2023年 11月

 11月5日() 聖日礼拝 説教メモ

    「神に喜ばれる献げもの」  

  

☆わかっていること

 これは良いもの、これは悪いもの 私たちは、それがどのようなものかわかる。 良いものを持ち続けるようにする。悪いものは持ち続けないようにする。

 これも頭では、大体わかっている。ただし、実際にそれを実行することは必ずしも簡単ではない。

 

☆心の中

 いろいろなものが入って来る。 また、そこにとどまり続ける。潜む。

 心の思い。 様々な思い その中で、持ち続けないようにとの警告

1節

2:1 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、

 人に対する悪意 特定の人に対して悪意を持つ。

  そこにはいろいろな背景がある。 その相手に対するこだわり、

 偽り、偽善 真実であるように見せかけて、そうでない。不真実

  現代、そのようなことで人をだますことがいかに多いことか。

 ねたみ  他の人に対して、ねたみの心を持つ

  あの人は、あんな良いものを持っている。 自分は持っていないのに。

  あの人は輝いている。 自分は輝いていないのに。

 悪口 特定の人に対して、悪口を言う。

  あの人はああだ、こうだ。 あの人はとんでもない人だ。 その人の前で言えないことを、他の人に話す。

 そのようなものが心の中にとどまる、潜む。 それが心を占める。

 そうする理由がある。 自分は悪くないと自己防衛をする。

 それを持ち続ける。 しかし、それが最終的に自分の身を亡ぼすことになる。

 主は、命じられる。  それらを捨て去りなさい。きっぱりと。

 主が語りかけておられる。 主よ、受け止めます。そのようにします。

 主よ、私の理由ではなく、あなたのご命令ですから、従いますと。

 それは幸いな決断、従い。 ハレルヤ!

 

☆慕い求めよ

 様々な声、情報が飛び交う現代。 いろいろな声、いろいろな情報。

 インターネットの時代、パソコン、スマホ。

 これなしには生きていけない。 朝起きてすぐスマホを見る。隙間時間にスマホを見る。 たくさんの情報、ニュース、楽しいものが満載。 これで一日中でも過ごせる。 かつてはテレビ これも、つけっぱなしにすれば、次々と楽しい番組。 たくさんのニュース、知識、ドラマ、あり。

2節

2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。

 一日で起きている時間 パソコン、スマホ、テレビから、次々と流れて来る情報、 確かに、そのことで、多くの知識、情報をキャッチする。

 このような情報過多の時代はかつてなかった。 幸せと言えば幸せ,しかし不幸と言えば不幸。 そのような多くの情報、ニュース、エンターテイメントが洪水のように打ち寄せる。 その洪水に飲み込まれ、流さされてしまう。

 聖書は、霊の乳を慕い求めなさいと命じている。

 

☆赤ちゃんは母乳を、ミルクを求める。

 赤ちゃんは、おなかがすくと激しく泣く。とにかく泣く。

 赤ちゃんは、唯一、口にするものは、母乳であり、ミルク それがすべての栄養源 おなか一杯になるまで飲む。 足りないと泣く。

 それは、赤ちゃんが大きくなるために必要なこと。

 

☆聖書の御言葉

 霊の乳、それは聖書の御言葉。 聖書の御言葉を慕い求めよ。

 信仰の成長のためには、聖書の御言葉が必要。

 日々に聖書を開く。 毎日曜に聖書からのメッセージを受け取る。

 信仰を持って間もない時、霊の乳を慕い求めよ。 信仰の成長のために必要。

 信仰を長く持っている人にとっても、聖書の御言葉がその人を生かす。

 

☆主は恵み深いお方

 主は恵み深い、慈しみ深い、親切なお方

 憐み深いお方、見捨てないお方

3節

2:3 あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。

あの良きサマリア人のようなお方。

ルカ10:30-37

 強盗に襲われ傷ついた旅人を見捨てずに助けたサマリア人

 自分の身の危険を顧みず、近寄り助けた。最後までその責任を担った。

 主は、恵み深いお方。

 

☆主イエスは生きたかなめ石

 神から遣わされたお方 主イエス

4節

2:4 この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。

6節

2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」

7節

2:7 従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」のであり、

 かなめ石 かしら石、礎石 その石はとても大切な石、基礎の土台となる石

 建物は見える部分と見えない部分がある。見える部分は目を奪う。外観、内装

 見えない部分が実は大切。 基礎の土台部分

 この世界に打ち立てられた神の国、神の家 その土台になってくださった主イエス その方は神によって選ばれた尊いお方

 この世に生きる人達からは捨てられた。 しかし、その石が神の国、神の家の土台石となった。 その石はとても大切な石となった。その埋められた石がかなめ石(要石)、かしら石、礎石、親石となった。

