2023年5月

 5月7日() 聖日礼拝 説教メモ

  「豊かに蒔き、豊かに刈入れる」 

                                       コリントの信徒への手紙二9章1-15節

     

★熱意

 何かに熱心になって取り組む そこに心を向ける

 自分の関心事、自分のやりたいこと 燃える心を持って事に当たる

 その熱意は、それに触れる人に伝わる。

 

★コリント教会の熱意

 それはまずアカイア州にあったコリントの教会に人たちに与えられた。

 エルサレム教会に人たちが困窮の中になる。 エルサレム教会の人たちを支えよう、励まそう。 祈りをもって覚える。具体的に献金、募金を集め、支えよう。 

 エルサレム教会の祈りがあり、そこから散らされてきたクリスチャン、また使徒パウロを通しての伝道により、自分たちコリントの教会が誕生した、

 母なる教会のエルサレム教会を支えよう。自分たちのできることをしよう。

 

★その熱意は伝わった。 

 その熱意は、マケドニア州の教会の人たちに伝わった。

◎1-2節

9:1 聖なる者たちへの奉仕について、これ以上書く必要はありません。

9:2 わたしはあなたがたの熱意を知っているので、アカイア州では去年から準備ができていると言って、マケドニア州の人々にあなたがたのことを誇りました。あなたがたの熱意は多くの人々を奮い立たせたのです。

 マケドニアにあるベレア、テサロニケ、フィリピにある教会の人たちの心に伝わった。

 自分たちの教会が生み出された元になってエルサレム教会

  その教会が困難の中になる。 何とか支えたい。助けの手を伸ばしたい。

 マケドニアの教会の人たちは、祈りを捧げ、具体的に献金、募金を集めた。

 マケドニア教会の熱心となっていった。

 

★コリント教会に対して、使徒パウロの問いかけと励まし

 最初の熱心さ それを継続していますか?

◎3-4節

9:3 わたしが兄弟たちを派遣するのは、あなたがたのことでわたしたちが抱いている誇りが、この点で無意味なものにならないためです。また、わたしが言ったとおり用意していてもらいたいためです。

9:4 そうでないと、マケドニア州の人々がわたしと共に行って、まだ用意のできていないのを見たら、あなたがたはもちろん、わたしたちも、このように確信しているだけに、恥をかくことになりかねないからです。

  マケドニアの教会の人たちに、あなたたちのことを誇った。

 その熱心が途中で息切れしたり、途絶えたりしていることはないですかと

 マケドニア教会の人たちに失望させないように。

 

★熱心さは冷えることもある。

 最初は熱心であったのに、いつの間にか、その熱心さが衰えてしまうことがある。 長続きしないことも起こる。 コリント教会の人たちへの問いかけ

 

★最初の約束

 コリント教会の人たちの約束 約束した贈り物

 これこれの献金、募金をしようと決めた。 それが、途中で少し怪しくなった。 

 その熱意を知り、マケドニア州の人たちも熱意を持った。

 マケドニア州の人たちにも、その献金、募金を見てもらいたい。

◎5節

 9:5 そこで、この兄弟たちに頼んで一足先にそちらに行って、以前あなたがたが約束した贈り物の用意をしてもらうことが必要だと思いました。渋りながらではなく、惜しまず差し出したものとして用意してもらうためです。

 最初の約束の贈り物を確かにしてもらうために、この兄弟たちを先に送ります。

 

★祈りと献金

 困難の中にあったエルサレム教会のことを覚えて祈る、必要を覚えて献金する。 エルサレム教会を何とか支えたい。励ましたい。

 祈りと献金は、神によって示され、自発的に起こったもの。

 神が今このことのために、自分を、自分たちに働きかけておられる。 神からの語り掛け

 自分たちを愛して、救いへと招いてくださった天の神さま

 その神の愛によって、救いへと導かれた。

 神の愛に生かされて今、自分たちは感謝のうちに歩んでいる。 その神の愛に応答したい。 具体的には、エルサレム教会の人たちの必要が満たされるために、自分たちに与えられているものの一部を捧げたい。捧げよう。

 

★祈りと献金の原点は、主への感謝の応答

 主が自分たちを神の子どもにしてくださった。

  かつては、真の神を知らず、むなしく歩んでいた。さまよっていた。

  その自分を主は目をとめてくださった。

 かつては、滅びに向かっていた。 その自分を憐れんで、救いへと招いてくださった。 主よ、あなたのうちにあって生きる者となりました。 主にあって、平安の中に生きる者とされました。

 主よ、感謝します。 あなたの愛と憐れみに感謝します。

 感謝をもって歩みます。 自分はどのように歩んでいったら良いでしょうか?

