(昭和14)第二次世界大戦開始。

 1941(昭和16)太平洋戦争始まる。

 国家は国民に命も財産も全く献げることを要求し、思想信条など人間の内面まで支配しようと望んだ。

 1929(昭和4)年、恐慌が世界に波及するようになると、日本では「万世一系の 天皇をいただく特別な国」としての自国を誇るナショナリズムが広がっていきました。満州事変勃発以降、それは顕著になります。

 当時の人々が生きた時代はどのようなものだったか。

 1937年、日中戦争が起こると近衛文麿内閣は「挙国一致」を呼びかける。

 1938年「国家総動員法」が成立。軍事力・経済力・人的能力のすべてを投入する総力戦の体制となる。

 1940年、大政翼賛会が結成されると、10戸を単位とした隣組が組織され、伝達・配給・防空・監視・防諜などの役割が課せられるようなる。

 1941年12月、米・英との開戦を機に、大政翼賛会は活動の幅を広げ、総動員体制はさらに強圧的なものになっていく。

 学校には1920年代後半から、天皇・皇后の写真(「御真影」)や教育勅語を置くための「奉安殿」が設置されるようになり、子どもたちは登下校の際に脱帽して最敬礼するよう、しつけられた。

 1941年3月、「国民学校令」が公布され、小学校は国民学校と名を変えました。学校生活の目的は、天皇と国家に忠実に従う国民をつくりあげる事におかれ、小学生は「少国民」と呼ばれました。また、中等教育の生徒を軍需工場での働き手にする勤労動員はやがて通年となり、1943年秋からは「学徒出陣」も行われるようになった。

 1944年8月から、国民学校初等科の子どもを郊外へ集団移住させる「学童疎開」が始まった。

 1937(昭和12)年7月、遂に、北京郊外の蘆溝橋で日中両軍が衝突し、政府の戦争不拡大方針に反して、軍部は強硬に戦場を拡大して収拾できない日中間の長期戦争へと発展した。

 国内では急速に戦時体制が整えられ、軍人の召集はもとより労働者の軍事工場への徴用や衣料・食料など生活必需品の配給制の実施等々、国民あげての総力戦体制が強化されていった。

 1941(昭和16)年12月8日、日本海軍のハワイ真珠湾奇襲攻撃によって太平洋戦争が始まり、ヨーロッパの戦場とともに世界的な大戦争になった。

 日本はアメリカ・イギリス・オランダなど連合国側に対抗して、ドイツ・イタリアと結ぶ枢軸国の陣営に入って世界的大戦争の渦の中にたった

 

1939(昭和14)年、宗教団体法が成立したが、宗教団体の中に神社は含まれない。神社はどんな宗教者も拝むべきものとされたのである。

 

◆治安維持法

 治安維持法とは  治安維持法は 1925 年(大正14年)、社会運動や革命運動の弾圧を目的として制定された。その後、1928年(昭和 3 年)の最初の改正で最高刑が死刑に変更され、適用範囲も大幅に拡大された。更に 1941年(昭和 16 年)の大改正で、弾圧立法としての機能をより強めることになる。 

 1941(昭和16年)年、法は同年515日に施行されたが、全般的な重罰化 禁錮刑はなくなり、有期懲役刑に一本化。また刑期下限が全般的に引き上げられたこと。

 取締範囲の拡大

 「国体ノ変革」結社を支援する結社、「組織ヲ準備スルコトヲ目的」とする結社(準備結社)などを禁ずる規定を創設したこと。官憲により「準備行為」を行ったと判断されれば検挙されるため、事実上誰でも犯罪者にできるようになった。また、「宣伝」への罰則も復活した。

治安維持法による宗教弾圧

 「国体の変革」、「私有財産制度の否認」などの規定加えて、新たに、・・・ 

「国体の否定、神宮もしくは皇室の尊厳の冒涜」 という規定が加えられたのが、1940(昭和16)年310日であった。 改正 1941年515

 

 *小山宗祐師の死

  1941(昭和16)年一月、函館聖教会の牧師補小山宗祐は憲兵隊に検挙され、三月二三日に獄中で自殺したとして死体で返されてきた。彼は神社参拝をしなかったことで隣組によって密告されたのだ。日本人の異分子排斥である。

  *旧ホーリネス教会三派弾圧

6月26日はホーリネス弾圧事件のあった日です。1942年のこの日早朝、日本政府により牧師96人が「治安維持法違反容疑」(キリストが統治者として再臨することを説いたのが天皇制を否定するものとされました)で逮捕されました。

 *一斉検挙

 1942年6月26日早朝、ホーリネス系の教職者96名が逮捕された。これが、第一次検挙である。19434月に第二次検挙が行われて、第一次と第二次を合計すると、日本基督教団に併合されていた第6部(旧日本聖教会)60人、第9部(旧きよめ教会)から62人、妥協して教団に加わらず宗教結社であった東洋宣教会きよめ教会12人、合計124人が逮捕された。 

 裁判が行われ、134人の検挙者のうちの75人が起訴された。車田秋次、米田豊らが実刑判決を受けた。全員が上告して、戦後免訴扱いになった。

 しかし最終的に、菅野 鋭師、斉藤保太郎師、辻 啓蔵師、小出朋治師(獄中での死亡順)、竹入 高師、池田長十郎師、佐野明治師(出獄後死亡)ら7名が獄死した。

 

