2023年9月

9月3日() 聖日礼拝 説教メモ

    「生き生きとした希望」     ペトロの手紙一1章1-5節 

 

☆神のご計画

 神のご計画は最善です。

 神は、善にして善を行ってくださるお方です。神は最善をご計画くださる。

 神は良きお方です。 愛のお方です。 その神が御心の中で、この世界をお創りくださった。地球が存在している大宇宙、その大宇宙の中に最高に素晴らしい地球 その地球に住む私たち人間

 その私たちのために最高のご計画をもって、ご支配してくださっているのです。 神のご計画は完全です。

 

☆人の計画

 一方、人の計画は完全そうに見えたとしても、不完全です。

 その計画は、自己中心です。かなり偏っています。

 自分のことばかり考え、他の人のことはあまり考えません。

 それは、一時的で、途中で変わってしまうことがあります。

 

☆神の大いなるご計画

 それは、この世界に生きる私たち人間を愛し、主と共に歩むようにすることです。

 真の祝福の神を見失い、自分勝手に歩むようになり、さまよう者となってしまった私たち。 その私たちを見出し、主と共に歩むようにすることです。

 そのために、私たち人間の歴史の中に現れ出でてくださいました。

 それは、父・子・聖霊なる三位一体の神、聖なる神が、この世に現れ出るということです。

 神の御子イエスが人となり、この世においでくださるということをもって、私たち人間の救いを成し遂げるということです。 神が大いなる愛の犠牲を支払ってくださるということです。

  私たちを神のものとしてくださるというご計画。 なんという感謝なことでしょう。 

◎2節

1:2 あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。

 

☆神の選び

 神が選んでくださった。

 神がこの私たちを選んでくださった。なんという幸いでしょう。

 この世で、ある学校に入るために、ある会社に入るとします。

  その学校、会社が特別に入るのが難しいとします。そうだと、特別に入るために努力しなければならない。その入るために自分を磨き高めなければならない。そこには競争がある。その競争に勝ち抜かなければそこに入ることはできない。 その時には、他の人よりも優れたものが要求されます。 どれだけ、優れているか、秀でているか、良いものを持っているかが問われます。

 その選びのために四苦八苦しなければならない。うまくそれを乗り越える人もいますが、そうでない人もいます。

 この世では、選ばれるためには、優れていなければならないということがあります。

 しかし、神の選びは愛の選びです

 私たちが他の人と比べて優れているから、私たちを選ばれのではありません。

 むしろその反対です。

 あの100匹の中の迷い出た羊のたとえを思い出します。

 迷い出た1匹の羊を、真の羊飼いである主は探し求めてくださるのです。

 立派だからではありません。むしろその反対だからです。

 迷い出てさまよい苦しんでいるから、主は憐れんで探し求め、み救いへと導いてくださいます。

 

☆イエス・キリストを通して

 救いの代価は、主ご自身が支払ってくださった。

 イエス・キリストを通して支払ってくださいました。

 払いきれない罪の代価を、あの十字架で、主イエスがその命を犠牲として支払ってくださった。

 神を見失い、さまよい、勝手な歩みをした。多くの人の愛を受けながら、その愛に感謝もしないで歩んできた。 それどころか、恩を仇で返すようなことをしてきた。 時に、周りの人を傷つけ、苦しめたことか。

 そのようなことがどれだけ多くあったことか、ほとんど気が付いていないこともあり、忘れてしまったこともある。

 その中のいくつかを思い出し、心が苦しくなることがあります。

 そのことに対して、お返し、償いができることもあるかもしれませんが、ほとんどできません。 過去に戻って、その間違いをやり直すこともできません。 まさには払いきれません。

 人に対してだけではありません。

 自分に対して、あの時そうしてあんなことをしてしまったのだろう、どうした甲できなかったのだろうと悔やむことがあります。 しかし、過去には戻れません。

 神の愛に背いて、神の愛を無視して歩んだ。神の御心を無視し、神の愛に対して、それを踏みにじって歩んだことがどれだけあったことか

 しかし、神は、イエス・キリストの命を通して、すべてその代価を支払ってくださったのです。なんという感謝でしょう。

 