 自分に与えられている人生、その歩む、その与えられているもの、賜物、持ち物も含むそれらのものを主の御心に沿って用いたいと考えた。

 

★人から強制されるものではない。   

 人が誰かに祈りを強制する、献金を強制する。 それは根本的に間違っている。 偽りの宗教 人の心を支配する。その宗教の教え、その宗教で、そこに働く人たちが、人の心を支配し、誘導して、祈りを捧げさせる、献金を捧げさせる。 その人の大切な思いを、大切な持ち物を吸い上げる それは大きな間違いであり、偽り。 その人はいつの間にか、それに支配され、だまされ、心と持ち物を支配される。  そうしなければならない、そうしなければ、自分と家族、祖先が苦しむことになると教え込ませされる。 それは偽り。

 その人の心とその人の持ち物は、その人のもの その人自身が自由に、用いて良いもの その人自身のために感謝して、自由に用いて良いもの

 

★喜んで与える、惜しまず施す

 心から与える、惜しむことなく大切なものを与える。

 それは輝いた姿 そこには感謝と喜びがある。 心からそうしている。 相手のために、その人のために そうすることが喜び、そうしたくてたまらない。

◎7節

9:7 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

 喜んで与える。 自分の持っているものを相手に与える。

  料理の賜物 それを用いておいしいものを作る それを食べてもらう。 

  音楽の賜物 演奏、歌をもって素晴らしい音楽、歌声を聞いてもらう。

  自分の持っている持ち物 それを喜んで与える。

  自分が愛してやまない人、自分の子ども、自分の孫に、自分の友人に、出会った人、誰かのために 喜んで与える人を神は愛してくださる

  自分で決めた通りにしなさい。

◎11節 

9:11 あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。

 惜しまず施す 自分が持っているもの、持ち物、お金を心から喜んで用いてもらう。

 世界で大金持ちを呼ばれる人たちがいる。 一生かかっても到底使いきれない、それをますますため込む人もいる一方、その多くを慈善事業のために惜しげもなく、用いる人たちもいる。 貧困、病気の人たちのために大切な社会事業のために、惜しまず施す人もいる。 自分にこれだけの多くのものが与えられた、自分は稼いだ。 そのことの感謝の応答として

 神のみ救いに与り、助けをいただいた。

  そして、特別に多くのものを与えられた、多くのものを持つ身とされた。

  神がこの私を顧みてくださった。 主よ,感謝します。

  この与えられているものをどのように用いたら良いでしょうか?

  主に問いかける。 主によって示される。 このために用いよう。 

  自分のために、自分の名誉のために、自分を誇るために、用いる者もいないわけではない。 人のものを奪い取って、自分がますます豊かになろうとする者がいないわけではない。

 一方、良いものに富む者にしてくださったのは、天の神さまだ。 

 その神さまに感謝する。そして、神様に喜んでいただくべく、与えられているものを用いる。 用いたいと願い、実際にそのように用いる。

 

★永遠に続くもの

 永遠に続くもの、永遠に残るものを打ち立てたいと願う。 

 そのことは可能であるか?

◎8-9節  

9:8 神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。

9:9 「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。

○詩編119編9節の御言葉の引用 

112:9 貧しい人々にはふるまい与え その善い業は永遠に堪える。彼の角は高く上げられて、栄光に輝く。

○口語訳

112:9 彼は惜しげなく施し、貧しい者に与えた。その義はとこしえに、うせることはない。その角は誉を得てあげられる。

○新改訳

112:9 彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。

 永遠に残るものは何であるのか

 それは、自分のためになしたことではない。 自分の名誉を誇るためにどんなに立派な記念碑を立てても、それはいつか忘れ去られる、朽ちてしまう。

 いつまでも残るものは、貧しい人のために、困難な人のためになすことである

 

★惜しむ心

 惜しむ心が起きる。 計算してしまう。 ここでこれだけ用いたら、その分減ってしまう。 この心は、通常起きる心。計算する心 ここでこれだけ用いたらその分減ることになる。

 セーブする。 これ以上は用いない。 放出しない、放出したらその分減ってしまう。

 貯水池、ダムに水をためる。 

 それをいっぺんに放出してしまったら、確かに、なくなってしまう。だから、計画的に、よく考えて放出することは必要なこと。

 自分の持ち物に関しても、時にブレーキがかかる。 これを今大きく用いたら、減ってしまう。 今これだけ用いることは勿体ないと思う。 

 

★惜しまない心

 今あるこの水を、必要としている土地のために、人のために放出する。

 今こそ用いるべき時だと判断したなら、一気に放出する。 そのことで、乾ききった大地が潤う、飲み水が届く。 

 その人を助けるために、その人たちを助けるために用いるのだ。 心を定めて、存分に用いる。

 自分の持ち物が減るといったことは考えない。今この必要のために。

 貯水池、ダムも、一気に減ったとしても、やがてしばらくすると天からの雨、注ぎ込む川からの水で満たされて来る。

 

★神のご支配

 神は必要を与えてくださるお方

○マタイ6:25-32

6:25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

6:27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

6:28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

6:29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

6:30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

神は必要をご存じで、備え与えてくださる。

9

9:10 種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。

 必要の種を与えてくださる神さま 

  その必要の種を与えてくださる。 蒔くための種を与えてくださる。

  実を成長させてくださる。 天からの雨、太陽の光を注ぎ、その種からの芽を成長させ、実を成長させ、必要を満たしてくださる、

 

★慈善の奉仕の結果

 エルサレム教会を覚え祈り、献金、募金を捧げる。

 大切のものを用いる。 その恵みを受けたエルサレム教会の人たちは、助けられた。

 アカイア州にあるコリント教会、マケドニア州にあったベレア、テサロニケ、フィリピ教会の人達に感謝すると同時に、神をほめたたえた。 神に感謝した。

 そして、エルサレム教会の兄弟姉妹は、コリント教会のために、ベレア、テサロニケ、フィリピ教会のために祈った。

◎12-15節

9:12 なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。

9:13 この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。

9:14 更に、彼らはあなたがたに与えられた神のこの上なくすばらしい恵みを見て、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのです。