 1943年4月、文部省は宗教団体法に基づき、第六部と第九部の、教会設立認可の取り消し処分と教師を辞任させるように、日本基督教団の富田満統理に通知した。これを受けて、日本基督教団は、獄中にある教師と家族に、教会設立認可の取り消しと、教師の自発的な辞職を求める通知を行った。そして、日本基督教団内のホーリネス系の教会は強制的に解散させられた。

 

 6月26日の早朝、特高警察が教会、牧師館に踏み込み、牧師を拘束して警察に連れて行ったのでした。

 聖書や信仰の書物も没収し、有無を言わせず、連行して行った。

  厳しい取調べ、尋問 数カ月とどめ置かれた牧師から、1年、2年ととどめ置かれた牧師までさまざま 

  食べるも粗末なもの、夏は暑く、冬は寒い獄の中 蚊やノミ、南京虫に悩まされた 夫、父親を突然連れて行き、いつまでも返さない

 殉教の死を遂げた方も 家族はほったらかし

 日本国内(内地)だけでなく、国外(外地)中国、台湾、朝鮮半島にあったホーリネス系の教会の牧師も、そのような弾圧を受けた。

 

 ・米子教会‐山中日出刀師

 ・門司宗利教会(門司聖教会)‐長畑辰二郎師

 ・戸畑向町教会(戸畑聖教会)‐加藤俊守師

 ・八幡東部伝道所(八幡聖教会)‐桑原福三師

 ・熊本城東教会‐森田豊熊師

 ・宮崎清水町教会‐吉間礒吉師

 ・都農仲町伝道所‐黒木光雄兄(信徒代表)

 ・高鍋南伝道所

 1943年(昭和18年)48日に至り、日本キリスト教団第6部系の全教会に対して「宗教結社禁止令」が通達された。

 解散理由としては、

  1)神宮に対する不敬

    唯一の創造神に対する信仰が神宮に対する不敬

  2)天皇に対する不敬

    すべての人がキリストに対する信仰によって救われるとすることは天皇を罪人とすることで、天皇に対する不敬

 3)国体変革を企図せる罪

    キリストが主の主、王の王として再臨されることを宣伝することは、国体変革を企図せる罪すなわち治安維持法違反になる

この弾圧によって、ホーリネス系教会は大打撃

 礼拝を、集会を開くことができない  牧師は連行されて行ってしまった。

 特高警察による監視  教会に集っていた多くの人たちも集えなくなった

 教会生活ができない  教会から多くの人たちが去って行った

 もう一つ、弾圧の標的になった要因があった。 それは、再臨信仰

 主イエスは、歴史の中で、もう一度来られる 栄光の主として

 すべてを裁き、すべてと支配する主として来られる

 このことは、聖書に記されている大切な約束、預言 再臨信仰を旗印としていた これが、国家から狙い撃意された最大の理由

  当時、日本国家は戦争一色 戦時体制  日本がアジア全域を支配する

  国家神道をかかげ その頭に天皇をかかげて、戦争の遂行 ほとんどの日本人は、この戦争が正しい戦争であると洗脳され教え込まれていた。

 また、この戦争を正面から反対する人たちはほとんどいなかった

 正面から反対するのは、共産主義の方や特別な人しかいなかった

 そうすることは、捕えられ、拷問、死を意味していた  ほとんどの人は、反対できなかった。 ホーリネス系教会でも例外では決してなかった。

  正面から、戦争反対、この戦争は間違っている、おかしいとは言えなかった

 再臨信仰は危険な考え方だ

  国家にとっては、都合が悪い 国家の言うことがすべて、正しい

   それは、だれも批判できない、してはならない

 国家を裁く者がいるなど断じて許されない  再臨のキリストが、日本国家を裁くなどとはと

 

★とりなしの祈りの結果

 ペトロは助け出された。 不思議な出来事

◎6-19節

12:6 ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、 

二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。

12:7 すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。

12:8 天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにし  

た。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。

12:9 それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。

12:10 第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに  

開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。

12:11 ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」

12:12 こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。

12:13 門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。

12:14 ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。

12:15 人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。

12:16 しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいた  

ので非常に驚いた。

12:17 ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。

12:18 夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒  

ぎになった。

12:19 ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。

 

★ペトロと仲間たちの祈り

 牢の中でのペトロの祈り

 仲間たちのとりなしの祈りがなされた。

 

★かつての宗教弾圧

 突然の宗教弾圧 牧師家庭から、教会から、牧師が検挙される。 連れて行かれる。

 牧師のいなくなった家庭を守る家族、牧師のいなくなった教会を守る教会員

 どれほど、大変であったことか。 監視され、集会を開くこともできない。

 牧師家庭は教会からの謝儀を受けることもできない。教会では、礼拝を捧げることもできない。 その中で、ひそかに、熱心に祈りが捧げられていた。涙の祈り

 

★熱心なとりなしの祈り

 熱心なとりなしの祈りが捧げられた。 その中で、ペトロが救出された。

 ペトロは、仲間たちのところに駆けつける。

 仲間たちの驚き、信じがたい。

  仲間たちは、一所懸命祈っていたけれども、すぐにその答えが与えられるとは信じていなかった。

 それでも、その祈りは聞かれた。

 主は、人のためにとりなす祈りを聴いてくださる。

 大きな困難に直面した中での、祈り。 手を挙げて祈って行きましょう。