☆守られていること

 守られていることほど幸いなことはありません。

 安心感、これほど幸いなことはありません。 

 安心感を得るために、人は心を用います。

◎5節 

1:5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。

 現在の生活、将来の生活が確かであるように。しかし、様々な心配が起きます。 

 その生活が確かであるためには、先立つお金が必要だ。貯えがなければ心配だと考えます。貯えたしても果たして足るだろうか、いや足りないかもしれない。 思うようにならない、そして焦ります。

 たくさん貯えているけど、急な出費が出るかもしれないと考えると気が休まらない。

 今与えられている健康がどれだけ確かだろうか、この健康が害されたならどうしう。 普段はあまり考えないとしても、病気になると急に弱気になります。

この病気は治るのだろうか、この病気がひどくなっていったらどうしようと不安になります。 そう考えると、私たちは、心配の種は尽きません。

守られているという安心感を持つことができるなら、それは幸いなことです。

神の力により信仰によって守られている。

○マタイ6:33-34

6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

6:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

 主がすべての必要を満たしてくださる。主に信頼する。

 自分がすべてを満たそうと考えれば、今日のことだけでなく、明日のことまで思い煩うことになる。

神に信頼して歩む。 心配のことも主にお任せして、お委ねする。

主は、私に必要なものをご存じである。その主に信頼する。

主は必要なものを満たしてくださる。 神の力によって守れ、歩むことの幸い。

 

☆天の財産

 この地上で財産を蓄える。 

 貯えもいつかはなくなってしまう。 この世にあっては、それは盗まれることもある。 すべてを失うこともある。

 たくさんの貯えがあれば、安心であると同時に心配でもある。

 誰かがこのたくさんの貯えを狙っているかもしれないと考えると気も抜けない。 このたくさん貯えたものはこれからどうなるのか、生きている間に使いきれない。 誰の手に渡るのだろうかと心配になる。

 この地上に財産を蓄えることも一つの道だが、もう一つの幸いな道がある。

 それは、天に財産を蓄えること。

 永遠に残るもの それは神の御手の中で守られるもの

 神に覚えられるもの

 神に対して、神の御心を覚えつつなしたこと。それこそが永遠に残る。

 この地上に命が与えられ、生かされて歩む。

  その中で、主のみ心をなす。

 ①神の子どもとなり、主に感謝しつつ、喜び生きる。

  主を心から褒めたたえ、礼拝を捧げつつ、歩む。

  礼拝を捧げること。それを抜きにして歩んでも良いのではという誘惑を退けつつ歩む。

 ②他の人に対して

  自分のできることをなす。 共に歩む。

  自分のことだけでなく、他の人のことを考え、できることをなす。

  苦しみの中にある人達を支える。 何らかの援助を行う。

  他の人と共に、その歩みを大切になしていく。

 ③主の愛を証しする、主のみ救いを宣べ伝える。

  神は愛なるお方であること、その方と共に歩むことの幸いを、自分の生きざま、生活をもって証しする。

  主イエスによって、神は、救いを成し遂げてくださった。

  その愛は今も働いておられる。

  岡摂也牧師

   長年の付き合いの友だちがいる。いつも会うと、食事の時などには必ず食前のお祈りを捧げていた。それだけで良いのかと示され、悔い改めて、主イエスによる救いについて、少しだけ語ったと証しされた。素晴らしいなあと思いました。 これらの歩みをすることを通して、天に宝を積む。

 

☆さらに素晴らしい財産

 それは、主イエスを信じ受け入れ、この地上にあって神の子とされた者に対して、神が用意してくださっているもの

◎4-5節

1:4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。

1:5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。

  朽ちず、汚れず、しぼまない財産

 それは、天の聖徒としても歩み。

 神の直接のご支配のもとで、永遠に生きる。 御国の民として歩むということ。

 この地上にあっては、様々なつらいことがある。

 戦争によって、大切な家が破壊され焼かれる、愛する家族を失う。

 様々な苦しみを時に経験する。 災害や事故で愛する家族を失う。

 重い病気にかかり、人生の半ばで、人生を終える。

 愛する者と共にもっと長く生きたいと願いつつ、別れなければならない。

 人に裏切られる。 借金の返済に追われる、・・ この地上での歩みの大変さ

 そのような私たちを主は憐れんで、励ましてくださる。

 なぜですか?どうしてですか?と主に尋ねつつ、最終的に主にお委ねして歩む。

 主イエスにある神の愛を受け止め、主イエスを救い主として信じる。

 神の子とされて新たに歩み出す。 天の御国の後継ぎとされる。

 