9:15 言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。

  神の祝福が豊かにあるようにとお祈りした。

  

★豊かに蒔き、豊かに刈入れる。

 種を惜しみ少しだけ蒔く 刈入れは少し

 種が減ってしまう。出し惜しみして少しでしか蒔かない。 すると種は手元に多く残るけども、収穫は少し。

6節 

9:6 つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。

 種を惜しみなく蒔く。手持ちの種は減る、ほんの少しになる。

 しかし、その種が芽を出し、大きく成長してたくさんの収穫を手にする。

 惜しまず蒔きなさい。  

 神に期待して惜しまず蒔きなさい。神はその信仰に応えてくださるお方です。

  収穫を豊かに与えてくださる、刈入れも豊かにすることができる。

 神に感謝して、神に信頼して、喜びをもって捧げる時に、神は応えてくださる。

 箴言にはこのような御言葉もある。

○箴言22:9

22:9 寛大な人は祝福を受ける 自分のパンをさいて弱い人に与えるから。

 主イエスは、弟子たちに語られた。

○ルカによる福音書6:38

6:38 与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。

 無理をしてではなく、神への感謝をもって、神の愛に応答して行動しなさい。

  特に他の人に対して、心を用いなさいと。

 豊かに蒔き、豊かに刈入れる者として、ありなさい。

  主の語り掛けと主の約束。

 

 5月14日() 母の日歓迎礼拝 説教メモ

    「母ハンナの祈り」      サムエル記上2章1-10節 

 

★母の日

 本日は母の日です。 母に感謝したいと思います

 母によって育てられた、母から愛情を注がれた。 母に守られた。

 今も母が健在であるならば、母に直接感謝を伝えましょう。

 既に、この地上にはいないならば、心の中で、母に感謝を伝えましょう。

  主を信じる者は、母親が与えられたことを主に感謝しましょう。

 

★カーネーション

 母の日のカーネーション

○赤色のカーネーションの花言葉

 赤色のカーネーションの花言葉には、「母への愛」や「熱烈な愛」、「愛を信じる」というものがあります。

○ピンク色のカーネーションの花言葉

 ピンク色のカーネーションには、「温かい心」や「感謝」、「気品・上品」や「美しい仕草」といった花言葉があります。

○白色のカーネーションの花言葉

 清楚なイメージのある白色のカーネーションには、「純潔の愛」や「尊敬」、「あなたへの愛情は生きている」といった花言葉があります。

 愛や尊敬のあるポジティブな意味が含まれている一方で、白色のカーネーションは「亡き母を偲ぶ花」とも言われています。

 

★母の役割

 子どもを生み出す。 その子どもを守り育てる。 子どものために多くの時間を用いる、 愛情を注ぐ。 母が子どもを見る目 それは優しく、慈しみに満ちている。

 共働きの家庭も多くなった。 仕事をしながら、子育てをする。

 子どもが小さい時は、保育園、幼稚園に預ける。 子どもが小学校に通い出す。 今は給食がある。 以前は、毎日お弁当作り。 遠足、運動会の時には、特別においしい弁当を作る。 家族のために、多くの時間を用いる。 食事作り、洗濯、布団干し、・・・  父親も愛情を子どもに注ぐけれど、母親としての特別な愛情を注ぐ。

 

★本日の主人公ハンナ

 サムエル少年の母となったハンナ 預言者サムエルは、母親のハンナに愛された。 小さい時に祭司エリのもとに預けられた。

 母ハンナは、幼い少年サムエルのために上着を縫い、サムエルに届けた。

○2:18-19 

 サムエルは大きくなっても、母ハンナの手作りの上着が届けられ、それを着ていたことを思い出したことでしょう。

 私たちにも、そのような思い出があるのではないでしょうか?

 あの時母があの料理を作ってくれた。 あのおいしかった弁当 あの服を手作りで作ってくれた。あの服を、あのバックを作ってくれた。買ってきてくれた。

 

★ハンナの悲しみ

 つらい経験 それは、サムエルが誕生する前。 夫エルカナには、その当時、二人の妻がいた。 一人は、ハンナもう一人はペニンナ

 ペニンナには、多くの子どもが誕生した。 ハンナには、一人もいなかった。

○1:1-18

 ペニンナに苦しめられる

 あら、あなたには子どもがいないのね、 神さまの祝福が注がれていないみたいね。そのように言われたかもしれない。

  夫エルカナに愛されていることはわかっても、もう一方に妻ペニンナには次々と子どもが与えられるのに、自分には与えられない。

  自分は、神さまから祝福を注がれていないのではないか。

  神さまからの愛はほんの少ししか注がれていないのではないか。

 毎年、主の家に上り捧げものをするときに、特にそのことを感じる。

 ペニンナの意地悪な言葉で余計に傷ついていた。 もうたまらない、涙を流しつつ、祈っていた。どうしてなのですか? なぜ、私には子どもが授からないのですか? 長く祈っていた。 祭司エリの言葉 ハンナの言葉

  ハンナの心は痛んでいた。 ただその悲しみを主に祈り訴えた。

  子どもを授けていただけるなら、・・ ハンナは長い期間、悲しみを抱えていた。

 

◎19-20節

 サムエルが与えられた。 母となったハンナの喜び、感謝

1:19 一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、ラマにある自分たちの家に帰って行った。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を御心に留められ、