 主イエスは、ご自身の命を捧げてくださった。 十字架の道から逃げず、選び、十字架にかかってくださった。その十字架でご自身の命を捧げてくださった。 その命の犠牲により、私たちの救いの御業が成し遂げられた。 救いの門が開かれた。

 

☆失望しないことの幸い

 失望することがない。それは幸いなこと。

 失望 それは希望を失うこと。 これほど悲しく、つらいことはない。 

 人生の歩みにおいて、希望を失いそうになることがないわけではない。

  なぜ、どうして。あまりにつらい、あまりに悲しい。 自分が依り頼んでいたものが失われる。愛する者を失う。 道が閉ざされる。道が開かれない。大きな石が目の前に立ちはだかる。 大きな困難を経験する。

 希望がぺしゃんとしぼんでしまう。 希望どころではない。希望を失う、絶望してしまう。

◎6節

2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」

 そのような時にこそ、支えてくださるお方がおられる。その方こそ主イエスです。

 希望を再び注ぎ与えてくださる。 希望の光をして共にあって支えてくださる。 希望の光として、前に導いてくださる。 希望を失ったとき、希望を失いそうになった時にこそ、共にあって支えてくださるお方。

 この主イエスを信じる者は、決して失望することはないのです。

 この方に依り頼む者は失望のどん底にとどまり続けることはない。なんという感謝。

 

☆霊の家

5節

2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。

  霊的な家、霊の家とは教会を指しています。神の家族としての教会

 教会は建物ではありません。 救いに与かった者たちの集いであり、そこに集う者たちによって形成される神の家族を意味します。

 レンガの塀、レンガ造りの建物

  そこに用いられるレンガ、その一つ一つが大切な要素、力となっている。

  そこにある一つのレンガ、一つ一つのレンガが大切。

  自分一つくらい抜けていてもと思うなら、そこが隙間となって、塀は、家はもろくなる。 そこから壊れていく。

 霊の家において、つながる兄弟姉妹一人一人が大切。 自分もその大切な一員として、共に歩む。 自分のできることを感謝をもって歩む。

  聖日礼拝を共に捧げる。 神の家族として 聖餐の恵みにも共に与る。

  自分のできる奉仕、自分が捧げることができるもの

  誰かがやってくれている、それはとても感謝なこと。 そのことで、教会の歩みも守られている。 誰かがやってくれているところから、自分もどこかの奉仕部門を担わせていただこう。 そのような方が起こされることを心から願います。

 かつてはあの方々が担ってくださった。高齢になりそれもリタイヤされた。今度はこの私がその一部を担わせていただこう。 そのような方々がおられることを感謝します。

 なお、起こされることを願っています。

 

☆聖なる祭司となる

 神の祭司 旧約の時代 特別の者しか アロンの家系の人のみ

 新約の時代 主イエスを信じる者は、祭司として歩むことができる。

  宗教改革において、打ち出された一つのこと それは万人祭司

  主イエスを信じる者、キリスト者は祭司として歩むことができる。

 祭司とは、神と人の間に立って、主の御用に仕える。

  旧約の時代には、神殿において、祭壇に動物のいけにえを捧げる働き、関連する働き 神と人の間に立って、執り成し祈る。

 神の子どもにされた者として、神の御心を心にとめ、この働きをと導かれたことを感謝し 行う。

 

☆神に喜ばれる献げもの

 神に喜ばれる献げもの それは何を意味しているのでしょう。

 神に喜ばれる霊的ないけにえ 神に喜ばれる霊のいけに

5節

2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。

  見える行いでしょうか? 良いと思えることでしょうか?

 一番大切な献げもの それは天の神さまに心を向け、心から感謝して礼拝を捧げること、心から感謝してお祈りをささげること。

 恐れの心で何かをするのではない、喜びと感謝の心で。

詩編51:18-19 

51:18 もしいけにえがあなたに喜ばれ 焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら わたしはそれをささげます。

51:19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。

 神の求められるいけにえは打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心です。

 これは決して譲りません。これは私の決意です、決心です。 これを変えることはしませんと言い張ることがある。

 これは、私の計画です。これは私の持ち物です。 これは私のものです。 これを手放すことはしませんと言い張ることがあります。

 それらを主の御前に差し出しましょう。 この決意、この決心、この計画、この持ち物 これを主にお委ねします。

 どのようにすることが神の御心にかなうことでしょうかと尋ねつつ、感謝して従っていく。

 強制されて、強いられては喜ばれない。

 本当はそうしたくないのですが、仕方なくでは、主は喜ばれない。

 

 心から、そうさせていただきたいと願い、歩むこと。 主は、喜んでくださいます。