☆希望に生きる

 希望に生きたい。 どんな時にも希望を失わず歩みたいと願う。

 しかし、その希望はしぼむことがある。 ぺしゃんこに

 自分の内に希望をため込もうと思っても、簡単ではない。

 希望はなくなってしまうことがある。

◎3節

1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、

 ため池の水は濁る、枯渇することがある。 

 一方、川の水は濁りにくい。次々と上流からきれいな水が流れてくるから。

 水源、上流から、次々流れ込んでくるので、干上がることはない。

 

☆希望の源である神

 神は希望の源であるお方です。

○ローマ15章13節

15:13 希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。

 神こそ、希望の源 希望を与え続けてくださるお方

  聖霊の力によって希望を満ち溢れさせてくださる。

 

☆生き生きとした希望

 生き生きとした希望、生ける希望

◎新改訳

1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

 尽きない希望。

◎ヨハネ福音書4:13-14

4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。

4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。

 生ける望み

 復活の主によって、生ける主によって、満たしを受ける。

 主イエスを信じ、神の子としていただく。 新生の恵みを受ける。

 復活の主が、生ける聖霊を注ぎ与えてくださった。

 その聖霊なる神に生かされて、生き生きとした希望、生ける望みを絶えず、満たしていただく幸い。

 これをいただきつつ、歩む。 ハレルヤ!

 

 9月10日() 聖日礼拝 説教メモ

    「魂の救いを得て」      ペトロの手紙一1章6-12節

 

☆夏が終わり、秋を迎えました。

 夏の暑さも過ぎ、朝晩、少し涼しくなり、過ごしやすくなりました。

 夏の暑い日差し、厳しいもの

 でも、その暑い日差しを受けて、幸いな収穫があることも確かです。

 稲の実り 穂が色づき、おいしいお米ができる。

 これからなし、栗等、秋の実りが楽しみです。 

 あの暑さを経て、おいしい収穫が備えられる。

 夏の暑さを経て、秋にはミカンも色づき、甘さも増しおいしくなる。

 

☆スポーツの秋

 秋には、様々なスポーツがなされる。 暑い夏には、甲子園野球もあった。

 この秋にも、様々なスポーツが盛んになされることでしょう。

 バスケットのワールドカップで、日本も頑張り盛り上がった。

 ラグビーのワールドカップも始まりました。

 そのスポーツにおいては、勝つための準備をする。 体を鍛える。

 ラグビーにおいては、まさに肉弾戦。体を鍛えておかなければ、吹っ飛ばされてしまう。

 ぶっつかる、走る 様々なことにおいて、練習を重ねる。

 体力の限界まで、練習をなし準備する。 体に負荷をかけ、鍛え上げる。

 勝負に臨み、勝利すれば、大きな喜び。

 

☆山登り

 登山 山登り 若い時の山登り

  山登りは、途中、厳しい。 上に向って歩いて行かねばならないから

岩山があれば、それを登って行かねばならない。

  その途中のきつさも山頂につくと、喜びがあふれる。

  山頂に着いた。山頂から眺める景色は最高です。

 

☆日々の歩みにおいて

 歩みを進める中で、前に進むのを妨げるものがある。

 道の途中にぬかるみがあれば、そこで足を取られる。 なかなか前に進めない。

 前に進むことができない、ストップ。 それどころか、後退させられることもある。

 

☆困難

 様々な困難がある。 今までうまくいいっていたのに、うまく行かなくなった。 仕事において、人間関係において、健康において

 仕事がうまく進まなくなった。 人間関係がうまく行かなくなった。

 人からの中傷を受ける。 仲間外れに合う。

 自信のあった健康が、優れなくなる。 体がきつくてたまらない。

 