1:20 ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。

◎21-28節

 ハンナは神さまへの約束を守った。

 子どもを与えてくださいと熱心に祈り、その祈りが聞かれたら、主に祈ったことを忘れる女性ではなかった。 与えられたなら、主に捧げます。

 主の御用のために、仕える者とさせますという祈りの時の言葉を忘れなかった。 祭司エリのもとにサムエルを預け、そこで育つようにした。

  

★つらさ、悲しみからの解放

 ハンナは、もはやつらさ、悲しみの中に留まっていなかった。

 つらさ、悲しみから解放された。 喜びの中に置かれた、感謝の中に置かれた。 喜び、感謝を持って生きる者になった。

 持っていない者から持つ者になったということも当然あるでしょう。

 しかし、それが中心では決してない。 主なる神が祈りを聞いてくださった。

 つらさ、悲しみの中からの祈りに応えてくださった。

 主は生きておられ、働いてくださった。 この私は見捨てられなかった、顧みていただいた。そのことで、主をほめたたえた。

 

★母ハンナの祈り

 サムエルの母となったハンナの祈り

 喜び、感謝の祈りであった。 主への賛美であった。

 

★主による逆転

①上から下へ、上にある者は下に

*驕り高ぶり、高ぶり、思い上がり

 自分が立派だと思う、それを誇る 自分は何でもできると考える、どんなものだと考える。

◎3節

2:3 驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神 人の行いが正されずに済むであろうか。

 *勇士

◎4節前半 

2:4 勇士の弓は折られる

   勇士の弓 弓がある、武器を持っている、資金をたくさん持っている。

  軍事力は大いにある。 それをもって、そうでない者に襲いかかる。

  人間的に見れば、圧倒的な武器、資金、軍事力がある。

  それらは、折られる。それらのものは取り去られる。 それらを失う。

*主に逆らう者

 人を苦しめる。 自分の思い通りに人を扱う。 その人の持っているもの、大切にしているものを踏みにじる  それは、主が望まれていることではない。

◎9節後半

2:9主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。人は力によって勝つのではない。

  主の御心を無視し、自分の思い通りに事をなす。他の人を、他の国を苦しめる。 それは主に逆らうこと

◎10節前半 

2:10 主は逆らう者を打ち砕き 天から彼らに雷鳴をとどろかされる。

 主に逆らう者は闇の沈黙に落とされる。 逆らう者は打ち砕かれる。

 

②下から上へ 下にあるものは引き上げられる

◎1節

2:1 ハンナは祈って言った。「主にあってわたしの心は喜び 主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き 御救いを喜び祝う。

◎口語訳

2:1 ハンナは祈って言った、「わたしの心は主によって喜び、わたしの力は主によって強められた、わたしの口は敵をあざ笑う、あなたの救によってわたしは楽しむからである。

 主なる神は、喜ぶことのできる者にしてくださった。

 口を大きく開ける者にしてくださった。元気を与えられ笑うさま

 主の救いを喜び祝う者とさせてくださる。

 ハンナの時代 主なる神がこの自分を守り、助けてくださった。

 今の時代 主イエスによる罪の赦し、神との断絶が取り除かれた。

  神の子どもとされた。これこそが感謝。

◎4節後半

2:4よろめく者は力を帯びる。

力を失いよろめく 力を失っている者 その者に力を与えてくださる。

◎6節 

2:6 主は命を絶ち、また命を与え 陰府に下し、また引き上げてくださる。

 命を失う、希望を失う、闇の中に沈む そこから希望を与えられる。

 陰府に下る 最も暗いところ、希望のないところ そこに沈んでいくこの身 その身を引き上げてくださった。沈んでいったらそれでおしまい。そこから引き上げてくださるお方

7

 2:7 主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる。

 貧しくされる 低くされる

 多くを持っていたのにそれを失う。なんということかと苦しむ。落ち込む、沈みこむ。そこから、もう一度富ませてくださる

 低くされる、高いところから低いところへ ああなんということかと思ってしまう。

  そこから、再び引き上げ高くしてくださる。

  前のように見えるところで富み、見えるところで高くということではない。

  主のご支配の中で、そのことを心にとめて歩む。生きる。

◎8節

2:8 弱い者を塵の中から立ち上がらせ 貧しい者を芥の中から高く上げ

 弱い者 なんと力がないことか、嘆き

  その者を塵の中から立ち上がらせてくださる。

 貧しい者、乏しい者 その者を芥の中から高く上げてくださる。

◎9節前半

2:9 主の慈しみに生きる者の足を主は守り

◎口語訳

2:9 主はその聖徒たちの足を守られる、

主と共に生きる者の足を守ってくださる。

◎10節後半

2:10王に力を与え 油注がれた者の角を高く上げられる。」

 主によって立てられた王に力を与えてくださる。

 王、預言者、祭司 特別な働きのために選ばれた者 それらのものを高く上げてくださる。

 

★母ハンナの祈り

◎1-2節

2:1 ハンナは祈って言った。「主にあってわたしの心は喜び 主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き 御救いを喜び祝う。

2:2 聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。

 ハンナは、子どもサムエルを与えてくださった主は、この子の母となった自分を守り助けて共に歩んでくださるお方。

 この子を守り助け、共に歩んでくださいと祈り続けたことでしょう。

 

 

5月21日() 聖日礼拝 説教メモ

   「神に由来する力で」  コリントの信徒への手紙二10章1-11節 

 

★夏に向かって進む。

 春を経て初夏、野菜や果物が育つ。

  梅の実やスモモの実が育ってゆく。サクランボ、桃、ぶどう、スイカ、・・

 実がこれから少しずつ大きくなり、熟れてゆく

 農作物もこれからは育つ時

  きゅうり、トマト、ナス、ピーマン、トウモロコシ、・・

 ヒバリが巣を作り、卵を産み、ひなが誕生する。 自然界はそのような時期  

 夏に向けて、個人においては

  夏の活動、仕事、・・

  教会においては、弾圧受難記念礼拝、地区講壇交換礼拝、西南夏期聖会、召天者合同記念礼拝、・・

 

★何かを推し進めていく。

 季節の中で、なすべきことがある。

  やらなければならない仕事があり、やって来る行事があり、

 そこに身を置いて、なすべきことをなしていく。

 流れの中で事が自然に進むこともある。

 一方、馬力をかけなければ進まないこともある。

 

★生きるということ

 日々の中で経験する喜びがある。

 朝のさわやかな光、心地良い風、おいしい食事、・・ 感謝だなあと思う。

 それでも、その日の体調によっては、嬉しいと思い、反対にだるいと感じる。

 生きるということは、目の前の課題に対してどうするかを考えなければならない。 どう対処するか、どう決断するか?

 さっと対処できることもあり、なかなか対処できないこともある。

 学校に元気よく行けることもあり、なかなかその元気が出ないこともある。

 行けていたのに、行けなくなることもある。

 学校のテストを控え、よし準備しようと思うこともあり、ああいやだなと思うこともある。

 取り組まなければならない仕事、課題に対して、前向きに心を向ける時もあり、その仕事、課題の大変さがのしかかってくることもある。

 自分自身においても、何の悩み、煩いもなく進める時もあるし、その反対の時もある。

 

★使徒パウロはどのような人であったのか?

 偉大な人、大きな仕事をした人、多くの働きをした人 異論はないのではと思う。 偉大な伝道者、宣教者であった。良き指導者であった。

 そのような素質も持っていたとも思われる。

 パウロは、コリント教会を生み出し、その教会に今、手紙を書いている。

 コリント教会の兄弟姉妹が、神の愛に生かされ、御心にかなって進んでいけるように、心から祈り、取り組んだ。

 

★そのパウロに対する評価は様々であった。

 評価が良いと気持ち良い。ああよい評価がなされているなあ、感謝だなあ。

 ますますこの道を進んで行こうかと思う。

 その反対だと、どうでしょう?  ああショックだなあ、どうしてなのだろう。これはどうしたことか、 何が問題なのか、これからそうしたらよいのかと悩む。思い煩う。

◎1-2節

10:1 さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。

10:2 わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。

◎10-11節

10:10 わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。

10:11 そのような者は心得ておくがよい。離れていて手紙で書くわたしたちと、その場に居合わせてふるまうわたしたちとに変わりはありません。

 パウロという人も、そのように評価されたことがあったのだ、少しホッとするのではないでしょうか?

 パウロは偉大な人、いつも良い評価、皆がいつもパウロの言うことには全面的に信頼して従ったと考える。 でも実際にはそうでないこともあった。

 かなり、辛辣に評価された。

 パウロ先生は立派なことを言っているが、実際には、そうでないと。

 

★低い評価、悪い評価を受けると

 自分が低い評価、悪い評価を受けたとする。 喜ぶ人はいるでしょうか? 時にそれをバネにして頑張る人もいないわけではない。

 でも、普通は、落ち込む。 ああ、自分はダメだ、ふさわしくないのだ、力不足なのだ。 また、そのような評価をする人たちに対して、反感を持つ。 これだけしているのに、もう知らない、もう関わらない。 その働きを放棄するさえあるかもしれない。

 

★パウロはどうしたか?

 その評価が出されたことは間違いではなく、実際に起きたことだと受け止めた。 その相手との関わりをやめることはしなかった。

 そのような評価は、見えるところでなされたものに過ぎない。

 その評価がすべてだとは考えなかった。

◎2-3節

10:2 わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。

10:3 わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。

  勇敢さを失わなかった。

 その評価は評価として受け止めつつ、その間違いを正す勢いがあった。

 その相手に対して、もう知らない、もう関りを持たないという風には考えなかった。

◎7節

10:7 あなたがたは、うわべのことだけ見ています。自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。

 あれこれ評価することは結構だが、その評価はどこから起きているのですか?

人間的な思いだけから起きている評価は、上っ面なものです。

あなたたちは、キリストのものだ、理解しているのですか?

キリストにあって歩み、そのキリストのご支配の中で生きているのですか?