☆試練

 なぜ、どうして、こんな大変さが降りかかってきたのだろう。

 うちしおれることがある。

◎6節

1:6 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、

 こんなつらさの中に投げ込まれた。

 ヨセフのことを思い出します。

  兄たちの妬みを買って、エジプトに奴隷として売られてしまった。

  そこでの悲しみ

 フィリピの町に着いたパウロとシラス

  占いの霊につかれた女性からその悪しき霊を追い出してあげた。

  その結果、その女性を利用し、商売をしていた者たちから捕らえられ、鞭打たれ、足枷をはめられ、牢の中に投げ込まれた。

 

☆試練の中で

 行き詰まり悩み、苦しむ。 なぜ、どうして。 これからどうなるのかと悩む

 中3の時の右眼の眼底出血

  突然の休学 これからどうなるのかと悩んだ。不安、恐れ

  1年後には、もう治る見込みがないということで、右眼の治療打ち切られた。

  その期間、不安があり、恐れがあった。

 なぜ、乗り越えることができたのか

  それは、自分のことを心配し見守ってくれた両親がいたから。

  一人ではない。身近で心配してくれる親がいた。

 

☆共にいて支え励ましてくれる存在

 困難、試練に遭った時、不安と恐れがやって来る。焦りもやって来る。

 孤独感、どう対処したら良いのか,果たしてどうなるのか。 

 このまま沈んで行ってしまうのではないか。

 その時に、近くにあって励ましてくれ者がいれば、大きな励まし、力となる。

 子ども時代には親がいた。 しかし、もうその親はいない。

 大人になって、共に励まし合って歩んだ友がいた。その友も遠くに旅立ってしまったということもあるかもしれない。 励まし支えてくれる存在は大きい。

フィリピにて牢に投げ込まれたパウロとシラス

 どうしたか? 恨みつらみを叫んだか? そうではなかった。

 真夜中に賛美と祈りを捧げた。

 二人で励まし合ったことも支えだったでしょう。しかし、何よりも主が共にいてくださることが分かった。決して見捨てられてはいない。 

 ここから出る道も主がきっと備えてくださる。 今のこの大変さにもきっと意味がある。

 その夜大地震が起きた。

  その夜、一人の看守とその家族が主の救いに与かることができた。

 

☆試練の中にあっても喜ぶ

 試練の中に置かれたら普通は喜べない。 なぜ、どうして、こんな苦しみ、試練 ああもう嫌だ 沈み込んでいっても決しておかしくない。

 しかし、沈み込まない。その反対に喜びにあふれる。 その幸いを主は備え与えてくださるお方。

◎8-9節

1:8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。

1:9 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

  心に平安がある。不思議な平安。

  喜び、感謝がある。 それはまさに奇跡。

 

○ローマ8:26-39

8:26 同様に、も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

8:27 人の心を見抜く方は、の思いが何であるかを知っておられます。は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。

8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

 

8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

 

 聖霊のうめき、とりなし 主イエスのとりなし

 この私は忘れられていない。忘れられないどころか、覚えていただき、執り成し祈られている。 聖霊なる神が内にあって執り成し祈ってくださる。

 復活の主イエス、神の右の座におられる主イエスが執り成し祈ってくださる。

 私が頑張っているからではない、わたしはもはや頑張ることもできない。

 この私を主は愛してくださり、支え守っていてくださる。

 愛を注いでいてくださる。この私は、見捨てられることなく、覚えられ、愛が注がれている。なんという感謝なことでしょう。

 そのことがわかる。主イエスを信じ救われた者における喜び。

 主は私の助け主、支え主、導きの主  私を守り支え、最善に導いてくださるお方。

 この地上の歩みの先には、御国を用意し待っていてくださっている。

 

☆試練には意味がある。

 試練には意味があると心に留めたい。 この試練にはきっと何か意味がある。

 この試練がなければ、この私はとんでもない者になってしまうかもしれない。

 試練がこの私を造り変えてくれる。

◎7節

1:7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。

6節における試練 peirasmo  試み

7節における試練 doki,mion   ためされること、試練

  7節の言葉 試験済みの、検証済みの、最善のものなどの意味がある。

 主がその試練を通して、私たちを引き上げようとされている。 

  この私を新たに造り変えようとしておられる。

  金の精錬 純金を作り出すために。

灰吹き法

 灰吹き法はまず磨り臼や回転臼で鉱石を細かく粉砕する粉砕作業を行います。細かく砕かれた状態では金銀だけでなく不純物が含まれるため、金の純度を高める工程が必要となります。鉛と一緒に炭火で溶かしていき、金銀と鉛の合金を作ります。この合金を灰で敷かれた鍋の中で熱することで、最初に鉛が溶けて最後に金銀だけ残るのです。

 灰吹き法が確立される前は金を生成する方法がなかったので、純度が低いまま使用されていました。地域によっては品位もばらつきがあったと考えられています。

 火を通して不純物を取り除く.純度の高い金を作るために。

 

☆やがておいでくださるお方

 やがておいでくださるお方がおられる。 再臨の主イエス

 主はいつの日にか、再臨の主としておいでくださる。

 この地上の歩み 力ある者が我がもの顔で支配している。 悪しき者、闇のものが暗躍している。 それらのものはやがて、裁かで、滅ぼされる。

 再臨の主がすべてを裁かれる。

  主につく者とそうでないものを振り分けられる。  

 主につく者と共に、永遠のご支配をなされる。

 やがておいでくださる方がおられる。

 勝利の主は、すべてを支配される。

 称賛と光栄と誉れとをもたらされる。 

 e;painoj    誉れ、賛美

 do,xa 栄光、栄華、好評、名誉

 timh 価格、価値、代価、 尊敬、敬意、謝礼、ほまれ、名誉、栄誉

【新共同訳】

1Pe 1:7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。

【口語訳】

1Pe 1:7 こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。

【新改訳改訂3】

1Pe1:7 あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キ リストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。

 

☆キリストの苦難とそれに続く栄光

 キリストご自身が苦難を受けてくださった。  キリストご自身が苦難を受けてくださった。

 その最後は十字架での死、しかし、その3日後に復活してくださった。

 苦難の主が勝利の主になってくださった。

 その苦難は私たちのためであり、私たちに救いをもたらすためであった。

○イザヤ53:1-12

苦難の僕 それは後の世に生きる私たちのためであることを示された。

◎10-12節

1:10 この救いについては、あなたがたに与えられる恵みのことをあらかじめ語った預言者たちも、探求し、注意深く調べました。

1:11 預言者たちは、自分たちの内におられるキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光についてあらかじめ証しされた際、それがだれを、あるいは、どの時期を指すのか調べたのです。

1:12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのためであるとの啓示を受けました。それらのことは、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが、今、あなたがたに告げ知らせており、天使たちも見て確かめたいと願っているものなのです。

 

☆魂の救いを得て

 主のみ救いをいただき、神の子どもとされて歩む者とされた。 主こそ、私の主。 私と共にいてくださる。 愛を注いでくださる。  どんなことがあっても主が助け導いてくださる。 私は、主にあって憩い、歩む。

 思いもかけないことが起きても、主は共にいてくださる。 私は主のもの。

 

 私の魂は、主によって救われ、歩む者とされたのだ。ハレルヤ!

 

 9月17日() 敬老祝福礼拝 説教メモ

 「道、真理、命なる方」   ヨハネによる福音書14章9-14節 

 

☆人生の秋

 人生の歩みは季節になぞらえることがある。

 ・人生の春 子ども時代、思春期

 ・人生の夏 壮年期 なんでもバリバリとこなす

 ・人生の秋 50代を過ぎ、60代以降、70代、80代

 ・人生の冬 年齢がかなり進んだ時の意味もあるかもしれないが、難しい問題にぶっつかったり、試練の中に置かれた時を意味するのではないか。

 人生の秋

  初秋 月で言えば9月 60代  中秋 秋半ば、10月 70代

  晩秋 秋の後半11月 80代、90代

 

☆本日は敬老祝福礼拝

 80歳以上の方々 清水会堂では、35名の方々

 人生の秋 晩秋の中にある方々 なお守られ豊かな日々でありますように!

 かつて100年以上前? 人生50年と言われていた?