私はそのように歩み、生きています。

その土台抜きに、人をどのように評価しようとも、それは、人間のなした評価にすぎません。そのようなものは、じきに、風に吹き飛ばされてしまうものですよ。

 大切なことは、他の人を表面的に評価し、批判することではなく、自分自身がキリストを土台として歩むことです。

使徒パウロは、まさにそのことを一番大切なこととして歩んでいた。私たちもそうありたい。

 様々な評価、批判が起き、時に大きな行き詰まりを経験する。

 順風だけでなく、逆風に直面する。

 逆風は強ければ強いほど、前に進むことを難しくし、それに立ち向かえば、体力を消耗する。前に進めないどころか後退させられる。

 そのような時、起きているそれだけを見れば、苦しくなる。

 その時、主イエスにつながり続ける。主イエスにつながって歩み続ける。

主が、すべてをご存じである、主がすべてを導いてくださる。

今は、どうしたら良いかわからない時でも、主のものとされたことを心にとめて歩み続ける。

 

★主の御心を心にとめる。

 目の前のことがうまくいかない、困難があると、苦悩しますし、時に落ち込むこともある。 自分がこれだけしたのに、やったのにうまくいかない。

 今までの働きは何だったのか? パウロもそのような思いもやってきたかもしれない。しかし、パウロは前を向き続けた。

 なぜ、そうできたのだろうか?

 それは、神の御心に心を向けたからではないでしょうか。

 主の御心は何だろう、私に対する主の御心は何だろうかと考えたことでしょう。

◎8-9節

10:8 あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。

10:9 わたしは手紙であなたがたを脅していると思われたくない。

主は、私に権威を授けてくださった。 それは自分が高いところに立って威張り散らすためではない。 それは、ただ一つ、コリントの教会の兄弟姉妹を造り上げるためだ。

 コリントの教会の兄弟姉妹、コリントの教会にはいろいろな課題があった。

  問題が次々と起こってくる。自分に対する批判まで起きて来る。

 それでも、パウロは前を向いて進んだ。 どうしてそうできたのか?

 それは、神の御心の中で、自分は今このことに取り組むように主から召されていると考えたから。 造り上げるために、私は、神の御心の中で、ここに身を置き、なすべきことをなすのだと受け止めた。

◎4-6節

10:4 わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、

10:5 神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、

10:6 また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。

 コリント教会が神の御心にかなうものにされるために、自分は歩み続ける、関わり続けるのですと。 理屈を打ち破ります。 神の知識に逆らう高慢を打倒します。

 人間的な思惑を打ち砕き、キリストに従わせます。 すべての不従順を罰します。

 

★神に由来する力

 戦いの武器 戦争の戦いをたとえに用いている。 戦争を肯定しているのでは決してない。 ここでは一つのたとえ。

 要塞 その要塞が残っている以上、いつまでも攻撃される。 その要塞を破壊する必要がある。

 肉の武器では、とても対抗できない。打ち破れない。破壊できない。 それで、いつまでも苦しめられる。

 使徒パウロは、肉の力で進んだのではなかった。

 

○エフェソの信徒への手紙6章10-20節

6:10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。

6:11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

6:12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。

6:13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

6:14 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、

6:15 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。

6:16 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。

6:17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。

6:18 どのような時にも、に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。

 神の武具 

  ①真理の帯、        ②正義の胸当て

  ③福音を告げる準備の履物  ④信仰の盾

  ⑤救いの兜         ⑥神の言葉である霊の剣

  ⑦聖霊に助けられての祈り

 

◎4節

10:4 わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。

【口語訳】

10:4 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。

【新改訳改訂3】

10:4 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。

 肉の力は、限界がある。 闇の力に対抗できない。闇の支配を打ち破ることはできない。

 神に由来する力こそ、勝利の力です。

神のためには力あるもの。 神の御前で力あるものです。

聖霊なる神のご支配の中で、勝利を与えてくれるものです。

生ける主、愛の主は、神のご支配の中で、必要な力を与えてくださる。満たしてくださる。

その恵みを受けて、歩を進めていきましょう。

 

 

5月28日() ペンテコステ礼拝 説教メモ

   「聖霊に満たされて」 使徒言行録2章1-13節 

 

★満たされて生きること

 満たされて生きることは幸いなことです。

 さて、皆さんは、どのようなことに満たされたいですか? その満たされたいことを思い浮かべることがあるのではないでしょうか?

 私自身、このようなもので満たされたら良いなあということを思い浮かべてみました。

①喜びに満たされたい。

 喜ぶことは幸せ。 楽しいこと、嬉しいことがたくさんあれば喜びが満ちる。

 喜ぶことができれば幸せ。 笑顔が出て来る。

 普段どのような顔をしているだろうか? 笑顔がない状態、ぶすっとした顔になっていないだろうか。 喜びに満たされたい。

②希望に満たされたい。

 希望があれば、今を生きることができる。 希望は、まだ見ていないことだが、将来の良きことを望み見ていたら、この先に、楽しいことが待っている。 良いことがあるに違いない、それを待ち望みつつ歩む。 今、少しきついことがあっても、頑張ることができる。 山頂まで、もう少し、絶景を見ることができる。もうひと頑張りだ。

③愛の心に満たされたい。

 愛の心があれば、人との出会いが楽しい。

 相手を大事にしつつ歩む、共に過ごすことができる。

 相手の大切さ、かけがえのなさを心にとめつつ、良い時を過ごせる。

 愛の心に満たされたい。

④赦しの心に満たされたい。

 赦す心、相手を赦す心。 赦せない心がどこかにある。 相手を赦せない、特定の人を赦せない。 あることで、嫌な思い、辛い思いをした。その原因は、相手にある。特定の人にある。 そのことを思い出すとイライラする。