 今は人生80年、90年、100年と言われるようになった。

 その年齢に達する前に人生を終わる方々も当然おられる。

 でも80歳になられ、なおお元気な方々も多くおられる。

 その年齢にならなければ分からないことは多くあることでしょう。

 長生きをしたことの中で、この年齢まで守られたと喜ぶことも多いことでしょう。

 長生きをするということは悲しみや不安も抱えることでしょう。

 共に歩んできた伴侶を先に天に送る。 親しかった友が先に旅立つ。

体も、当然壮年の時とは違う。 すぐ疲れを覚える。病気を抱え込む。

 記憶力も衰える。 自分でいろいろなところの出かけることも少なくなる。家に閉じこもることも多くなる。  これからの日々をどう過ごすか

 人生の終わりが近いことを感じつつ、どう最後のところを歩むかを考えざるを得ない。

 

☆人生の歩みにおいて

 人生の歩みにおいて何かができた、できなかったということも一つの柱となる。 このことを成し遂げる、このことをこなす。

  そこには取り組む情熱やエネルギーが必要。努力も必要。

  目標を立て、それに取り組む。それを成し遂げるには様々な苦労もある。

  それを成し遂げた時の達成感も味わうこともできる。

  その準備としての、人生の春の歩み、そして、それに正面から取り組む人生の夏の歩みがある。

 人生の歩みにおいて、もう一つの大切な柱がある。

 それは何か、それは平安の中に、感謝しつつ歩むということ。

 人生の夏において、様々なことに取り組む。うまく行くこともあり、うまく行かないこともある。その歩みの中で、平安と感謝があるかはとても大切なこと。

 いろいろなことに取り組んで、こなしている。でもそこに平安と感謝が乏しかったら残念なこと。

 人生の秋において、なお仕事に取り組む人はいないわけではない。

  ほとんどは第1線を退き、自分の時間も多くある。第1線、現役の時のように忙しくは決してない。自分のリズムで毎日を過ごす。自分と向き合う時間も多い。 その中で、平安と感謝を持ちつつ歩むことができるならば幸いです。

 

☆人生は道である

 人生は自分の歩む道である。

 自分の歩む道において、人との比較ではなく、自分自身の心に平安と感謝も持って歩むならば幸いなこと、これほど幸いなことはない。

 道においては二つのことがある。

 一つは、その道がまっすぐでない、時に曲がりくねることがある。舗装された道だけではない。山に登る道で考えるなら、途中岩だらけであったり、前に進むのを妨げる岩が転がったりする。 その時、困難を覚える、大丈夫だろうか、これ以上進めないのでないか。大きなエネルギーを奪われる。心配になる。

 もう一つは、進むべき道が分からなくなる、迷い道に入ってしまう。

どちらに進むべきかわからなくなる。どの道を進めば頂上に行きつくことができるのか、また、ちゃんと下山できるのかと焦る。

 夢の中で、どの電車に乗れば良いのかわからなくなる。どの道を進んだら目的地に着くことができるかわからなくなり、とても焦ることがある。

目が覚めて、ああ夢で良かったと思うことがある。

 夢の中ではなく、現実の歩みの中でどう進んだら良いかわからなくなることがある。

 

☆進むべき道

 進むべき道が分からなくなった時、一番助けになるのは、その道をよく知っている人に進むべき道を教えていただくことではないでしょうか。 人生の秋において、進むべき道

 今まで経験したことが役に立つこともあるでしょう? しかし、80歳以降の歩みは今まで歩んだことがない。 その歩みを助けてくれる存在があったなら、これは程大きな恵みはない。

 

☆主イエスの宣言

 主イエスは宣言された。わたしは道であり、真理であり、命であると

◎6節

14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

 そのお方は、私たちを父のもとに導いてくださるお方

 天の御国へと確かに導いてくださるお方。

 人生の晩年において、一番大きな心配、課題は人生の最後のことではないでしょうか? どうこの人生を着陸するか、人生を終えるか。

 違った言い方をするなら、この地上から天の御国へとどう離陸するか

 主イエスはその大きな事柄においても、助け導いてくださるお方です。

 