 そのようなイライラした思いは、自分をダメにする。

⑤事に取り込む力に満たされたい。 

 しなければならない仕事、課題。 取り組むべき事柄をこなしていかなければならない。 もし、そのための力に欠けていたら、大変。

 きつい、できない、困難だ、 心をいつも疲れている、疲労困憊。

 それを成し遂げるための知恵と力、知力、体力、気力。

 それらがあれば、それらのことをやり遂げていくことができる。

⑥意欲で満たされたい。

 意欲が、やる気があれば、感謝。

 いろいろな仕事があっても、なすべきことがあっても、それをなしていける。

 意欲をもって事に当たることができれば感謝。

⑦落ち込まない心で満たされたい。

 落ち込む、うまくいかないと落ち込む。 気分が落ち込む。

 落ち込まない心があれば感謝。

⑧他の人と共に歩むことに感謝する心で満たされたい。

 他の人と関わることにはエネルギーが必要。

 面倒だと思うことがある。 関わることをやめてしまう。 自分のことだけを考えて歩みたいと思う。 でも、他の人と関わらずして生きていけない。

 願わくば、その関わりを感謝する心を持ちたいと願う。

⑨その他、いろいろあることでしょう。

 お金で満たされたい。 財産で満たされたい。 友達で満たされたい。 

 名誉で満たされたい、・・

 なぜこうして挙げることができたか? それらが枯渇する、それらがあったと思っていたのに、なかったことに気が付かされるから。 それらが乏しい自分に気が付いたから。

主よ、これらのことを与えてくださいと願わざるを得ないから。

 

★主の弟子たちは、何を願っていたのでしょう?

 偉くなることでしょうか? いろいろなことに取り組む力でしょうか?

 主イエスと共に歩む中で、大切なことを教えられていった。

 偉くなりたい者は仕える者になりなさい。

 主から命じられて町々に出かけて行った。 主イエスから聞いた良い知らせを伝えていった。

 弟子たちは、次のことを経験した。

 1)主イエスに出会い、人生の歩みの一つ一つのことにおいて、足りないことにおいて必要が満たされることを願ったのではないでしょうか?

 2)そして、もう一つのことを経験した。

  それは、その主イエスが奪われてしまうこと。 すなわち、主イエスが捕らえられ、十字架につけられる。その命が奪われています。

 希望の主、力の主、導きの主がいなくなってしまった。 

  失意落胆、さらに、絶望、お先真っ暗。

 3)そして、さらにもう一つのことを経験した。

  主イエスが戻ってきてくださった。主イエスが復活された。 命の主が戻って来てくださった。 命の主と共に再び歩むことができる。  夢のような出来事。

  その期間は40日であった。 40日後には、主イエスは天に帰って行かれた。昇天された。 天に昇って行かれた。

 4)そして、最後にもう一つのことを経験した。

  別の助け主がおいでくださった。 と言っても、主イエスと関係のない方ではない、大いに関係のある方。 イエス・キリストの霊とも言われるお方。すなわち聖霊。

  聖霊降臨の出来事、すなわちペンテコステの出来事を経験した。

  ペンテコステ 50日目の意味。

  過ぎ越しの祭りから50日目 過ぎ越しの祭りの期間に主イエスは十字架刑に処せられ、命を奪われた。 それから50日目、40日目の昇天の出来事から10日目であった。

 

★本日の箇所は、まさにその出来事を伝える記事。

 聖霊降臨のことを伝える記事

◎使徒言行録2:1-13 

2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。

2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。

2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

2:5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、

2:6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。

2:7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。

2:8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。

2:9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、

2:10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、

2:11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

2:12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。

2:13 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

 

★ペンテコステ礼拝

 毎年やって来る。 クリスマス、イースターと共に大切なお祝い 特別な礼拝の時 毎年、同じように開かれる聖書箇所。もう何度も開かれた箇所。

 この箇所から何度ペンテコステメッセージを聴いたことでしょう。

 語る者も何度語ったことでしょう。 実は、ここから、何を語れば良いのかと、昨日、大いに悩んだ。 何か語ることができるのだろうか?と思った。

 

★ペンテコステの恵み

 それは、一度起きた出来事、主によって起こされた出来事。

 それは特別な出来事。 スペシャルな出来事。

 この出来事を少し確認しましょう

 弟子たちは、上からの聖霊降臨を経験した。 電撃的なこと。 それは、初めての経験。 聖霊が上から降った。 自分たちの上に臨んだ。 弟子たちは聖霊に満たされた。

 そして、弟子たちは、主の偉大な御業を力強く語った。

 その弟子たちの様子を見た人たちはとても驚いた。

 違った言語を話すそれぞれなのに、それぞれの言語で聴くことができた。

 そしてもう一つ大切なことは、それは突然起きた出来事であったけれど、主イエスによって予告されていた。 祈って待ちなさい。

◎ルカ福音書24:45-49

24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、

24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。

24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、

24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。

24:49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。

 弟子たちは、祈って待った。心を合わせて祈った。

◎使徒言行録1:3-5、8、12-15

1:3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。

1:4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。

1:5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。

1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

1:12 使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。

1:13 彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。

1:14 彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

1:15 そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。

 

★主イエスから予告されたことが起きた。

 それがペンテコステの出来事、聖霊降臨の出来事。

 弟子たちは、聖霊を注がれ、満たされ、進んでいった。

 

★なぜ、ペンテコステの出来事を毎年確認するのか?

 それは、とても大事な出来事であったから。

 弟子たちにとっては、大きな出発点であった。

 主イエスの弟子として、歩んでいく原点の出来事となった。土台となった。

 

★私たちは、ペンテコステの出来事をどう受け止めたら良いのか?