☆主イエスは道です。

◎6節

14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。

道、歩みということで詩編を少し探してみました。

*道

○詩編16:11 ○詩編23:3 ○詩編25:8 ○詩編27:11 

○詩編37:23

 歩むべき道を教えてください。命の道を教えてください。と祈り求めている。

この私に、道を見失たこの自分に その道を示し教えてくださるのはあなたのみです。主なる神のみですと歌っている。祈っている。

 主こそ、命の道を教えてくださるお方、正しい道を教えてくださるお方。

間違いなく頂上に着く道、それは天の御国に入る道です。

その道は、新しく造られた。 天の御国に入る道は、主イエスの命の犠牲があって初めて完成した。 その犠牲なくしては、完成されなかった。

しかし、あの十字架の死を通して、主イエスの命の犠牲を通して完成された。

*歩み

○詩編37:31  ○詩編56:14 

 歩みが弱くなることがある。

 そのような時にこそ、共にあって励まし助けてくださる。 支えてくださる。

 時に背負ってくださる。 よろめくことなく歩むことができるようにしてくださる。 

○詩編121:1-8

主はよろめかないように見守り助けてくださるお方。

主は、あなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。

 見守ってくださるお方、危険から、敵からも守ってくださるお方。

 見捨てることなく、離れることなく共にいてくださるお方。

 

☆主イエスは真理です。

◎6節

14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。

 人の造ったものはやがて廃れてしまう。どんなに真理だと主張しても、それは変わってしまう。そのことを言った本人は、それとは外れた歩みをしていることもある。

 人の考え出した真理は、時代と共に廃れ過去のものになってしまう。

聖書の示す神は、永遠の初めから永遠の終わりまでを支配しておらえるお方。

この世界のすべてを創造してくださったお方。

この世界を支え、導いておられるお方。

主イエスは、十字架の死の後、3日目に復活して今も生きておられるお方。

主イエスの霊である聖霊は、私たちを真理へと導いてくださるお方。

 神がどれだけ確かな方か、どれだけ愛を注いでいてくださっているかを教えてくださる。 

 命の主をいつも指し示してくださる。

○詩編119:105

119105あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。

道を進むとき、よろめくことがある。ふらふらすることがある。

 命の御言葉をもって、私の道の光となり、歩みを照らす灯としてなってくださる。

 今も生ける主が、人の言葉や考えではなく、聖書の御言葉、神の言葉をもって主から離れないように導いてくださる。

 崖から転落しないように導いてくださる。

◎9-12節

 父なる神から遣わされた主イエス 主イエスは父なる神の内のおられ、父なる神は主イエスの内におられた。

 その地上での歩みを通して、神を示してくださいました。

そして、その十字架の死をもって、そして復活を通して、救いを成し遂げてくださったのです。

神の見守り、励まし、支え。

 主イエスを通して救いへと導いてくださる。

 魂の救いを与えてくださる。信仰の実りとしての魂の救い

 主イエスがこの私の罪をすべて背負って、あの十字架にかかってくださった。

 ただこの私を愛するゆえに、この私を救うために。

 私が何かましな人間になったからではない、何か少し良いことをしたからではない。

 自分の罪を贖うことは私たちには決してできない。

 しかし、この私のために主が、ご自身の命を持って、罪の代価をすべて支払ってくださった。このことを受け止め、主よありがとうございます。

 主イエスを私の救い主として受け入れますと心から信じ、そのことを表明することで、主はみ救いへと導いてくださる。

 

☆主イエスは命です。

6節

14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。

日々、主につながって歩む者に実を結ばせてくださる。

○ヨハネ15:5

15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

 その約束の通り 信仰は生きたもの。

過去に生き、現在に生き、未来に生きる。

特に現在の歩みにおいて、主イエスにつながって歩み続ける。

その時のカギになる御言葉の一つ

◎13-14節

14:13 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。

14:14 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

 主イエスの名によって祈る。

 ただ祈るのではない。主イエスの名によってお祈りします。お願いします。

 郵便の最後に、中身を封筒にしっかりいれること、封をきちんとすること。

 そして送り先をちゃんと書いておくこと 最後に料金の切手をちゃんと貼ること。

 主イエスの名によって、最後に貼る切手のようだ。

 主イエスの名によってお祈りする。

  主イエスを救い主として信じ、主イエスに信頼してお祈りする。

 その祈りをかなえられる。

 主にいよいよ信頼して歩む。命の主につながって。ハレルヤ!

 

                          (久多良木和夫)