 主イエスの弟子たちがおよそ2千年前に経験したこと。

 すごいことが起きた、それで、弟子たちはエルサレムを出発点として、主の教会ができ、各地に主の教会ができて行った。 主イエスを信じる者たちが起こされていった。

 やがて、ヨーロッパ中に、そして世界中に主の教会ができて行った。

 今、私たちは、主を救い主を信じて、毎週教会にて礼拝を捧げている。

 そして、日々の歩みを営んでいる。

 うまくいきこともあれば、うまくいかないこともある。

 主の救いに与って、感謝だなあと思う時もあれば、救いに与りながら、乏しさを覚える、力のなさを覚えることもある。

 劇的なペンテコステの出来事は、初代教会の主イエスの弟子たちが経験したこと。 そしてその出来事は、私たちと大いに関係のある出来事。 2千年後の現在を生きる私たちにも、与えられている出来事。 経験できること。 

 熱心に祈って、劇的な出来事を体験することもあるかもしれないが、主イエスを信じる者、すなわちキリスト者に、備えられている恵み。

 そのことを体験して生きることができる。

 その意味で、毎年、ペンテコステ礼拝において、聖霊降臨の出来事を学び、確認しているのです。

 

★聖霊が与えられ、聖霊と共に生きること

 開かれた門は閉じることはない。

 主イエスの十字架の出来事、そして復活の出来事により、主イエスを救い主と信じる者に罪の赦しが与えられる。神の子どもとしての資格が与えられる。

御国の命の保証が与えられる。 それは大きな喜び、この世が与ええない喜び。

 

★生きる中で、必要なこと

 ①喜び、 ②希望、 ③愛の心、 ④赦しの心、 ⑤事に取り組む力、 ⑥意欲、 ⑦落ち込まない心、 ⑧他の人と共に歩むことに感謝する心、 ⑨その他、・・

 それらのものが必要。 その他に大切なものがあります。 それは、何でしょう?

 

1⃣苦難を乗り越える力

 苦難を経験する。 希望が吹き飛ぶようなことを時に経験する。

 その中で沈み込みそうになる。 主によって支えていただき、そこから浮かび上がる。立ち上がってゆく。

 

2⃣自分が飲み込まれそうになっても、立ちゆく力

 うまくいかない、大きな困難に出会う、 想定外の苦しみ。

 人生における様々な困難、 病気、 自分の命が飲み込まれそうになる。 命の終わりに近づく、命の終わりが近いと感じる。 

 自分の中には、そのような力はない。 しかし、主が与えてくださる。

 

★主のご支配  

 聖書は、それらのものを与えてくださる主がおられることを示している。

 私たち人間の中心的な考え方の中で、それらのものを手に入れたい、満たされたいと願う。 そして、それらを手に入れたらそれで良い。 それらに満たされなら、自分はそれで良いと考える。

 後は、自分の力で歩んでいきます。 私のやり方で歩みます。

 主よ、もう大丈夫です。 どうぞ、少し離れたところにいてくださいと考えてしまうことがある。

 しかし、聖書は、主と共に歩む中でこそ、それらのものは与えられ、満たされることを教えている。 

 与えられ、満たされても、また失うことがあり、枯渇してしまうことがある。

 主と共に歩む中で、また与えていただき、満たしていただきなさいと

 

★主の命の中を生きる

 主の命の中を生きる。 主につながって歩む。主につながり続ける。

 そのためには、主を信じる信仰、主を仰ぐ信仰が生きたものでなければならない。

 信仰はなくなってしまうことがある。 時に信仰を捨ててしまうことがある。

 なくなってはいないが、捨ててはいないが、その信仰の命がなくなることがある。 かつての信仰、あの頃の信仰、でも今はその信仰は命を失っている。

 その信仰に再び命を与えてくださるお方がおられる。その方こそ、聖霊なる神

 聖霊のご支配の中で、信仰がよみがえる。再び命を持つ。

 

★主の弟子として生きる。

 もう一つ大切なことは、信仰がいきいきしている。その信仰が燃えていること。 信仰がはっきりしている。信仰がボーとしていない。 信仰に勢いをもたらすお方は聖霊なる神です。 

 聖霊なる神のご支配の中で、信仰がいきいきしてくる。 主をさっと仰ぎ、主をあがめつつ歩む幸いに導かれる。

 自分に与えられている信仰は、自分自身が持っているものだが、主より与えられ、生かされている。

 この信仰を大切にしたい。この信仰こそ、大切なものとして歩む。

 この世のいろいろなものも大切だが、この主を信じる信仰はとても大切なものであり、この信仰を中心に据えて歩みたいと思う。 その幸い。

 自分の歩みを整えつつ、信仰に生かされつつ、キリストにあって歩み続ける。

 いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する。

 その歩みの中で、家族、親族、友のことを覚え祈る。

 聖霊に満たされて、聖霊の豊かなご支配の中で、この信仰に生かされ、願わくば、この救いの恵みをどなたかに証ししたい、伝えたいと願う。

  

★聖霊に満たされて

 聖霊の大いなるご支配の中で、感謝しつつ、聖霊なる神に依り頼み生きる。

 聖霊なる神よ、内に満ちてくださいと祈りましょう。

 聖霊に満たされることほど、幸いなことはありません。霊に満たされることを心から願いましょう。